カルラとソイル
コルトはただ淡々とカルラの世話を焼くばかりで、叱ることも嘆くこともなかった。だから、ハノンが訪れた時は今度こそこっぴどく叱られるとカルラは身構えた。
その兄がやって来たのは、すっかりカルラの体が回復し普通に動き回れるようになった頃だった。部屋のドアが開くと、ぬっとした巨体が現れる。
律儀にケイティとしての服装で過ごしているカルラに、ハノンは真顔のまま大股で近づくと真正面から見つめた。
雷が落ちてくる!と目を瞑ったその予想に反して、カルラは兄に抱きしめられた。
ハノンは布の中身をたしかめるようにしっかりと抱きしめて妹の存在を確認しているようだったが、やがて大きなため息を吐いた。
「お前は何度、俺の心臓を止めようとすれば気が済むのだ」
「お兄・・・いえ、ハノン様、ごめんなさい・・・」
申し訳ない気持ちで胸の奥がきゅっとなる。2度も妹が死にそうになるなんて、本当に申し訳ない。いつだって兄には面倒をかけてばかりだ。殊勝に謝罪の言葉を述べようとしたカルラはハッと気がついた。
そうじゃない。兄に会ったら真っ先に聞かなければいけないことがあったはずだ。
「ハノン様、どういうことですか!?隠し子ってなんですか?」
口を開いた途端に問い詰めてくるカルラにハノンはやれやれと肩をすくめる。
本当ならハノンの方こそ今回の件についてカルラに言いたいことがたくさんあるのだが、この話をしなければカルラはそれどころではないだろう。辺境伯領気質を存分に受け継いでいるカルラは直情型だ。
それにまあ、これだけ元気なら一安心だ。
ハノンは説教は後回しにして、ソイルについて説明することにした。
「ああ、俺は20年前の南部カルシャットでの戦いに参加した際に現地の女性と関係を持ったが、その女性に子どもが産まれていたことがわかった」
「お兄さま!?」
ケイティとして立場も忘れ、胸ぐらに掴みかかりかねない勢いでカルラは詰め寄るが、続いたハノンの言葉にぴたりと動きを止めた。
「・・・という設定になっている」
「・ ・ ・ ・ 設 定 ?」
怪訝そうなカルラにハノンが呆れたように、でも嬉しさを堪えきれないようにため息をつく。
「そもそも、そんなことが現実にあり得るなら、俺が今までこんなに苦労しているはずがないだろう。もっと早く言えれば良かったんだが。気を揉ませてすまない」
「いや、お兄さま、そんなことより設定ってな・・・」
「ハノン殿、いい加減に紹介してもらっていいですか?」
突然、聞き慣れない低い声がしたかと思うと、ハノンの背後から人が現れた。兄に比べれば小柄で、だからこそ隠れて見えなかったわけだが、現れたその姿は背の高い男性のようだ。フード付きのマントを纏い顔は見えない。
他に人がいるのに気づかずあんなに迂闊に喋るなんて。カルラは興奮のあまりに周りが見えていなかった自分に気づき、気まずさに口籠もった。
ケイティとなってからというもの、神経質すぎるぐらいに気をつけて生活してきたというのに。
「ああ、カルラ、こちらが俺の隠し子のソイルだ」
ちょっとカルラって呼んでいいの!?とカルラはハノンに言いたかったが、すぐにそれどころではなくなった。
ソイルと呼ばれた男はカルラに向き合うと埃っぽいマントを脱いだ。フードを脱ぎやすいようにと顔を俯けながらマントを脱ぎ去り、銀髪を揺らしながら顔を上げた。
カルラはその顔に見覚えがあった。いや、見覚えがある顔とは変わってしまっているが、間違いない面影がある。
「・・・嘘。・・・うそ」
カルラはゆるゆると頭を振りながら、自分の考えを否定する。
だって彼はこんなに背が高くは無かった。だって彼の声はこんなに低く無かった。だって彼の瞳はもっと薄い色だった。だって彼の顔にはあんな大きな傷なんて無かった。だって彼の髪はもっとツヤツヤしていた。だって彼はこんなに逞しい体も、こんなに雄々しい顔つきもしてはいなかった!!
