養女クリスティアナ
「ねえねえ本当なの?ウォルスタ様が娘を連れてくるって」
公爵邸の使用人休憩室。一仕事終えたメイドたちが紅茶片手に雑談をしている。
「本当らしいわよ。でも、子どもがいたなんて意外ね!そんな甲斐性なさそうなのに」
休憩室とはいえ屋敷の中のためメイド達は声こそ潜めているものの、言う内容は辛辣だ。
「やだ、ウォルスタ様はああ見えて気骨のある方だと思うわよ。その娘だって最近まで存在を知らなかったんでしょ?なのに、相手の女性が既に死んでて娘に身寄りがないと分かったら躊躇なく引き取るなんて素敵じゃない!」
すっかり冷めた紅茶を啜りながらもメイド達のお喋りは止まらない。
流石に紅茶は庶民用の二級品で公爵家で使用されているものに比べれば安物だが、品質はしっかりしており変なえぐみもない。生地の切れ端で作られたクッキーも僅かながらテーブルに乗っており公爵家の職場環境の良さがわかる。
「でも、結局ご自分では面倒見れないからって公爵様夫妻の養女になるんでしょ?私がそのお嬢様のためのお部屋を用意したんだから間違いないわ!でも公爵様も良く了承なさったわね。ウォルスタ様って言い方は悪いけど好き勝手やってるじゃない?その上娘まで押し付けられるなんて」
年若いメイドが不満げに口を尖らせる。彼女にとって勤め始めた時には既に公爵家に寄り付かなくなっていたウォルスタは興味本位の噂でしか知らない人物なのだろう。日々お仕えしている公爵様夫妻に迷惑をかける人なんて公爵様の弟だろうがもってのほかだ!と言わんばかりだ。
「案外、ウォルスタ様は公爵様夫妻のためにそうしたのかもしれないわね。お二人ともシーズクリフ様とカルラ様の傷が癒えていないから・・・代わりにってわけではないんでしょうけど、ウォルスタ様の娘を淑女に育て上げることで気が紛れるかもしれないと思ったんじゃないかしら。それに男のウォルスタ様に淑女教育は難しいでしょうからね」
メイド長はどこか遠くを眺めて呟くようにそう言った。ウォルスタがまだ公爵邸で暮らしていた頃を思い出しているのかもしれない。30年近く公爵邸で働く彼女にとっては、公爵御一家は家族同然とは畏れ多くて言えないものの、実の家族より長い間一緒にいる関係だ。思い入れは人一倍である。
シーズクリフが亡くなってからの公爵夫妻の落ち込みようには彼女も心を痛めていた。しかし最近の夫妻は顔が少し明るくなり心なしがウキウキしている気がする。それはきっとウォルスタ様の娘を迎え入れるのが決まったからではないだろうか。
「でも、ウォルスタ様のお嬢様ってもう18歳なんでしょう?すぐにでも結婚相手を決めないと、貴族令嬢としては嫁き遅れだって言うのに、これから淑女教育をするって大丈夫なんですかね?どこかの後妻ぐらいしかなりようがないんじゃないかしら」
メイド長が綺麗にまとめようとした話を、別のメイドがまた広げようと懸念を口にしてキリがない。メイド達のおしゃべりはとどまることを知らないのだ。
「それこそ私達にはわかりかねる事ですよ。さあさあ!休憩時間は終わりよ!」
メイド長が声をあげると、彼女達はてきぱきと休憩所を片付ける。そして、しっかりと公爵家メイドの表情を取り繕って持ち場へと戻っていった。
「君が私の娘になる日が来るなんてね」
皮肉げな口調とは裏腹にウォルスタの顔は泣きそうに歪んでいた。
「その・・・お父さま・・・よろしくお願いします」
気恥ずかしさからはにかんで応える娘に対して、ウォルスタは呼びかけた。
「さあ行こうか、我が娘クリスティアナ」
クリスティアナとウォルスタは公爵邸に着くと、応接室に通された。公爵邸の使用人たちは教育が行き届いているので、あからさまな態度のものはいなかったが、それでもなお娘を連れ帰ったウォルスタに対する好奇の目が感じられる。
「やれやれ。帰る度に珍品を見るような目で見られるのは居心地が悪いね。私の実家だというのに。ま、私が普段ちっとも寄り付かないせいだけどね」
「ふふ、でも珍品は珍品でも思いがけない良い珍品に対する反応だと思いますよ」
