五十四の巻 不幸講師
[五十四]
学院長室で世間話をした幸太郎と沙耶香はその後、学院長に案内され、補習しているという中等部へと向かっていた。
貴堂学院は最近改修をしたのか、外壁と比べると、真新しい壁や床であった。ピカピカじゃな。
とはいえ、面白みのないベージュ色の壁や床じゃがの。
ちなみに貴堂学院の中高の特科クラスとは、一般の生徒達とは違う校舎になるようじゃ。
そりゃそうじゃろうのう。
霊的な能力や素養を学ぶ場所のようじゃからな。
ただ、一般の生徒達はこの特科クラスの事を特待生のクラスと認識しておるそうじゃ。
つまり、霊的な事を学んでいるのは秘匿とされておるのじゃろう。
「今日行われている中等部の特科1年生の補習講義は、あの講義室で行われているんだよ。沙耶香さんは久しぶりなんじゃないかね?」
学院長はそう言って、前方に見える両開きの扉を指差した。
茶褐色の扉の上部に標識が掲げられている。
中等部・特科課程講義室。そう書かれておった。
なんのこっちゃ、さっぱりじゃ。
とはいえ、その扉からは霊的な気配を感じるがの。
恐らく、人除けの呪術が施されておるんじゃろう。
「ええ、懐かしいです。昔を思い出しますわ」
と言って、沙耶香は幸太郎に視線を向けた。
「三上君、あれが特科クラスの講義室よ。ちなみに、特科の正式名称は、特別霊能科課程と言うのよ。で、通称が特科ね。ま、これは関係者しか知らない事だけど」
特別霊能科を特科か。
あえて霊能という言葉を外しておるようじゃな。
「へぇ……こんな霊的教育機関があったんですね。自分はそういうのを学んでこなかったんで、興味ありますよ」
すると、学院長が不思議そうに幸太郎を見たのである。
「ほう……という事は全て、その師匠筋の方から学んだという事かね?」
「ええ、そうですよ。まぁ表の学業はちゃんとこなしつつですがね」
「その師匠筋の方は、さぞや優秀なんだろうね。一度、どんな方か拝見したいところだ」
おう、優秀じゃぞ。
といっても、自分が何者じゃったか忘れておるがな。
まぁどうでもええわ。
「それはご勘弁を」
「だが、教育者として気になるのだよ」
そんなやり取りをしている内に、3人は教室の入口である扉の前へと到着した。
しかし、重そうな扉じゃのう。
頑丈に作られておるわい。
学院長はそこで扉のノブを回し、ゆっくりと開いた。
「さて、ではどうぞ」
そして、沙耶香と幸太郎は静かに扉を潜り、中へと足を踏み入れたのである。
扉の向こうは、傾斜がついた大学の講義室のような所であった。
ちなみに入り口は、どうやら講義室の横側になるようじゃ。
前方の教壇には、スーツ姿の若いイケメン教師が講義をしていた。
髪は短めの黒いショートヘアで、上背もかなりある。幸太郎より、少し高いかものう。
精悍な顔つきをしており、今も爽やかに微笑みながら授業をしているところじゃ。
生徒に人気がありそうな感じの教師じゃな。
体格も良く、鍛えておるのがようわかるわい。
Yシャツを着ているが、パッツンパッツンじゃからな。
多分、ムキムキなんじゃろう。
鏡が好きそうな男じゃわ。
それはさておき、教師はこちらをチラッと見ながら、講義を続けていた。
また、生徒達は静かに講義に耳を傾けているところじゃ。
30人以上はおる感じじゃな。意外といるのう。
「沙耶香さんに三上さん、こちらへ」
学院長は小声でそう言うと、講義室の奥にある通路を移動する。
沙耶香と幸太郎はそれに続いた。
学院長が進む先には、千尋と日香里、それと女子達の姿があった。
今は一番後ろの席に座り、講義を見学中のようじゃ。
学院長はそこへ、沙耶香と幸太郎を案内した。
するとそこで、日香里と女子達は幸太郎達に気付き、笑顔を向けたのである。
「ここ空いてますよ」
日香里は隣の席を指さした。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
幸太郎は小さくそう言うと、そこに腰を下ろす。
