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第63話 遅く起きた朝と、王都からの便り

 チュン、チュンチュン。

 小鳥のさえずりと、窓の隙間から差し込む暖かな陽の光。


 リゼルは、ふかふかのベッドの中でゆっくりと目を開けた。

 体が、驚くほど軽い。

 かつて聖女として毎朝感じていた、重りでも乗せられているかのような倦怠感は、すっかり消え去っていた。

 それもそのはずだ。もう、命を削って奇跡を起こす必要はないのだから。


『……んんっ』


 大きく伸びをして、壁掛け時計を見る。

 針は、とっくに朝の八時を回っていた。


『えっ!? や、やだ、寝坊しちゃった!』


 リゼルは慌ててベッドから飛び起きた。

 世界を救う長旅から帰ってきて、数日。

 安心しきって、泥のように眠り込んでしまったらしい。

 急いで着替えて、一階の居間へと駆け降りる。


『おはようございます! ごめんなさい、寝坊しました!』

『おはよう、リゼルちゃん。いいんだよ、疲れてたんだから』


 台所では、マサばあちゃんが朝食の片付けをしていた。

 鍋からは、香ばしい焼き立てパンと、野菜スープの残り香が漂っている。


『ほら、あんたの分のパンとスープ、温め直してあるから食べな』

『ありがとうございます……。トムさんとシルフィちゃんは?』

『トムは畑の様子を見に行ったよ。シルフィちゃんは……』


 バンッ!

