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次期公爵ヒューヴァイト

 男は、黒い軍服という地味な出立ちにも関わらず、そこだけ空気が違うようなずば抜けた存在感を持っていた。

 黒い軍服に赤い髪がよく映える。控えめに施された金糸模様はその金の瞳から溶け出したかのようだ。上背も筋肉もあるが、無骨さを感じさせないしなやかな体つきは虎や豹を思い起こさせる。


「ようこそおいでくださいました。エイトバーン皇太子」


 呼びかけられた男が、帝国式の挨拶で応じる。


「こちらこそ、お会いいただきありがとうございます。弟君の事は本当に申し訳ありませんでした」


 そう言われた相手の男、次期公爵であり帝国で犠牲となったシーズクリフの兄であるヒューヴァイトは緩く首を振った。蜂蜜を溶かしたような薄い金髪に青い瞳と色味は違えど、その風貌は弟とどこか似ている。

 高齢のため現公爵が一線を退こうとしている中、王国の外交トップを担っているのがヒューヴァイトだ。


「いえ。仕方がない事です。帝国で弟がお役に立ったなら幸いです。先日は大層な品々をいただき恐縮です。

 きっと弟は今頃は生まれ変って新たな人生を生きているかもしれませんね。弟がどうしても会いたかった人とも天国を通じて会えたのではないでしょうか」


 ヒューヴァイトの言葉に、エイトバーンは淡く微笑む。


「そうですね。シーズクリフは私やアリアローゼにとって大切な友であり、政変の功労者でした。彼を亡くした事は遺憾に耐えませんが、新たな人生を幸せに過ごしてくれていると思えば救われます。

 そう言えば、この度は公爵家と辺境伯家でご婚礼がなったとのことおめでとうございます」


「ありがとうございます。義妹夫婦には弟の分まで幸せになって欲しいと思っていますよ」


「ええ、そうでないと困ります」


 やんわりと微笑む皇太子はどこか妖艶だ。その目の細め方ひとつで言葉以上に意図を伝えてくる。やはり、帝国の皇太子はこちらの内情を正確に把握しているらしい。


 ヒューヴァイトは4年ほど前に帝国へ訪問した際にもエイトバーンに会っている。その時はまだ皇子の1人に過ぎなかったエイトバーンは、他国との外交の最中にも関わらず気怠げな様子を隠そうともせず、いかにも軽薄で頭空っぽの快楽主義者といった風体だったのだが。その『うつけ皇子』ぶりは全て演技だったらしい。大した役者だ。


 ヒューヴァイトとエイトバーンは言葉を選びながら会話を続けていく。


「帝国もようやく落ち着きましたが、こちらでも来年には王太子が即位されるそうですね」


「ええ、その節は色々とありがとうございました。現王は傍系ですので、退位後はご家族とともに与えられる領地へ移る予定です」


 エイトバーンが帝国を掌握したと伝達されてからの動きは早かった。

 この皇太子は早速、王国の王太子との会見の場を設けると、自らの皇太子としての地位を公に認めさせるとともに、王国の正当なる継承者は王太子ただ1人であると高らかに宣言した。

 つまり、現王と王妃の息子が王となることは、帝国は決して認めないという国としての強い意思表示だ。


 現王は王妃が我が子に王位をと願っていると気づいていたものの、まさか策略を企てるとは思っていなかったらしい。

 元々、王は根は真面目だがあまり多くの事を同時に処理できる程の能力はなく、戦後復興に視野が集中し王妃の動向にまるで気づいていなかった。王は王妃が犯した罪は自分のせいでもあると言い、自分が責任を持って妻と子を領地へ連れて行き王室とは今後関わらないと約束した。

 王太子はそれを了承し、監視役を付けて王都より遠く離れた領地を与えることとした。王妃はともかく、急遽繋ぎ役として王位が転がり込んで来たにも関わらず実直に職務を全うした現王は国民の支持も厚い。下手に事を荒立てれば『直系』への疑念を呼び起こしかねない。そんなことでせっかく戦後の復興を果たした国に混乱をもたらしたくはなかった。

 そして、意外にも王妃と王子たちもその決定に素直に従った。王妃の諾と答えたその表情は憑き物が取れたように穏やかに見えた。彼女なりに精一杯力を尽くし決して敵わない壁に阻まれたのだから、完全燃焼してスッキリしたのかもしれない。実にはた迷惑な話だが。


「これで王国も安泰ですね。我が国の皇帝も最近はすっかり表に出なくなりました。今までが鬼神のごとき働きでしたからね。これからは皇帝には居城でゆっくりしていただくつもりです」

 

 言外に「もう戦を起こす気はない」と言うエイトバーンをヒューヴァイトは見据えた。

 たしか、自分と同じ26歳だったはずだ。だがその瞳は年齢のわりに肝が据わっている。そして、高位の人間にありがちな見栄や気負いが感じられない。


「皇帝は居城でどのようにお過ごしですか。活力に溢れた方と聞いておりますんで暇を持て余しておられるのではないですか」


 暗に「戦争狂を抑えておけるのか」と問うヒューヴァイトに皇太子は鮮やかに笑った。


「皇帝でしたら、妹とゲームに夢中ですよ。非常に戦略的なゲームなのですが、皇帝は妹にちっとも勝つことができないのです。それどころか、毎回負けては妹に罰ゲームをされている有様ですよ」