沙耶香もその隣に腰を下ろした。ついでに学院長も。
すると近くにいた優愛達は、不満そうにそれを見ていた。
なんか知らんが、幸太郎はその内、女難に見舞われそうじゃな。ほほほほ。
まぁそれはさておき、教師の背後にある黒板には、『霊操術と言霊の関係について』と大きく書かれていた。
その下には、沢山の文章が細々と白いチョークで書かれておる。
ふむ、なるほどのう。これは興味深い話じゃ。
学院長が幸太郎に小さく話しかける。
「三上さん、彼は中等部特科の若手教員でね、曾我部という者だ。彼も道師だよ。貴方の1つ上じゃないかな。なかなかの霊能の使い手でね、符術や霊操術の腕前は相当なモノなのだ。後で紹介するよ」
学院長はそう言って名簿を出し、教員の名前と思わしき名前を指さした。
曾我部浩二と書かれている。
沙耶香は知っているのか、頷いていた。
「曾我部君も高い霊力を練れますよね」
「知ってるんですか、沙耶香さん?」
「ええ、知ってるわ。彼も特科の生徒だったから。私の1つ下よ」
ほうほう、なるほどのう。
という事は、貴堂家の道師は大体が、ここ出身なのかもしれぬな。
「その頃から共学だったんですか?」
「ううん、その時はまだ一般的な女子校よ。でも特科だけは、その頃から共学だったのよ。特殊な事情もあるからね」
「へぇ、なるほど。ン?」
するとそこで、教師が生徒を指さしたのである。
「では最後にキドウチサトさん、教科書の25ページの中段部分、霊操術の問題点についてをお答えください」
「はい」
そこで女子生徒が席を立った。
それは見覚えのある女子であった。
以前、授法院で千尋と遭遇した時、一緒にいた少女だったのじゃ。
後ろの壁にある座席図には、貴堂千里と書かれている。
どうやら、貴堂家の者のようじゃな。
「学院長、千里さんも、もう中学1年生ですね。大変優秀だと聞きましたよ」
と、沙耶香。
学院長は苦笑いする。
「まぁ成績は良いのだが……気が強くて生真面目なのがな」
2人がそんなやり取りをする中、女子は背筋を伸ばし、教師に答えた。
「霊操術の注意点。強い霊力を練り、操るには、まず第一に、それに耐えうる強い身体が必要という事。そして変化させるには、言霊の習熟と術紋の知識、並びに、強い集中力が必要という事です」
「はい、よくできました。そういう事です。君達は今の事を忘れないようにしてください。場合によっては大きな怪我に繋がりますのでね」
教師はそこで、教壇机の上に置いてある教科書を閉じた。
どうやら講義はこれで終わりのようじゃ。
「さて……これで今日の夏期補習は終わりですが……その前に」
すると教師はそこで、こちらへと視線を向けたのである。
「今日は学院長がお客様を連れて来て頂いたので、少しお話を聞かせていただきましょうか。三上さん、よろしくお願いします」
その直後、生徒達は一斉に、こちらへと振り向いたのであった。
なんか妙な事になっておるぞ。寝耳に水じゃわい。
この突然の展開に、日香里と女子達もポカンとしておるわ。
生徒達もざわざわしているのう。
「三上って誰?」
「お客さん?」
「終わりじゃないの?」
「まだやるの?」
などという言葉が聞こえてくるわい。
沙耶香は怪訝な表情で、学院長に視線を向けた。
「あの、どういう事です?」
学院長は申し訳なさそうに、ポリポリとこめかみをかいた。
「いや……まぁその、これは千尋の発案なのだよ。凄腕の道師として、三上さんが最近登録されたものだから、そういう機会を設けたいみたいなのだ。すまんな、沙耶香さん。黙っていて」
「そういう事ですか。できれば、最初に言っておいてほしかったです」
沙耶香は千尋をチラッと見た。
千尋は悪戯っぽく微笑んでおるわい。
してやられたようじゃな。
沙耶香は幸太郎に耳打ちする。
「という事だそうだけど……三上君、どうする? まぁ私もこうなった以上は、教壇に立ってもらわないと困るけどね……」
幸太郎は少々困り顔じゃな。
とはいえ、この空気の中じゃと、なかなか断れんじゃろう。
