第5話 人化薬をください
黒曜石の貴公子が扉が開けると、カランと控えめなドアベルが鳴った。
迎えたのは、低い太い声だった。
「あぁら、リステアード。地下迷宮に行ってたんじゃなかったかしら〜?」
これは紛うことなきオネェ様である。
正面のカウンターで、羊のようなツノを持つオネェ様が、物憂げに本を読んでいた。
長い焦茶髪はダークチョコレートのような光沢がある。不健康そうな顔色に唇だけが紅く、その頭上に堂々としたツノが左右に巻いていた。ノースリーブから出ている腕が異様にたくましい。
この人は魔人だな。魔人も魔獣の加護を得た獣人なのだが、羊獣人とはツノの存在感が違う。
地下迷宮都市の中でも細く狭い通りにあるこの店は、わたしが檻の中から見ていた限り看板などはなかった。
中は独特な香りが充満している。よく知っている青っぽい匂いから、怪しい匂いまで、薬草や薬のたぐい。カウンターのうしろには得体のしれない瓶がずらりと並んでいた。
ここは調合薬店のようだ。
わたしが入っている檻は、オネェ様の前のカウンターに置かれた。
「やぁ、ブロンブラン。地下迷宮から、さっき帰ってきたばっかりだよ。でさ、人化薬くれる?」
「キュキュッ‼︎」
人化薬! それです!
さすが命の恩人の貴公子! 気が利くわかっていらっしゃる!
「やだ。この子、獣人なの? 戻れなくなっちゃった?」
「わからないんだよね。僕は妖精じゃないかと思ってるんだけどさ」
「リステアードったら、ちょっと寝ぼけてる? 妖精なんてその辺にいるわけないじゃない。こんな場末の迷宮都市に?」
「こんな場末だって、いる時はいるって」
リステアードが檻の蓋を開けると、オネェ様であるブロンブランがジロジロと見下ろした。
「失礼しちゃうわ。場末は否定してほしかったわよ——あら、この子ピアスがないわね?」
「けどさ、魔法使うんだよね。だから、ものすごく珍しい動物の妖精なんじゃないかと思ってさ」
「無くしたのかもしれないわよ。まぁ、魔力ピアスを無くすのもむずかしいけど。でもピアスの有無は関係なく、普通なら自分で人化できるはずよねぇ」
「……キュ」
ふたりに見られて、穴があったら入りたい。
まったくもって恥ずかしい。
わたし、本当にまぬけなオコジョ獣人だ。
悪く思われたくないってだけで、大事なピアスを好きになれない相手に渡してしまうなんて。
空間穴掘って篭ってようかな……。
「人化薬を飲ませてみれば、はっきりするんだよねぇ。獣人なのか、動物なのか」
「本当に獣人だとしたら、ピアスはないわ人化はできないわって、どういう状態なのかしら。罪人だったら罪人のピアスをしてるわよね。獣化薬飲まされたうえに、ピアスを外すように脅されたくらいしか考えられないけど」
「怖っ、何その恐ろしい犯罪。動物の獣人って単純で人がいいのが取り柄なのに、そんな恐ろしい者いるかな」
「そうよねぇ。そんな恐ろしいことをするのは魔人と常人だけで十分よね」
いる。うちの従妹である。スィリリヤって魔人や常人の思考に近いんだね。
思い返すとまた悔しさがぶり返す。
あああああ、もう! 人に戻って「おまえごときに殺されるものか!」って指を突きつけてやらないと気が済まない。
でもふたりが、動物の獣人でそんな者がいるわけないって言ってくれたから、ちょっとだけ気持ちが楽になった。
あんな親切顔で、獣人の命綱であるピアスを取り上げるなんて思わないよね。そんな非道な者がいるなんて。
わたしが特別まぬけだったわけじゃない——と思いたい。