 ちょうどその時、玄関の扉が開いて、シルフィが元気よく入ってきた。

 その両手には、まるまると太ったウサギが二羽、ぶら下がっている。


『おはようリゼル! 見て、今日の晩ご飯!』

『わぁ、すごい! シルフィちゃんが獲ったの?』

『うん。風を読めば、森の動物の動きなんて手に取るように分かるからね』


 シルフィは得意げに胸を張った。

 彼女は村にすっかり馴染んでいた。

 風車のメンテナンスはもちろん、持ち前の風読みの力と弓の腕前で、村の狩猟係として大活躍しているのだ。


『シルフィちゃん、すっかりこの村の子だねぇ』


 マサばあちゃんが目を細めて笑う。


『うん! 私、この村好き! ご飯美味しいし、みんな優しいし!』

『ふふっ、それはよかったわ』


 リゼルは温かいスープを一口飲み、じんわりと広がる幸せを噛み締めた。

 世界を救った勇者たち。

 でも今は、ウサギが獲れたことを喜び合い、温かいスープを美味しいと感じる、ただの普通の女の子だ。

 これが、私たちが守りたかった「日常」なのだ。


 *


 朝食を済ませ、リゼルは村の学校へと向かった。

 校舎の扉を開けると、子供たちが一斉に駆け寄ってくる。


『先生、おはよう!』

『おはようございます!』

『先生、今日は何のお勉強するの?』


 キラキラと輝く瞳たち。

 リゼルは黒板の前に立ち、チョークを手に取った。


『今日はね、みんなで「手紙」を書いてみましょうか』

『てがみ?』

『そう。離れた場所にいる誰かに、自分の気持ちを伝えるための魔法の紙よ』


 奇跡(魔法)がなくなった世界。

 これからは、遠くの人と話すには、自分の手で文字を書き、鳥や馬車に運んでもらうしかない。

 でも、時間をかけて書かれた文字には、魔法以上の「想い」がこもるはずだ。


『じゃあ、僕、王都の騎士さんに書く!』

『私は隣の村のおばあちゃんに書こうかな』


 子供たちが一生懸命に鉛筆を走らせる姿を、リゼルは愛おしそうに見守った。


 窓の外の校庭では、シルフィが年上の子供たちに弓を教えている。


『いい? 矢を放つ時は、風と喧嘩しちゃダメ。風に「乗せて」あげるの』

『すっげー! シルフィ姉ちゃん、百発百中だ!』


 シルフィもすっかり「先生」の顔になっている。

 平和だ。

 平和すぎて、あの空の亀裂や、機械の天使との死闘が、遠い昔の夢のように思えてくる。


『おーい、リゼル!』


 そこへ、畑仕事で泥だらけになったトムさんが、手を振りながらやってきた。


『トムさん、お疲れ様です』

『おう。さっき、街道を通った行商人から預かり物だ。……王都からだぞ』


 トムさんが差し出したのは、封蝋がされた一通の分厚い手紙だった。

 差出人の名前を見て、リゼルはパッと顔を輝かせた。


『ミナからだわ! それに……アレクシス殿下からも!』


 リゼルは急いで封を切り、二枚の便箋を取り出した。

 まずは、ミナからの手紙だ。

 少し丸みを帯びた、丁寧な文字が並んでいる。


『リゼル様へ。お元気ですか? 私たちはとても元気です。

 世界から奇跡が消えましたが、王都は活気に満ちています。

 私は今、リゼル様が教えてくださった「医療」と「看護」を本格的に学ぶため、

 新しくできた病院で看護師のリーダーとして働いています!』


 リゼルは思わず胸元を押さえた。

 あの、気弱でドジばかりだったミナが、リーダーとして人を引っ張っている。

 その光景を想像するだけで、目頭が熱くなった。


『毎日忙しいですが、患者さんが「ありがとう」と笑ってくれるのが嬉しくて、

 ちっとも苦になりません。

 リゼル様が残してくれた「命のスープ」のレシピは、今でも病院の特効薬です。

 いつか、私が立派な看護師になったら、またフェルナ村に遊びに行かせてください。

 大好きです、リゼル様。 ミナより』


『……ミナ……立派になって……』


 リゼルは目尻の涙を指で拭った。

 そして、もう一枚の便箋を開く。

 こちらは、力強くも美しい、流麗な筆跡だった。


『リゼルへ。

 空の傷が消えた日、我々は君たちが勝ったのだと確信した。

 星を救ってくれたこと、一人の人間として、深く感謝する』


 アレクシスの手紙は、相変わらず少し堅苦しかったが、その裏にある温かさが伝わってきた。


『我々の国は今、大きな転換期を迎えている。

 奇跡という名の杖を失い、最初は誰もが転び、戸惑った。

 だが、君が言った通り、人は自分の足で立てる生き物だったようだ。

 腐敗した貴族の領地は解体し、新しく農地を開拓している。

 魔法がなくても、水路を引き、土を耕せば、作物は実るのだと、皆が気づき始めた。

 ……道のりは険しいが、私はこの「普通の国」を誇りに思っている』


 リゼルは手紙を胸に抱きしめた。

 殿下も、戦っている。

 剣ではなく、ペンとくわを持って、国の未来のために。


『追伸。

 君が置いていった、あの美味すぎる野菜シチューの味が忘れられない。

 王宮の料理長に作らせたが、何かが足りないのだ。

 もし時間ができたら、またあの不遜な大男と共に、城へ炊き出しに来てくれないか。

 ……いつでも待っている。 アレクシスより』


『ふふっ……』


 リゼルは堪えきれずに吹き出した。

 トムさんが不思議そうに首を傾げる。


『なんだ? アイツ、変なこと書いてきたのか?』

『いいえ。……トムさんのシチューが食べたいから、また王都にご飯を作りに来てほしいって』

『はっ! 王様になっても、結局は俺のメシのとりこかよ!』


 トムさんがガハハと豪快に笑う。

 シルフィも寄ってきて、手紙を覗き込んだ。


『王都かぁ。私、行ったことない。美味しいパン屋さんはある?』

『ええ、たくさんあるわよ。……いつか、みんなで遊びに行きましょうか』


 リゼルは、一点の曇りもない青空を見上げた。

 世界は繋がっている。

 奇跡がなくても、システムがなくても。

 想いと、手紙と、そして自分たちの足で歩いていく道で、どこまでも繋がっていけるのだ。


『さあ、授業の続きをしましょうか!』


 リゼルは元気よく子供たちに向き直った。

 聖女の称号も、大地の光も、もう必要ない。

 ただの「リゼル先生」として歩む、優しくて温かい毎日が、ここに確かにあった。


(第63話・終)

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