沙耶香の顔を立てる為にもな。
「わかりました。まぁでも、大層な話はできませんよ」
「ええ、構わないわ。いってらっしゃい」
「三上さん、頑張って」
日香里は笑顔で手を振った。
「あまり気は進みませんが、行ってきます」
そして幸太郎は立ち上がり、渋々、教壇の方へと向かったのである。
*
幸太郎は教壇へと歩を進める。
やれやれと言った感じじゃな。
講義室はまだざわついておるわい。
幸太郎が教壇の前に来たところで、曽我部という教師は、爽やかに挨拶をしてきた。
「特科教員の曽我部と言います。千尋先生より伺っております。今日は、よろしくお願いしますね」
「三上です。大した話はできないかもしれませんが、よろしくお願いします。ちなみに、何のテーマが良いですかね? 霊的な話は表立ってした事ないんで、何かテーマを出していただけるとありがたいんですが」
曽我部は思案顔になり、黒板を見た。
「何でもいいんですけど、そうですね……では、言霊についてお願いできますか。次回の補習でもやる予定なので」
「わかりました。では、それでやりましょう」
「よろしくお願いします」
教壇に立つ曽我部はそこで、ざわつく生徒達へと顔を向けた。
「はい、注目ぅ! 今から講師の三上さんがお話をするから、皆、静かにするように!」
曽我部の大きな声を聞き、生徒達はは静かになった。
よう躾けられておるのう。
「では三上さん、お願いします」
曽我部はそこで教壇を降り、幸太郎と入れ替わった。
室内の者達は皆、幸太郎に視線を注いでいる。
まさに注目の的というやつじゃな。
「えぇ……皆さん、初めまして、三上と言います。今日はいきなり、お話を振られたので、正直、戸惑っております。何もネタを仕込んで来なかったんでね。前もって聞いていれば、しょうもない手品くらい用意して煙に巻けたんですけど、今は残念ながらできないようです。なもんで、今日は、私のつまらない話でよければ、聞いてやってください」
生徒達はクスクスと笑う者もいた。
意外とツカミは良いようじゃ。
「さて、そういうわけでですね、今しがた曽我部先生から、言霊について何か話してほしいとリクエストがありましたんで、私の個人的見解を交えて話してみようと思います」
幸太郎はそこで背後の黒板に目を向けた。
「後ろの黒板に、霊操術と言霊って書いてありますが……皆さん、言霊ってなんだと思いますか?」
幸太郎は生徒達の顔を流し見た。
皆、幸太郎から目を反らしておるのう。
当てられそうじゃからな。ほほほほ。
するとそこで、あの千里とかいう女子と、幸太郎は目が合ったのじゃ。
幸太郎は迷わず、その女子を指差した。
「はい、そこの清楚で可憐な君。今、俺と目が合ってしまったね。じゃあ、君に答えてもらおう。言霊とは何だと思う?」
女子は驚いたのか、ビクッとしていた。
他の生徒達はそれを見て、クスリと笑っている。
すると、女子は挑戦的な目になり、立ち上がったのである。
意外と気が強い女子じゃな。ほほほほ。
「言霊とは、言葉に宿る霊力の事です。一般的にはそうなっております。ですが、霊能の場においては、霊力に様々な変化を生じさせる神秘の言葉と言えるでしょう。以上です」
女子は自信満々にそう答えると、腰を下ろした。
幸太郎はパチパチと手を叩いた。
「はい……テスト的には100点の模範解答かな。だけど……俺的には50点だ」
女子は不満なのか、眉を寄せた。
「え? 50点? では何が足らないのか、教えて頂けませんでしょうか?」
「では説明するよ。言霊とは何か……それはね、言葉そのものの事だよ。そして……我々が今見ているこの世界を創り出す源泉ともいうべきモノが、言葉であり、言霊なんだ」
「世界を創り出す? 何を言っているのかわかりません」
女子は首を傾げる。
他の生徒達も同様じゃ。
ま、そう簡単にはわからんじゃろうな。
道の考えはのう。
