五十九の巻 黄泉比良坂
[五十九]
死の呪いという言葉を聞き、この場にいる者達は皆、息を飲んでいた。
いきなりじゃから、無理もないわい。
「沙耶香さんに千尋先生、動かないでください。他の皆もです。特に、後ろは絶対に振り返らないでください。これは脅しではありません。我々は下手をすると、この作業員みたいになるかもしれませんから」
幸太郎はそこで作業員達をチラッと見た。
うむ、その見立てで間違いないの。
背後に纏わりついておる感じじゃからな。
あの作業員達は、それを振り返って見てしまったが故に、こうなったのじゃろう。
この得体の知れぬナニかに、魂を抜かれてしもうたに違いない。
「な、なんだって……それは本当かね、三上さん」
「伊澤さん、残念ですが、そうなると思われます。霊能に長けた者でも、どうなるか……」
「三上君、どういう事か説明して。死の呪いって何なの? 何も感じなかったわよ。北条さんは何か見えたみたいだけど……」
沙耶香も今の言葉は聞き捨てならぬようじゃな。
他の者達もそれに頷く。
「私もですわ。三上先生、どういう事か、説明していただけませんこと? 霊能に長けた者でもどうなるかと、今、仰いましたが……」
「わかりました。では、簡単に説明しますね。ここは恐らく、黄泉の世界の入口。振り返ったら最後、魂が肉体から剥がされてしまうかもしれないのです。その布石を今、打たれてしまったと思ってください。この黒い影は恐らく、死神みたいなモノなのでしょう。これはかなり厄介ですよ。正直、どうやってこの呪いを解けばよいか、俺も今、悩んでいるところですから」
ほほう、死の呪いか。言い得て妙じゃな。
こ奴は黄泉路を見れるくらい霊の気配に敏感じゃからのう。
今ので、気付いたんじゃろう。
我等が今、黄泉の入口にいるという事を。
「振り返ったら魂が抜かれるですって……なんですか、その黄泉比良坂の伝説みたいな話は。そんな現象、この呪術界で、今まで聞いた事ありませんわよ」
「お姉様の言う通りです。黄泉比良坂は古事記の中での話なのでは?」
千尋と千里は怪訝に問いかけてきた。
「2人共、良い事言いますね。そう……黄泉比良坂はあくまでも古事記や日本書紀の話です。火之迦具土神を産んだ時の火傷で死んだ伊邪那美に逢う為、伊邪那岐が黄泉の国に行ったという、ただの伝承ですよ。ですが……ここはもう、ある意味、黄泉比良坂のようになってしまったのです。あの世とこの世の入口にね。恐らく、この洞穴の奥に……その元凶がいるんでしょう。安倍宿禰が封印せざるを得なかった耶摩なるモノがね。頭の痛い話です」
幸太郎も今回ばかりは困り顔じゃな。
とはいえ、怯えた様子は全くないがのう。
流石は不幸の申し子じゃわい。ほほほほ。
まぁそれはさておき、幸太郎の言葉を聞き、この場は一気に身の毛もよだつ空気へと様変わりしていた。
「三上さん……い、今、死の呪いと言いましたけど……どうするんですか? 解ける呪いなんですか?」
日香里が怯えた口調で訊いてくる。
幸太郎は腕を組み、困ったように小さく唸り声を上げた。
「う~ん……そこが問題だね。だが、1つ試して見たい事があるんだよ」
幸太郎はそこで伊澤に視線を向けた。
「伊澤さん……あの鏡を貸して頂いても良いですかね? 但し、後ろは絶対に振り返らないでください」
「う、後ろ? わかった。構わんぞ。ほれ、使うがいい」
伊澤は後ろを振り返らず、幸太郎に不自然な動きで近寄り、鏡の入った桐箱を幸太郎に手渡した。
「ありがとうございます。では早速、この鏡を使わせてもらいますね」
幸太郎はそう言って、桐箱から八角形の鏡を取り出した。
そして、自分の顔を徐に映したのである。
するとなんと、そこには人の形をした黒い人影が、幸太郎の背後から映り込んでいたのじゃ。
次の瞬間、鏡は眩く発光した。
その直後、「ヒョォォォ」という奇声と共に、影はフッと消え去ったのじゃった。
ほほう、なるほどのう。
その為の鏡じゃったか。
ん? なんか昔……こういうのを見た気がするのう。どこでじゃったか……まぁええわ。
「え? なんですの!? 今の黒い人影は……」
「鏡が光った瞬間、黒いナニかが一瞬現れて消えた……」
