隠し子ソイル
「俺の隠し子の名前はソイル。18歳の男だ。又聞きにならないようにそれだけは伝えておく。後の詳しいことは帰ってから話す。本人を連れてくるから、悪いが待っていてくれ」
あの後やっと会えたハノンは一言そうカルラに告げると、そのソイルとやらを迎えに泊まりがけで外出してしまった。
だから隠し子とは何なのだ!いつどうやってそんな事になったの!?
そのまま数日、カルラは悶々と毎日を過ごした。
内容がデリケートなだけに、事情を話してあるかわからない母に下手に聞くわけにもいかず、他に知っていそうなのはクロードだが、その気持ちを考えれば余計に聞けるはずが無かった。
そんな中、まるでカルラの心の荒れ具合を模したような台風が辺境伯領を襲った。
例年よりかなり早い台風の到来に、領民たちは慌てふためいた。屋敷の使用人たちも慌ただしく窓ガラスや庭の保護に追われ、カルラも激しく打ち付ける雨音と窓を揺らす強風に緊張しながら眠れぬ夜を過ごした。
翌日、台風一過の晴天の中、明らかになった領地の被害は少なくなかった。建物の保護や河川の整備などの準備ができないままに台風の直撃に見舞われ、死者こそ出なかったものの家屋や農地は荒れ、川がところどころ氾濫してしまっている。
すぐさま、領民総出で復興作業に当たることになり、辺境伯家からも多くの人出が借り出された。ちょうど帰ってきたハノンも連れて来た隠し子と一緒にそのまま復興作業にあたるらしい。クロードやアーラもすぐさま屋敷を飛び出していった。
最低限の人数しか残っていない静かな辺境伯家の屋敷で、カルラは我が身の無力さが歯がゆくやりきれない思いだった。本来であれば、率先して手伝いに当たるべき辺境伯家の娘でありながら、今の状態ではそれもままならない。怪我人の手当てに農地の片付けに家屋の修復・・・今頃は子どもでさえ手伝いに奮闘しているだろうし、どこからか湧いてきた兄の隠し子とやらでさえ働いているのに、自分は何一つすることができないなんて。
カルラは部屋でじっとしていることができずに、こっそりと部屋を抜け出した。
誰かに見つかったらどうしようかと内心ドキドキしたが、屋敷にほとんど人がいないため、あっさりと誰にも見つからずに目当ての場所に行くことができた。
もしカルラの行動が使用人の目にでも止まることがあれば、他人と喋ることができないというケイティの設定上、言い訳もできずに要らぬ不信感を招くと危惧していたのでカルラはホッとした。
そして、辿り着いた見張り台から領地を眺める。
こうして俯瞰して見ると被害の程がよくわかる。緑に覆われていたはずの場所が泥にまみれ、あったはずの物が飛ばされてなくなってしまっている。そして、多くの人々が懸命に働く姿がよく見える。台風の後のやけに爽やかな風に吹かれながら、カルラは唇を強く噛んだ。
こんな時さえ何もできない私に何の意味があるのだろうか。
と、雨で水量が増し轟々と流れる川の中に何かが見えた。
ちょうど、辺境伯家の敷地と森を隔てている川だ。カルラも小さな頃よく遊んだ小川で、普段は砂利と岩場の間を流れる「せせらぎ」といった感じの穏やかな川だが、今は砂利が見えないほど水量が増し凄まじい勢いでまさに「濁流」だ。
泥と流木で茶一色の川の中、見えたのは何か白い物だ。家屋の一部が流されたにしても、辺境伯領にはあんな白い建物はないはずだ。山羊でも流されたのだろうか。
カルラが眉根を寄せながら目を凝らすと、やがて形が見えてきた。白い塊に何か棒のようなものがついて・・・。
ーあれは、人間だ!
