ベアトリス
最終話です
今でもあの時のことを思い出すと、ソイルは背中がゾクリとするような恐怖を感じる。
ハノンと合流し辺境伯領を訪れ、いよいよカルラに会えると思ったその矢先に辺境伯領は季節外れの台風に襲われた。
宿で一夜を明かしていた2人はは急いで辺境伯領へと向かった。向かう道すがらも被害の大きさが見て取れた。道も土砂に埋もれたりぬかるんだりと相当の悪路だったが、馬車ではなく馬で移動していたことも幸いし無事に辺境伯領へと着くことができた。
カルラに一刻も早く会いたい気持ちを押し留めて、ソイルはハノンと復興作業に加わった。土砂の掻き出しから廃材の撤去に風で飛ばされた物の回収と、作業はいくらでもあった。船乗り時代に培った体力と荷運びの技術が大いに役立った。
領民達と協力しながら大物の撤去を終え、汗を拭っていた時だ。聞き覚えのある鳴き声が聞こえたのは。振り返った途端、白い塊がぶつかってきた。
受け止めきれずに仰向けに倒れると、顔をベロンベロンに舐められた。
「うわっ!ベアトリス!!ちょっ」
ようやく体の上から降りてくれたベアトリスを撫でようと手を伸ばすと、ベアトリスはその手をふいっと避けてしまう。
ソイルが訝しげに見ると、ベアトリスはうぅ〜、うぅ〜と唸りながら、しきりに辺境伯家のある方向を気にしている。
「もしかして・・・カルラ!?」
ソイルが立ち上がると、ベアトリスは付いて来いとばかりに走り出した。後ろからソイルがちゃんと着いてきているか時々確認しながら、ベアトリスは走り続ける。
子どもの頃に見つけた秘密の抜け道から辺境伯家の敷地に入り、そして着いた場所は裏手にある川だった。ソイルの記憶にあるせせらぎとは様相を一変した泥の濁流に向かってベアトリスが激しく吠える。
その方向に目をやり、水面に見え隠れする姿を見つけた時は自分の顔から血の気が引く音が聞こえた気がした。
「お姉ちゃんを!あのお姉ちゃんを助けて!!」
川岸にいた悲壮な表情をした少年が駆け寄って来ると、しがみつくように訴えてくる。
ソイルは強ばる顔をなんとか緩ませて少年を安心させるように頷いた。そして、はやる気持ちを無理矢理に落ちつかせながら、川に流されている人の腰から伸びる紐を引っ張って岸へと寄せる。川の流れが強くてなかなか引けない紐を根気強く引っ張り続ける。途中、負荷がかかりすぎて紐が切れてしまうのではないかという恐怖に駆られながらも懸命に紐を引っ張り続けた。そして、ようやく川岸まで手繰り寄せたところで、その体に手を回して一気に引き上げた。
「・・・カルラっ」
会える日を待ち焦がれていたその人に間違いなかった。色素が感じられないほど白い顔をしたその頬に震えながら手を当てる。
まさか、まさか、どうして、どうして
一度は諦めた君が生きてると知って、やっと会えると思ったのに。
恐る恐る首筋の脈をたしかめ、弱々しくも呼吸を感じたところで、ソイルは安堵のあまり崩れ落ちた。
生きている!ちゃんと生きている!!
冷たいカルラの体に自分の体温がありったけ移るように願いながら、ソイルはカルラを抱きしめた。そして自分のマントで包むと屋敷の中へと急いだ。
「本当に君のご主人は危なっかしいね。でも、いつもベアトリスが守ってくれてありがとう」
ソイルとしてカルラ改めクリスティアナと結婚して半年。2人は忙しくも穏やかな日々を過ごしていた。
裏手の川は、台風の時の様子が夢だったのではないかと言うほど穏やかに流れている。
執務の合間、ソイルはそんな川を眺めながらベアトリスと休憩していた。今頃クリスティアナは何をしているだろうか。お茶の時間に会えるのが楽しみだ。
「ソイル殿、こちらでしたか」
ふいに呼びかけられて目をやると、歩いてくる人の姿が見えた。
一目で王都の貴族と分かる仕立ての良い服を纏い、歩き姿も実にスマートなその男は懐かしい蜂蜜色の髪をしている。
「・・・これは、ヒューヴァイト殿」
一瞬、ソイルはなんと呼びかけようか悩んだが、無難に呼びかけることにした。もう兄とは呼べないがそんな事は些細な事でしかない。
公爵家の嫡男であるヒューヴァイトはソイルの隣の草むらに躊躇なく腰を下ろした。
「先日、ハイアーゼ帝国の皇太子がいらっしゃいましたよ」
ヒューヴァイトの言葉にソイルがはっと目を見開く。それを意味ありげな笑顔で受け止めながら、ヒューヴァイトは言葉を続けた。
「皇太子も妹君もお元気そうです。皇帝は妹君とのゲームに夢中らしいですね。そうそう、近々この辺境伯領に視察にいらっしゃると思いますよ」
「・・・そう、ですか」
ソイルはその内容を噛みしめるようにして、頷いた。無意識に顔に走る傷痕を指でなぞりながら、盟友2人へと想いを馳せる。
あの2人が本気を出した帝国がどうなるのか、とても楽しみだ。そして、その2人が視察に来た時に恥ずかしくないように、僕も辺境伯領を頑張って治めなくては。
