六十四の巻 派遣講師
[六十四]
清楚な私服姿で挨拶に来た千尋と千里は、マンションのリビングに通され、そこでお茶をしばいておるところじゃ。
ちなみに、こ奴らに茶を入れたのは幸太郎である。
このマンション内のコック長じゃからな。
リビングテーブルには千尋と千里、そして、沙耶香が対面する形で腰掛けている。
幸太郎と日香里と優愛は、脇に控えて大人しくしているところじゃ。
「あら……おいしいお茶ですこと」
千尋はお茶を口に運び、そう零した。
対面に座る沙耶香は、笑顔でそれに答える。
「そうでしょう。この間、仕入れた最高品質の玉露です。お口に合ったようで良かったですわ」
ふむ、微妙に棘があるのう。
このお茶には、『飲んだら、はよ帰れ』の意味もあるんかものう。ほほほほ。
「ところで千尋さん……どうしてここに越されてきたのですか? 他にも良い物件があると思うのですが?」
「それは勿論、理由があっての事でございますよ。ああ、そうそう……沙耶香さん。これをお渡しするのを忘れてました」
千尋はそんな沙耶香に微笑むと、鞄から2つの封筒を取り出した。
「どうぞ、中をお読みになってください」
千尋は封筒を沙耶香に差し出した。
その封筒を見るや、沙耶香は眉を寄せる。
「封筒? 誰からでしょうか?」
「父と……総帥からです。ふふふ」
千尋は意味ありげに微笑んだ。
狸爺もこれに絡んどるようじゃ。
沙耶香は、やや顰め面になりながら封筒を手に取り、中を確認した。
そして、目を通すに従い、沙耶香の表情は、険しく変化していったのである。
「な、なるほど……そういう事でしたか。宗厳翁のお墨付きを頂いてるのですね。それじゃあ……仕方がありませんね」
読み終わった沙耶香の表情は、若干引き攣ったような感じじゃった。
力強く手紙を持っておるので、紙がグシャリとなっておるわい。
ここに誰もおらなんだら、破り捨ててそうじゃな。
恐らく、内心はブチ切れておるのじゃろう。
幸太郎と日香里と優愛は、そんな沙耶香を見てギョッとしておるところじゃ。
ほほほ、面白い展開になってきたの。
「さて……それではそういう事ですので、今後ともよろしくお願いしますね、沙耶香さん。そして……三上先生も」
千尋は不敵な笑みを浮かべ、幸太郎を見た。
続いて、千里が幸太郎に視線を向け、慎ましく微笑んだ。
「三上先生……これからよろしくお願いします」
幸太郎は首を傾げ、頭をポリポリとかいた。
「あの……私は先生ではないんですけど……」
すると千尋はクスッと笑う。
「沙耶香さんにお渡しした手紙を読めばわかりますよ。今後とも、よろしくお願いしますね、三上先生」
「はい? 手紙?」
幸太郎はそこで沙耶香を見た。
すると沙耶香は悔しそうに、俯き気味じゃった。
ほうほう……こりゃ、あれじゃな。
狸爺の差し金じゃな。
「三上君……コレ、読みなさい」
沙耶香は俯き加減に、手紙を勢いよく幸太郎に差し出した。
幸太郎は手紙を受け取り、目を通してゆく。
そして、口角をヒクヒクとさせたのじゃ。
「え……週1回……三上君が貴堂学院にて講師できるよう取り計らってほしい……って。沙耶香さん、これって……」
沙耶香はそこで幸太郎に目を向けた。
笑顔は崩しておらぬが、額には微妙に血管が浮き出ておるわ。
ほほほ、キテるのう、こりゃ。
内心、『シバいたろうか、このクソジジイが!』とでも思ってそうじゃ。
幸太郎もそんな沙耶香を見て、ゴクリと生唾飲み込んでおるわい。
日香里は少し歯痒そうな表情じゃな。
優愛は嬉しいのか、胸の前で手を組み、目をキラキラさせとる。
三者三様じゃわ。ウケる。
沙耶香はそこで、千尋に視線を戻した。
「宗厳翁の指示なら、受けないわけにはいきませんね。では週に1回の非常勤講師として、貴堂不動産・土地調査部の三上幸太郎を派遣する方向で手続きをさせて頂きます。これで、宜しいですか? 貴堂千尋先生」
千尋はそれを見るや、ほくそ笑んだ。
「ありがとうございます、沙耶香さん。我々、貴堂学院と致しましても、御社のご厚意に感謝致しますわ。では、よろしくお願いしますわね」
続いて千尋は、幸太郎に視線を向けた。
「では、三上先生。夏休み明けの二学期から、学院でお待ちしておりますので、よろしくお願いしますね。さて……それでは、我々は引っ越しの準備もありますので、これにて失礼させて頂きますわ。沙耶香さん、美味しいお茶をありがとうございました」
そこで千尋は立ち上がった。
千里もそれに続く。
そして2人は、この部屋を後にしたのじゃった。
2人が去った直後、日香里が沙耶香に詰め寄った。
「沙耶香さん、どういう事なんですか。なんで三上さんが……」
「宗厳翁の指示だからよ」
「ですが……いいんですか?」
沙耶香はニコリと笑った。かと思ったら、怒りの形相にすぐ変わった。
そして、ワナワナと握り拳を作ったのじゃ。
「良い……わけないでしょうが! あんの、ジジイ……私に何の恨みがあるのよ。下手に出てれば、良い気になって! ええい、こうなったら直接、文句言ってやる!」
いつもの沙耶香ではないのう。
地が出ておるわ。
「さ、沙耶香さん……ちょっと落ち着いて」
