四十九の巻 荼吉尼衆
[四十九]
妖魔は機械室の扉を勢いよく開き、息も絶え絶えで逃げ出した。
幸太郎の術が相当堪えたのか、もう形振り構わず、必死な感じじゃな。
扉が大きく開けっ放しじゃわい。
しかし、今の姿は化け物のままじゃから、アレで外に出たら、さぞや面白い事になりそうじゃのう。
阿鼻叫喚第2章は間違いなしじゃな。
ま、どこかで変化をするじゃろうがの。
「チッ、待て!」
幸太郎は抱きかかえる女子を床に下ろし、後を追おうとした。
だがしかし……。
「行っちゃイヤァァ! 行かないで! お願い、行かないでよォォォ! 怖いから行かないでェェェ!」
ユアという女子が泣きじゃくりながら絶叫し、幸太郎の足にしがみついてきたのである。
無我夢中じゃな。
「ちょっ、ちょっと! おい、君! 離れるんだ!」
「イヤッ、イヤッ、イヤッ! 行っちゃイヤァァァ! 怖いよォォォ!」
女子は離すもんかと震えながら、力一杯に抱きついていた。
妖魔が怖かったんじゃろうの。
完全にパニクっとるわい。
「参ったな……」
幸太郎も困り顔じゃな。
じゃが、こんなにしがみつかれては、幸太郎もどうにもならんじゃろう。
無理に振り払おうとすれば、怪我させるからの。
幸太郎も説得を諦めたのか、泣きじゃくる女子の額に指先を当てた。
「したくないけど……ちょっと睡魔閃」
女子は気を失い、グッタリと力が抜ける。
幸太郎はそこで女子を支え、床に寝かせた。
ようやく静かになったの。
するとそこで、指宿がスマホを片手にやって来た。
「おい、三上君……君、凄いな。あんな火炎龍の術、初めて見たぞ。あの検定結果は、やっぱりガチだったんだな。一体、誰から呪術を学んだんだよ?」
指宿は驚きの眼差しで訊いてくる。
幸太郎はダメダメと言わんばかりに、人差し指を振った。
「それは秘密です。というか……知ると、とんでもない不幸に見舞われますよ。なので、くれぐれも、他言無用でお願いします」
おう、そうきたか。
ちょっとした脅しじゃな。
指宿も少し引いておるわ。
「と、とんでもない不幸……わ、わかったよ。でも凄いよな、あの化け物を一方的にブチのめしてたし。それと、惜しかったな。後、もうちょっとだったぜ」
確かにのう。
とはいえ、女子の身の安全を優先したからじゃがな。
それを無視できる図太い神経があれば、あの妖魔は今頃消し炭じゃわ。
「仕方ありません……予測できない事態は常にあるモノですから。それより、あの妖魔……早く追いかけないと不味いです。指宿さん、ちょっとここで彼女達を見ててもらって良いですか?」
「それは良いが、1人で追うのか?」
「奴はかなり手傷を負ってるんで、もしかしたら、追いつけるかもしれません。可能性は低いですが……」
「そうだな……わかったよ。でも、あまり無理はしないようにな。一応、斉木さんには現状を伝えておくよ」
「ええ、お願いします」――
そして幸太郎は、奴の後を追ったのである。
*
機械室を出た幸太郎は、通路を駆け、妖魔の後を追った。
地下の通路床には、妖魔の赤黒い血がポツンポツンと付着していた。
しかもその跡は、通路から搬入スロープへと向かって続いていたのじゃ。
幸太郎はそれを辿り、通路を進んで行く。
搬入スロープに出た幸太郎は、血の跡を辿り、上へと向かった。
程なくして、ビルの勝手口が見えてくる。
すると勝手口のドアは、開けっ放しになっていたのじゃ。
「外に出たか……不味いな」
幸太郎は眉を寄せ、開け放たれた勝手口を潜った。
そして、ビルの外に出てすぐの道路で、幸太郎は立ち止まったのである。
外は人通りもまばらで、先程と変わらぬ路地裏の姿であった。
華やかな表の喧騒から外れ、やや雑然とした夜の街並みをしている。
行き交う人々も至って普通であり、騒ぎが起きた様子もない。
これを見る限り、化け物の姿を誰も見ておらんのじゃろう。
「流石にこんな付近にいるわけないか……ン? アレは……」
幸太郎はそこで道路のとある部分に目を凝らした。
するとそこには、妖魔の体液らしきモノが付着していたのである。
しかし、アスファルトの黒さと周囲の暗さとで、じっくり見ないとわからない痕跡であった。
