第十二話 VS 魔王
第何形態まであるのでしょうか。
二人の『黒魔導師』がぶつかり合うその戦いは、硬直していた。
片や身体能力を強化し刀を以て斬りかかる。
片や『黒』の力を操り剣を以て打ちのめす。
二振りの得物はその刃を閃かせ、互いに打ち合っていた。
黒の魔法が放たれればその全てを斬り伏せ、鋭く刀が放たれればその攻撃ごと捩じ伏せる。
獣のように這って脚を狙っきた斬撃は生み出した衝撃波で回避、空かさず魔球を放つ。
頭上からの魔弾は前転して躱し、立ち上がりの瞬間右に反転、地を蹴って横一線に振り抜く。
ボトリと落ちる左手──剣を握る方とは逆の手だ。
だが、自身の一部を失った魔王は特に狼狽える様子も見せず、反対の無事な右手から剣を放り捨てて唱えた。
丁度このときだった、アンナの声が俺の耳朶を震わせたのは。
「【衝爆】」
「───ぐっ…」
身体を打ち付ける衝撃。
踏んばるものの、地面ごと捲り上げられた俺はそのまま吹き飛ばされてしまった。
精神の揺さぶりを仲間であるはずのアンナから受け、咄嗟に適切な防御を取れなかったのが原因だった。
生まれた彼我の間合い。
直ぐ様詰めようとした俺は目を疑った。
「【変化】──【第一形態】」
その詠唱が終わった瞬間、魔王の肉体が加速的に肥大化していく光景が目の前にあったからだ。
粟立った皮膚が弾け液体を撒き、それが落ちた地面からシュゥゥゥと音を立てて蒸気が上がる。
全身が膨れ、徐々にその背丈を大きくさせていく。
脳裏に過るのは十三歳のときに遭遇した『黒魔導師』の姿。
また、その変化が今後の戦いに大きな影響を及ぼすことを思い出した。
「──っ、させるか!」
既に俺の二倍程の体躯と成った魔王。
落とした左手はいつの間にか消え、未だ巨大化が終わらないという事実を前に俺は地を蹴った。
だが、
「砕けろ」
「───ぐぅぅっ!?」
豪速で振り抜かれた巨腕が眼前に迫り、咄嗟に腕を交差することで受け止める。
再度撥ね飛ばされる。
余りの衝撃に、今度は着地も儘ならずゴロゴロと地面を転がった。刀は意地でも手離さなかったが、罅の入ったであろう両腕が痛んだ。
「───」
遠方からも絶句の気配。
俺の前に聳え立ったのは五倍の巨躯。
異常に盛り上がった筋肉に走る血管は脈打ち、ミチミチという肉の詰まりの気色悪さには耳を塞ぎたくなる。
「第一段階、まずはその身体ぐちゃぐちゃにしてあげるよ」
肉体に合わない変化前の声音で告げた魔王。
その拳が握られれば、編まれた極太の筋肉がグッと盛り上がる。
手始めに跳ねて放たれたのは単純なストレート。
空気を押し退けながら迫る巨拳を左に跳ねて回避。
去り際に斬りつけようとしたものの断念したのは、こちらに凪がれる筋肉の動きを目にしたからだった。
着地の反動を使ってノータイムで飛び上がれば真下を巨腕は通り過ぎ、そしてそのまま狙ったのは目。
残る左腕に邪魔されないように右目に向けて刀を振り上げた。
首を傾げて避けられるが、想定内だ。
こめかみを足場に跳躍、今後こそ肩に刃を入れて退き巨人の側に降り立つ。
巨体故小回りの効かない相手にとって、懐に居続けられるのは癪に障る筈だ。
「【重圧】」
「なっ!?───ぐ………」
驚きを隠し得なかった。
完全に魔力系統の力を全て肉体に回したものだと思っていた。
まさか純粋な身体強化だったとは。身体増幅と言った方がしっくりくるか?