楽しげにそう言うクリスティアナに、ウォルスタはどうかな?と肩をすくめて見せる。その戯けた様子にクリスティアナがくすくすと笑う。
公爵家の様子はちっとも変わっていなかった。クリスティアナの記憶の通りだ。
窓から見える庭園で咲いてる花々は柔らかな色合いのままだし、木登りをしてメイドを大慌てさせた大きな楡の木も元気そうだ。銀で品よく統一された調度品も丁寧に磨かれており昔と変わらない輝きだ。
小さい頃に数回しか来たことはないが、辺境伯領とは違う洗練された品々が珍しくてよく覚えている。初めて来た時なんて、ちょっと触っただけで壊してしまいそうで廊下を歩くのさえビクビクしたものだ。
クリスティアナが懐かしさに浸っていると、執事が公爵夫妻の訪れを告げた。
執事がゆっくりとドアを開くと、優雅ながらも凛とした佇まいの公爵夫妻が部屋へ入ってきた。公爵夫妻がこちらへ顔を向け、ソファから立ち上がったウォルスタ親子と正面から向き合う形になる。
執事は紅茶を注いで一礼すると静かに部屋を去っていった。そのタイミングで、クリスティアナが公爵夫妻にご挨拶を。と口を開きかけたが、それよりも夫人の動きの方が早かった。
「ああ!本当にまた会えるなんて!またあなたが娘になってくれるなんて!!」
気づいたら、クリスティアナは公爵夫人の上質なドレスに埋もれていた。
ぎゅうぎゅうと抱きしめてくれるのは嬉しいが、骨張った自分の体が柔らかな夫人の体を傷つけそうで怖い。クリスティアナはやんわりと夫人を押し返そうとするものの、意外に力強いその体はびくともしない。
「義姉上、クリスティアナが窒息してしまいますよ」
ウォルスタの言葉に、夫人は渋々クリスティアナを抱きしめる手を緩めたが、今度は両手をクリスティアナの両頬に当てて顔をじっくりと見つめてくる。夫人より少し背が高いクリスティアナは、夫人と目が合わせやすいように腰を落とす。
美しい蜂蜜色の髪を上品にまとめ、シンプルだが繊細な刺繍が施されたドレスを纏った公爵夫人は相変わらず美しい。そのアクアマリンのような瞳で熱の籠った視線を向けられては何だかどぎまぎしてしまう。
「あなたには辛い思いばかりさせてしまって、本当にごめんなさいね。そして、そんな思いをしたにも関わらずシーズクリフを選んでくれてありがとう。カルラ」
呼ばれた名前にクリスティアナは口を開いたが、夫人に遮られた。
「今だけよ。この部屋を出たらもう呼ばないわ。あなたはクリスティアナだもの。そしてあの子はソイルだわ。でも、名前なんてどうでもいいのよ。あなたとあの子が2人揃って生きているだけで、他には何もいらなかったのに。あなたたちがまた私の娘と息子になるなんて、こんな嬉しいことはないわ」
夫人の後ろで控えていた公爵もすっと妻の隣に立つと、クリスティアナに向かって柔和に微笑んだ。細身ですらりと長身の公爵は見るからに上品な紳士だ。
同じ銀髪と紫の瞳をしたシーズクリフはきっと成長したらこうなるんだろうと子どもの頃は思っていたのに、あんなに筋肉質に成長するとは思いもよらなかった。
他愛のない事を考えながらクリスティアナは公爵夫妻に微笑み返す。
いつだって公爵夫妻は上品で洗練された雰囲気があり、辺境伯領の粗野な雰囲気の中で育ったカルラにとっては憧れの的だった。このお二人の義娘となった時に恥ずかしい思いをさせたくない。と礼儀作法の授業を頑張っていた昔が懐かしい。
「改めてよろしくお願いします。クリスティアナです。私もお二人の娘になれること、とても嬉しいです」
クリスティアナの挨拶をウォルスタが引き継いで説明する。
「クリスティアナは私が家を飛び出した頃に立ち寄った港で出会った女性と作った子どもで身寄りはなし。私は最近存在を知って引き取る事にした。だけど、私は常に各国を飛び回っていて落ち着かないし、性格的にも子育てに向かない。女の子の育て方なんてわかるわけないしね?だから兄上達の養女になることになった。・・・って事でいいね?」
既に打ち合わせ済の内容を改めて再確認し、4人で頷き合う。
「辻褄合わせのために年齢は18歳にするからね」