ふむ、これは大変じゃのう。探すのは容易じゃないぞよ。
妖魔は恐らく、この夜の街のどこかに紛れてしまったんじゃろう。
幸太郎はそこで周囲を見回した。
「参ったな……外は人々の陰の気だらけで、上手く気配を探れない。おまけに視界の悪い夜だ。近くにいるんならわかるが……遠くに行かれたら、もうお手上げだな」
流石の幸太郎も、小さくボヤいておるわい。
確かに、これだけ沢山の陰の気があると、如何な幸太郎とて、妖魔の気配を探れんじゃろう。
人に化けて気を抑えておったならば、尚更じゃ。
「これも不幸の輪に入ったからか。ったく……不幸の輪に入ると想定外の事ばかり続くな。仕方ない……とりあえず、一旦、ビルに戻るしかないか」――
そして、幸太郎は捜索を諦め、ビルの地下へと戻ったのじゃった。
*
幸太郎が機械室に戻ると、眠ったままの女子3人と、それを見守る指宿がいた。
女子達はスース―と寝息を立てておるわ。別段変わりなしのようじゃな。
輩共も変わらず、気を失ったままじゃ。こっちはもうどうにもならんじゃろう。寝たきり老人として余生を過ごす未来しかないわい。アホな奴等じゃ。
指宿は帰ってきた幸太郎を見て、肩の力を抜いた。
「どうだった、三上君……奴にトドメをさせたか?」
幸太郎は残念そうに目を閉じ、頭を振った。
「いや、駄目でした。奴は恐らく、ビルの外です。すいません……見つけられず」
「やっぱりか……でも、今回は悪い事が色々と重なり過ぎたからな。仕方ないよ。それはともかく、ここからは待機だ、三上君」
「え、待機?」
幸太郎は首を傾げた。
「実はさっき、斉木さんに経過報告したら、待機の指示が出てな……ン?」
するとそこで、指宿のスマホが鳴ったのじゃ。
指宿はポケットに手を入れ、スマホを取り出した。
「言ってる傍からだな。その斉木さんからだよ。ちょっと出るね」
指宿はスマホを耳に当てた。
「あ、斉木さん……お疲れ様です。さっきの件なんですけど……やはり、目標を取り逃がしてしまいまして……はい、そうです。奴はダーカと言ってました。もしかすると……近頃、全霊連で噂になっている荼吉尼衆の仕業かもしれません。どうしましょう? え? 本当っスか? はい、はい……わかりました。では……ここで待機を続けますね」
指宿はそこで、スマホを耳から離した。
そして、指宿は疲れたように大きく息を吐き、幸太郎に視線を向けたのである。
「三上君……言いにくいんだけどさ……今回の件、結構な大事になるかもよ」
「大事? といいますと?」
「それはね、荼吉尼衆が絡む案件かもしれないからだよ。今からここに、貴堂部長と神谷課長と主任の斉木さんが来るそうだ。だから、それまで待機継続になった。悪いな」
ほう……荼吉尼衆とな。
以前、幸太郎から聞いた事がある言葉じゃわい。
なにやら大変そうな雰囲気じゃのう。
とはいえ、面白そうな響きじゃわ。
「荼吉尼衆……確か、真言密教に出てくる言葉ですよね。胎蔵界曼荼羅・外金剛部院に閻魔天の眷属として描かれてますし。でも、そんなモノが本当にあるんですか?」
「さぁね。ただ……今、全霊連で問題視されてる案件なんだよ。荼吉尼衆はね……」
「もしかして……結構、被害が出ているんですか?」
指宿は腕を組み、渋い顔で唸った。
「う~ん……俺も本当のところは知らないんだよ。でも……数年前からちょくちょく、人が喰われたり、失踪したりという妖魔案件が全国で起きてるそうなんだ。それが荼吉尼衆の仕業と言われている。俺は今回初めて経験したんだけどな。でも、貴堂グループの道師達の間でも、その話は重大懸念事項として共有されてるんだよね。だからさ」
ほう、なるほどのう。
という事は、以前、幸太郎がぶちのめした妖魔も、その類の案件じゃったのかもの。
「そういう事ですか。で、俺達は知らず知らずにその案件に関わってしまったというわけですね」
「ああ、そうみたいだ。あ~あ……まさかこんな案件だったなんてな。てっきり、ただの除霊案件だと思ったのに……つっても、今更どうしようもないんだけどね」
指宿はそう言って、落胆したように天を仰いだ。
