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第56話 氷底の狂気と、眠れる竜

 吹き荒れる猛吹雪の中、三人は凍りついた湖の上を進んでいた。


 足元は分厚い氷。

 だが、その奥深くには、赤黒く脈打つ「呪いの血管」が幾重にも走っているのが見える。

 まるで、湖全体が巨大な生き物の死骸になってしまったかのようだ。


『風が……悲鳴を上げてる』


 先頭を歩くシルフィが、マントを強く握りしめながら呟いた。


『湖の中心から、真っ黒で冷たい風が吹き出してる。このまま進めば、中心の「穴」に行き着くわ』

『穴だと?』

『ええ。氷が割れて、底へ続く大きなクレバス(裂け目)が開いてるの』


 トムさんが大盾を構え、吹き付ける雪を風除けのように防ぎながらリゼルを庇う。


『気をつけろよ、リゼル! 足元が滑るぞ!』

『は、はいッ! ありがとうございます!』


 リゼルはペンダントを強く握りしめていた。

 青い石は、かつてないほどの熱を放っている。

 この湖の底にいる「何か」は、王都で戦ったあの巨人さえも凌駕する気配を放っていた。


 やがて、猛吹雪の向こうに、ぽっかりと口を開けた巨大な漆黒の裂け目が現れた。

 直径数十メートルにも及ぶ、氷のクレバス。

 底は見えず、ただドス黒い瘴気がゆらゆらと立ち昇っている。


『ここから、降りるのか……?』


 トムさんが底を覗き込み、顔をしかめる。


『任せて。風の階段を見つけるから』


 シルフィが目を閉じ、クレバスから吹き上げる気流を読んだ。

 そして、崖の斜面に突き出た氷の足場を次々と指差していく。


『あそこ、その次が右下の出っ張り。……風がクッションになるから、落ちても即死はしないわ』

『即死はしないって……そりゃ安心だ』


 トムさんが苦笑しながら、ロープを取り出して三人の体を結びつけた。

 一歩間違えれば奈落の底。

 しかし、誰も引き返そうとはしなかった。


 *


 慎重にクレバスを下ること数十分。

 底に辿り着いた三人は、息を呑んだ。


『……なんて、美しくて……おぞましいの』


 リゼルが声を震わせる。

 そこは、巨大なドーム状の氷の洞窟だった。

 壁面には青白く輝く美しい氷柱つららが無数に垂れ下がっている。


 だが、その空間の中央に鎮座する「それ」が、全ての美しさを台無しにしていた。


『あれが……伝説の、氷の竜……』


 トムさんが呆然と見上げる。

 全長五十メートルは下らない、巨大な白銀のドラゴン。

 神々しいまでの威容を誇るその体は、しかし、無数の「黒い鎖」によって地面に縫い付けられていた。


『グルゥゥゥ……ルルル……』


 竜は眠っているのではない。

 苦痛に顔を歪め、浅い呼吸を繰り返しているのだ。

 竜の体から吸い上げられた膨大な生命力が、黒い鎖を通じて、上空の「亀裂」へと送られているのが見えた。


『竜の命を、吸い上げているのね……』


 リゼルが悲痛な顔で一歩踏み出した、その時。


『――ほう。ここまで辿り着くねずみがいるとはな』


 洞窟内に、冷たく響く声がした。

 黒い鎖の根元、竜の頭上に、一人の「男」が立っていた。

 いや、人間ではない。

 人間の形をしているが、その体は王都の影と同じ、ドス黒いもやで構成されている。

 しかし、知能のないこれまでの影とは違い、明確な「意思」と「悪意」を持っていた。


『てめぇはなんだ。影の親玉か?』


 トムさんが斧を構える。

 男は薄ら笑いを浮かべた。


『我はシステムの一部。この世界から、不要となった「魔力」と「命」を回収し、上位存在へと還元する者』

『システム……?』

『いかにも。奇跡の供給が絶たれた今、この世界は「回収フェーズ」に移行したのだ』


 男が腕を振るうと、氷の洞窟が震え、無数の黒い影が這い出してきた。


『本来なら、聖女である貴様がその役割を担うはずだった。人々に「奇跡」という名の麻薬を与え、依存させ、死後にその魂と力を回収するシステム』

『……ッ!』


 リゼルは衝撃を受けた。

 私が今までやってきたことは、人々を救うためじゃなかった?

 神様のために、命を「養殖」していただけだというの!?


『だが、貴様は役割を放棄した。ゆえに我々が直接、こうして強大な生命力を持つ竜から回収を行っているのだ。……邪魔はさせんぞ、元・聖女よ』


 男の言葉に、リゼルの頭の中が真っ白になる。

 自分が信じていた「神」の正体。

 それは、世界を救う存在ではなく、世界を喰い物にするシステムだったのだ。


『……ふざけるな』


 静かな、しかしマグマのような怒りを込めた声。

 トムさんだった。


『神様だかシステムだか知らねぇがな……俺たちの船長を、そんな薄汚い道具扱いすんじゃねぇ!!』


 トムさんが地を蹴り、巨大な盾を構えて影の群れに突っ込む。

 シルフィも同時に矢を放ち、影の眉間を正確に射抜いた。


『リゼル! あんな奴の言葉、聞く必要ない!』


 シルフィが叫ぶ。


『あなたは、あなたでしょう! 私を助けてくれた、ただのリゼルよ!』

『……!』


 二人の言葉が、凍りつきそうだったリゼルの心を温めた。

 そうだ。

 過去がどうであれ、神が何であれ、今の私は自由だ。

 私は、私の意思で、この竜を助ける!


『……ええ、そうね! 私はもう、誰の道具にもならない!』


 リゼルはペンダントを握りしめ、顔を上げた。


『大地の光よ! あの忌まわしい鎖を、断ち斬って!!』


 リゼルの両手から、かつてないほど眩い青い閃光が放たれる。

 それは一直線に竜を縛る「黒い鎖」へと向かって伸びていった。


『愚かな。その程度の光で、神のことわりが壊せるか!』


 男が嘲笑う。

 だが、リゼルは立ち止まらない。

 残り少ない物語の猶予。

 この一撃で、全てをひっくり返して見せる。


(第56話・終)

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