「それはね、今、我々が見ているこの世界は、色んな物が混ざりあって出来ているからだよ。我々はそれを言葉というツールを使い、細かく境界を作って仕訳し、認識しているに過ぎない。そう……言葉とは即ち、全ての行為や事象、そしてモノの名前を羅列したツールなんだよ。言語はどうあれね」
幸太郎はそこで、付近の机を指差した。
「例えば……この教室には机が沢山あるが、それらは机という概念を言葉により理解し、独立した物として我々は認識しているから、そう見えている。あらゆるモノがそうだ。つまり、何を言いたいのかというと……我々は言葉というツールによって、その概念を程度の差はあれ、理解できているから、今の世界を認識できているに過ぎないんだよ。だから、言葉とは世界を創造するモノといったわけだ。勿論、それは霊的な言霊においても本質は変わらないからね」
幸太郎はそう言うと、生徒の反応を見た。
皆、難しそうに首を捻っておるのう。ほほほほ。
ここでは、こういう話はあまりせぬようじゃな。
「だが、誤解しないでほしい。それは本当の世界という意味ではない。あくまでも、人間という生き物が、自らの感覚器官を通じて観測しただけの世界の姿だ。それを忘れちゃいけないよ。鳥には鳥の、虫には虫の、猫には猫の、妖魔には妖魔の観測できる世界があるから。そう……つまり人は、人が観測できる範囲内でしか、世界の姿を観れないという事だ。ちなみにこれは、近代哲学の祖とも云われる哲学者、イマヌエル・カントの考えでもある。そして霊的な世界にも、それは当てはまるんだよ」
生徒達は困惑した表情で聞いておるわい。
千里もポカンとしておるの。
ちと、難しい話じゃったか。ほほほほ。
「話が大きくなり過ぎたね。では、言霊に戻そう。先程、彼女は言霊について、言葉に宿る霊力と答えてくれました。言葉に霊力が宿る……まぁ確かにそうだが、ここにいる皆は、普通の人とは違う感覚器官を持っている。だから……もう既に、薄々、気づいてるんじゃないかな。この世界の至る所に霊力が宿っていることを。人はそれを付喪神や精霊、或いは……神や悪魔なんて呼ぶ場合もあるがね。でも広い意味で考えると、それらは全て同じモノなんだよ。さっきも言ったが、言葉で境界を作る行為だから。まぁ今言った俺の言霊の考えは、色々と反論もあるかも知れないが、1つの考え方として頭に入れて置いてほしい」
幸太郎はそこで近くの生徒のところへ行き、「ちょっと借りるね」と言って、机の上にある教科書を手に取った。
「さて……今、言霊について話をしたが、ここで霊力についても話しておこう。ここに一冊の本がある。先程、彼女は、霊力に様々な変化を生じさせる神秘の言葉を言霊と言いました。確かにそうだ。ある特定の言霊を唱えると霊力は変化する。これは事実です。ですが……それはある高さまで練られた霊力であり、且つ、ある程度方向性を持たないと不完全なモノになるんだよ。場合によっては怪我をする事にもなる。そこでアドバイスを1つしよう。これが出来るように、まずは修練を積むといい」
幸太郎はそこで7つの道に気を通し、教科書を持つ手から霊力を放出した。
するとその直後、教科書はふわりと幸太郎の手から浮かび上がったのじゃった。
陰の破勁の修行でやる初歩的なやつじゃな。
生徒達はそれを見るなり、目を見開き、驚いていた。
「え、すげぇ……教科書が宙に浮いてるじゃん」
「うそ……超能力みたい」
「すごっ……」
幸太郎はそこで術を解いた。
教科書は幸太郎の手へと落ちてゆく。
そして生徒に「ありがとう」と言って、幸太郎は教科書を返したのじゃ。
「今のはある程度練った霊力に方向性を持たせ、尚且つ、持続させた現象であり、その結果だ。根気がいる作業だが、これができるようになると、呪術の失敗も大幅に無くなる。難しいかもしれないが、頑張って修練をする事を進めるよ。とりあえず、私の話は以上です。質問があれば、少しだけなら、聞きます」
するとそこで、千里という女子が、勢いよく手を上げたのじゃった。
「はい! 質問があります!」
さて、何を訊いてくるんじゃろうのう。ほほほほ。