思わず後退り、反射的に逃げ出そうとしたカルラはすぐに捉えられた。気づけばあっという間に男の腕に包みこまれていた。
「僕だよ。間違いないよ。シーズクリフだよ」
全力でもがこうとしていたカルラが、その言葉で人形のように動かなくなる。
ソイルと呼ばれ、シーズクリフと名乗った男は、腕の中にあったカルラの体を離して立たすと、そっとカルラの顔を隠す布を取り去った。
遮るものがなくなり、カルラの瞳と彼の瞳が直接交わる。不安と怯えと疑いから揺れるカルラの瞳を、じっと紫の瞳が見つめている。こんなに雰囲気が変わったにも関わらず彼の目元は変わらない。小さい頃と同じちょっと垂れ目の優しげな目元だ。
と、その彼の顔がたまらないと言わんばかりに歪んだ。
「カルラだ。間違いなくカルラだ・・・。どうして勝手に死んだふりなんかしたの?僕はあの時、後悔が大きすぎて泣くことすらできなかったよ。泣く資格すらないと思っていたんだ。カルラの、カルラのせいだよ」
大の男が凛々しい顔立ちで静かに流す涙は、意外に美しいものだな。
どこか他人事のようにそう思いながら、カルラは自分より高い位置になったシーズクリフの頭を撫でた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。今ならわかる。私もあなたが死んだと聞いた時は本当に悲しかったもの。・・・本当に・・・本当にごめんなさいっ!!!」
呟くように始まった謝罪はついには叫び声になり、カルラは泣きじゃくりながらシーズクリフに抱きついた。彼が詰ってくれたおかげで、1番言いたかった事が言わなければいけなかった事がするりと出てきた。
「うん、僕もカルラを苦しめてごめんね。追い詰めていた事に気づかずにごめんね。そして僕が死んだと騙すことになって本当にごめんね。
でもね、やっと会えると思ったらまた死にかけてるってどう言うことなの?せっかく頑張って色々と準備して、さあ手が届くと思ったその時に死なれるとか、僕立ち直れないからね?無茶するのもいい加減にしてね?」
シーズクリフが微笑んでいるのに、怖い。
完璧で模範的な微笑を浮かべて穏やかな口調なのに、心底怒っているのが伝わってくるのはどういうことだろうか。
昔から、シーズクリフは怒りを表情に出すことがなかったが、こんな器用な怒り方はしていなかったのに!怒りを表せず溜め込むタイプだったのが、怒りを表せるようになって良かったと喜ぶべきだろうか?
カルラは見慣れぬシーズクリフの怒り方に戸惑いながらも、硬直した状態でなんとかコクコクと頷いた。
「ご、ごめんね。でも、ほら、あなたが生きてるなんて思わなかったし、あの、あの男の子を助けなきゃって・・・・う、うん、ごめんなさい」
カルラは弁解を試みたが、一向に収まらないシーズクリフの冷ややかな怒気に当てられて尻すぼみになり、口を閉じて目も逸らした。
シーズクリフは腕の中で小さくなるカルラを見て、堪らずに作られた笑みを崩した。
カルラが無茶をしたことは物凄く怒っているが、そろさえも今のシーズクリフには嬉しい。怒れるのは生きてるからだ。
それにカルラは昔とちっとも変わらない。控えめな性格のわりに考えるより先に体が動く危なっかしいところも、相手に強く出られると口ごもってしまうところも、シーズクリフのよく知っているカルラだ。
が、シーズクリフはふと顔をしかめた。
きょとんと見上げるカルラに、シーズクリフがぽつりと呟く。
「カルラ、小さくなった・・・?」
「何言ってるの!あなたが大きくなったんじゃない!」
すっかり自分より高い位置になってしまった彼の顔を見ながら、カルラはクスクスと笑うが、シーズクリフは釈然としていない。
「違うよ。それはわかっているけど、カルラは小さくなったよ。腕だってほら、こんなに」
シーズクリフがカルラの手首を握って見せると、長い指がくるっと一周してなお余裕がある。
