第64話 豊穣の秋と、となりの温もり
木々の葉が赤や黄色に色づき、乾いた冷たい風が吹き抜ける季節。
フェルナ村に、秋がやってきた。
かつて「奇跡」に頼っていた頃、季節の移り変わりはもっと単調だった。
寒ければ神殿の魔導具で暖を取り、作物が育たなければ聖女の祈りで無理やり実らせていたからだ。
だが今は違う。
厳しい冬を越え、春に種を撒き、夏の陽射しに汗を流して、ようやく実りの秋を迎える。
一つ一つの季節が、人々の命と密接に結びついていた。
『リゼル! そっちの飾り付け、終わったかー?』
『はい! 今、最後のリボンを結びます!』
村の広場は、朝からお祭りの準備で大騒ぎだった。
今日は、年に一度の「収穫祭」。
奇跡が消えたこの世界で、村人たちが自分の手で育て上げた、初めての収穫を祝う大切な日だ。
『先生、見て見て! シルフィお姉ちゃん、すごーい!』
レオが指差した先では、シルフィが巨大な風車の羽に軽々と飛び乗り、色鮮やかな旗を飾り付けていた。
まるで風と戯れるような身軽さだ。
『シルフィちゃん、落ちないように気をつけてね!』
『平気平気! これくらい、目を瞑っててもできるわ!』
シルフィは満面の笑みで手を振り返す。
彼女にとっても、こんな風に賑やかなお祭りは初めての経験だ。風の谷では、いつも張り詰めた空気の中で風車を守っていたからだ。
『おい若いの! そのカボチャ、もっと丁寧に扱いな! 傷がついたらどうするんだい!』
『は、はいぃッ! すんません、マサばあちゃん!』
広場の片隅では、マサばあちゃんが指揮を執り、大量の料理が作られている。
今年の畑は、トムさんや村人たちの努力の甲斐あって大豊作だった。
丸々と太ったカボチャ、艶やかなトマト、はち切れそうなほど実った麦。
それらが、マサばあちゃんたちの手によって、次々と美味しそうなご馳走に変わっていく。
『ほら、リゼルちゃん。味見しておくれ』
『わぁっ! いただきます!』
差し出されたのは、揚げたてのカボチャコロッケだった。
サクッとした衣の中から、ホクホクで甘いカボチャがとろけ出す。
『ん〜〜っ! すっごく美味しいです!』
『だろう? 今年のカボチャは、今までで一番の出来だからねぇ』
マサばあちゃんが誇らしげに胸を張る。
そこへ、巨大な丸太をひょいと肩に担いだトムさんがやってきた。
『おう、サボってねぇで手伝えよー。こっちは夜のキャンプファイヤーの準備で大忙しだぜ』
『サボってません! これは大事な「味見」というお仕事です!』
リゼルが口の周りにパン粉をつけながら反論すると、トムさんは呆れたように笑い、リゼルの頭をぽんぽんと撫でた。
『はいはい、食いしん坊の先生はお仕事熱心で偉いな。……ほら、口の横、ついてるぞ』
トムさんの大きな指が、リゼルの頬を優しく拭う。
その自然な動作に、リゼルは少しだけドキッとして、慌てて視線を逸らした。
『あ、ありがとうございます……』
『へへっ。さあて、もう一息頑張るか!』
トムさんは丸太を担ぎ直し、広場の中央へと走っていった。
その広くて逞しい背中を見つめながら、リゼルは自分の頬が熱くなるのを感じていた。
*
日が落ちると、広場の中央に組まれた薪に火が灯された。
パチパチと火の粉が舞い上がり、辺りをオレンジ色に染め上げる。
それを合図に、収穫祭の夜が始まった。
『さあ、飲め飲めぇ! 今日は無礼講だ!』
『今年の豊作に、乾杯ッ!』
村人たちがジョッキを掲げ、陽気な音楽に合わせて歌い、踊る。
テーブルには食べきれないほどのご馳走が並び、子供たちは口いっぱいに頬張りながら広場を走り回っている。
『リゼル、踊ろう!』
シルフィに手を引かれ、リゼルも踊りの輪に加わった。
音楽に合わせて、手と手を取り合い、くるくると回る。
ステップを間違えても、誰も気にしない。ただ笑い合って、同じ時間を共有する。
(ああ……生きてる)
リゼルは、足の裏から伝わる土の感触と、繋いだ手の温もりを感じながら、心からそう思った。
