第6話 地下迷宮へ
柔らかなグレージュの街並みに、夕暮れ時の光が差していた。
店の存在を知らせる壁にかかった旗が、かすかに揺れる。
地下なのに、本当に不思議だ。
調合薬店を出たリステアードは、細めた目を肩の上のわたしに向けた。
「グロサリーに寄って行くよ。あ、イタチって何食べるんだろう」
「キュー」
お気遣いなくと伝えたつもりだが、伝わっているとは思えない。
オコジョは肉食だけれども、わたしは獣人だ。獣人は人なので穀物も野菜もなんでも食べる。
今の姿はオコジョだけど、オコジョになったわけではなく、魔法でオコジョの姿になっているだけなので、なんでもいただけるのだ。
賑わう通りにある小さなグロサリーは買い物客で賑わっていた。
棚には缶詰やビン詰めが並び、台に並べられた乾物は量り売りで、カラフルな乾燥豆などが並んでいる。
おかみさんらしき獣人の女性が笑顔でこちらを見た。わたしの獣耳に似た丸っぽい耳だ。
「おや、リステアードさん。また地下迷宮行くのかい?」
「そうなんだ。帰ってきたばかりなんだけどね。干し肉とパンもらえる? って、そうだ。アンナさん、イタチって何を食べるか知ってる?」
「イタチ? ああ、その子だね。イタチはたしか肉食だったはずだけど——味が薄めの干し肉はどうだろう」
アンナと呼ばれたお店の人が、干し肉をナイフで小さく切って皿に乗せ、リステアードに差し出した。
リステアードは皿ごとわたしの前に出した。
「キュー」
いただきますとオコジョ的に言ってから、お皿に口をつけた。
人の小指の先ほどだったから、ぱくりと食べて飲み込んでしまった。
体的にはなんでも食べられるとはいえ、口の構造的に食べられないものがあることを、わたしは知った。小さくて堅いものは噛めない。
「あら、飲み込んじゃった。柔らかい肉の方がいいかもしれないよ」
「これから地下迷宮行くんだけど、何かいいものないかな」
「干し肉を水で戻してやるか、ベーコンとかどうだい?」
ベーコン大好きです!
お皿に結構な大きさのものが出された。しかもちょっと炙ってある。
大変素敵な試食だよ。
燻製のいい香りが鼻をくすぐるものだから、お酒欲しくなる。
前世では休みの前日(夜遅くに帰ってきてたから当日とも言う)だけ、飲んでいた。ゲームしながら飲んで寝落ちする悪い酒だ。
今世も成人したことだし、お酒が飲めるようになった。早く人に戻ってお酒を楽しみたいものだよ。
たまらない魅力を放つ肉を前足で押さえながら噛み付くと、ジューシー!
プリッとしているけどジュワーだ。脂が多い。そして甘いよ! 塩漬け肉の燻製だからもちろん塩味なんだけど、脂が甘い!
よい豚肉の味がする。これはシードルといただきたいものだ。絶対に合う。
思えばずっと食事をしていなかった。
鉱山に行く前の朝食以来だ。何日流されて気を失っていたのかわからないけど、一日は経っているよね。
一口食べたら止まらなくなった。
美味しい。
ベーコン、美味しいよぅ……。
「夢中で食べているなぁ。ベーコンがいいんだね」
「まあ〜、まんまるの目が細くなっているよ。かわいいねぇ」
「僕もよく見たいのに……自分の肩じゃちらっとしか見えないなんて……。なんという理不尽」
「あんまり見ない方がいいよ、リステアードさん。せっかくのいい顔がひどいことになってるから」
なんかリステアードが文句を言っている気がするけど、お店を選ぶ目が素晴らしいのは認めよう。
人の姿に戻ったら、絶対に買いにこよう。
買い物を終え、黒曜石の貴公子はそのまま地下迷宮へと向かった。わたしは襟巻きのように——というには大きさが足りないので、襟飾りのごとく肩にしがみついている。
それにしても地下迷宮から帰ってきてすぐにまた地下迷宮にトンボ帰りって、とんだブラック迷宮探索者である。
わたしの人化薬の材料を採りに行くのだから、大変申し訳ない。
地下迷宮にはそんな人が多いらしい。
あの密猟者たちのように迷宮横断する人たちだけではなく、採取や魔物討伐で潜る人たちたくさんいる。
