第16話 兄
アレクサンテリ・エンシス・カルッパ。
カルッパ侯爵家の第一子で、わたしの三歳違いの兄だった。
亡くなったのは今から三年ほど前。
行方不明になり、三ヶ月後に川の下流に亡骸が流れ着いていたことで、死亡とされたのだが————わたしはその亡骸を見ていない。
当時十四歳だったわたしには衝撃が強いだろうと遠ざけられ、両親が確認したはずだ。
母は兄が行方不明になってから精神状態がよくなかったから、もしかしたら見ていないかもしれない。
とにかく父がその亡骸を兄だと認めたことで、亡くなったとして葬儀を行った。
川で見つかった亡骸はきっと身元が簡単にわかる状態ではなかったと思う。
それは兄ではなかったのだ。
兄はもしかして、三年間獣化した姿でいる……?
去っていった後ろ姿を思い出す。
わたしだとわかったはずだ。
わたしたちは魔力が多いから、昔から時々獣化して魔力抜きをしていた。
見間違えたりしない。
なんで逃げてしまうのか。
「……キュゥ」
「なぁに、ため息〜? 幸せが逃げるわよぅ?」
今のわたしに逃げるほどの幸せがあるかどうかが問題である。
ブロンブランに話を聞いてもらいたいような気もするけど、その都度人化薬を使っていたらすぐになくなってしまう。
いざという時のために、節約しないと。
お弁当を作ってもらい、わたしは今日も出かける。
地下迷宮へ向かう前に兄を見た広場へ行くが、やっぱりいなかった。
ソーセージをもらっていたくらいだ。食事に困っているのだろう。会えたらわたしのお弁当をあげようと思っているのに、どこでどうしているのか。
地下迷宮の方は三日目にして六階層にたどり着いた。
ケルピーまでは遠い。
けれども、宝箱の方は堅実にとっている。
浅い階層はライバルが多いけど、スピード勝負。魔力をスパーンとしてカチリとなったらパカーでお宝さっくりよ。
トレジャーハンターとして生きていけそうだ。
地下迷宮から出て、ブロンブランの店に帰る前にまた広場に寄る。
夕暮れのような光が差すそこに、ニョロちゃん——兄がいた。
また逃げられたらどうしよう。
立ち止まってしまうと、わたしの姿を認めた兄はふっと片手を上げた。
「……キュ」
なんだよ、それ……。心配してたのに。
ぽろりと涙が落ちた。
駆け寄ってきた兄は、わたしの前足をとった。
「チッ」
「……キュゥ」
やっぱり兄だ。兄だったよ。生きてた。
わたしたちは一度ぎゅうと抱き合った。
泣きながら小鉢に入った人化薬を取り出し、その前に置く。
「キュ」
「チ?」
もうひとつ薬入りの小鉢を出して、オコジョ姿のまま口をつける。
人化したら、残りをすぐに飲み干す。
「お兄様、人化したらすぐに残りを飲んで」
わたしを見て兄は丸い目をさらに大きくしたけど、言われた通りに薬を飲んだ。
すると、呆然と座り込む青年がわたしを見返していた。
「ルミアーナ……」
そうつぶやいた姿は記憶の中にある兄よりも大人になっていて、少しくたびれていた。
シャンパンゴールドの髪も明るい青紫の瞳も、わたしによく似た顔も、覚えていたままの兄だ。
信じられない。でもうれしくて泣けてくる。
「やっと人に戻れたよ……。やっと……。ありがとうルミアーナ」
まだ信じられないといった顔の兄は少し震えた声でそう言った。
再会を喜び合いたいところだけど、人化薬は少ししか保たないのだ。
「お兄様、わたしはこの薬で四半時刻《15分》ほどしか人の姿でいられないの。だからあんまりゆっくり話をできなくて」
「——どういうことだ? すぐ戻ってしまう? いや、それはともかく久しぶりだね、ルミアーナ。この間はごめん。びっくりして逃げてしまって。正直、僕のことはもう忘れているのかと思っていたよ」
「お兄様を忘れたりしないよ。でも、亡くなったものだとばかり思っていたから」
「僕が死んだって?」
「川に亡骸が上がったんだよ。葬儀も行なったの」
「……それで捜索されなかったのか……。死んでないよ。誰も探しに来ないから、家族に見捨てられたのかと思ってた」
自嘲するかのように笑う兄に、胸が痛くなる。
兄がいなくなったのは、成人する少し前だった。
今のわたしと変わらない年のころ。身長は伸びてもまだ子どもだ。
家族に見捨てられたと思いながら野良オコジョとして暮らすのはキツかったと思う。
わたしは前世平民で大人だったから、どうとでも生きていけるけど、兄は生粋の貴族令息なのだ。
「お兄様、なれない暮らし大変だったよね……女子たちにソーセージもらったり……ん? そういえば楽しそうだったかも?」
「あ、あっ! そ、そういえば、なんでルミアーナが地下迷宮都市にいるんだ? しかも獣化してたじゃないか。薬が少ししか保たないって、どういうことだ」
「いや、お兄様こそ、なんで家を出たりしたの?」
それぞれ口にして、目を合わせた。
「「窓から捨てられたんだよ!」」
驚愕。
オコジョ兄妹、なんとふたりとも、窓から捨てられていたのである。