「もちろんそれは構わないのですけど、本当はもうすぐ20歳なのに、なんだかサバを読んでるみたいで気が引けますね」
クリスティアナは苦笑する。もう令嬢なんていう歳ではないのに、今さら淑女教育をやり直すことになるとは思いもよらなかった。
「でも淑女教育をやり直すのはちょうどいいかもしれません。何年もサボってしまいましたから」
そう続けるクリスティアナに、んまあ! と公爵夫人は反論する。
「淑女教育なんて建前なのですから、どうでもいいのですよ!そんなことより私と花嫁衣装を選びましょう。ああ、本当にカタログを捨てなくて良かったわ。見るたびに辛いだけだから何度も処分しようと思ったのだけれども、どうしてもできなかったのよ。きっとこの日のためだったのね!」
頬を薔薇色に染めて嬉々として喋る公爵夫人はまるで少女のようだ。今にも花嫁衣装のカタログを持ち出しそうな勢いの夫人をウォルスタが慌てて制止する。
「ちょっと義姉上、落ち着いてください。まだ婚約も調わないうちにそんなことしないでくださいよ!というかまだ正式な養女にもなっていませんからね!」
「うるさいわね。以前は辺境伯夫人の手前もあって自重していたけれども、今回は私の娘として嫁に出すのだから、クリスティアナの衣装も調度品も私が選びますよ!もちろん本人の意見は尊重しますけどね」
以前はあれで自重していたのか?と言わんばかりの表情で公爵が隣の妻を見たが、夫人に睨まれてすぐに視線を戻した。そんな様子も上品なのだから不思議だとクリスティアナは思う。ウォルスタは『今日も公爵家は力関係がはっきりしており平和なようで結構です』と苦笑している。
「それでウォルスタ、手筈は整っているのでしょうね?貴族たちが変や憶測や噂を流す前にさっさとやってしまわないと、後々面倒だわ。ま、妙な気を起こす輩がいるようでしたら、私が社会的に潰して差し上げますけれども」
「義姉上、物騒なことは止めてくださいね?今回は、不自然ではあるけれど無理がない程度の設定ですからね。ちょっと噂になるでしょうが、害がないとわかれば貴族たちはすぐに興味を無くすでしょう。貴族たちだって自分の利にならないことを考えるほど暇ではないですからね。クリスティアナもソイルも年齢的にも立場的にも結婚を急ぐ理由は十分ですし、淑女教育は結婚後に先代辺境伯夫人が引き継ぐことにすればいいでしょう」
ならいいわ。とようやく納得したらしい公爵夫人はソファに座り、すっかり冷めた紅茶に口をつけた。続いてやれやれと公爵も隣に座り、ウォルスタとクリスティアナも顔を見合わせると腰を下ろした。
落ち着いたところで、クリスティアナは気になっていたことを口にした。
「でも、すみません。結局シーズクリフは辺境伯の跡取りになってしまったので、なかなかこちらへ来ることもできなくて。結婚後も辺境伯に住まざるをえないですし・・・」
「クリスティアナ」
声をかけられて、クリスティアナはそちらを向いた。ソファにゆったりと座った公爵が真っ直ぐこちらを見ている。
「いや、最後にカルラと呼ばせてくれ。カルラ、私たちが君を娘として迎え入れることができてどんなに嬉しいかわかるだろうか。シーズクリフと結婚してくれるからというのももちろんあるが、それと同じぐらい君が家族になってくれるのが嬉しいよ。小さい頃から君を見てきた。小さい頃からシーズクリフと同じように君の幸せも祈ってきた。家族になってくれて本当にありがとう」
公爵は、カルラにとっていつも少し遠い存在だった。外交で飛び回っているせいで顔を合わす機会も少なかったし、直接言葉を交わしたのは数える程度しかない。だから、そんな風に言ってもらえるなんて思ってもみなかった。
自分はシーズクリフと公爵家を繋ぐために養女になるつもりだったが違った。公爵夫妻はそんな上っ面な関係ではなく、きちんとクリスティアナを娘として受け入れようとしてくれている。
どんな言葉も陳腐な気がして、カルラはクリスティアナとして当たり前の挨拶しかできなかった。
「これから、どうぞよろしくお願いします。・・・お父さま、お母さま」




