報い
4
動かなくなったシアンを見下ろし、サイトもまた、動けずにいた。その表情には何の感情も窺えず、心身共に停止してしまったかのようだった。
片方の手からは己の血が、逆側に握る剣からはシアンの血が、ぽたり、ぽたりと滴り落ちていた。足元に紅い円ができており、その鮮やかさが失われ、表面が固まり始めた頃、ゆっくりと、サイトは顔を上げた。
依然として覇気の窺えない空ろな視線が、近付いてくる者に向けられる。一定の歩調で歩み寄ってくるのは、ヴ・兵だった。今度は一人きりだった。
その手には、途中で拾ったサイトの剣がある。
「……殺すのか?」 淡々と、サイトは言った。
「いや」 と、ヴ・兵も無表情で答える。
「あんた達の話には乗らないぞ」
「そう」
「しかし、俺は知ってしまった」
「構わない」
この答えには意表を突かれ、サイトは眉を顰めた。「構わない?」
この女は、同情して沈痛な顔をしている訳ではない。それどころか首を動かす事すら億劫であり、実にどうでもいい、と言った面持ちに見えた。
「大事なことは一つだけ。お前は、ショウの敵か? 命を狙うか?」
最後に一瞬、ヴ・兵の瞳に獰猛な野生動物のような鋭さが宿った。
「いや……」 サイトは力なく首を振った。気圧された訳ではなく、ただ無気力から否定した。「敵ではない。そんな大層なものにはなれない」
「ならば良い。お前がどこでどうあろうと、私は、全く構わない」
「……どうでもいいか。身に余る評価だな」
サイトは薄く笑って言う。
ヴ・兵は、持っていたサイトの剣を無造作に放って来た。
「先ほど―――」 と、ふと思いついたように、ヴ・兵は口を開く。「先ほど、お前は必死だった。余す事無く、己の命を注ぎ込んでいた。乱雑で未熟だが、その気迫は一端のもので、その姿は、美しいと思った」
サイトは思わず、ヴ・兵の顔を見つめた。
「私にはよく分からないが、お前は、自分だけが生き残るために足掻いていたのか? この男が憎いから、壊してしまいたかったのか?」
違う、とは言えなかった。その気持ちは、サイトの中に確かにあった。
「それもあるかもしれないが、それだけではないのではないか。そうならば、何がお前をそうさせた? 親友に手をかけてまでして、何がそう抗わせた? お前を退かせなかったのは、そこに何かあったからではないか? 何か護りたいものが侵害されそうだと思ったから、一心不乱に抗ったのではないか」
「俺は……」
「それが、オウ・青ではないか?」
「オウ・青、を? 俺が?」
「違うのか? ならば、お前は奴の事をどう思っている? 支えたいと思ったか? 信じられないと思ったか?」
シアンの最後の言葉が脳裏に響く。彼は、言っていた。
<俺は信じられない。どうして奴らを信じられる――?>
「……彼の未来には、闇が広がっている。そんな気がする。そして、俺はそれを広げる手伝いをしているのではないか。そんな迷いもある」
「で?」
「シアンもそうだ。彼は、オウに関わらなければ、こんなことにはならなかった。河津もそうだ。彼の存在一つで、皆の運命が狂っていく。放って置けば生まれなかった悲劇が、彼の行く先々に乱立してくる」
「で?」
「彼は、きっと止まらない。かつてないほど、広大な範囲で、取り除けない闇を広げてしまうだろう。そうなった後で、振り返って、俺は驚愕するだろう。その闇を広げたのは、他ならぬ自分だと思い出して、後悔するかも知れない。その時を想像すると……」
恐ろしい、とサイトはその言葉を吐き出した。
「そうか」と、ヴ・兵は値踏みをするようにサイトを見る。「少しはやる気になってくれているようだな」
ヴ・兵は屈みこみ、シアンの遺体に手を伸ばした。
「何をしている?」 亡き友の懐を改め始めたヴ・兵に対して、怒気を露にサイトは言った。
「探している」 と簡潔にヴは答える。「―――毒刀を」
そして、サイトが反応するよりも早く、実際にそれをシアンの懐から見つけ出した。蹴りを放った時の違和感はこれか、とサイトは思い出した。
膝を突いたまま、ヴ・兵は取り出した短刀の鞘を払った。携帯できるほどだから薄く、強度こそ無いが、鋭い刃は皮膚を切り裂く用は足せる。そしてその刀身は怪しくぬめって見える。剣を合わせ、致命傷を与える為のものではなく、付加した毒により体を蝕むことを目的としているのは明らかだった。
