シーズクリフとハノン
「僕は小さい頃から父上に憧れていたんですよ」
シーズクリフがそう言い出したのは、お互いに鍛錬でかいた汗を流し、ハノンの執務室で辺境伯領の勉強をしようと資料を開いたところだった。
「ああ、公爵様は見識が広くて思慮深い方だからな」
さもありなんと頷いたハノンにシーズクリフは苦笑した。
こうやって向かい合って座ると、ハノンの体の逞しさがよくわかる。シーズクリフとて船乗り生活を得てかなり筋肉がついたと自負しているが、ハノンと比べれば一回り小さい。持って生まれた体質の違いと言ってしまえばそれまでだが、ハノンの絶え間ない鍛錬の証でもある。
しかし、ハノンはそんな外見とは裏腹に自分に自信がないところがある。だからこそ今の言葉も誤解されたのだろう。シーズクリフはすぐさま訂正した。
「違いますよ。今の僕、ソイルの父上であるあなたですよ」
ハノンは怪訝そうに眉を寄せる。言葉の真意を探ろうとしているようだが、別に裏の意味なんてありはしない。シーズクリフの素直な気持ちなのだが。
「僕は、ひょろひょろのひ弱な子どもでしたから、あなたの逞しい体が羨望の的だったのも一つありますが、あなただけだったんです。僕の現状も望みも否定しないでいてくれたのは」
言い募るシーズクリフに、言われている本人はよりいっそう眉間の皺を深くするばかりだ。資料を開こうとしていた手もそのままの形で固まっている。
「辺境伯領の人々はみんな筋骨隆々で男らしく、僕には憧れでした。でも、何かとつけて『そんな細っこい体じゃダメだ』とか『男ならもっと鍛えてお嬢を守れるようになれ』とか言われるのは正直、自分を否定されているようで辛かったんです。体質的に辺境伯領の皆さんのような体つきには、なかなかなれませんでしたし、僕は鍛錬以外にもしたいことがたくさんあったので」
ハノンは手元の資料をとりあえず脇に寄せ、真面目な顔で話を聞いている。そう、いつだってこの人はシーズクリフの話を真剣に聞いてくれた。
「かといって、公爵家の人間は逆に僕を心配しすぎるんです。『坊っちゃんは危ないことをする必要はありません』とか『公爵家が武芸を嗜むのはあらぬ疑いを生む』とか言われて。強くなりたいという僕の意思を尊重してくれる人はいませんでした。鼻から諦めろと否定されるのもそれはそれで辛かったです」
辛かったと言いながらも既に思い出として笑って語るシーズクリフに、ハノンも笑って「そうか」と答える。が、ふと釈然としない顔で言った。
「いや、その話はわかるが、そこでなんで俺に憧れることになるんだ?」
ちっとも分からないというハノンに、シーズクリフは尚も苦笑しながら言葉を重ねる。
「だから、あなたはそのどちらでもなかったじゃないですか。覚えていますか?カルラの帽子が風に飛ばされて枝に引っかかって、僕があなたに助けを求めた時のこと」
ハノンは一生懸命に記憶を辿るように目を細めると、しばらく思案したがやがてそのまま首を傾げた。こうすると、熊みたいな外見にも関わらず妙に可愛く見える。「お兄さまは熊は熊でも実はクマのぬいぐるみなのよ!」と昔カルラが言っていたのがわかる気がする。
「いや、そんなことあったような気もするが、何も特別なことはなかったと思うぞ」
「僕には意味のある出来事だったんですよ。あの時、カルラの帽子が高い木の枝に引っかかってしまって、でも木登りできるようなとっかかりが手に届く場所になくって。あれはブナの木だったかな。でもカルラはお気に入りの帽子だから諦めきれないようで、無理だと知りつつも何度もジャンプして取ろうとしたり何とかして気に登ろうと幹に爪を立ててみたりと頑張っていたけどやっぱり無理だった」
シーズクリフは当時のことをよく覚えている。暖かくなってきた初夏の日で、シーズクリフとカルラは森の中で遊んでいた。ベアトリスも一緒だったはずだ。9歳ぐらいだっただろうか。森の中で芽吹き出した植物を観察していた時に突風が吹いて、カルラがもらったばかりだと大切にしていた帽子が飛ばされてしまったのだ。泣きそうなカルラの顔まで覚えている。
ハノンも徐々に思い出してきたようで、「ああ、あの木だな」と言いながら聞いている。
「なんとかしたいと思った僕は、あなたに助けを求めたんですよ。そうしたら、あなたは両腕で僕を枝がある場所まで持ち上げてくれて、そうして木に登った僕は帽子を取ることができたんです」
帽子が戻ってきたカルラはそれはそれは喜んで、嬉しそうに頬を真っ赤にしながらシーズクリフにお礼を言ってくれたものだ。ベアトリスも「なんかわからないけどご主人が喜んでる!」と興奮してワウワウ吠えて駆け回っていた。
「いやいや、それのどこに俺に憧れる部分があるというんだ?そんなの誰でもできるだろう」
ハノンは頭をガシガシと掻き出した。さっぱり話が見えてこないと言いたげだ。