「なんと。あの皇帝が大人しく罰ゲームを受けてらっしゃるのですか?」


 ギョッとするヒューヴァイトにエイトバーンはくつくつと笑いながら、なんでもない事だと手を振った。


「皇帝は勝ち負けのケジメはしっかりとするのを好むので、それは自分自身に対しても変わらないのですよ。なので、罰ゲームも嬉々としてやっていますよ。完膚なきまでに負けた後に受ける罰ゲームは清々しいのだそうです。まあ一種の変態ですので」


 鬼神と恐れられる皇帝に向かって何とも恐れ知らずな物言いだが、この様子が帝国の実権を握るのは既に皇帝ではなくエイトバーンであると知らせている。


「妹に挑めるのは1週間に1回と決めているのですが、それ以外の時間は全てゲームの研究や他の者との練習に明け暮れているようですよ。成長を続ける妹と老いる皇帝では、勝てるようになるのはなかなか難しいようですね。しかも妹は手を選びません」


 妹とは『我儘皇女』と名高かったアリアローゼ皇女のことだろう。あの戦場に出れば神に等しいと言われた皇帝に、盤上とは言え勝ち続けているとは末恐ろしい。今12歳だっただろうか。

 悪評高かった皇女だが、政変以降は心を入れ替えたとの評判で徐々に評価が上がっている。最近人気のシーズクリフと皇女がモデルになった物語も、皇女のイメージアップに一役買っている。恐らくはこの物語自体、エイトバーンがイメージ戦略のために作ってばら撒いたものだろう。この兄妹は実に強かだ。


「妹は何をしても勝ち続けますよ。皇帝が死ぬまでね」


 アリアローゼが皇帝に勝ち続けるのは正攻法ばかりではないと言うことだ。小細工も騙し討ちもしてる事だろうが、案外あの皇帝ならば『それでこそ戦いだ』と言いそうだ。

 そして、皇帝が手に負えなくなったならば暗殺すらこの皇太子は厭わないだろう。そう思われる冷徹さがこの男にはあった。


「それはそれは。エイトバーン皇太子が次代を担う帝国は磐石ですね」


「違いますよ」


「はい?」


 外交の定型句を述べたヒューヴァイトは思いがけない反発にたじろぐ。


「私はアリアローゼが帝国を率いる下地を作っているに過ぎません。色々と面倒だったので、つい掌握して皇太子になってしまいましたが、私は帝国にも何にも興味がないのです。その点は戦争にしか興味が持てなかった皇帝と似ています。アリアローゼが望む限りは平和のために力を尽くしましょう。ただしアリアローゼが望むならば世界を蹂躙することも厭いません」


 静かにそう語る皇太子の金の瞳は酷く冷たい。まるで金色の刃だ。

 この男は、皇帝が隠居したら帝国は牙を抜かれたと勘違いするな。と釘を刺すとともに、次代の皇帝をアリアローゼにするための道筋を作り始めている。


 帝国は政変後、しばらく港が閉鎖され鎖国状態に入り、人の行き来どころか情報も遮断された。そして、エイトバーンが皇太子となったと通達され開国したのは1年後のことだ。

 帝国が正確な情報を秘匿し、わざと様々な情報を錯綜させたことで他国は大いに混乱した。不確かな情報ばかりで帝国に攻め入ることも擦り寄ることもできない他国を尻目に、エイトバーンは他国からの干渉という邪魔を排除して1年で帝国をまとめ上げた。その手腕は疑いようがない。

 ヒューヴァイトは気圧されて皇太子から目を逸さぬよう、瞳に力を込めた。


「ただ、個人的にも王国とは友好的でありたいと思っていますよ。借りのある方々もいますしね」


 要するに『その人を蔑ろにするようなら帝国は王国などいつでも見捨ててやるぞ』と脅されているわけだが。弟は随分と大変な人物と縁を結んだようだ。後ろで書記官がさっきから青い顔をしているのが見なくてもわかる。


 そもそも、この会談も本来ならば皇太子の相手は王太子がして然るべきだが、エイトバーンはヒューヴァイトを名指ししてきた。

 シーズクリフの死に対する謝罪をしたいというのが建前だが、実際は帝国と王国公爵家の親密さの演出だ。そもそも、帝国ではシーズクリフは英雄に近い扱いをされているため、帝国の公爵家に対する評価は高い。加えて、こうして王国での会談相手に次期公爵のヒューヴァイトを指名すれば、シーズクリフの死後も帝国は公爵家を信頼するという意思表示になる。

 こうなれば、もう王家も公爵家を軽んじるわけにはいかない。きっとこれから公爵家の立場は劇的に変わっていくだろう。


 これは公爵家でも後世にシーズクリフの名前が語り継がれることになりそうだから、ソイルは負けないように余程がんばらなければならないな。

 ヒューヴァイトは苦笑しながらこう応じた。


「ぜひ、次回は皇女様とご一緒に視察にでもいらしてください。我が国の守りの要である辺境伯領などはきっとお二人にとっても面白いと思いますよ」


「ええ、必ず近いうちに」


 すぐさま応えたエイトバーンはいい笑顔でしっかりと頷いた。

 あ、これは本当に近いうちに来るな。と察してヒューヴァイトは帝国皇太子と皇女を辺境伯領の視察へ招きつつ煩わしい式典などを回避する算段を立て始めた。

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