システムに管理されていた頃は、こんな喜びは知らなかった。
傷つくことも、病気になることもある普通の世界。
けれど、その痛みを補って余りあるほどの、熱い「命の輝き」がここにはあるのだ。
*
宴もたけなわとなった頃。
リゼルは熱気から少し離れ、広場の外れにある小さな丘へと登った。
夜風が、火照った頬を心地よく冷ましてくれる。
見上げれば、こぼれ落ちそうなほどの星空が広がっていた。
『……ふぅ』
芝生の上に腰を下ろし、静かに息を吐く。
遠くから、村人たちの楽しそうな笑い声と音楽が聞こえてくる。
その音をBGMに星を眺めていると、背後から足音が近づいてきた。
『抜け駆けか? 船長』
『……トムさん』
振り返ると、手に二つの木のマグカップを持ったトムさんが立っていた。
『ほら、特製のホットアップルサイダーだ。ばあちゃんが、あんまりお前が冷えるといけないってよ』
『ありがとうございます。……マサばあちゃんには、敵わないですね』
リゼルはマグカップを受け取り、両手で包み込んだ。
ジンジャーとシナモンの香りが、冷えた体に染み渡る。
トムさんも隣に腰を下ろし、村の灯りを見下ろした。
『……いい夜だな』
『ええ、本当に』
『お前がこの村に来た頃は、まさかこんな日が来るなんて思わなかったぜ』
トムさんはマグカップを回しながら、懐かしむように目を細めた。
『初めて会った時のこと、覚えてるか? お前、ボロボロの服で、今にも倒れそうだったくせに、目はすっげぇギラギラしててよ』
『あはは……。あの時は、とにかく王都から逃げるのに必死でしたから』
『「私を雇ってください!」ってな。……俺はあの時、こいつは絶対に村の役に立つって直感したんだ』
トムさんは、リゼルの方を向いた。
『俺の直感は、間違ってなかった。お前は村の子供たちに字を教え、野菜の育て方を工夫し、最後には世界まで救っちまった』
『私一人の力じゃありません。トムさんが、ずっと隣で守ってくれたから……』
リゼルは俯き、マグカップを見つめた。
『あの巨人と戦った時も、システムの天使と戦った時も。トムさんの盾がなかったら、私はとっくに死んでいました。……本当に、感謝しています』
すると、トムさんの大きな手が、リゼルの頭にポンと乗った。
『水臭ぇこと言うなよ。俺たち、相棒だろ?』
『……相棒』
『ああ。それに……』
トムさんは、少しだけ真面目な顔になって、照れくさそうに視線を泳がせた。
『俺はお前の盾だ。お前が学校の先生になろうが、ただの村娘になろうが、一生守ってやるって決めてんだよ』
その言葉に、リゼルの心臓がドキンと大きく跳ねた。
一生、守ってやる。
それは、ただの護衛としての言葉じゃない。
もっと深く、もっと温かい、不器用な彼なりの――。
『……それって』
リゼルは顔を上げ、トムさんの瞳を真っ直ぐに見つめた。
『私のお給料、ずっとトムさんが管理するってことですか?』
『ぶっ! な、なんでそうなるんだよ!?』
トムさんが盛大に吹き出し、慌てて首を振る。
『違うわ! そういう意味じゃなくてだな、その……家族みたいなもんだって、言いたかったんだよ!』
『ふふっ、冗談ですよ』
リゼルは、クスクスと笑った。
耳まで真っ赤にしているトムさんが、たまらなく愛おしかった。
『トムさん。私、この村に来て、本当によかったです』
リゼルは、トムさんの大きな手に、自分の小さな手を重ねた。
『守られるだけじゃありません。私も、トムさんを守ります。……だから、これからもずっと、私の隣にいてくださいね』
重ねられた手から、じんわりと体温が伝わってくる。
トムさんは一瞬驚いたような顔をしたが、やがて優しく微笑み、リゼルの手を強く握り返した。
『……ああ。約束だ』
二人の間に、もう言葉はいらなかった。
村から聞こえる音楽が、まるで二人を祝福するかのように、優しく、温かく響き続けていた。
聖女でも勇者でもない、一人の男と女の時間が、そこには流れていた。
(第64話・終)