「その後ですよ。その話を聞いた辺境伯領の人々はこう言いました『男ならまずは自力で頑張れ。お嬢が頑張っているのにさっさと人に助けを求めるなんて情けないぞ』と。逆に公爵家から来たお付きの使用人はこうです『帽子なんて買えばいいし、体力仕事は辺境伯領の人間に任せて、公爵家令息はそんな危険なことも目立つこともする必要はない』ってね」
その話を聞いて、ハノンはああ、とバツが悪そうな顔をしながら、大人代表であるかのように謝罪した。
「それは悪かったな。どうにも大人は自分の理屈でしか考えれないところがあってな。小さい頃のお前には辛い思いをさせたな。だが、一つも恥じることはないぞ。お前は俺に助けを求めに来たというよりは、『どうしたらいいか教えて欲しい』と教えを請いに来たんじゃないか。結果的に俺が手助けすることにはなったが、決してお前は努力せずに諦めて安易に助けを求めたわけじゃないし、状況を判断できずに無謀な事をしたわけでもない」
シーズクリフはその様子ににっこり微笑むと、「それです」とハノンを指さした。指さされたハノンはさらに意味がわからずに当惑するばかりだ。
「あなたは昔からずっとそうです。『男だから』とも『公爵家の人間だから』とも決めつけずに僕の意思を尊重してくれる。僕なりの努力を認めてくれる」
ハノンは困ったように眉根をあげながらも、照れているようだった。「そうか」とぽつりと呟いたのみで、口元に手を当てて少し俯いている。
「公爵家はそもそもが王家の影に隠れるべき存在で、基本的な姿勢は『補佐』と『受け身』です。失脚した王弟から始まる公爵家は、分不相応な望みを持つことが許されない家系だけれども、辺境伯領に来たおかげで僕は望みを持つことができた。そして、あなたやカルラが認めてくれたおかげで、王都では抑圧されがちだった知識にも自信を持つことができた。だからこそ、帝国に行っても、死んだことになっても、諦めずにここまで来れたんだと思います」
照れると黙りこくってしまうのは昔から変わらないな。
シーズクリフは微笑ましい気持ちになりながら言葉を続ける。
「だから、僕はあなたと親子になれて嬉しいんですよ。もちろん実の両親のことは好きだし尊敬しているけれど、それとは違う意味合いで、でも同じくらいあなたの事も尊敬してるんです」
鍛錬後のラフな格好で向かい合う2人は、親子と言っても誰も疑わないであろう外見だった。シーズクリフが小さい頃は、「同じ銀髪なのになんで雪男と月の精ほど雰囲気が違うの?」とカルラに不思議がられたものだが、今は違う。シーズクリフの体は成長して見事な筋肉がついたし、顔に走る大きな傷が優男風の風貌をうまく誤魔化してくれている。ハノンは常に気を張り詰めていた刺々しさがなくなり雰囲気が丸くなった。
よくよく見れば、似たような銀色の短髪でも、シーズクリフは柔らかい毛でハノンは剛毛だとわかるし、お互い垂れ目だが、シーズクリフの柔和な目元に対してハノンはくっきり二重で彫りが深い。だがそんな外見どうこうよりも、2人は纏う雰囲気がよく似ていた。
ハノンは顔を上げると、そんな自分と似て非なるシーズクリフを見返した。
「それはそれで、公爵夫妻に悪い気がするな。ただでさえ、息子であるお前を取り上げるようなことになってしまって申し訳なく思っているんだ。俺が辺境伯としての勤めを自分で果たせれば良かったんだが・・・」
やっぱりハノンには自信がない。こんなに立派な体躯を持っているというのに。変なところでカルラとよく似ている。
シーズクリフは呆れたように息を吐きながら、自分の父親となった男を見上げた。ハノンの目はシーズクリフより拳一つ分上にある。
「あなたのおかげでカルラは生きているんですよ。そして、あなたが色々と手を尽くしてくれたおかげで僕とカルラは一緒になれるんです。もっと、あなたは僕らに恩着せがましく言っていいぐらいですよ」
「しかし」
言い淀むハノンにシーズクリフは力強く言い返す。
「あなたは辺境伯領の誇りです。あなたの息子となって、辺境伯領の歴史や代々の辺境伯について学びましたが、あなたより立派な方なんていないですよ。先代の辺境伯は立派で分け隔てない方でしたが、あの方でさえ偏見や思い込みを捨てることはできなかった。でも、聡明な方だったから、今頃はあなたのことを自慢に思っていると僕は思いますよ」
先代辺境伯は竹を割ったような性格で、実に清々しい人柄だった。ただ、豪快で真っ直ぐすぎた。何もかもを真正面からしか受け止めれない人だったから、細やかな心の機微には疎い人だった。
「そうか」
ハノンは照れ臭そうに一言そう返すと、微かに笑った。
その背後では、常に静かで揺るぎない表情で控えているはずのクロードの顔が泣きそうに歪んでいる。
「僕はハノン殿の息子になれて幸せですよ。父上、これからもよろしくお願いします」




