カルラとシーズクリフ
「死なないで。死なないでカルラ・・・っ」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、なお美しさが増すとはどう言うことだろうか?
カルラは熱っぽいながらも冷静な頭でそんな感想を持ちながら、この世の終わりような顔をして泣くシーズクリフを見上げていた。
絶えず小さな怪我はあってもさっぱり病気とは縁がない健康優良児なカルラだが、この日は久しぶりに酷い風邪をひいてしまっていた。
池の泥さらいに参加し、まだ9歳のくせに働き盛りの男たちに張り合って頑張った結果へとへとになり、濡れた服のまま草むらで眠ってしまったせいなので、完全に自業自得だ。
父は『仕方のないやつめ!』とガハガハ笑っていたし、母には『ちょっとは反省しなさい』と呆れられたし、兄は『頑張ったのは偉いが、みんなに心配かけてはいかんぞ』と苦笑していた。
いつものように、公爵夫妻の外交旅行に合わせて辺境伯家へとやって来たシーズクリフは、カルラが風邪で寝込んでいると聞いて飛んでやってきた。そして、真っ赤に熱った顔で荒い息をし、苦しげな表情でベッドに横たわるカルラを見て、シーズクリフの不安は頂点に達したらしい。
普段、元気はつらつとばかりに動き回り、かすり傷もへっちゃらなカルラの弱々しい姿がショックだったのだろう。
シーズクリフはカルラの枕元で、病人よりよっぽど死にそうな顔でぐすぐすと泣いている。
その隣では、公爵家のお付きの人がオロオロしながら「シーズクリフ様、風邪がうつるといけませんから・・・」と小声で囁きながら必死にシーズクリフをカルラから離そうとしているが、泣くのに忙しいシーズクリフの耳には届いていない。
ちなみに、辺境伯家の使用人は「あらあら」と微笑ましそうにシーズクリフを見守っているだけで放置だ。
正直、カルラだってこのままじゃゆっくり休めないし、本当にシーズクリフに風邪が移ったりでもしたら困る。頑丈なカルラをここまで苦しめる風邪ならばシーズクリフなんて本当に死にかねない。それは嫌だ。
9歳のカルラはそんなことを本気で考えながら、涙に濡れそぼるシーズクリフの瞳を見つめた。
「シーズクリフ、私は死なないわ。絶対に大丈夫だから」
「だって、だって、こんなに苦しそうなのに・・・。僕、僕、カルラがいなくなっちゃったらっ」
掠れたカルラの声を聞いて、なおシーズクリフの瞳から涙が溢れてくる。
潤む瞳が朝露に濡れるすみれの花みたいだ。
「カルラ、僕を一人ぼっちにしないでよぅ・・・」
大袈裟な。とカルラは思った。大袈裟な言葉を使いたい年頃なのだろうか。たしかに辺境伯領にはシーズクリフの知り合いは少ないだろうが、カルラがいなくたってお兄さまだっているし、コルト叔父様のとこだって行ける。遠出が無理なら庭師のサンドや馬丁のトーラだって相手をしてくれるだろうし、クロードも手が空けば遊んでくれるかもしれない。
それに、王都に戻れば家族や友達だっているんだし、幼馴染が風邪ひいたくらいでこんな思い詰めた悲壮な顔をしなくてもいいのに。
その時のカルラは、シーズクリフの言葉の本当の意味など分かっていなかったから、そう思って少し呆れていた。
「私がいなくっても大丈夫よ。誰か遊んでくれるわ」
「そうじゃないよ・・・カルラじゃなきゃ嫌だよ・・・」
駄々っ子のような物言いをするシーズクリフが珍しくて、カルラは喉が痛むのも構わずにくすくすと笑った。
カルラはゴソゴソと布団から手を出すと、シーズクリフの涙を親指の腹で拭った。涙で冷えたシーズクリフの頬が気持ちいい。
「約束するわ。私は絶対にシーズクリフより先に死なないわ。私の方が頑丈だから絶対に大丈夫」
「本当に?絶対?」
「うん。約束する。絶対にシーズクリフを1人にしない」
そうカルラが言い切ると、シーズクリフはぎゅっと寄せていた眉根をゆるゆると解き、安心したように微笑んだ。その様子を見て、カルラも安心して目を閉じた。
「約束・・・破っちゃったね。ごめんね」
クリスティアナは、ソイルの胸板にそっと額を当ててポツリと呟いた。
ソイルはいつもクリスティアナを包み込むように抱きしめて寝てしまう。なので、毎朝目を開けるとソイルの胸板しか見えないのだが、今日は懐かしい夢を見たせいで変な時間に目が覚めてしまった。
クリスティアナは、わずかな隙間を利用しながら首を動かし、ソイルの顔を見上げた。目を閉じているソイルの顔は彫像めいた美しさが際立つ。安心しきった寝顔にクリスティアナが顔を緩ませていると、薄闇の中で長い銀のまつ毛が微かに揺れ、パチリと目が開いた。
瞼の下から現れた瞳の思わぬ鋭さにクリスティアナは身じろぐ。
ソイルは真剣な瞳のまま口を開いた。
「約束ってどれのこと?」
「え?」
「約束ってどれのこと?僕がいない時に1人で鍛錬所に行かないって約束したこと?文箱にあった第2王子からの手紙を捨てるって約束したこと?崖を馬で走らないって約束したこと?」
