カルラとタチアナ
シーズクリフからカルラは1人の女性を紹介された。
30歳近いだろうか。カルラより少し背が高く細身な体型で、シンプルなワンピースを着ている。すぐ女性だとわかる顔立ちにも関わらず、どこか中性的な雰囲気に感じるのはそのきりりとした眼差しのせいだろうか。
「初めましてカルラ様。私はタチアナと申します。ウォルスタ様の秘書をしています。これから、しばらくの間は私がケイティ役を引き受けます。さ、こちらへどうぞ」
挨拶もそこそこにカルラが寝室として使っている部屋に連れて行かれ、2人きりになった。
カルラはシーズクリフから説明を受けたものの、本当にこんなことを頼んでいいものか気が引けてどうしたものかと口ごもる。
「タチアナさん。あの、でも、本当に・・・」
「私のことは気になさらないでください。仕事の一環ですし、これに見合う金銭をきちんといただけますので」
タチアナは遠慮を口にするカルラを遮り、なんともドライにそう言い切った。
「ただ、カルラ様こそ本当によろしいんですか?気を悪くしないで欲しいんですけど、私からすると結婚して夫のものになるなんて、そんなわざわざ自由を捨てるようなことをなぜしたいのか理解に苦しみます」
明け透けな物言いにカルラはぽかんとした。顔を覆う布は先程とったままなのでカルラの表情は見えてしまっているが、顔を隠す生活が長かったせいで顔を取り繕うのがすっかり下手になってしまっていた。
「しかも、シーズクリフ様が好きならお二人で逃げて自由になればいいのに、こんな大掛かりな小細工をして色々背負う必要ないんじゃないですか?自分の人生なのに、貴族様ってどうして何でもかんでも家に縛られて考えることしかできないんでしょう」
タチアナは返事がないのを気にする様子もなく、言いたいことを一方的に言い切った。言い方は少しキツイが、決して嫌味ではなく純粋な疑問として口にしているのがわかるので、カルラは嫌な気持ちにはならなかった。むしろ、大掛かりな小細工とは言い得て妙だな。と感心した。そして、急に張り詰めていた糸がたゆんと弛んだ気がして、ふっと微笑んだ。
「タチアナさん、あなたの言う通りだわ。私も貴族として生まれたが故に家に囚われている部分はあるんでしょうね」
シーズクリフからの突然の提案に対する動揺がタチアナの言葉で、すっと落ち着いた気がした。改めて考えてみれば、カルラとして死んでケイティとなってからと言うもの、どこか投げやりでちゃんと自分で考えることをしていなかった気がする。
今回の話だって、シーズクリフの話を聞いて理解して自分なりに納得した上のつもりだったが、どこかまだ気持ちがふわふわしていて現実感がなく風に流される雲のような気分だ。それはきっと「誰かに言われてやる事」ではなく「自分がしたい事」として捉えきれていなかったせいだ。
「もちろん、辺境伯家の娘としての義務感はあるし、ちょっと前までそれば自分の存在意義だと思っていたけれども、本当は違うのだわ。私は我儘なのよ」
家のことだとかシーズクリフがどうしたいかだとか、ひとまず置いといてカルラは素直な自分の気持ちを言葉にしてみる事にした。それには面識はないが身元はしっかりしているタチアナとの距離感がちょうど良かった。
タチアナは斜に構えた態度のままその言葉を聞いている。
「私はシーズクリフが好きだけど、シーズクリフだけとの生活で満足できるほどではないのよ。お兄さまもお母さまもコルト伯父様や犬のビーも辺境伯領のみんなも辺境伯領の土地も作物も、小さい頃から可愛がってくれた公爵家のみなさまやもちろんウォルスタおじ様も、みんな縁が切れるのは嫌なの。ケイティになった時に一度は大勢と縁が切れてしまったけれども、それが元に戻るのなら私はそうしたいの」
カルラは言いながら自分自身で納得していっているようだった。
先日の復興作業に加われなかった忸怩たる思いや焦り、川の中の子どもを見つけた時に『うちの領民を死なせない』と思ったのを思い出し、再確認していた。自分はこの土地を愛している。
軽く合わせた両手をもじもじと動かし、俯きがちに話し始めた顔が徐々に上がっていく。しゃべるうちに青白かった顔に赤みが刺し、手の動きは止まりきっちりと組まれて落ち着いた。やがてタチアナに向かってにっこり笑って言い切った。
「私は驚くほど強欲だわ。みんなを巻き込んで迷惑かけても止められないの。私なんて大した役に立たないかもしれないけれど、でも私はここで生きていきたいの」
黙って聞いていたタチアナは、その言葉を聞いてというよりその表情を見て、満足気にニヤリと笑った。その笑い方はウォルスタによく似ていた。
「それを聞いて安心しました。私にとって家族はしがらみでしかなかったし、結婚は売られると同義でしたけれども、カルラ様にとっては違うようですね。シーズクリフ様はご自分の思いが強すぎてあなたの気持ちを蔑ろにしているのではないかと少し心配していたのですよ。ちょっとお年頃にありがちな暴走なさってるんじゃないかと思って」
シーズクリフに対してあんまりな言いようだが、その眼差しは温かい。彼女にかかればシーズクリフもそこら辺の若さゆえに無鉄砲な過ちを犯す若造と大差ないらしい。