いや、そんなことはどうでもいい。
今はこのどうにもならない体格差を埋める方法を探し出さなければ。
「【我が身を喰らえ】」
何度めか忘れてしまった身体強化。
マナはまだ潤沢にある。
魔力を封じられたことで手札が殆どないが、ここぞといったところで【罪の解放】を使えばなんとかなる筈だ。
いや………まだ何かあったはずだ。
俺が忘れてしまっている何かが。
思い出せ。
記憶を呼び起こせ。
「死ねェ!」
踏み潰し。
咄嗟に回避を成功させるものの、凄まじい膂力から放たれたそれは地面を割り強烈な衝撃波を作り出した。
吹き飛ばされる。
「ぶち飛べェ!」
魔力の使えない俺には空中で身動きを取る手段は無く、地を割った足とは逆の脚が振り抜かれ直撃を許してしまった。
身を襲うのは獣の突進が児戯に等しく思える強力無比の衝撃。身体の組成がバラバラになりそうな感覚を味わいながら地面に転がった。
猛攻は終わらない。
「潰れろォ!」
大きく跳躍、頭上に掲げられるその両の拳は握られていた。
圧倒的な質量の墜落は想像するだけでも被害が凄まじく、急いで危険域から脱出する。このときの俺の相貌は血の気が引いていただろう。
逃げた後も真っ赤に染まった眼光がこちらを射抜き、巨拳は淡く黒の光を灯している。
バンッ、と鈍すぎる音を発生させて肉薄してきた巨人には盛大に驚いた。
身体能力が、変化前と殆ど変わっていないのだ。
速さはそのままに。
機動力もそのままに。
ただ力だけが純粋に強化されている。
脳裏に過る強すぎるという単語に歯噛みするも、認めざるを得ない。
接触、それ即ち肉体の瓦解を意味する。
避ける他、無い。
逃げの一手に迫られた俺は、徐々にではなくどんどんと追い込まれていく。
元々攻撃を含めない逃げは苦手で、敏捷も高くない。
当然の結果だった。
そして訪れる天秤の傾き。
重石が乗せられたのは───魔王の方だった。
豪速の踏み潰しを回避し損ねた俺は直撃を免れるものの衝撃波をもろに受け、一瞬であっても意識を手放してしまう。
そして暗転から回復した視界に映ったのは顔面に迫る巨拳だった。
避けられるはずもない。
今度こそ直撃し、地面に転がることもなく遥か後方の壁にこの身をめり込ませた。
背骨と壁面から嫌な音が響いた。
「【砲撃】」
追撃。
放たれた一条の魔砲は身動きの取れない俺を無慈悲に打ちのめした。
沈んでいた壁面は【砲撃】によって消滅し、ドサリと墜落して四肢を投げ出した。
「力、見せないのかい?」
応えられない。
喉が震えない。
「じゃあ、約束通り仲間を殺してあげよう」
巨人が太い指を鳴らす。
現れたのはジャスミンだった。
そして魔王が『黒』によって生み出したのは巨剣。いや、巨人の肉体からすればただの大剣である。
柄を掴み、頭上に掲げる。
このとき、俺の頭は激痛に襲われていた。
同じ感覚だ。
あのときと。
クロから力をもらったあのときと。
痛みが晴れれば、残ったのは『漆鉄』の本当の力。
タイミングがいい。
ご都合だ。
クロ、ありがとな。
「【接続】──【我が身を喰らえ】」
その詠唱が終了した瞬間、『漆鉄』と自身が繋がったのを錯覚ではなく感じた。
修復される傷。
満ち溢れる力。
痛みと脱力感の消えた身体は十全に動き、徐に立ち上がる。
俺の変化を認め動きを止める魔王。
俺の変化を察知しこちらに振り向くジャスミン。
今、全員の視線を、意識を集めていた。
「魔王、俺が相手だ」
「使ったねぇ、使っちゃったねぇ。その力、『黒』だけど?」
煽ろうとしているのか、いているのだろう。
だが無駄だ。
「だからどうした、お前を殺すためなら何だって使ってやる」
「認めたね?、認めたね?、ほらみんな見て上げてよ!───これが本性だよ。禁忌に手を出し多くの命を奪ってきた原初の魔人──アディーテス・ピレモアの真の姿だよ!」
『漆鉄』が起動する。
ガコンと音を立てて変わったのは刀身。
三倍までにも広がった刀の表面には牙のような赤いジグザグが描かれ、柄に近い部分にはモンスターの瞳のような歪な模様が生まれていた。
否。
これはモンスターだった。
『ゴガアァァァァァァァァァァァァァァァ!!』
突如としてガバッと開いた口はスライムのような粘液を伸ばし、龍の頭部を想像させた。
この刀は──生きている。
牙のようなジグザグは本当に牙。
瞳のような模様は本当に瞳。
レオの持つ大剣の封器と同じくらいの大きさと成った刀は牙を剥き怪物となった。
その顎が閉じれば咆哮は収まるも、牙の間から赤い障気が漏れ出している。
「【彼の身を喰らえ】」
そう命じれば、『漆鉄』は巨人へ向けて爆進した。
既に端に避けていたジャスミンは目を剥いた。
彼女の背後にいる仲間も驚愕していた。
そして巨人は、胸をゴッソリ失って言葉も失っていた。
噴出する膨大な黒血。
伸長した『漆鉄』が元に戻ると、その牙に当たる部分からは巨人のものであろう血がボタボタと滴り落ちていた。
───ドクン───
「───ぁ……」
(──か、は………)
凄い。
凄い。
これは凄い。
力が、力が流れ込んできた。
いける。
これならいける。
この優越感。
この全能感。
身体に満ちる高密度の力。
使いたい。
振るいたい。
これが力か。
これまでの自分が馬鹿らしく思えてくる。
まあいい。
始めるのは───蹂躙だ。
「【砲撃】」
撃ち抜いたのは巨人の肩。
崩れ落ちる寸前の魔王に追い討ちを掛ける形だ。
だが気にならない。
どうでもいい。
「【魔槍】」
右太腿を貫く。
支えを失いさらに無様に倒れる巨人。
「───はは……」
楽しいな。
愉しいな。
たのしいな。
タノシイナ。
「【変化】──【第二形態】」
アディンの耳にそんな詠唱が届くも、彼の頭は力に呑まれてしまっていた。
だから、
「【黒拳】」
「────へ?」
自分の肩を魔法が撃ち抜いたことに気づけず、ようやく知覚したのは左肩から下の肉体がボトリと音を立てて地面に落ちたのを聞いたときだった。
もはや彼の頭に掛かっていた靄は綺麗さっぱり消えていた。