「三上先生、何なのですか、その鏡は……」
「三上さん……今のは一体」
「嘘……何、今の……怖い……」
女子達は今の現象を目の当たりにし、驚いておった。
どうやら、消え去る一瞬の間だけ、黒い人影が見えたようじゃな。
「やはりな……思った通りだ。この鏡……まさかとは思うが、1000年ほど前に焼失したという……いや、後にしよう」
幸太郎は続いて、他の者達全員に鏡を向けた。
すると、今と同じように鏡が発光し、各々に纏わりついていた黒い人影が消え去ったのである。
この場にいる者達はゴクリと生唾を飲み込み、言葉なく、呆然と立ち尽くしていた。
頭の整理が追い付かんのじゃろう。
そこで沙耶香が、恐る恐る声を上げた。
「み、三上君……今のはどういう事?」
「後にしましょう、沙耶香さん。ここは危険です。一旦、戻って対策考えましょうか。但し、念の為、後ろを振り返らずにですがね」
幸太郎は淡々とそう言うと、参道を指さした。
「わかったわ。皆、一旦戻りましょう」
そして、幸太郎達は足早に、この場を立ち去ったのであった。
*
参道を抜け、車の所にまで戻ったところで、幸太郎と沙耶香は大地に守護の結界を張った。
それは霊障壁の結界というモノであった。
以前、傾奇町での妖魔退治の際、指宿が女子達を守る為に張っていた結界である。
丸い結界石を使い、五芒星を描く守護の結界のようじゃ。
五行の相克と相生の関係を用いた中々に強力な結界術じゃが、強い霊力が必要になる。その為、霊力源としてSPSを用い、幸太郎と沙耶香は結界を完成させたのであった。
結界を張り終えたところで、幸太郎は沙耶香に視線を向けた。
「さて、沙耶香さん……これからどうしましょうか? 恐らく、あの洞穴の中に元凶がいます。加えて、その封印を解いた者がね」
「三上君……誰なの?」
幸太郎は白い普通車に視線を向けた。
「女性物の鞄があの車にありましたので、犯人は女性の可能性があります。まぁとはいえ、それもフェイクの可能性があるんで、確実ではありませんがね」
「女物の鞄……まぁ良いわ。それはともかく、ここは貴方の判断に任せるわよ。そもそも今回の案件は、宗厳翁が直々に、貴方へお願いしたようなモノだからね」
するとそれを聞くや、千尋と千里は目を大きくしたのじゃった。
「え!? 宗厳翁が直々に、三上先生へお願いしたですって!?」
「三上先生、本当ですか!?」
狸ジジイが関わっておるのに驚いたようじゃな。
「まぁ……はっきりとお願いはされてないんだけど、そんな感じになるのかなぁ。このままいくと……」
幸太郎は歯切れ悪そうに答えた。
あまり乗り気じゃないんじゃろう。
狸ジジイとの電話で、何とかできそうならしておいてくれと言われておったからの。
できない事にして、とんずらするつもりじゃったのかもしれん。
「宗厳翁が直々にお願いって……貴方、一体、何者なんですの? 宗厳翁は一般の道師に直接お願いなんて、普通しませんわよ」
千尋が探るような目で訊いてきた。
沙耶香は何か言いたそうじゃが、余計な事を言わぬように、明後日の方向を向いておるわ。ほほほほ。
「何者でもございませんよ、千尋さん。私は今月、貴堂不動産に入社した三上幸太郎でございます。普通の人より、ちょっと不幸な境遇の男ではありますがね。まぁそれはそうと沙耶香さん、この結界より強力な護符ってありますかね?」
沙耶香は頭を振る。
「この霊障壁の結界より強い護符はないわ。それがどうかしたの?」
「ないんですか……どうすっかな」
幸太郎は顎に手を当て、思案顔になった。
そして沙耶香に耳打ちしたのである。
「沙耶香さん……この結界より強い魔除けの咒符があるんで使っていいですか? そんなに長くは持ちませんが、いざという時の為に、皆に持っていてもらった方が良いと思います」
すると沙耶香は嫌そうな顔をした。
「えぇ……千尋さんと千里さんには、あまり見せてほしくないんだけど……」
「とりあえず、何か言われたら誤魔化しますんで。それにこれ以上、被害が出るとよろしくないでしょ?」
「わかったわよ。その代わり、ちゃんと誤魔化しなさいよ」
2人がそんな風にヒソヒソと話をしていると、千尋が咳払いをした。