サイトは、二重の意味で驚いた。清廉な彼らしくなく、卑劣な凶器を帯びていた事に。まだ彼が武器を持っており、けれども先ほどそれを使わなかった事に。
「シアンが、まさか……。いや、違う。そんなものを持っているはずがない。持っていれば、あの時……」
「そう。それが、不思議だった。だから、確かめたかった」
立ち上がりながらヴ・兵は言う。
「これは大分前にあいつに持たせてあったものだ。大事の際には、携帯するように言い含めてある。ちゃんと持ってきていた。それなのに、あいつは命の危機にあっても、迷う素振すらなかった」
「その毒とは何だ? どんな症状がでる?」
「試してみるか?」 毒刀を突き出しながら、ヴ・兵は言う。顔は勿論、笑ってもいない。サイトは、笑えなかった。
「もう良いぞ」
ヴ・兵の声に応じて、新たに男が近付いてきた。彼女の部下であるらしく、一度ヴ・兵の顔を窺った。反応は無かったが、それが普通の返答であるらしく、男は無言でシアンの遺体を持ち上げようとする。
「待て、何をする気だ?」
男はサイトを無視し、シアンの体を抱え上げ、ヴの横に立った。
「答えろ、ヴ・兵!」
親友に手をかけたのは、他でもない、自分だ。だけど、どうあろうと、彼を好き勝手にはさせない。これ以上良い様にさせてたまるか。サイトの体に、再び緊張が張り巡らされる。
知らない、とヴ・兵は答えた。「考えるのはゲンカク。私は、言われたことをするだけ」
「ゲンカク? カク・源が、シアンをどうしようと?」
同じ事を言わせるなと言わんばかりに、ヴ・兵はサイトの問いを無視した。
問いかけつつも、サイトにも察しはついていた。万が一にでも、ショウ・源らが関わっていたという事を隠さなければならない。瑗との国境であるこの場ではなく、どこか全く関係のない所で死を遂げたことにするのだろう。おそらくは、サイトが拉致された場所近くで、同じ惨状が再現される。勿論、今度は偽装ではない。
「頼みがある」 と、サイトは言った。「シアンを放置するなら、そこにこれも置いてくれ」
サイトは、愛用していた剣をヴ・兵に向かって差し出した。
怪訝そうな顔をして、「真っ先に哀しんでいると言いたい訳か」 ヴ・兵は言う。「自分で殺しておいて、そ知らぬ顔をして、哀しむ振りをするのか」
言葉こそ辛辣なものだったが、ヴ・兵の表情からして、特に非難する感情は伺えない。
昂国では生前に何も副葬品などを選んでおかない。けれども、慕われていた者が亡くなった時、故人に由来がある物を共に埋める事がある。大切な者が亡くした者が、自身の愛用のものを死者に捧げる。大事にしていた物を手放しても全く惜しくない。それよりも掛け替えのない人を失った事の方が哀しい。昂国に古くから伝わる、哀悼の意を示す儀式である。
「いや、そうじゃない」 サイトは力なく首を振る。
「不審死には犯人が必要だ。カク・源ならば、上手くやれるかもしれないが、それでも、こっちの方が分かりやすくて、面倒が少なくて良いだろう」
不審な死を遂げた者の側に、血染めの凶器が残される。それが、旧知の人間、失踪したはずの親友のものであったならば。まず疑われるのは自分だ。それでも、やらずにはいられない。
「それが、当然の報いだ」
罰を与えねばと思う者がいるならば、逃げてはいけない。自分の罪だ。サイトは、そう覚悟を決めていた。
「代わりに、それをくれ」
サイトは、ヴ・兵が回収した毒刀を指差して言う。愛用の剣を証拠として差し出す代わりに、シアンが持っていた毒刀を要求する。それは下手をすれば、瑗の関与の証明に繋がるかもしれない。少しは渋るだろうかと思ったが。
「分かった」 と、ヴ・兵はあっさり頷いた。
サイトは、苦笑いした。何故わざわざ自分の首を絞めるようなことをするのか、そう普通は問い返しそうなものだが、そうしない女である事が、サイトには有り難かった。
ヴ・兵とその部下は、すんなりと主が待つ橋の向こう側へと去っていった。
*
綜その都、ダウス。