地下迷宮にはそれだけの魅力があるということである。
その人たちが地上まで戻らなくても生活できるように、地下迷宮都市が大きくなっていったという歴史がある。
わたしも何かあった時には、地下迷宮都市に潜もうと思っていたんだよね。
魔物討伐は無理でも、採取をしに地下迷宮に潜って暮らすくらいはできるだろう。
実は、カルッパ侯爵領の魔石鉱山は、公にはしていない境界の扉があるのだ。関係者しか出入りできないようになっている。
それを使って地下迷宮都市に来て、いつか家を追い出された時に困らないように下見やら準備やらしていたというわけである。あまりにも侯爵家の居心地が悪くて、避難場所を確保しておきたかったのだ。
鉱山でやっていたなんやらかんやらは、そういうなんやらかんやらだった。
街には鮮やかな旗や花や、店先にならんだ商品があるから無機質な感じはしない。
そして三階層か四階層かよくわからない階層分が、あちこちで好き勝手に吹き抜け階段で繋がっている。作りは前世の大型ショッピングモールに似ているかもしれない。もちろんそれよりももっともっと大きくて入り組んでいるけれども。
複雑なようでわかりやすいようで油断すると迷子になってしまう。
時々潜る地下世界はミステリアスで刺激的だった。
今までとは様子が違うその階段に差し掛かると、吹き抜けから見えていた空が見えなくなった。
いよいよ本当の地下、地下迷宮へ行くのだ。
徐々に暗くなっていく階段が、少しの不安と期待をあおる。
「さぁ、イタチちゃん。地下迷宮への入り口だよ」
リステアードが階段下に降り立つと、広がっていたのは——前世で画面の向こうに見た、冒険者ギルドのまんまの風景。
カウンターが並びたくさんの人が行き交う、最高に興奮するフロアだった。
◇ ◆ ◇
壁際で張り紙を見る人や足早に先へ進む人、いくつか並んだ丸テーブルを囲んで談笑——いや大声で話す人なんかがひしめいている。
カウンターでは揃いのスカーフを巻いた人が、それぞれテキパキ仕事をしていた。
冒険者ギルドとギルドの酒場だ。ゲーマーには心躍るたまらない光景である。
「地下迷宮管理組合へようこそ……ってリステアード様、さっき上がっていったばかりですよね。何か忘れ物でも?」
『リステアード様』ね。
こういうところで様付けで呼ばれる人は、きっと貴族なのだろう。
まわりをさっと見たけど、他の探索者たちは様付きでは呼ばれていないもの。
うちも侯爵家だからかなり高位だけど、もっと上かもしれないなんて思う。立ち振る舞いが優雅だから。
けど、そうだとしたら、なんで高位貴族が地下迷宮なんかに。いや、そういえばわたしも高位貴族だった。お互い様だったわ。
カウンターの中から声をかけてきたのは、アイベックス獣人の青年だ。特徴的に反ったツノがあるからすぐわかる。
カプリコルン公爵領はアイベックス獣人の領なのだ。
アイベックスはヤギの仲間だけど、すごい崖の上に立っていたりして神々しい姿を晒す。うちの領に来ることもある。見かけると拝みたくなるんだよね。
青年はわたしを見ながら、首をかしげた。
「あれ、オコジョじゃないですか。どうしたんです?」
「オコジョ? この子、オコジョって名前なの? 知ってる子?」
「オコジョは名前じゃなくてですね、種類です。イタチにも種類があるんですよ。うちのとなりの領に多い種類なんです。でも守護対象で捕獲禁止の動物ですけど」
「オコジョっていう種類のイタチかぁ。この子は密猟者に捕まってた子で、ちょっと保護してるんだ」
「ああ、そうなんですね。おつかれさまです。ええと、また潜るんですか? 探索者おひとりの登録でいいですか?」
「オコジョちゃんも迷宮使用料かかる?」
「いえ、小型動物はかかりません」
「それならひとり分で」
わたしは迷宮都市は来たことがあったけど、地下迷宮までは降りたことがなかった。
こんな冒険者ギルドのような場所があるなんて知らなかったし、人が潜るなら使用料がかかるというのも初めて知った。
というか、わたし、獣人だから使用料かかるのでは?