「オホン……沙耶香さんに三上先生、内緒話はやめてもらえませんこと。何度も同じ事を言わせないでください」
他の者達もその言葉に無言で頷いていた。
幸太郎は頭をポリポリかきながら、申しわけなさそうに話を始めた。
「ああ、すいませんね。沙耶香さんに、今後の事について確認しただけです。さて、それでは護りの霊符を作りたいと思いますんで、ちょっとお待ちください」
「護りの霊符? この結界があれば必要ないのでは?」
「念の為ですよ、千尋さん」
幸太郎は術具入れの鞄から、墨と筆と無地の白い符を6枚取り出した。
そして6枚の符に破邪の咒を描いていき、仕上げに手で印を切り、己の気を籠めたのじゃ。
その直後、符から穢れを清める力が発せられた。
そこで千里がボソリと呟いた。
「え? 見た事ない……符の紋様……」
この女子、なかなか博識なんじゃろうの。
千尋は無言で、ジッと幸太郎の行動を見ていた。
この女子も、幸太郎の異質さに気付いたんじゃろう。
幸太郎は咒符を皆に渡した。
「皆さん、この霊符を持っていてください。身の危険が迫れば、1度だけならあの影を退けてくれるはずです」
「三上先生……貴方は何者なんですの? ただの呪術者じゃありませんわね」
千尋の見る目が変わったの。
ちょっと警戒されておるな。いや、品定めか。
幸太郎も後が面倒そうじゃな。ほほほほ。
「とりあえず、新人の道師ですよ。さて……」
幸太郎はそこで伊澤に視線を向けた。
「では伊澤さん、剣を貸してもらえますかね?」
「ああ、構わんが……でもどうするんだ? アンタが以前籠めた力では、恐らく、耶摩は祓えぬぞ」
伊澤はそう言いつつ、幸太郎に剣が入った桐箱を差し出した。
幸太郎はそれを受け取り、中から剣を取り出した。
「伊澤さん、耶摩を祓う為に、古文書にはなんて書かれていたんですかね? 貴方の口ぶりから察するに、何か基準があるんでしょ?」
伊澤は頷いた。
「ああ、その通りだ。古文書には、その七星剣を朱に輝かせられる者でない限り、耶摩の悪縁は断ち切れぬと書かれているそうだ。それが本当ならば、この前の程度では、まず無理だろう」
「そうですか。ではもう少し、出力を上げてみましょう」
幸太郎は剣の柄を握り、七つの道に気を通してゆく。
そして大きく練り上げ、剣に霊力を一気に籠めたのじゃ。
すると次の瞬間、剣は眩く発光し、赤紫色に輝いたのじゃった。
「おお! やるな、三上さん! 若い頃の宗厳さんと同じくらいじゃないか。でも、まだ一押し足らんなぁ」
確かに、色的に朱には一歩届かん感じじゃな。
幸太郎も、もう少し気は練れるじゃろうが、これ以上は身体に負担が掛かるからのう。
「そのようですね。では別の方法を試しましょうか」
幸太郎はそこで柄を握りながら、剣印を組む。
そして小さく、剣の咒、韴霊を唱えたのじゃ。
すると剣は、赤紫色から朱色へと変化したのである。
「朱に変わった!? アンタ……今、何をしたんだ……」
伊澤は驚き眼で幸太郎を見ていた。
沙耶香と千尋と千里に至っては、ギョッと目を見開いておるわい。
「三上君、今……何したの」
「三上先生……どこでその呪術を」
「三上先生、凄い……」
恐らく、急激に気が変化したので驚いたんじゃろう。
「私、三上さんの霊力の強さが、何となくわかるようになってきました」
「私もです……」
日香里や優愛も、霊的な目覚めにより、わかるようになったようじゃな。
それはさておき、幸太郎はそこで方術を解いた。
剣からフッと輝きが消える。
幸太郎は伊澤に視線を向けた。
「とりあえず、朱色にはできましたね。で、もう一度、確認しますが、これなら耶摩を祓えると書いてあったんですね?」
「あ、ああ、そうだ。この剣を朱に輝かせられたのは恐らく……アンタが初めてだよ。宗厳さんでもできなかったのに……」
幸太郎は少しゲンナリとしつつ、参道へと視線を向けた。
「そうですか。では……あまり気は進みませんが、耶摩とやらを退治しに行くとしますかね。このまま放っておくと、更に面倒な事になりそうですし」
幸太郎も嫌々ながら、覚悟を決めたようじゃな。
では、我はそれを楽しませてもらうとしようかの。ほほほほ。