ソイルが決意も新たにしていると、ヒューヴァイトがふと傍らに寝そべるベアトリスに目を留めた。
「おや、フェンリルじゃないですか!なんと珍しい!」
「フェンリル?ベアトリスが?」
「ええ、人に懐くなんて信じられない!人間よりもよほど利口ですよ。フェンリルは」
興奮して話すヒューヴァイトに、そういえば兄は魔獣の研究が趣味だったなと思い出しながら、ソイルはベアトリスに目をやる。
たしかに言われて見ればかなり大きいし牙も鋭い。人間の言葉がわかっているような気がしないでもない。それに、何度もカルラだったクリスティアナを救ってくれている。
ソイルはベアトリスをじっと見つめる。が、ベアトリスは大きな耳をピクピクさせながら不思議そうにしているばかりで、ソイルには普通の犬にしか見えない。
「まだ若そうですね。顔つきが幼い」
ヒューヴァイトは近づくのも恐れ多いとばかりに、ぶつぶつと何事かを呟きながらベアトリスを熱心に見つめている。
「いや、もう12歳ぐらいだから老犬だと・・・」
「何を!12歳ならば成体になったばかりですよ」
「え?」
「フェンリルの寿命は約150年。10〜12歳にかけて成体になり、100歳を超えるとゆっくりと老いていくのですよ」
ああ。ソイルは納得した。最近、クリスティアナがベアトリスが老犬になってしまって前より遊ばなくなったと言っていたが、老犬になったからではなくてただ子どもが大人になっただけだったのか。どうりで、老犬にしては動きは素早いし元気だと思った。
「ん?という事は、ベアトリスは俺たちより長生きするということか?」
「あなたとクリスティアナの子や孫まで守ってくれると思いますよ」
ヒューヴァイトの言葉にぎょっとしたソイルは、改めてベアトリスをまじまじと見つめる。が、その顔は人懐っこい家犬のものでしかなく、狼として森で暮らせるかすら怪しい。
ベアトリスの遊ぶ?と言いたげな瞳は迫力も威厳もない。ただただかわいらしい。
「まあ、いいか」
とりあえず、ベアトリスが長生きするのはクリスティアナが喜ぶし、子どもたちの良い遊び相手になりそうだ。ま、犬だろうがフェンリルだろうがベアトリスはベアトリスだし。
そうソイルが納得したところでクリスティアナがハノンと共にやって来た。
「あら、兄上もいらっしゃていたんですね。お茶を一緒にいかがですか?」
クリスティアナはヒューヴァイトにそう言うと、手に持った敷物とクッションを見せた。どうやら、このままこの場所でお茶にしようと用意をして来てくれたらしい。
後ろにはタチアナも見える。ウォルスタの使いで来ているのだろう。野外でのお茶は彼女に気兼ねなく楽しんでもらうための心遣いでもあるようだ。
「ピクニックみたいでいいですね」
カラカラと笑うタチアナは、相変わらず男のようなシャツとスラックスという姿だ。この間まで無造作に背中で束ねていた髪もついに切ってしまったそうで、『楽でいいけど寝癖がつきやすいのでそこだけ面倒ですね。今度は刈り上げようかな』と言ってウォルスタを呆れさせていた。
彼女は半年ほどケイティ役として辺境伯家に滞在したものの、その後はウォルスタの秘書へと戻った。ちなみにケイティのことをハノンは当初、死んだものとするつもりだったようなのだが、それはクリスティアナに止められた。
「お兄さまがそんなに多くの死を抱え込むことはないのよ。お父さまとカルラとシーズクリフの死だけでも十分よ!」
かくして、ケイティはハノンが隠し子として連れてきたソイルと折り合いが悪く、また自分以外の女性と作った子どもがいたことに気を悪くして別れたこととなった。一夫一妻を厳格に守り、浮気どころか再婚さえ認めない西の少数民族の女性としては、理解できる反応だ。
クロードと一緒に準備をするクリスティアナをソイルも手伝う。
おこぼれに預かれることを期待したベアトリスが興奮してクリスティアナの周りを走り回っている。
川岸から涼やかな風が吹き、ふわりとクリスティアナの麦わら色の髪の毛が舞う。
ソイルの胸元のロケットには同じ色の髪の毛が入っている。
幸せな時間を過ごせば過ごすほど、このロケットを受け取った時の気持ちを思い出す。これはソイルとしての誓いだ。シーズクリフとして味わった悲しみは決してソイルとしては繰り返さない。これからは、僕はクリスティアナと一緒に生きていく。
シーズクリフとカルラは不幸だったかもしれない。だから、ソイルとクリスティアナはその分も幸せになろう。
ベアトリスが、おやつを待ちきれずにウォフウォフ!と鳴いた。
「シリアスな長編」を目指したら大変でした。
読みづらいとこところも多々かと思いますが、楽しんでもらえたら嬉しいです。
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お読みいただきありがとうございました




