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追放聖女は、サンドイッチを買いに行く  作者: m


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3/3

砂の街のカフェにて

 

 この国の日差しの暑さは、ここへ来て、アステラが驚いたことの一つだった。

 

 傾き始めてもなお眩しい陽光に照らされ、白く浮かび上がる大通りは、人通りも疎で、のんびりとした空気が漂っている。

 時折、馬に引かれた行商や観光客が、建物の影を縫って歩いていた。


 その風景を、アステラは、働いているカフェの丸椅子に座って、なんともなしに眺めている。



 昼の忙しさが通り過ぎた店内に人はなく、今頃従業員達は皆、店の奥で昼寝をしている時分だった。

 もうしばらくしたら夜の仕込みのために、皆起き出してくるだろう。


 さっき食べたサンドイッチの、鶏肉に使われていたクミンの欠片が、口の中にまだ残っていたようだ。

 舌に当たった小さな欠片を奥歯で噛み砕き、甘く濃いお茶で流し込む。

 

 口の中に香るスパイスは、この砂漠の国、エルシャハルの味だった。


 

 食事の度、ふんだんに使われるスパイスに食傷気味だったアステラを、ジアードが連れて来たのがこのカフェだった。


 あの国でアステラが最後に買い求めたのがサンドイッチだったせいか、どうもそれが好物だと思われている節がある。

 普段目端が利く彼はあれで、時々思い込みが激しい。


 かつて異国を旅していたという店主が作る料理は、観光客にも食べやすいよう工夫が凝らされていて、久しぶりに心ゆくまで食べることが出来た。

 その美味しさに感動したアステラが、その場で、働かせて欲しいと頼んだのだった。



 アステラが働くことに、ジアードは浮かない様子だった。

 自国を追放され、長年の務めを終えたばかりなのだからと。

 しばらくはゆっくりしたらいいと、しきりにそう言ってくれていた。


 それを説得してくれたのは、アステラを養女に迎えてくれたジアードの叔父だった。


 王子であるジアードの叔父は、降下し、王族ではないものの公爵位を持つ立派な貴族だった。

 身元引受人としては些か大袈裟な相手に、この国の在留権の為とはいえ、出来れば遠慮したいと思っていた。

 けれど、そうして紹介された公爵夫妻は、アステラの想像とはまるで違っていた。

 

 養父となる公爵は、商隊の馬が水路に嵌ったと聞けば、自ら馬を駆って飛び出していくような豪快な人柄で、その妻である公爵夫人も、一日中あれやこれやと立ち働いていて、屋敷の使用人達と、井戸端で陽気に豆の皮を剥いたりしている。


 養父母だけでなく、この国の貴族達は皆、あの国の貴族とは少し様子が違っていた。

 取り澄ましたところがなく、皆気楽に、民に混ざって暮らしを回している。


 その養父が、アステラが街で働くことに賛成してくれたのだった。 



 あの時の養父の判断は正しかったのだと、アステラは今になってみて思う。


 働いていなければきっと、自分はまだ、この異国の地に一瞬立ち寄っただけの、旅人のようであっただろう。


 目の前の埃っぽい通りや、赤い土壁の街並み、行き交う日に焼けた民。

 このカフェから見る風景が、いつの間にか、自分にとって見慣れたものになっていた。

 

 自分の働くこの街を、この砂漠の地を愛し始めている自分を、アステラは感じていた。



 人の波が少しずつ増えて、聞こえてくる喧騒がだんだん大きくなってくる。

 この街は、日が暮れてゆくほど活気が増し、本来の姿へと目覚めていくのだ。


 皆起き出してきたのだろう、厨房の方から賑やかな笑い声と、スパイスの香りが漂ってくる。 

 そろそろ机の上のメニューやカトラリーを、夜用の物へと準備する時間だ。



 この間アステラが呼んだ雨は、この辺り一帯に豪雨となって降り注いだ。

 あれだけの水が、水路や家屋を破壊することなく、どこへともなく地に染み込み、溜め池や、干上がりかけていたオアシスへと、綺麗に流れ込んだのだった。

 

 それはアステラも初めて感じた、まごうことなき奇跡の一幕だった。


 てっきり、そのまま聖女として働くのだと思っていたのだが、ジアードはそうしなかった。

 あの後、歓喜に沸く周囲を抑え込み、アステラを聖女とはしないことを王に認めさせたのだ。



 アステラ自身は、立場がどうあれ、この力を使うことに否やはなかった。

 折角まだこうして聖女であるようだし、それが役に立つならばと。

 

 けれどジアードは冷静だった。


「エルシャハルは、あの国とは違う。アステラ、お前も目にしただろう?ここに住まう民達は皆、自分達の力だけで立派にこの地を生きている。聖女の力によって齎される急激な変化は、きっと良いものだけではない。だからお前も、聖女ではないただのアステラでいればよい」

 

 奇跡は喜ばれてこそ奇跡であり、そうでなければ災厄になりかねないのだと。


 そのことを初めて、アステラも思い至ったのだった。

 幸いあの雨でオアシスは潤い、当面の心配はないという。


 だから力の使い所については、ジアードと相談しながら、ゆっくりと考えていくつもりだ。




 赤く染まる空と、赤い大地の境目が溶けて混ざり合っている。

 何度見ても幻想的なエルシャハルの夕暮れ。


 街はこれからが本番なのに、アステラはそろそろ迎えが来る時間だった。

 

 王宮から少し離れたこのカフェで働く為、街中に家を借りると言ったアステラの意見は通らなかった。 

 そもそもの王宮住まいも、あの国での“清貧であれ”という生活と違いすぎて気後れしていたのだが、養父の屋敷は内門の外だから王宮ではないと押し切られてしまった。

 アステラにしてみれば、さして王宮と変わらない。


 そして何故か、兄の即位を控えて自身も忙しいはずのジアードが、毎日迎えに来るのだった。

 朝は使用人に付き添ってもらっているので、(それも本当は遠慮したい)、同じで構わないと何度言っても変わらない。

 その点については、養父はジアードの味方なのだった。



「アステラ」


 自分を呼んでくれる声がする。

 夕日に照らされたジアードが、通りの向こうから近付いてくる。


 王子であるジアードが歩いていても、街の者は皆、慣れた様子で騒ぐこともない。

 供もつけず、気付いた周囲の者達に、気楽に手を振っている。

 けれどそうして見るジアードは、やはり国を治める者の風格だった。


 あの雨の中での求婚については、あれ以来、特に言及された事はない。

 それでも彼が、自分を何かと気にかけてくれているのは感じている。



 この国では、ジアードも養父母も皆、必ず最初に、アステラがどうしたいのかを聞いてくれる。

 だから、今まで考えたことのなかったそれを、ちゃんと自分でも、考えていこうと思うのだ。


 聖女ではないアステラの人生は、今、始まったばかり。



 赤い地平にそのまま、溶けていくような陽に照らされて。

 彼の金の瞳に映っているアステラは、周囲と同じように、赤く染まっているだろう。


 ジアードが愛する、このエルシャハルと同じ色に。



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