クリスティアナとシーズクリフ
「クリスティアナ様は、やはり雰囲気が公爵家のみなさまとよく似ておいでですね」
紅茶を片手にニコニコしながら、侯爵夫人はカルラにそう言った。
慣れない名前で思いがけないことを言われたカルラは、咄嗟に顔を取り繕うことができずにポカンとしてしまう。そんなことに気づいていない伯爵夫人は相変わらずニコニコと話を続けている。
「クリスティアナ様は優しげで、少し儚げな雰囲気が公爵様と良く似ておいでですわ。髪と瞳の色はウォルスタ様譲りですわね」
ケイティとして生活して痩せ細った体が見窄らしいと思っていたが、どうやら人から見ると儚げに見えるらしい。以前は外見で言ってもらえる褒め言葉は『健康的』だったのに大違いだ。
カルラは伯爵夫人から見た自らの印象に苦笑したい気持ちを抑えて、なるべく優雅に微笑しながらお礼を口にした。
「ありがとうございます。でも、未だにあのお二人の娘になれたのが畏れ多くて。髪と瞳もお父様と同じ色合いとはいえ、私の色は燻んでいますし。私は所作もまだまだ無作法ですので」
そうやって自信なげに微笑む様子が一層儚げで庇護欲をそそるとはカルラは気付いていない。
伯爵夫人はクリスティアナを元気付けようと言葉を重ねる。
「まあ!そんなことございませんわ!クリスティアナ様のお作法は王都の貴族令嬢達に全く引けを取りませんわよ。さすが三代前の公爵夫人のお名前を引き継がれただけのことはありますわ」
クリスティアナという名前は可憐すぎて未だに慣れない。子どもの頃は『カルラ』という簡潔すぎる名前が嫌で、なんでもっと長くて響きが美しい貴族風の名前じゃないのかと残念がったものだが、いざ公爵家の名前になってみるとだいぶ気恥ずかしい。憧れの名前になれて嬉しいのだが、呼ばれるたびにちょっと照れてしまう。
そもそも、市井の生まれという設定なのだから、貴族風の名前は不自然じゃないかとカルラは思ったのだが、クリスティアナの母がウォルスタの曽祖母にあやかってつけた名前という設定なのだそうだ。それに商人等が憧れから貴族風の名前をつけるのは珍しくないらしい。
「でもその笑顔、シーズクリフ様を思い出しますわ」
急に出てきた名前にカルラはびくりと体を揺らす。
取り止めのない伯爵夫人の話は常に斜め上に飛びがちだ。
「亡くなったシーズクリフ様も儚げでそれはそれは美しくて、妖精のようだとよく言われておいででしたの。でも、よくそんな自信がなさそうな、困ったような笑みをしてらっしゃいましたわ」
伯爵夫人が話すシーズクリフは、本当に自分が知るシーズクリフだろうか?
カルラが知るシーズクリフの笑みは、無邪気な笑顔か、はにかんだ笑み。後は知識欲が満たされた時の溢れ出るような笑みだ。伯爵夫人が言うようなそんな笑みは見たことがない。
カルラの戸惑いもお構いなしに、お話好きの伯爵夫人はしゃべり続けている。
「今思うと、シーズクリフ様には王都の貴族社会は息苦しかったのかもしれませんね。もったいつけた会話には鋭い皮肉が求められ、優美な服装は出歩かない事が前提。虚勢を張ることが貴族のコミュニケーションですもの。シーズクリフ様は何もしなくてもその美しい外見だけで羨望の的でしたからね。変なやっかみも受けたでしょうし、顔ばかり褒められるのもあの方の望むところではなかったでしょうね」
そんな話は初めて聞く。
カルラの知っているシーズクリフはいつだって朗らかな笑顔で、好奇心旺盛でちょっと怖がりで、森で様々なものを観察しては生き生きとしている男の子だ。
王都が息苦しいなんて事はシーズクリフは一度も言ったことがなかった。
「ついには帝国に望まれて本当に儚くなってしまわれて。本当に残念で悲しいことですわ。でもご存知かしら。今、世間ではシーズクリフ様をモデルにした物語が流行っていますの」
急展開した話にカルラは思わずお茶をごくりと飲み込んだ。
一気に飲み込むなど、はしたないので気をつけていたのに。気管に入って咳き込まなかっただけセーフだろうか。
「現在シーズクリフ様をモデルにした話は2パターンありますの。1つ目は帝国皇女様との情熱的な恋物語ですのよ。帝国の我儘皇女はシーズクリフ様のあまりの純粋さに感化され、心を入れ替えるのです。そして、2人で帝国の明るい未来を約束するのですが未来は残酷にも2人を引き裂き・・・残された皇女様はシーズクリフ様を思いながら帝国を建て直すために奮闘するのですわ。このパターンは帝国発祥ですわね」
「は、はあ・・・」
返事に困って気の抜けた声しか出ないカルラだが、もちろん伯爵夫人は気にせず話し続けている。というかこちらの反応など見ていない気がする。
「もう1つは幼馴染で婚約者だったカルラ様との悲恋ですわ!私はこちらを推しております」