カルラは自分の手を掴むシーズクリフの腕と己の腕を見比べて、ああ、と納得した。ケイティとして生活してきた中で体が痩せて然るべきだ。この間だって思うように体が動かなかったではないか。
幼い頃から続けていた鍛錬どころか散歩さえままならず、筋力はすっかり落ちてしまったし、一人きりの孤独な食事は匙が進まなかった。引きこもりと体を覆い隠す服装のせいで肌は青白くなり骨張った体はまるで生きる屍だ。なんと自分にぴったりな姿だろうか。
カルラとは対照的にシーズクリフの肌は健康的な小麦色で、しっかりとした筋肉に覆われている。幼い頃の弱々しさはすっかり影を潜め、辺境伯領の男どもにも負けない立派な体躯だ。顔に走る大きな傷さえ、精悍さを増すばかりでちっとも瑕疵になっていない。
16歳になったシーズクリフは可憐な少年から逞しい青年に成長を遂げたが、自分はどうだ。逞しさだけが取り柄だった女が亡霊に成り下がってしまった。
「カルラ!違うからね。そんな顔しないで」
カルラがじわじわと眉根を寄せ、呆然と目を軽く見開き絶望の表情を浮かべる様子を見て、シーズクリフが慌てて声をかける。
「いいのよ。でも本当にシーズクリフが生きててくれて嬉しいわ。そして、わざわざ私に会いにきてくれてありがとう。でもあなたがお兄様の隠し子ってどう言うことなの?それにあなた、18歳じゃなくて16歳でしょう?」
「今更、僕がシーズクリフとして生き返るわけにもいかないからね。ハノン殿に相談したんだ。ハノン殿も跡取りがいなくて困っていると聞いていたし・・・それで、ハノン殿が遠征したカルシャットの戦いに合わせて18歳ということにしたんだよ」
「そうなの! シーズクリフがお兄さまの子として辺境伯家を継いでくれるなら安心ね。養子をとるより間違いないわ。お兄さまの実子とすればみんなは両手をあげて歓迎するでしょう!本来の血筋は辺境伯家の傍系から嫁をとればいいのだし。これで私の役割も終わりね!もう私も自由ね!」
シーズクリフの話を途中で遮って、カルラは大袈裟に喜んだ。大声を張り上げ、表情を不自然なほど戯けさせて手まで叩いてみせた。嬉しさを全身で表現しようと精一杯努力した。
またしても自分は取り残されたのだ!そして辺境伯家にすら居場所はないのだ!
そんな醜い心のうちを晒すような惨めなことはしたくなかった。だが自由になるという言葉とは裏腹に、心の中はうち捨てられたように寂しく無力だった。もうカルラには縋れる存在意義が残っていなかった。
2人から痛々しい表情で見られていることは気づいていたが、だからといって他にどうしようもなかった。他にどうしろというのだ!?この場で泣き叫んで癇癪を起こさない程度にはカルラだって弁えている。腐っても貴族子女としての教育は受けているし矜持もある。
「辺境伯家の血筋は君が継ぐんだよ!僕とカルラが結婚して血筋を継いでいくんだよ!」
シーズクリフにしては下手な慰めだとカルラは失笑した。
少数民族の娘としての身分しかなく、しかもハノンの愛人という地位にいる自分がどうやって次期辺境伯となる男と結婚するというのか。もしかして、表立った妻を別に用意して自分を匿って暮らすつもりだろうか?
「馬鹿なこと言わないで。どうせ隠れて暮らし続けなければいけないのだとしても、あなたの愛人になんてなりたくないわ」
「当たり前だよ!僕とカルラは正式に結婚するんだ。辺境伯家と公爵家の人間としてね」
違う。その話は2年前に潰えたのだ。私たちの立場はすっかり変わってしまったのだ。シーズクリフはどうしたというのだ? こんなわからずやになってしまったの?
カルラの反論は、しかし言わせてもらえなかった。
「君はもう、ケイティではないよ」
シーズクリフはカルラの両肩を掴みながら、真摯に訴えてくる。しかし相変わらず何を言っているのかわからない。すっかり諦めているカルラにシーズクリフは幼児に言い聞かせるようにゆっくりと語りかける。
「僕は辺境伯令息のソイル。そして君はこれから公爵令嬢になるんだ」
そして、これからの計画を語り出した。