リステアードもブロンブランも、ここにはいないライノアも、ツノの根本にフープのピアスをつけている。
獣化する人種は、ピアスの重要性をよくわかっているのだ。
だから、ピアスをつけていないということは、獣人ではないと思われるのが当たり前なのである。
わたしが魔法を使う不思議動物だと思われても仕方ないことであった。
魔人のオネェ様、ブロンブランはわたしを覗き込みながら顔を近づけた。
「ピアスはないけれど、野生のイタチっぽくもないのよねぇ。こんな状況で逃げもしないし、話聞いてる雰囲気もあるし。従属獣……ってこんな小動物はないわね」
「キュー」
「これ返事してるんだよ。絶対に妖精だって」
貴公子リステアードは、なんでそんなにわたしを妖精にしたいんだろう。
中身は、前世がオタク日本人ヘビィゲーマーのオコジョ獣人。妖精なんてそんなマジカルファンタジーな生き物なわけないのに。
むずかしい顔をしたブロンブランは、悪い顔色をもう少し悪くした。
「ただねぇ——人化薬、ないのよ」
「キュッ⁉︎」
「ええ⁉︎ 人化薬がなきゃ困るじゃないか。僕たちだってお世話になるかもしれない薬なのに、ないってなんでさ?」
「一ヶ月ほど前ならあったわよ。元々、そんなに売れる薬じゃないのよねぇ。一年に一個か二個、出るか出ないかなの。だって獣化から戻れなくなった獣人なんて、そんなにいないもの」
その通りである。
魔力差で速さに個人差はあるものの、獣人たちは息を吸って吐くように、魔法で獣化と人化ができる。
獣化から戻れなくなるというのは、獣化した後にタイミング悪く怪我や病気や心に何かが起こって、うまく魔力が流れない時くらいなのである。
「それが先日、高く買うって貴族の使いがあちこちの薬商店から買い上げていったのよ。だから地下迷宮都市には今一個もないんじゃないかしら」
「地下に一個もない? ええ? そんなことってある?」
「探せば、偏屈な店主が売らずにいたのが残っているかもしれないけど?」
「……キュ……」
「あきらかに落ち込んでいるわね、この子。人化薬がなくてがっかりするということは、やっぱり獣人なのかしら。ちょっとかわいそうになってきたわ」
「本当にしょんぼりしてる。かわいそ可愛い」
懲りない貴公子がまた手を伸ばしてきたので、弾いておく。
「チチッ!」
「痛っ! イタチちゃんひどいよね⁉︎ なぐさめてあげようと思っただけなのに!」
それとこれとは話が別なんです。恋人でもない人に触らせるわけにはいかないのです。
「今の…………」
ブロンブランがわたしを凝視した。
魔人オネェ様の目が怖い。
「…………魔法使ったわね。きっと獣人なんだわ。わかった。薬はないなら作ればいいのよ。アタシに任せなさい。材料があれば作れるわ」
「材料ある? ないものがあれば取ってくるよ」
「なによ、リステアード。いつになくやたら乗り気じゃない」
「イタチちゃんが本当に獣人だったらかわいそうだなぁと思ってさ」
やっぱり命の恩人様は優しかった。なんだかんだ言って親切なんだ。
マッドなんちゃらかと思ってごめんなさい。
ちょっとくらいは触ってもいいことにしてあげようかな。
そんなことを思っていたら、ブロンブランがじっとりとした目でリステアードに聞いた。
「本音は?」
「獣人なのか妖精なのか知りたいし、なんならすみずみまで調べさせてほしいなぁなんて。ハハハッ」
「シャ————ッ‼︎」
油断も隙もない!
このイケメン貴公子め、軽薄そうに笑ったよ。
もう絶対に触らせてなるものか!