オコジョ姿だけど、獣人である。このまま地下迷宮に入ったら、無賃使用にならないだろうか。
「オコジョちゃんもいっしょにパーティ組めるといいのにね」
「キュ?」
「これは探索者登録をする魔導具だよ。手? 足? 置いてみる?」
リステアードは魔法陣の描かれた銀板の上に、片手のひらを載せている。
その魔導具らしきものを身を乗り出して覗き込んでいると、リステアードがひょいとわたしを掴んで魔法陣の上に置いた。
置かれた瞬間、魔法陣がまぶしく光った。
「キュ————ッ⁉︎」
びっくりした! まぶしいのには弱いのに!
触られた挙句に、目を潰された!
まだ目がチカチカしている。
「ごめんごめん、オコジョちゃん。びっくりしたね」
「ギューッ!」
「今の……この子も光っていましたね……? 探索者登録とパーティ登録がされました……」
「そうなの? ええ? 不思議〜〜〜〜。この小さな足にも探索者登録印が入っているんだ?」
リステアードの手の左手の甲には魔法陣が浮き上がって見えた。
これが登録の証なんだ。
自分のオコジョ前足も見てみると、魔法陣はさっぱりわからないけど、小さく光っている。
「光ってるね。よかった〜、これでオコジョちゃんが迷子になっても、メンバー捜索の魔法で探せるよ」
「……従属獣も登録されるからおかしくはないけど……もしや、この子は獣人……? けどピアスはないよな…………あ、ええと、二人分の使用料いただきます」
わたしも探索者登録とパーティ登録がされたらしい。
無賃使用にならなくてよかった。
地下迷宮管理組合の職員が手続きしている間、わたしは自分の空間庫をそっと開けて、宝石をひとつ出した。柘榴石の小さい裸石である。
迷宮使用料がいくらかかるかわからないけど、このくらいしか出せるものがない。
両手で掴んで、リステアードに差し出した。
「キュキュッ」
苦悩の顔をした黒曜石の貴公子は、しばらく無言で見つめた後、震える手で受け取った。
いつの間にか手続きを終わらせた職員が、それを凝視していた。
「リステアード様……どうして小動物から巻き上げるんですか。っていうか、どこからそれ出てきた……?」
「くっ……本当は僕だってかっこよく遠慮してみたかったのに、妖精の差し出す宝石という誘惑の果実には勝てなかったんだよ……!」
「オコジョさんは迷宮使用料として差し出したのですよね? それ絶対にその宝石の方が高いじゃないですか。リステアード様、盗賊ですね」
「と、盗賊……この僕が盗賊に成り下がるとはね。オコジョちゃん、やるね」
「うわ、返さないんだ……ライノア様に言いつけてやろう」
職員の言葉を聞いていないリステアードは、「悔しい! でもうれしい!」と矛盾したことを言いながら、柘榴石を掲げていた。
よかった。命の恩人にちょっとでもお礼できたならいい。
迷宮使用料だけじゃなくて、助けてくれた感謝の気持ちもあるから、もらってくれたらうれしいです。
妖精ではなくて申し訳ないけど、それはうちの魔石鉱山から出てきたもので、魔石判定はされない程度の魔力を帯びたものだ。
魔石鉱山は魔力が濃い場所。だからたいがいの鉱石が魔石になってしまう。
魔石にはならない程度の魔力の石はめったに採れないけど、もし採れたら採掘した者が好きにしていいことになっていた。
わたしも鉱山に視察に来た時はちょっと掘っては貯めていたのだ。
なぜかわたしが掘ると、魔石にはならない程度の魔力の柘榴石が見つかることが多かったんだよね。
少しずつ貯めておいて本当によかったよ。
広いフロアを横切って、下への階段の前でもう一度魔導具に手を置いた。
地下迷宮管理組合の女性職員が、にっこり笑った。
「はい、探索者登録を確認しました。お気をつけていってらっしゃいませ」