見れば見るほど間違いなかった。しかも大きさからして子どもではないだろうか。カルラは弾かれたように見張り台を飛び出した。ビーが後ろからついて来る。
見間違いであって欲しいと願ったが、川岸で見つけたのは想像通りの物だった。
幸いにも岩に引っかかっている流木に乗り上げたお陰で助かったようだが、またいつ流されるかわかった物ではない。
「川にいるあなたー!大丈夫ー!?」
カルラはあらん限りの大声で叫んだ。今はケイティの設定を気にしている場合ではない。しかし、川の音が大きくてその声はかき消されてしまう。しかも、どうやら子どもは意識がなさそうだ。
すぐに助けを呼ばなければと思ったが、今、辺境伯家の人手は出払っている。ここに残されているのは、力仕事に向かない僅かなメイドしかいない。それどころか、必要な資材や物資も全て持っていってしまっているはずだ。カルラが悩んでいる間にも、子どもが乗り上げている流木は激しい川の流れに押されて小刻みに揺れている。今にも引っ掛かりがとれて流れ出しそうだ。
後から考えれば、それはカルラの傲慢であり自分の欲求を満たすための行動だったかもしれない。でも、その時には自分がやるしかないと確信していた。
カルラはまず、自分の全身を覆い隠していた衣服を脱ぎ去り、ナイフで手早く割いた。
こうしている間にも子どもが流されてしまうのではないかと気が気ではなかったが、焦っても余計に時間がかかるだけだ。手元を狂わせてナイフで自分が負傷するようなことになれば目も当てられない。
カルラは意識的に深く呼吸をしながら、規則的に布を割いていく。細くなりすぎないように注意しながら割いたそれを、今度は結び合わせて一本の紐状にした。
合わせるとかなりの長さになったそれを、今度は自分の腰にもやい結びで巻きつける。反対側をしっかりとした杭へと結び付ければ命綱の完成だ。
西の少数民族の衣装が布地が多くて助かった。
川のこのあたりは大きな岩が多く、水嵩が増えてもまだ岩の頭が出ており、多くの流木が引っかかっている。
カルラは靴も脱いで裸足になると慎重に土手を滑り降り、覚悟を決めて岩の頭へと飛び乗った。命綱を短く持って引っ張る力で体を支えながら、そのまま岩や流木の上を渡る。滑り落ちないように必死に両手両足を使って進んで行く。
流木はまだ良かった。ナイフで刺せば支えになる。乗った時の重さで浮き沈みするのには注意が必要だが、何本もまとまって岩に引っかかっているので意外に安定している。肌に木屑が刺さるのは痛いが大したことではない。ただ岩はナイフが刺さらないし、長年川の流れに晒されたためになだらかで捉え所のない形となっており、表面もなめらかで滑りやすい。何度もヒヤッとしながらも、全身でしがみつくようにしながら何とか子どものところへと辿り着けた。
子どもに1番近い大きな岩の上から腕を伸ばしてその体を掴むと、そのまま引きずって岩の上に引き揚げる。子どもが息をしていることをたしかめ、カルラは詰めていた息を一気に吐いた。
子どもの引っかかっていた場所が、2人乗っても余裕がある岩の近くで助かった。
ずっと引きこもっていたので思った以上に体力が落ちているらしい。カルラは思うように動かない自分の体をもどかしく思いながら、荒い息を整えた。陽の光が暖かいとは言え、この水場で肌着姿はかなり寒い。腕に鳥肌が立ち、水に触れた手がかじかむ。足元の岩からもじんじんと冷たさが伝わってくる。寒さと緊張で頭がガンガンする。
「あなた、大丈夫?起きて!お願い!」
カルラが頬を叩きながら呼びかけると、子どもは目を覚ました。遠目からはわからなかったが男の子だ。12歳ぐらいだろうか?
