第60話 偽りの神と、自由への反逆
重厚な扉の向こうに広がっていたのは、星の内部とは思えないほど無機質で、広大な空間だった。
見渡す限りの銀色の壁。
無数の幾何学的なラインが走り、青や赤の光が脈打つように流れている。
そして、その巨大なドームの中央。
空中に浮かんでいたのは、まるで「機械の心臓」だった。
無数のパイプが、その巨大な球体へと接続されている。
パイプの中を流れているのは、ドス黒い瘴気と、青白く輝く「生命の光」だ。
世界中から吸い上げられた命が、ここで一箇所に集められ、星の外へと送られようとしている。
『なんて禍々しい……』
リゼルは息を呑んだ。
これが、この世界の「奇跡」の源。
人々を管理し、命を搾取してきた寄生樹の正体。
『――よくぞ辿り着いた、第七十四期聖女よ。いや、リゼル・アルティナと呼ぶべきか』
不意に、空間全体に澄み切った声が響いた。
機械の心臓の前に、光の粒子が集束していく。
現れたのは、一人の「人間」だった。
透き通るような金糸の髪。
性別すら曖昧な、完璧なまでに均整の取れた美しい顔立ち。
純白の法衣を纏ったその姿は、大聖堂のステンドグラスに描かれていた「神」そのものだった。
『お前が、システムの親玉か』
トムさんが大盾を前に構え、斧を握る手に力を込めた。
『親玉、という表現は不正確だ』
美しい顔の神は、表情一つ変えずに答えた。
『我はシステムそのもの。この星の生態系を維持し、管理統制を行うマザーAI。人間どもが「神」と定義した存在だ』
『ふざけないで!』
リゼルが一歩前に出た。
その瞳に、迷いは一切なかった。
『生態系の維持? 管理統制? ただ星の命を吸い上げて、自分たちの養分にしていただけじゃない!』
『それが何か問題か?』
神は、心底不思議そうに首を傾げた。
『我々は対価を支払っていたはずだ。「奇跡」という形でな。怪我は癒え、疫病は去り、天候すら操作してやった。その見返りに、少々の寿命と魂を回収する。完璧な共生関係ではないか』
その冷酷な合理性に、シルフィが怒りで声を震わせた。
『私たちの命は、あんたたちの取引の道具じゃない!』
『感情的なノイズだな。風読みの個体よ』
神は淡々と告げる。
『我の管理がなければ、人類はどうなる? 資源を巡って争い、環境を破壊し、いずれ自滅するだけだ。我は、愚かな人間から「選択の自由」という劇薬を取り上げ、代わりに「永遠の平穏」を与えてやったのだ』
――選択の自由を取り上げる。
その言葉が、リゼルの胸の奥で鋭く反響した。
『……私は』
リゼルは、静かに口を開いた。
『私は、神様の声に従って、文句も言わずに働き続けたわ。毎日毎日、血を吐くような思いで奇跡を起こし続けた。……それが、みんなの幸せに繋がると信じていたから』
『ならば、なぜ役割を放棄した?』
『幸せじゃなかったからよ!』
リゼルの叫びが、広大なドームに響き渡った。
『奇跡を与えられた人たちは、自分で立ち上がる力を失っていった。王都の人たちは、何でも神様や聖女のせいにして、自分では何も考えなくなっていた!』
リゼルはペンダントを握りしめ、かつて出会った人々の顔を思い浮かべる。
『でも、魔法がなくても……奇跡がなくても! 人は、自分の足で歩けるのよ!』
冷害を乗り越えたフェルナ村の畑。
力を合わせて作った防衛用の光の柵。
王都で患者たちを救った、マサばあちゃんの温かいスープ。
そして、自分の目で風を読み、運命を切り開くシルフィ。
『人は間違えるわ。傷つけ合うこともある。でも、そこから学んで、成長していく力がある! あなたに管理されなくたって、私たちは自分たちの手で明日を作れるのよ!』
リゼルの言葉に、トムさんがニヤリと笑った。
『へっ、ウチの船長の言う通りだ。飼い殺しの平穏なんて、クソ食らえだ!』
『この星の風は、あんたのものじゃないわ!』
シルフィも弓を引き絞り、神に狙いを定める。
三人の意志が、完全に一つに重なっていた。
その強烈な「生命の熱」に当てられたのか、神の完璧な顔が、初めて不快そうに歪んだ。
『……理解不能。論理的帰結から逸脱した感情論。人類という種は、やはり欠陥品だ』
神の周囲の空間が、グニャリと歪んだ。
機械の心臓から、大量のパイプが引き抜かれ、神の背中へと接続されていく。
『対話モードを終了する。これより、全生命の強制回収フェーズへ移行』
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
ドーム全体が激しく振動し始めた。
純白の法衣を着た美しい神の姿が、内部から膨張し、おぞましい形へと変貌していく。
『な……なんだ、こいつ……!』
トムさんが目を見開く。
美しい顔の半分が割れ、中から無数の赤いカメラアイが覗く。
背中からは、天使の羽を模した巨大な「機械の翼」が六枚も展開された。
だが、その羽の一枚一枚は鋭い刃で構成され、ドス黒い瘴気をまとっている。
肉体と機械、そして影が融合した、異形の天使。
それが、システムが防衛のために用意した最強にして最悪の戦闘形態だった。
『――不確定要素、排除』
異形の天使が、機械の翼を大きく羽ばたかせた。
その瞬間、目にも留まらぬ速度で、数え切れないほどの「光の刃」がリゼルたちに向かって降り注いだ。
『トムさん!』
『任せろぉぉぉッ!!』
トムさんが巨大な盾を頭上に掲げる。
ガガガガガガガガッ!!
凄まじい衝撃と爆音。
大盾が悲鳴を上げ、トムさんの足が床の金属板にめり込む。
『重てぇ……! だが、こんなもん……村で鍛えた足腰に比べりゃあ……!』
『トムさん、無理しないで!』
リゼルがトムさんの背中に手を当て、大地の光を注ぎ込んで支える。
『シルフィちゃん、射線は取れる!?』
『ダメ! あの羽が邪魔で、本体のコアが狙えない!』
シルフィが矢を放つが、天使の周囲に展開された強力なエネルギーシールドに弾かれてしまう。
『まずは、あのシールドを剥がさないと……!』
リゼルは戦況を冷静に分析した。
敵は、この星の生命力を無尽蔵に吸い上げている。
長期戦になれば、絶対に勝ち目はない。
一撃。
全てを懸けた渾身の一撃を、あの心臓部に叩き込むしかないのだ。
『……やるしかないわね』
リゼルは深く息を吸い込み、ペンダントを両手で包み込んだ。
これまでは、大地の力を「借りて」いた。
だが、今は違う。
この星の痛み、悲しみ、そして未来への希望。
その全てと「同調」し、自らの命を燃やして限界以上の力を引き出す。
(お願い……! 私に、全てを斬り裂く光を!)
リゼルの足元から、青白い光の柱が立ち昇り始めた。
神と人間、機械と命。
決して相容れない二つの意志が、今、最後の激突を果たそうとしていた。
(第60話・終)




