この曇り空を抜け出そう!④(2000年代)
「あっ、そうですかぁ……。ちょっと腹の調子が悪いんで、トイレ行ってきますわ」
そのまま本当にトイレに行って、便座に座って考え込む。
どういう理由かはわからないが、あの店長は自分を辞めさせたいに違いない。
いい加減嫌気がさしていたときに、こんな酷い仕打ちだ。
いろんな事が頭の中を駆け巡る。
同じ職場であったとしても、得てして面倒な厄介事には立ち入らないのが、いまの世知辛いご時世だ。
もう、こんな所長がいる店は辞めてもいいと思ったが、現実問題として、やっぱり生活のこともある。
千春にはなんと言おうか……。
実のところ、千春には余計な心配をさせまいと、この所長の話は一切していない。
それにやっぱり、副所長の小守さんへの義理もある。
あの人が入院して休んでいる間に、店を辞めるわけにはいかない。
「あの、すいません池田さん」
この春に専門学校を卒業して入社したばかりの社員が、正志を呼びにやってきた。
「なんや!?」
「あのですねぇ……。池田さんにお客さんなんですけど……」
「客!? なんや客って、さっきの客が、また戻ってでもきたんか!?」
「いえ、違いますけど……。たぶんですねぇ、池田さんのお友だちの方だと思いますけど」
「友だちって、名前は?」
「さぁ?」
「さぁって。もうしゃーないのぉ」
友だちでも誰でも、まだ誰かに会いたい気分ではなかったが、正志はしょうがなしに便座から腰を上げた。
オモテに出てみると、英男が新型のBMWにもたれて正志を待っている。
英男もクルマに合わせるように、渋い大人の雰囲気の装いだ。
「いらっしゃいませー。お客さま、本日はワタクシ目になんのご用件でしょうか?」
ワザと素っ気なくは言ったが、笑顔になる気分にはなれない。
「どーしたんだよ? 元気ないな」
「ん……。いや、ちょっとな。あの馬鹿所長のおかげで、また泥水をかぶったんや」
「……そうか。お前も大変だな」
「それで、用事はなんや? なんか用事があったんやろ?」
「あのさ。それなんだけどさ……」
「なんや? いいから言うてみぃや」
「取りあえず、ハイオク満タンで」
「なんやそりゃー!? 支払いは現金でええか?」
「あぁ」
「ハイオク満タン! 現金で入りまぁーーす!」
英男と少し話をしながら窓を拭いていると、前を通っていく小学生たち数人が、正志に手を振っていく。
「なんか、お前ってさ。ここを通る小学生たちに、ずいぶんと人気あるんだな」
「ん。まぁ、人気があるっちゅうか、あいつらからしてみれば、歳の離れた友だちみたいなもんなんやろうな。きっと、そんな感じやと思うで」
「なるほどなぁ。なんていうか、お前のそういうとこって、なんかすごいな」
「そんなん別に、すごいことなんかあらへんでぇ。オレも、小学生と話するのはおもろいからな。けっこう良い刺激にはなるで」
「なぁ、ちょっと変なこと聞くようだけど、この小学生たちの中に、すごく仲が良いのっているか?」
「なんやそら? そら仲の良い子もいるでぇ。名前も知っとる子もいるし、名前は知らんでも、仲が良い子はいるしな。それが、どうしたんや?」
「あのさ。単刀直入に聞くけど、お前この子知らないか?」
そう言って英男は、正志に一枚の写真を見せた。
その写真には、航太郎の顔が大きく写っていた。
正志は、その写真から目を逸らした。
「なぁ……。こっちも変なことを聞くようやけど、その子がなんかしたんか?」
正志の声は、少し震えていた。
航太郎が、特になにかをしたというわけではないのだろうが、探偵である英男がこんなことを聞くのだから、きっとその裏にはなにかあるはずだとそう思った。
「いや……。ちょっとな。悪いな、なんかへんなこと聞いちゃって」
正志のいまの態度を見れば、その子との仲は一目瞭然だ。
英男もそれ以上は聞かずに、すぐに言葉を濁した。
「あ……。ガソリン代いくらだ?」
「えっと……。四千二百六十円やな」
英男はガソリン代を払うと、「それじゃ、また今度な」と、一言添えて帰っていく。