カルラは今度はお茶を吹き出しそうになったのを必死に堪えた。お茶を吹き出したりなんかしたら、はしたないどころではない。大惨事だ。
「様々な困難に見舞われ2人とも亡くなってしまうのですが、最後に生まれ変わった2人は再会しますの。立場も姿も変わった2人がすれ違ったところでこの話は終わっているのです。その後の2人がどうなるか夢が膨らみますわ。物語と言えばこの間の舞台で・・・」
その後、一方的に世間話をして伯爵夫人は帰っていった。
いつものように、今日の伯爵夫人の話もボールのように弾んでどこへ行くのか予測不能だった。
シルファーナがカルラの社交の練習相手に選んだ人だけあって、伯爵夫人は明るくて気さくな良い方なのだが、なにぶんノンストップで縦横無尽に話題が飛び回るので、いつもお相手をした後のカルラは嵐の後のようにぐったりしてしまう。
シルファーナ曰く『微笑の維持と、聞き流しながら相槌を打つ訓練に持って来いの方でしてよ』との事だ。
だけど、シーズクリフどころか自分まで物語になっているなんて驚きというか、微妙というかとにかく恥ずかしい。
貴族の故人をモデルにした物語が作られるのはよくあることで、物語になる程魅力的だったということで遺族にも喜ばれるのだが、こうして図太く生きているのに儚く亡くなったように物語にされるのはかなり居た堪れない。
そう言えば、シーズクリフは帝国でどのように過ごしていたのだろうか。皇女様と物語のように恋仲になったりはしなかったのだろうか。
カルラは胸にむくむくと湧き上がってきた疑念を持て余して唇を噛んだ。
皇女様は目も覚めるような紅の髪に、輝く黄金の瞳を持つ絶世の美少女だと聞いている。赤い髪に金の瞳の皇女様と、銀の髪に紫の瞳のシーズクリフが並べば、さぞかし絵になるに違いない。年齢だって3つ歳上のカルラよりは、4つ歳下の皇女様の方がお似合いだ。
2人が並ぶ姿を想像して勝手に打ちのめされたカルラは、とぼとぼと自室へと戻った。
部屋でカルラは楽な格好に着替えると、心を落ち着かせようとふーっと大きく息を吐く。
クリスティアナの部屋として整えられたここは元々シーズクリフの部屋だ。最初は女性用の調度品に入れ替えて内装も変えると言う話で、シルファーナはとても乗り気だったのだが、カルラは公爵夫妻にお願いしてそのままにしておいてもらった。鏡台などを追加で入れてもらったり、ベッドのマットレスの交換をしてもらったりはしたが、それ以外はシーズクリフが使っていた頃のままだ。
シーズクリフは顔に似合わず装飾品などに全く興味がない人だったので、女性の部屋にしてはシンプルどころか、さっぱり貴族らしくない簡素で実用的な部屋だ。だが、義娘の部屋として可愛らしさがなさすぎる!とシルファーナが嘆いたため、ところどころに美しいレース細工や刺繍の美しい布で華やかさが足されている。
結局、カルラはシーズクリフとコルトの小屋で再会してすぐ、クリスティアナとして公爵家へ来たのでシーズクリフとはまたすぐに離れ離れになってしまった。
今でもまだ、カルラはシーズクリフが生きていたなんて夢だったのではないかと思うことがある。だけど、自分が今こうしてクリスティアナとしてここにいるのが、シーズクリフが生きている何よりの証拠だ。
だけど帝国での詳しい話は何一つ聞けていない。
皇女様とはどうだったのだろうか。うまくいかなかったのだろうか。それとも、政変で仕方なく離れ離れになってしまったのだろうか。
もちろん今ここでいくら考えても答えはわからない。
カルラはふと、部屋で最も存在感がある本棚へと目をやった。
そこには、読書好きだったシーズクリフらしく大量の本が仕舞われている。気を紛らわそうと、なんとなく端から順に視線を滑らせていたカルラの目がある本の背表紙に引っかかった。
厚さのある本で、何度も手に取られたのだろう。背表紙の上が擦り切れてタイトルも消えてしまっている。
カルラは、本の破損を広げないように注意しながらそれを本棚から抜き取った。
手に取ってみると、タイトルは消えてしまったのではなく元々書かれていなかったようだ。表紙にもどこにも文字がない。ただ青い装丁がなされただけの本を不思議に思いながら開くと、それは本ではなくノートだった。小さな字でびっしりと記入されている。これはシーズクリフの文字だ。
まだ、たどたどしい幼い文字から始まっているそれを、カルラは微笑ましく読んだ。勝手に読むのは悪いとは思ったが、懐かしくて止めれなかった。
それは、日記というよりはメモ書きのようなものだった。備忘録や何かを検討した内容などが残されている。最初は無邪気な事柄が多かったそれは、シーズクリフが成長するにつれ毛色が変わってくる。