常に作り物の微笑を浮かべる貴族たちと違い、タチアナは実に表情豊かだ。先程までの意地悪そうな表情が嘘のように今は晴れやかな顔で笑っている。
辺境伯領の人間も貴族としてはだいぶフランクだが、それでも感情と表情のコントロールは小さい頃から叩き込まれるし、こんなに顔に表情を出すのは下品だとされる。でも、カルラにはタチアナの裏表ない態度がとてもありがたかった。もう何かを隠すのも隠されるのもたくさんだ。
「ありがとう。あなたのおかげで自分の気持ちに向き合えたわ。私はあなたへのお願いを躊躇する余裕なんてどこにもなかったわ。必死にあなたに頼み込んでお願いするべきだったのに、傲慢な態度をとってしまい、ごめんなさい。どうか私の代わりにケイティ役をお願いいたします」
深く頭を下げるカルラに、タチアナはおやっと意外そうに片眉を上げると声を上げて笑い出した。
「あははは!すごいね。聡いお嬢さんだ。ものの数分で自分を取り戻して、こんなに冷静に俯瞰できるなんて!こちらこそ変なこと聞いてすいませんね。どうも疑問は口にしないと気が済まない質なんですよ。
さ、服を交換しましょう。ゆっくりでいいですよ。その間もじっくり考えてくださいね。服を交換してこの扉を出たら、もう後戻りはできませんからね」
ついでだからと、男どもは待たせておけばいいのだとタチアナに言われ、カルラはタチアナと色々な話をした。市街地に暮らす職人階級の暮らしについてや、タチアナが家出をしてウォルスタの秘書になった経緯やら、タチアナは夫に頼らざるえない夫の付属品となる人生はまっぴらごめんなので一生独身でいる心づもりなのだということを聞いたりした。
「まあ、私が望もうが望まなかろうが、こんな年増で可愛げのない女を嫁にと望む人間もいませんしね。でも私は満足です。結婚なんて冷静に考えたらとてつもなく不平等な雇用契約ですよ。女は働き口がないから、そんな不平等契約に頼らざるえないんです。でも幸い私は自分の力で生きていける職があります。私の人生を私の意見だけで決められるのは幸せです」
そんな世の常識に逆らって生きているタチアナには、きっと誹謗中傷は常について回っているだろう。それでもなお、自分を貫き通すタチアナの強さはカルラには眩しかった。
「あ。でも別に闇雲に反発してるわけじゃないんですよ!私だってもし好きな人に出会って、この人を助けたいと思うようなことがあったなら結婚してたかもしれないですし。大事なのは自分の心に素直でいることだと私は思っていますよ」
タチアナの生き方はカルラとは別世界のような生き方のように見えて、よく似ているのかもしれない。よく考えればカルラだって自分の心に素直に生きてきた。だからこそ、死んだ振りもしたし、兄の愛人にもなったし、今度はまた新しい道を歩もうとしているのだ。結婚だって、シーズクリフとだからこそしたいと自分が選んだのだ。
昔から自分に自信がなくて、周りに合わせたり流される事が多いような気になっていたが、それは違う。結局、自分で全部選んできたのだ。
「私、ずっと自分自身には価値がないような気がしていて、周りからも『地位』ばかりで『能力』を求められることがない事が悔しくて、いじけていたけれども・・・周りじゃなかったのだわ。私が勝手に私を否定していただけなのだわ。タチアナさん、あなたのお話が聞けて私良かったわ」
カルラは深く頷きながら噛み締めるように呟いた。
「なら良かった!別に私も結婚が悪だと言うつもりはないんですよ!意地悪ばっかり言ってごめんなさいね。試すつもりとかではなかったんですけど」
カルラ様ってとても話しやすくて、ついつい私の余計な話までしちゃいましたね。と言いながらタチアナはずっとからから笑っている。
でもタチアナに笑われても、貴族たちのよくある意味ありげなクスクス笑いと違ってちっとも嫌味がない。ただ本人の上機嫌さが伝わってくるのみだ。
「カルラ様、歳上として偉そうな忠告をしておきます。あなたの人生はあなたのものです。夫のものでも家のものでも王家のものでも国のものでもないです。逃げずにあなたの人生として責任を持って生きてくださいね」
最後に言い聞かせるような口調でそう言うと、タチアナはすっぽりと頭から布を被った。全身を覆い隠したケイティの出来上がりだ。
痩せ細ったカルラに比べれば体つきはしっかりしていたが、ゆったりした布で覆い隠せば問題なかった。身長も靴のヒールで調整すればわからず、こうしてしまえば中身が別人だとは全くわからない。身のこなしだって、見たことある人は数えるほどしかいないのだ。
カルラはケイティの格好をしたタチアナと向き合うと、奇妙な気分だった。ちょっと前まで自分自身がしていた姿が目の前にある。
「ケイティはしばらくの間、私が引き受けます。あなたは今日からウォルスタ様の娘です」
顔は見えなくてもわかる。タチアナはニヤリと挑むように笑いながらカルラを見ている。
「あなたが選んだ未来へ向かって進んでください」
カルラはそれをタチアナの言葉として受け取りながらも、同時に過去の自分自身から言われているような感覚がした。もう、カルラを守ってくれていた『ケイティ』という隠れ蓑はないのだ。
「ええ、ありがとう。ケイティ」
カルラは長年お世話になったもう1人の自分に心からお礼を言った。