「北条さんは黙ってて」
沙耶香は宥める日香里を一瞥するとスマホを出し、即座に電話をかけた。
相手は言わずもがな、じゃな。
ほほほほ、面白うなってきたわ。
*
千尋達が引っ越してきた翌日の朝。
幸太郎は沙耶香と日香里を乗せ、会社に向かって車を走らせていた。
朝の通勤というやつじゃな。
車内は和気藹々というわけではなかったが、沙耶香と日香里が仲良く愚痴の言い合いが始まっているところじゃ。
通勤時間が1時間ほどらしいから、長く続きそうじゃわい。
「沙耶香さんが怒るのもわかりますよ。なんで総帥は、三上さんを貴堂学院に向かわせたんですかね。私も納得がいきませんよ!」
「本当よ! しかも理由を聞いたら、さらにイラッと来たわ。面白そうだから、流泉の意見を聞くことにしただって。あの爺……いつも思いつきで搔き回すのよ!」
「面白そうって……ふざけてますよね!」
幸太郎は居心地悪そうに運転しとるわ。
まぁとはいえ、雇われの幸太郎は、口を挟みにくい話題じゃがのう。
「三上さんはどう思います? 急すぎませんか?」
日香里が興奮気味に訊いてきた。
「俺かい? まぁ……急ではあるけど、俺は基本的に貴堂不動産の社員だからね。上司である沙耶香さんの指示に従うだけだよ」
「確かに……そうですよね。じゃあ、貴女はどう思います? 幽霊さん」
すると日香里は、なんと我に話を振ってきおったのじゃ。
おうおう、ここで訊いてくるか。
沙耶香と幸太郎も目を大きくしとるわ。ほほほ。
まぁええわ。そんなに話がしたいなら、してやろうじゃないか。
「ほう……見えとるようじゃな。北条日香里」
日香里は微笑んだ。
「やっぱり話せるんですね。見えてるのに、話しかけても無視するし。ずっと三上さんの近くにいるから、気になって仕方ないんですけど」
「よう喋るな……お前。なんなんじゃ、一体……」
「貴女は誰なんです? なんで三上さんに取り憑いてるんですか?」
こ奴は、幸太郎がした不幸話を信じとらんようじゃな。
「それは幸太郎が、八王島とやらで話しておったじゃろ」
「え? そんな話しました、三上さん」
憶えとらんのかい。
「一応……したかな。しましたよね、沙耶香さん」
「え? ええ、した……かな」
幸太郎と沙耶香は何とも言えぬ表情じゃな。
この2人は何とか躱そうとしとるようじゃが、もうこうなった以上、どうにもならんぞよ。ほほほ。
日香里は不満そうに頬を膨らましておるわ。
「なんなんですか、2人とも。なんか怪しいんですけど。ちゃんと言ってくださいよ」
どれ、我が合いの手を入れてやるとするか。
「幸太郎に沙耶香よ。はっきり言ってやったらどうじゃ」
沙耶香は幸太郎の肩を叩いた。
「三上君……話してあげて。もう私、隠すの疲れたわ。その代わり、ちゃんと言う事は言っておいてよ」
「わかりました」
「え? もしかして三上さんと沙耶香さんは……この幽霊を知ってるんですか?」
幸太郎は溜息を吐くと答えた。
「ああ……知ってるよ。でも、今から話すことは絶対に他言無用だ。いいね?」
「それは勿論です。任せてください!」
「コイツ……幽霊ではないんだな」
「え、幽霊じゃないんですか?」
日香里はそれを聞き、キョトンとした。
「幽霊ならどれだけよかったか……コイツ……祟り神なんだよ」
「タタリガミ……って何ですか?」
「他の言い方として、疫病神ともいうかな。まぁどっちにしろ、あんまよくない神様だよ」
「へぇ、神様なんですか……え? ええ、ええ? 神様ァァァ!?」
流石の日香里も、目をひん剥いて驚いておるわい。ほほほ。
「ねぇ、幽霊さん……貴女は神様なの?」
「さぁの……我は神じゃと思うておらぬが、こ奴等はそう言うのう」
「私、神様なんて初めて見ました! すごい! 本当にいたんだ!」
日香里は感激したように手を組んだ。
我を受け入れておるのう。
ぐいぐい来るにもほどがあるじゃろ。
「あのね、北条さん。祟り神よ、祟り神。意味わかってるの?」
沙耶香も流石にドン引きしとるわい。
「知りませんけど、凄いじゃないですか。神様ですよ」
本当に空気読めない不思議な奴じゃわ。
「日香里ちゃん……コイツは神様でも、疫病神や貧乏神の部類だよ。全然ありがたくないし、寧ろ関わっちゃいけない存在なんだよ」
「え? でも綺麗な女性だし、話もできるし、別に良いじゃないですか」
「あのね……北条さん。そういう事を言ってるんじゃないの。祟りがあるから危ないのよ。だから見えるといって、むやみに話しかけたりしないで」
「そうだよ、日香里ちゃん。コイツは碌でもないんだから」
「そんな事ないと思いますよ。話せばわかる感じですし……ね? 私、この方に恩がありますし」
日香里はそう言って、我に片目を瞑る。
恐らく、変若水の時のことを言っておるんじゃろう。
「いや……そうじゃなくてね」
「本当に危険なんだって。俺がその証人なんだから」
沙耶香と幸太郎は頭を押さえ、困った顔をしとるわい。
まぁ無理ないわな。
日香里がここまで空気読めない不思議ちゃんじゃったとは、こ奴等も思わなんだじゃろう。
ほほほほ、面白いわい。