「うっ、俺、川に落ちて・・・ここは?」
「あなたは流木に引っかかっていたのよ。ここはまだ川の中よ。残念ながら私にはあなたを抱えて戻る力はないの。だから頑張って自分で戻れるかしら?」
男の子はしばらくぼんやりしていたが、周りの様子を見るうちに状況がわかったらしい。青ざめた表情ながらもカルラの言葉に頷いた。
「手をグーパーしてみて。感覚は大丈夫?手に力は入る?じゃあこの紐を掴んで。そう私が命綱にしているこの紐よ。私が紐をピンと張っておくから、この紐を掴みながら川岸に渡るのよ。いい、絶対にこの紐を離しちゃダメよ」
辺境伯領の子どもは自立心が強くしぶとい。この男の子も泣き出してもおかしくないような状況にも関わらず、すぐに意を決して川岸を目指し始めた。足取りもしっかりしている。
ジリジリとしながら、カルラは男の子が進むのを見守った。支えになるように体重をかけて紐をきつく引っ張る。男の子は時に足を滑らせながらも紐を力強く握りながら流木や岩を渡って行き、ついに地面を踏んだ。
気が抜けたのだろう、男の子が地面にぐしゃりと倒れ込む姿を見て、カルラも強張っていた体から力を抜いた。やれやれ一安心だ。
ふーっ、と細く息を吐きながら青い空を見上げた時、川上から唸るような音が聞こえてきた。
ゴォォォと音が迫って来る。
まずい、と目を向けた時には遅かった。膨大な水量が流れ込み、カルラは周りの流木と一緒に飲み込まれた。圧倒的な水量にカルラの体は風に舞う木の葉のように振り回された。腰に巻きつけた紐が食い込んで痛い。が、これが切れたら終わりだ。
カルラは、必死に命綱にしがみつく。上下左右に体が揺さぶられ、今にもバラバラになりそうだ。
私はここで死ぬのだろうか。苦しい。息が出来ない。こんなに苦しいと知っていたなら、あの時も海に身投げしようなんて思わなかったのに。
こんな時なのに、今さら自殺しようとした時のことを思い出すなんて。ああ、でもあの時に死んでいれば天国でシーズクリフに会えたかしら。今からでも死ねば会えるかしら。
カルラは意識ごと濁流に沈んだ。
「カルラっ、カルラ!やっと会えたのに、どうしてっ!!」
低い声。知らない声だ。けれどもシーズクリフだと思った。この喋り方、上品なアクセント、聞き間違えるはずがない。きっとここは天国だ。
うっすらと瞼を開けると、シーズクリフっぽい人がいた。ぼやけてよく見えないが、記憶のシーズクリフより随分と大きい気がする。妖精のような顔に似つかわしくない大きな傷跡まである。
「天国では大人なの・・・?綺麗な顔が嫌だからってこんな傷までつけちゃったの?」
カルラは重い腕をなんとか持ち上げながら、シーズクリフの顔面に走る傷跡に指を這わした。
その傷跡の側にある目が大きく見開かれ、泣きそうに歪む。
どうしたの?せっかく天国で会えたんだから、もう泣かないで。
カルラはそう続けたいのに、もう声が出ない。体中が酷く重くて意識は靄がかかったようにぼんやりしている。
傷跡を触っているカルラの手を、シーズクリフが両手で握りしめる。すごく熱い。でも、体温がこちらに移ってくるのがとても心地良い。
「ずっと、一緒・・・・ね」
カルラの口からわずかに漏れた言葉に誰かが返事をした気がしたが、カルラは聞き取れないまま意識を無くした。
カルラが目を覚ますと、そこはコルトの小屋だった。
しばらくは眠る間に時々目が覚める状態で、現実感がなく夢うつつな状態で過ごした。たまに意識が浮上するとコルトから与えられる食事をなんとなくとり、また寝る。
どうやら自分は死ななかったらしいと気付いたのは3日ほどたった頃だった。
ベットの脇にいるコルトを見ると、彼は安心したように微笑んだ。やっと目の焦点が合った気がする。
「伯父様・・・私、どうして・・・」
「やれやれ。川で溺れたのは覚えているか?救出したお前を、ケイティとして扱いながら辺境伯家で看病するのは無理があったのでな。ハノンがここに連れて来たんだよ」
「あの男の子は・・・」
「男の子は無事だよ。ケガもなく家に無事に帰ったよ。ハノンがそのうちこちらに来るだろうから、お前はそれまでに体を回復させるんだ。いいね」
「うん」
「そうそう、ハノンの隠し子の、ソイルだったか?を連れて来たようだぞ」
コルトの一言で、カルラのまだ寝ぼけていた頭が一瞬で覚醒した。どころか沸騰した。
そうだ!そうだった!寝込んでいる場合ではなかった!