「ですね。それはそうと……この子達はどうするんですか? それとアッチの老化した半グレ達も」
幸太郎の指摘を聞き、指宿は困ったように、額に手をやった。
「それなんだよな……どうすっかな。半グレにしろチン横キッズにしろ、今は気を失ってるからいいけど、目を覚ますと大変だよな。見られてるし」
「やはり、一般人に見られると不味いんですかね?」
指宿は頷く。
「まぁ一応、全霊連の規則だからな。ペナルティも少しあるんだよ」
「らしいですね」
「といっても、こっちで穏便に処理を済ませられれば、それで終わりなんだけどな。それはともかく、あっちの半グレはもう元に戻らんだろうから、最悪、認知症で押し切るしかない。でも、チン横キッズはそう言うわけにいかんだろうな」
「ですね。煙に撒けると良いんですけど……ン?」
するとその時じゃった。
「ンー、ンー」
「ンー、ンー」
という声が聞こえてきたのである。
それは輩共に拘束された女子達であった。
どうやら2人共、目が覚めたようじゃ。
じゃが、妙じゃな。
ちと、早い気がするわい。
「あ~あ、言ってる傍から、あの子達が目を覚ましたな。ツイてない」
恐るべきは、不幸を引き寄せる濃い陰の気の力よ。
指宿は残念そうに首を傾げ、幸太郎を見た。
「さて、どうしよう、三上君。寝ている内にどこかへ移動させて、幻でも見た事にしたかったんだけど……」
「もう目覚めたのか……なんで?」
幸太郎も訝しんでおるの。
霊力を扱える呪術者なら別じゃが、普通はこんなに早くは目覚めんからのう。
「仕方ない。もう一度やってみるか……」
幸太郎は女子達に近づき、また『ちょっと睡魔閃』を打った。
じゃがしかし……。
「ンー、ンー」
「ンー、ンー」
今度は全然眠らないのじゃった。
「効果がない……まさか……ン?」
するとそこで、ユアという女子もムクリと起き上がってきたのじゃ。
不幸は続くよ、どこまでも状態じゃな。ほほほほ。
早くSPSで厄抜きせんと不味いのう。
女子は目を擦りながら、キョロキョロと周囲を見回した。
「あ、あれ……ココは……って キャァァァァ!」
するとその直後、女子は老化した輩共を見て、頭を抱えて絶叫したのじゃ。
「あ、あれは夢じゃなかったの! イヤァァァ! お爺さんになったキタジマさんがいるゥゥゥ! おまけに幽霊までェェェ! イヤァァァ!」
それは渾身の叫びであった。
そういえば、ちょっと睡魔閃は暫く幽霊が見えるようになるのを忘れていたわ。
向こうにいる女子達も見えとるに違いない。
相変わらず、災難続きな女子達じゃわ。
「こっちもかよ……ったく」
幸太郎はユアという女子に歩み寄り、もう一度、ちょっと睡魔閃をした。が、しかし……またもや眠そうになるだけで、なかなか眠りに落ちなかったのじゃ。
ふむ、女子達には更に不幸な事が起きたようじゃな。
「この子も眠らない……という事は……」
幸太郎は眉を寄せ、思案顔になった。
「ちょっとお兄さん! さっきのは夢じゃないの! ねぇねぇ何よ、これ! どういう事なのよぉォォ!」
ユアという女子はパニック状態なのか、目を見開き、口をパクパクさせ、手足をバタバタさせていた。
指宿が幸太郎に近寄る。
「どうしたんだい、三上君? さっきから妙な行動してるけど……」
「もう一度眠らせようとしたんですが……上手くいかないんですよ」
「え? そうなの? というか、どうやって眠らせたんだよ」
「どうやってと言われてもね。とりあえず、練った霊力を素早く指先から放つだけですよ。でも、眠らないという事は、もしかすると……我々のような力に目覚めてしまったのかもしれませんね。どうしましょう?」
じゃろうな。
これはアレじゃな。
魂が目覚めたのかもしれぬの。
子供は、魂も成長途中じゃからのう。
幸太郎の術による強い刺激と、妖魔の濃い瘴気に当てられ、不運にも、不幸の輪に入ってしまったんじゃろうの。
アホなガキ共じゃわ。
知らんでいい世界を知る事になるんじゃからの。
「俺に聞かれてもな……まぁいい。どっちにしろ、偉いさんが来るから、拘束は解こう。何言われるかわかったもんじゃないからな。それから、コイツ等を落ち着かせるんだ」
「わかりました」――




