村長の覚悟
隣のベッドでぐっすり眠っているエリザを見ながら、俺はなかなか寝つけずにいた。
マッサージのおかげで、身体の疲れはすっかり取れた。そこは本当に感謝している。
だけど……。
あんなに期待させるようなことを言っておいて、マッサージだけとは。
いや、何を期待していたんだ、俺は。
隣から聞こえてくるエリザの穏やかな寝息に、思わず目を向ける。
……可愛いな。
俺は慌てて寝返りを打ち、エリザに背を向けた。
明日からは勇者としての旅が始まるんだぞ。しっかり寝ておかないと。
そう自分に言い聞かせながら、俺は何度目か分からないため息をついた。
*
翌朝。
ぐっすり眠れたのか、エリザは朝から元気いっぱいだった。一方の俺は、寝不足のまま出発の支度をしていた。
そういえば、朝食が用意されているとエリザが言っていたな。
「エリザ、朝食を一緒に食べたらお別れだ。村に帰って、村長に伝えてくれ。薬は必ず届けるからって」
その言葉を聞いた途端、エリザの表情が変わった。
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ、アルク!」
エリザは慌てて俺に詰め寄ってきた。
「私も一緒に連れていってよ! 村長にそんなこと言えないし……。それに、私だって役に立つんだから!」
「エリザ、これから先は危険な旅になるんだぞ」
「だから大丈夫だってば! 本当は内緒にして驚かせようと思ってたんだけど……」
エリザは胸を張り、得意げに宣言した。
「勇者パーティーの定番! 魔法使いエリザとは、私のことなの!」
俺はエリザを真剣な目で見つめた。
「悪いが、遊びじゃないんだ。エリザ、分かってくれるな」
「…………」
エリザの笑顔が消えた。
何か言い返そうとしたのか、唇がわずかに動く。だが、言葉は出てこなかった。
その瞳に、みるみる涙が溜まっていく。
「……アルクの、ばか」
エリザは涙を拭うこともせず、部屋を飛び出していった。
「なんで……いつもこうなるのよ……!」
廊下の向こうから、震える声が聞こえてきた。
「アルクの意地悪……おたんこなす!」
「おい、エリザ! 待てよ! どこへ行く気だ! ……それに、おたんこなすって何だよ」
しかし、このまま放っておくわけにもいかない。
昨日は分かってくれたと思っていたのに、どうして急に泣き出したんだ?
……ほんと、女は分からないや。
*
宿を飛び出したものの、エリザがどちらへ行ったのか分からない。
闇雲に捜すしかないのか。村なら、どこへ行きそうかすぐに見当がつくのに。
まったく、世話が焼けるな、エリザは。
とりあえず、大通りへ向かって走り出した。
カチコチモグラを倒してレベルが上がったおかげか、いつもより身体が軽い。足も驚くほど速く動く。
これなら、すぐに見つけられそうだ。
そういえば、あの近道を教えてくれたのもエリザだったな。
……仕方ない。見つけたら、ちゃんと話をするか。
*
アズール村――。
村を見下ろす山の中腹に、一人の魔族の男が立っていた。
男は眼下に広がる村を見渡すと、背後に控える配下たちに命じた。
「この村で勇者の印が発現したとの報告が入った。まだ勇者は村にいるはずだ。今なら簡単に殺せるだろう」
男は村を指さした。
「勇者を匿う者、邪魔立てする者も殺して構わん。行け!」
「はっ!」
三人の魔族が、それぞれ狼の魔物に跨り、山を駆け下りていった。
やがて、村の入り口に差しかかったときだった。
突然、狼の魔物たちが足を止めた。
「おい、どうした? 進め!」
しかし、狼たちは一歩も動こうとしない。耳を伏せ、尻尾を丸め、何かに怯えるように身体を震わせていた。
「何をしている! さっさと進め!」
魔族の一人が手綱を強く引いた瞬間、狼が激しく暴れ出した。
「うわっ!」
背中に乗っていた魔族が地面に投げ出される。
ほかの二頭も同じように主人を振り落とすと、一斉に踵を返し、森の奥へ逃げ去っていった。
「ちっ……何なんだ、あいつら! 勇者にビビったのか? 役立たずどもが!」
男は舌打ちすると、村へ視線を戻した。
「まあいい。探すのも面倒だ。村ごと皆殺しにしてやる」
三人の魔族は村へ踏み込むと、目についた村人に向かって、いきなり魔法を放ち始めた。
「うわああっ!」
悲鳴が上がる。
逃げ惑う村人たちに容赦なく魔法が撃ち込まれ、一人、また一人と地面に倒れていった。
「やめろぉ!」
村人の一人が鍬を握り締め、魔族に向かって突進した。
しかし、魔族は振り下ろされた鍬を片手で掴み、そのまま力任せに振り回した。
「うわっ!」
村人の手が柄から離れ、身体が地面へ投げ出される。
魔族は奪い取った鍬を持ち直すと、倒れた村人に向かって、その刃を突き立てた。
「ぐああっ!」
村人の悲鳴が響き、やがて動かなくなった。
そのときだった。
「やめろ!」
杖を手にした村長が駆けつけ、魔族たちの前に立ちはだかった。
村長は倒れた男の傍らに膝をつくと、身体に突き刺さった鍬を抜いた。そして、そっと瞼を閉じさせた。
「お前たち……なぜ、こんな村を襲う!」
村長は立ち上がり、杖を強く握り締めた。
「……いや、理由などどうでもいい。もうやめてくれ!」
その瞬間、村長の杖から淡い光が立ち上り、天へ向かって伸びていった。
(エリザ……頼んだぞ)
「メテオアロー!」
村長が杖を掲げると、無数の光の矢が現れ、三人の魔族へ一斉に降り注いだ。
「なっ……何だ、これは!?」
魔族たちが逃げようとしたときには、すでに遅かった。
光の矢が次々とその身体を射抜いていく。
「ぐあああっ!」
一人、また一人と魔族が倒れ、光の矢が地面に突き刺さった場所には、無数の小さな穴が開いていた。
最後に残った魔族が、信じられないものを見るように村長を見つめた。
「こ、こんな爺さんが……何で、こんな力を……! まさか、勇者は爺さんだったのか……!?」
次の瞬間、光の矢が男の身体を貫いた。
「があああっ!」
男はそのまま地面に倒れ、動かなくなった。
村長は杖を握り締め、ゆっくりと息を吐いた。
(……あと一回しか撃てん。頼む、もう敵はおらんでくれ)
しかし、その願いも虚しく、村長の前に新たな魔族が姿を現した。後ろには、先ほど逃げたオオカミの魔物が、こちらを睨みつけていた。
先ほどの三人とは、明らかに雰囲気が違う。
男は腕を組み、倒れた配下たちを冷ややかに見下ろしていた。
「馬鹿どもが。無闇に暴れるから、ネズミにまで牙を剥かれるのだ」
男はゆっくりと村長に視線を向けた。
「我々は勇者を殺しに来ただけだ。大人しく差し出せば、見逃してやる。分かったか?」
そして、村長の手にした杖を見つめ、目を細めた。
「……まさか、本当にお前が勇者だとでも言うつもりではあるまいな?」
村長の脳裏に、勇者に選ばれ、村人たちから祝福されていたアルクの姿が浮かんだ。
あのときの、嬉しそうな笑顔。
村長は杖を握り締め、ゆっくりと掲げた。
「……悪いが、わしが勇者アルクだ」
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