少し寝ぼけているのか、一人称が『僕』に戻ってしまっているが、ソイルは気づいていないようでそのまま詰問し続けている。
「それとも、この間子爵家が送ってきた首飾りを・・・」
「待って、待って!どれでもないわよ。その・・・カルラは約束を破ってあなたを1人にしてしまったけれども、クリスティアナは約束を破らないわ」
ソイルは、しばらくクリスティアナの言葉の意味を考えていたが、言わんとする事がわかったらしく、キュッと眉根を寄せて鼻から息を吐いた。
あんなに昔の子どもの約束で、クリスティアナがすっかり忘れてしまっていたのと違い、ソイルはしっかり覚えていたらしい。
「絶対に絶対に破らないでよ。絶対に僕より先に死なないでよ」
「頑張るけど、寿命はわからないから絶対にって言うのは無理かしら」
くすくすと笑うクリスティアナに、ソイルは拗ねたように下唇を噛む。
クリスティアナを抱き込む力が強くなり、少しの隙間もないほどお互いの体が密着する。更にはソイルが足をクリスティアナの腰に巻きつけて、逃さないと言わんばかりの体勢だ。
クリスティアナは自分の体とソイルの体にきっちりと挟まれてしまった右手をなんとか引っ張り出すと、その腕を目一杯伸ばしてソイルの頭を撫でた。昔は撫でるとサラサラした撫で心地だった銀髪だが、今は短髪のため少しチクチクする。
「それに、私だってソイルに先に死んでほしくないわ。だから、そうね、一緒におじいちゃんとおばあちゃんになって天寿をまっとうしましょうね。そして、一緒に辺境伯家のお墓に入りましょう。もし、もし私が先に死んじゃったとしてもお墓で待っているから。私への土産話をたくさん作ってから来てね」
「一緒に死ねたらいいのに」
「それ、心中だから。それは止めてね。もしあなたが先に死んじゃったら、私もたくさん土産話を作ってから行くから待っててね」
腕がつりそうだな。と思いながらクリスティアナはソイルの頭を撫で続ける。ソイルに会ったら抱きしめたいと思っていたのに、結婚してからと言うものソイルに抱きしめられてばかりでクリスティアナから抱きしめることはできていない。体格の差があるから仕方なくはあるのだが、クリスティアナとしては不満だ。
「だいたい、私の方が3つ歳上なんだから、私の方が先に死ぬんじゃないかしら?」
「ソイルとクリスティアナは同い年だから」
「いや、たしかにそういう設定だけど・・・」
「ソイルとクリスティアナは同い年だから」
ごちん、とソイルがクリスティアナの額に自らの額を当てつつ繰り返した。
どうやら、この件に関してはソイルは引く気はないらしい。クリスティアナは早々に諦めた。
クリスティアナは手をソイルの後頭部から頬へと移動し、ソイルの頬を包み込むようにしながらそっと額を離し距離をとる。やっと焦点があって顔が見えるようになると、ふわりと微笑んだ。
ソイルの頬はあの頃のマシュマロのような触り心地では無くなってしまったけれども、今も滑らかで気持ちがいい。涙を拭う代わりに、親指の腹で傷跡をそっとなぞる。
「私は結婚式で誓ったもの。あなたの側にずっといるって。だから寿命が許す限りはあなたの隣にいるわ。約束を果たせるかは分からないけれでも、これだけは約束する。決して約束を破ったふりはしないって」
拗ねていたソイルの顔がくしゃりと歪むと、絞り出すように声を出した。
「お互いに死んだふりは2度となしだよ。何があろうとどんな状態だろうと、ソイルとクリスティアナはずっと一緒に生きるんだよ」
夜の暗さを纏ったソイルの紫の瞳は濃く、深い。2人はぼんやりとした暗さの中、僅かな光を受けて淡く輝く互いの瞳を見つめ合いながらしばらくじっとしていた。やがて、ふっ、とクリスティアナは表情を崩すとにっこりと笑った。
「何にしろ、まだ早いわ。もうちょっと眠りましょう。明日も明後日もずっとずっと、先は長いんだから」
クリスティアナはソイルの頬に当てていた手を布団の中に引っ込めると、あくびをしながら顔をソイルの胸元へ埋めた。その後頭部にソイルの手が当てられ、ぎゅっと抱きしめられる。
ソイルの体温が心地良い。窮屈だけど安心する。
ケイティとして兄と寝ていた時も安心はしたが、その時とは違う充足感がある。対で作られたものがカチリとはまるような心地良さだ。まあ、兄は横で寝るだけで抱き締めてくることはなかったし。
それに、変な夢を見ても目を開けば隣にちゃんといるのを確認できるのは幸せだ。
辺境伯領にいつ来るかわからないシーズクリフを待つことも、遠く離れた帝国にいるシーズクリフを案じることも、死んで2度と会えないシーズクリフに祈りを捧げることももうない。
「おやすみ、シーズクリフ・・・」
言い間違いに気づかないまま、クリスティアナは眠りに落ちた。
「おやすみ・・・カルラ」
ソイルはクリスティアナの後頭部に唇を当てながらそう囁くと、自らも瞼を閉じた。