『他の子ども達と話が続かない。なんで噛み合わないのかな』『僕は綺麗すぎて近寄り難いって言われているらしい。どうしたらいいんだろう』『狩猟会や装飾品の話より、植物の観察の方が面白いのに。それは僕だけみたいだ』『公爵家は王家より優れちゃダメなんだって。目立たないようにしたいのに、どうしたらいいのかな』
伯爵夫人の話と一緒だ。幼いシーズクリフの悩みがそこには書かれていた。
そしてその合間に辺境伯領でのことも書かれている。
『辺境伯家の人たちの言葉は素直で話しやすい。王都の貴族とは少し違う』『カルラは植物の話も面白がって聞いてくれるし服が汚れても気にしない。僕と同じだ』『カルラも僕の顔が好きみたいだけど、他の子に僕の顔は綺麗だから黙って立ってれば良いって言われたって言ったら、すごく不思議そうにされた』
カルラは自分の話がたくさん出てきてなんだかこそばゆい。
そして頁をめくると、シーズクリフは10歳になった。
『カルラが僕の婚約者になった。嬉しい』
心なしか文字が浮かれているような気がするのはカルラの自意識過剰だろうか。
さらに読み進めると、ああでもないこうでもないと手紙の推敲が書かれるようになった。
きっとカルラと文通をするようになった頃だ。あんなに何気ない様子でさらりと手紙に書いていたのに、その前にこんなに推敲をしてたなんて!努力の跡を見つけてカルラは思わずニヤニヤしてしまう。
年々、このノートは主に実用的な試行錯誤のために使われるようになったようで、シーズクリフの心情を表す言葉はほとんどなくなったが、時折耐えきれないように書かれていることがある。
『王子の嫌味はしつこいし、みんなから変な目で見られて気持ち悪い。でももう怖くない。カルラとずっと一緒にいれることを考えたら、何を言われたって微笑んでやり過ごせる』
『辺境伯領の人達みたいに僕も鍛えたいけど、公爵家が武芸を身につけると王家から変な誤解を招くかもしれない。怪しまれないようにどうしようか』
『みんな僕の顔ばかり見て話を聞いてくれない。だからとりあえず微笑んでおこう。話は辺境伯領に行った時にカルラとすればいい』
カルラが想像していた以上にシーズクリフは王都で孤独だったらしい。じわじわとカルラの胸から何かが溢れ出てくる。瞼を閉じれば1人で耐える小さなシーズクリフの姿が目に浮かぶ。今となっては叶わないとは知っていても今すぐに駆け寄って抱きしめてあげたい。私はずっと側にいると伝えたい。
最後の方になると、皇女様との婚約から逃れるための方法が何度も何度も書き直されていた。
いくつもの案が書かれてはバツ印で消されている。その横には理由も書き添えられている。
『カルラが納得しないからダメ』『王国が荒れてカルラが悲しむからなし』『公爵家が潰れてカルラが気にするからボツ』『辺境伯家から離れるとカルラが寂しがるから除外』
いくつかはカルラがどうこう言う前にそもそもの理由がダメだと思うのだが・・・。
結局、妙案は浮かばなかったようで最後に消された案の下にこう書かれてノートは終わっている。
『絶対に諦めないで考え続ける』
きっとこの後、カルラの死を聞き帝国へ渡ったのだろう。
後ろの頁は白紙のままだ。
カルラは静かにノートを閉じると、しばし両手でそれを温めるようにしながら目を閉じた。そして、丁寧に元の場所へと戻す。
「ごめんなさい。シーズクリフ」
無意識に声が漏れた。
彼がこんなに真剣に悩んでくれていたにも関わらず、皇女様の婚約話が出た時にカルラはあっさりと諦めて身を引いてしまった。自分の我儘で迷惑をかけたくないという建前ばかりで、シーズクリフの気持ちを考えようともしていなかった。
カルラは自分に自信がなかった。シーズクリフの隣に立つ自分が見劣りするのにいつも引け目を感じていたし、それなのに皇女様と張り合うなんてとてもできなかった。
そもそも、お互いに家族愛に近い好意はあっても恋愛感情には乏しいと思っていた。
そんなの嘘だ。
自分とシーズクリフには熱烈な恋愛感情があるわけではないし大丈夫だと、そう自分自身に言い聞かせては傷つかないように逃げていただけだった。
じゃなきゃ、こんなに今すぐ会って抱きしめたいだなんて思わない。皇女様に嫉妬したりなんかもしない。シーズクリフの隣にずっといたいという思いでこんなに胸が灼けつくように苦しいのに、こんなの家族愛じゃない。
カルラは悔しかった。
シーズクリフだってこんなに悩んだり苦しんだりしていた癖に、いつだってなんでもない顔をして。私は彼に手を引いてもらったばかりだ。
ーこれからは私が常に隣に立ってシーズクリフを支えよう。彼が2度と孤独を感じないように。
カルラは灰碧色の瞳に凛とした決意を宿した。