街は同心円状に広がる五重の円からなっている。まだ建設されて歴史が浅いダウスは、この区分けがはっきりしている。外壁を越え、外から入ってきた者は、大通りを中心に向かって進んでいくにつれ、それぞれの層との間には貧窮の格差を見て取れる。外側では、狭い区画に犇めき合うようにして建物が立つ。内に進むほど、その密集状態は改善されていく。三層目に至る頃には、きちんと線引きされた街路が交叉するようになる。その土地割りは余裕を持っており、住居、庭や納屋、穀倉を持つ区画もある。
昂の地では、各国とも人口の多い主要な街はこうした造りをしている。もちろん差異はある。明確に区画を区切る所もあれば、住み良い栄えている場所がどんどん膨れていき、正確な円とは言えない所も多々ある。外敵が来る方向を避けるなどの理由から、身分の高い者達がいる場所が内側ではなく、一方に固まっている所もある。ただ、最初は芯から外へと街を広げていくことと、一番奥に中央広場を設け、真嶺を建てるという理念は共通している。そして、その国の要である街は、真嶺の代わりに国主が住まう真宮が鎮座する。
玄関口となる方角をどこに据えるかは街の立地次第で、そこから真嶺が建つ中心までは幾筋かの大通りが設けられる。大概は街の端から真嶺が見通せるという単純な一直線ではなく、何回か折れ曲がる。なだらかな弧を描く道もあれば、下層の建物が障害となるように直角に方向転換を強いる道もある。そこを伝っていけば簡単に中央広場にたどり着けるため、大通りは一番人の流れが多い。各層毎に特色のある露店や店舗が立ち並び、活気に溢れている。
夜が更ければ人通りは減るが、それでも零にはならない。道端に屯している者は絶える事は無い。そろそろ夜も更けて、真っ当な者ならすでに眠りに付いたか、屋内に引き下がった時分になっていた。
込み入った小路を巧みに抜けて、中央を目指す一つの影があった。明快で便利な大通りを避けるその男は、異国の格好をしており、しかも頭巾で顔が隠れている。人の目を嫌うようにして、その層の住人ですら忘れた道を使いこなしている。闇夜に存在を消し込むようにして、ひっそりと男は、真宮へと向かっていた。
その国の要である真が住まうだけはあって、宮を囲う石壁は頑丈だ。警護の人数も多く、目の届かない所はないように思える。
今、巷では、真穿という部隊の長であった男が、真の命を狙ってくる、と言われている。友人であったはずのシアントル・牧が殺された時、愛用の剣が遺体の側に添えられており、それ以来行方を眩ましている。
その裏切り者が、次に真を狙うではという噂がある。発生源の定かではない噂話であるが、次にどこを狙われるか分からないので、警戒態勢が続いている。
闇から闇へ。男は、人の隙を突いての隠密行動に慣れているようであった。時には護士の背後に忍び寄り、存在の察知と引き換えに、素手で急所を適確に攻撃して沈黙させる。そうして順調に慎重に、障害を一つずつ排除して行く。まるで知っていたかのように、真が休む寝所まで正確に見抜き、侵入を果たした。
部屋の前で、息を殺して中の様子を窺う。静かなものだが、かすかに寝入っている人の気配がある。そこで初めて、男は武器に手を触れ、音を立てずに抜き放つ。
音を押し殺して戸を開けて、身を滑り込ませる。明り取りの小さな天窓からの月光が、部屋の中を照らしている。さほどの照度はないが、男は寝床に確かに目的の人物がいることを確認した。目を瞑っており、規則正しい胸の上下運動から、熟睡しているものと思われた。
男は、ほんの一時、鈍く光る刀身を物憂げな眼で見つめたが、すぐに迷いを振り払うようにその柄を強く握り締めた。
そして、決意を込めた一歩を踏み出そうとした時。
「―――初めて会った時も」
声がした。男は、すぐに誰が発した声か理解した。
「お前はこうして、闇から現れた」
眠っていると思われたが、どうやら振りをしていただけのようだ。焦る様子を見せず、横になっていた青年が身を起こした。侵入者を確認する仕草を一切せずに、前を見たまま青年は呟く。
「今度もやはり、私の平穏を奪いに来たのか」
「……」 影は影だと、口を開くことは無いのだというように、足掻くように、男は無言で通そうとした。
そこでようやく青年は侵入者へと顔を向け、直視して言う。
「またしても、手前勝手な思惑、か。成長しないな、サイト・成?」
影は身動ぎせずに、綜真・オウ・青を黙って見下ろしていた。