「人化薬は獣化から何か問題があって戻れなくなった者に使うから、万能薬に近いのよ。どこに問題があるかわからないから」
ブロンブランが言うには、人化薬は怪我と病気を癒すものと、精神が安定するもの、それに魔力を安定させるものが入っているらしい。結構複雑な薬のようだ。
「他の薬にも使うものは材料が揃っているの。足りないのは人化薬特有の材料、人に戻る手助けをしてくれる成分ね」
「何を採ってくればいいのさ?」
「ケルピーのたてがみよ」
…………ケルピーって恐ろしい馬の魔物ですよ…………。
水魔の一種で、うちのカルッパ侯爵領の川や湖にもいるのだ。
時にクジラくらい大きな馬になって水辺の人を襲ったり、人の姿になって湖の中に連れ去ったりするらしい。
見たことはないけど。
その地域には近づかないよう子どものころから言われるからね。
「うぇ……。本当に? できれば飲みたくないもんだねぇ……。ケルピーは人に化けるらしいけど、まさか薬に使われているとはなぁ」
「地下迷宮のケルピーは化けないって聞くわね。まぁでも、だいぶ入手しやすいのよ。宝箱にも入っているらしいし。たてがみ一本煮出せば、薬が十以上作れるから、一本で十分よ。一応、地下迷宮管理組合に買取希望は出してあるのだけど、まだ知らせがないのよ」
そんな話をしているところに、濃紺髪傭兵イケメンのライノアが店に入ってきた。
取り調べの指示を出して来たのだろう。
あの三人って、どうなるのかな。密猟者だけど、持ち出すのは未遂で済んだから処刑はされないと思うんだけど。
あそこで捕まったことを、わたしに感謝してほしい。
「下層から戻ってきたばかりなのに、なんか悪いわね——って、そういえばアナタたち、地下迷宮から帰ってきたら、どこかに行くって言ってなかったかしら?」
「ああ、大丈夫大丈夫。約束があるわけじゃないからさ。さきにこっちを片付けてから行く」
めっちゃ軽い。この軽薄貴公子はあてにならないよ。地位が高そうなのに。
本当は重大な約束とかだったらどうしよう。少し責任を感じる。
ドキドキしながら部下らしきライノアの方を見ると、さほど深刻な顔をしていないからほっとした。
「ブロンブラン、人使いが荒いのでは?」
「おたくの主人が行くって言い出したのよ」
「まったく、おもしろい玩具を見つけたみたいに……」
ライノアがため息をついている。
へぇ、リステアードとライノアは主従関係なのか。それは苦労しそうである。ライノアが。
傭兵系イケメンの憂い姿も悪くはないけど——その玩具ってわたしのことだろうか。
「——仕方ない。人化薬がないと俺たちも困る」
「ライノアは密猟者の方洗ってくれる〜? 組織ぐるみだったら困るし」
「リステアード! ひとりで行く気か⁉︎」
「残って調べて仕事進める人と、探しに行く人が必要だろう?」
「それはそうだが……クッ、ああ、もう! 仕方ない、いいだろう。低層階でおまえに何かあるとも思えない。その子はどうするんだ」
え、わたし?
そう言われてみれば、どうしよう。
人化薬は切実にほしいし、その材料採取なんだし、興味もあるし、いっしょに地下迷宮へ行きたい。
ただ、なんの役にも立たないよねぇ。足手まといなら行かない方がいいかなって。
「イタチちゃんもいっしょに行く?」
わたしの願いが伝わったのか、リステアードはぱっとこっちを見た。
行ってもいいのなら、もちろん行くよ。きっと、待ってても焦るだけだろうし。
それに、地下迷宮は一度行ってみたかった。
「キュ!」
返事をするとすらりとした長い腕が伸ばされた。
「いや、さすがにこんな小さいのは危ないから置いていった方がいい。はぐれたらどうするんだ」
「うちで預かってもいいわよ?」
「いや、僕が連れていくよ。いっしょに行こうね」
差し出された手に乗り、肩の上まで上った。
リステアードは上ってきたわたしを見て、切れ長の目を細めた。
間近で見ても、美術品のような綺麗な顔だった。
薄い唇の端がきゅっと上がった。
「リステアード、顔が崩れてる。地下迷宮の王子が台無しだ。町の女の子たちが泣くぞ」
「いやだ〜、リステアードったら小動物趣味だったのね」
ライノアとブロンブランの呆れた声もなんのその、リステアードは顔を輝かせた。
「なんとでもいえばいいさ。僕は今、拒まれ続けていた愛をやっと受け入れてもらったうれしさで、常人大陸まで飛べそうな気分だからね。ねぇ? イタチちゃん」
触ろうと手が伸びてきたので、魔力で弾いておく。
「痛っ! なんで! こんなところまで上ってきておいて!」
もちろん、それとこれとは話が別なのである。
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