この曇り空を抜け出そう!②(2000年代)
その悩みというのは、いま付き合っている彼女、千春のことだ。
「なんだよ、正志。ひょっとして、千春ちゃんと上手くいってないのかよ?」
勘の良い英男が、正志が話す前にそのことを聞く。
千春とは二年ほど前に、正志がファミレスでアルバイト中の千春に、他のテーブルの客も多数いる中、ストレートに告白して、そこから付き合い始めた。
身長一六○センチの千春の方が正志より若干背は高いが、千春が猿顔好きということもあってか、特に問題もなく交際が続いている。
いまは週に三日か四日は、千春は正志のアパートに泊まりにきている状態だ。
「まぁ、上手くいってないってこともないんやけどなぁ……。最近はその千春ともなぁ、なんかマンネリやねんなぁ……。なんかセックスにも飽きてきてるし……」
正志のその悩みというのは、俗にいう倦怠期だ。
「お前、それって、すっげぇ、贅沢な悩みだって! 千春ちゃんはお前より、九コも若いんだから、そんなこと言ったら可哀相だって!」
そう英男は正志に言った。
「そんなこというたかて、そう思うとるからしょうがないやんけぇ~。お前かて、さっきキャバクラの娘とぎょうさん遊んでるって言うとったやんけぇ!」
そう言われてしまえば、英男には返す言葉もない。
「なんかおもろいことってないんかなぁ? なんかこう目が覚めるようなやつ」
「だったらさ。今度の休みの日に、千春ちゃん誘って、映画でも観に行ったらいいんじゃないか! アクション映画とか」
そのごく普通の返ってきた答えに、正志は妙に納得してしまった。
「そやなぁ……。そんなんが一番なんかなぁ……」
ふと、壁に掛けてある時計を見ると、時間はすでに十時を回っている。
「あかん!? スマン、英男。あらためてまた今度な」
慌てて一方的に電話を切ると、急いで着替えて、ダッシュで店をあとにする。
途中コンビニに寄って、『お土産』を買うことを忘れない。
アパートに着いて、すでに覗き窓から明かりが漏れる部屋のドアの前に立つと、ゆっくりと息を吸い込んでチャイムを鳴らす。
当然というか、やっぱり反応がなにもない。
やはり、怒っているようだ。
ダメ元で、もう一度チャイムを鳴らしてみるが、やっぱり返事は無い。
タメ息をついて、少し悩んで、結局自分が持っているカギでドアを開けることにした。
鍵穴にカギを挿し込んで、鍵を開ける。
今度は開けたはずの鍵が、もう一度中から閉まる。
しょうがなしに、もう一度開錠を試みるが、また中から閉まってしまう。
それを六回繰り返して、ようやく鍵は閉まらなくなった。
安堵のタメ息をついてドアノブを引くと、次にドアチェーンが部屋に入ることを拒む。
やはり、平謝りする以外にはなさそうだ。
「あのぉ~、千春さん。お願いですから、部屋に入れてもらえないでしょうかぁ?」
「いま何時?」
ぶっきら棒でキーの高い返事は、あきらかに怒っている証拠だ。
「はい。只今十時四十三分でございます」
細心の注意を払って、丁寧に答える。
「約束は、何時だっけ?」
「はい。確か、九時半すぎには、帰れると言ったようなぁ……」
「そうだよねぇ。で、いま何時?」
「はい。十時四十五分二十秒でございます」
更に細かく、正確に答える。
「帰るのが遅くなるならさぁ、メールぐらい出来たんじゃないの?」
「いや……。それがちょっと、長電話などをしてまして……」
「ふ~ん。電話って、誰と?」
「はい。もちろん、お友だちとでございます」
「お友だちぃ?」
「はい。もちろん男のお友だちとでございます」
開いているドアの隙間から、証拠となる携帯電話を差し出す。
「あのぉ~。途中コンビニで、千春さんのために、美味しい美味しいスイーツを買ってきたんですが、もしよろしかったら、ご一緒にいかがでしょうか?」
千春がいまお気に入りの、コンビニスイーツ。途中コンビニに寄ったのはこの為だ。
「スイーツ?」
返事のトーンがさっきよりも柔らかい。
「はい。スイーツでございます」
「その買ってきたスイーツってなに?」
「はい。千春さんが最近お気に入りのショートケーキと、千春さんが愛してやまないカスタードのシュークリームでございます。もしですね、お許しいただけるのであれば、このチェーンをはずしていただけないでしょうか?」
天岩戸が静かに閉まり、そのままなんの返事も無いまま、三分ほどが経過。
「んっ、ん。ん、ん、んぅ」
リズミカルな咳払いと、チェーンをはずす音。
「あの~、入ってもよろしいでしょうか?」
「どぉぞ~」
すこぶるご機嫌なトーンで返事が返ってくる。
「ほな、入るでぇ。ただぁいまぁ」
「お帰りぃ。遅かったね?」
さっきまでのことは、もうなかった話だ。
「スマン、遅くなって」
「ううん」
正志が手にぶら下げているコンビニのビニール袋に目をやって、千春は嬉しそうに首を横に振る。
「おみやげ買ってきたから、あとで一緒に食べようなぁ」
ご機嫌におみやげを受け取る千春の後ろに見えるテーブルには、千春の手料理が温かい湯気を立てて並べられている。
些細なケンカは、これで仲直り。これがふたりの約束事だった。
ご飯を食べながら、千春は今日一日あったことを話し始める。
大概は、今日面白かった客の話だ。
正志と付き合い始めてしばらくは、千春はファミレスのアルバイトをしていたのだが、いまは自給がかなり良いという理由で、わざわざ電車で一時間掛けて、秋葉原のメイド喫茶で働いている。
気の強い千春が、あのメイド喫茶でやれるのかと正志は真っ先に思ったのだが、店が「ツンデレ」だと聞いて、正志は妙に納得した
。
この夜、千春は予定外のお泊り。
英男には「飽きた」とぼやいたが、ついあのあとの雰囲気に負けて頑張ってしまった。




