決別
3
去り際に、ヴ・兵は剣を取り出し、その刃を抜いた。サイトの反応は鈍く、彼女の動きをぼんやりと眺めているだけだ。ヴ・兵は、しなやかな手首の動きをもって剣を回転させ、足元に突き立てた。それは、サイトの剣だった。
ヴ・兵はサイトを一瞥した。その感情を伴わない瞳が、剣はここだ、返したぞ、と言っている気がした。柄を放り投げたヴ・兵は、サイトに背を向け、先を行く主の後を追った。
入れ違うようにして、霧の向こうから、何者かがやって来る。霞んでいて容姿は分からない。一般人が立ち入らないように配慮はなされていると思われるので、只者ではない。統士であるらしく、剣を帯びている。
「決心は付いたな?」 と向こうから声をかけてきた。「といってもどうせ、お前は聞かないだろうと思っているが」
一瞬でこの状況に対する理解が生まれた。それは受け入れ難いものだった。
「お前、何故なんだ…………」 とサイトは言う。分かってしまってはいたが、問わずにはいられない。
「もう説明は要らないだろう? 俺がこの場にいること。それが答えだ」
「否定してくれ! シアントル・牧!」 親しき友に向かって、サイトは叫んだ。
そう、自分は拉致されてこんな所にいる。彼はどうだ? サイトと同じように彼も連れてこられたのか? ヴ・兵に襲われたというのか。気絶させられ、サイトを欺く道具となっていたのか。
―――違う。確かにショウ・源が言っていたように、彼は生きている。けれども、サイトと異なり、彼は普段通りの格好で、帯剣を許されている。つまり、シアンは自分の意思でここにいる。彼の意志で、サイトとは正反対の道から、やってきたのだ。
サイトが動けずにいると、シアンが突然、前方に向かって駆け出してきた。その電光石火の動きに対して、サイトは半ば反射的に行動した。シアンは駆けながら抜刀して、間をおかずにサイトに斬りつけようとする。
一瞬で間を詰め、サイトな直立する剣へと手を伸ばす。さほど抵抗を受けずに剣は引き抜け、サイトはその勢いを止めず、シアンへと剣を向けた。振り下ろしてきたシアンの剣と、激しい金属音を立てて激突した。
「くっ!」
攻撃に込めた力がそのまま剣を伝って返ってくる。間違いなく、殺意の篭った重さだった。
「シアン、遊びにしては度が過ぎるぞ!」
内心の激情を振り払うように、サイトは剣を下へと振った。するとシアンは、その隙だらけの上半身に向かって剣を振り下ろしてくる。サイトは柄に両手を当て、力一杯剣を振り上げる。再び鈍い音とともに、刀身が激突する。そのまま力づくで剣を振りきり、シアンを弾き飛ばした。
追い討ちはかけず、体勢を整えてサイトはシアンを見据える。
「本気なのか。俺を、殺そうというのか。なぜだ」
「知れたことを。事実を知りながら、賛同を示さない者を生かしておけるか」
「シアン、お前も、オウ・青が瑗の血を引くという話を聞いたんだな? 信じたのか」
「そう言うと思ったよ。あの話は真実だ」
「嘘だ」 と、サイトは前へ踏み出す。感情が体を動かすが、剣を振り切る事には躊躇があった。
「本当だ」 と、シアンも応じて、剣を突き出す。両者の距離が縮まり、鉄と鉄をかち合わせ、圧し合う。
怒気を含ませて、制御が甘くなりがちなサイトに対して、シアンはあくまで静かに平静だ。いつも通りではいられないサイトの方が、やや押し負けていた。
「オウ・青がこちらの意図通りに動かず、自意識を持って行動し始めたのなら危険極まりない。排除が必要だが、こちらが手を出せば、綜は黙っていない。両国は戦闘になる。疲弊すれば、他の国が得をする」
「だから俺を……?」 と、サイトは言った。
「クスルのときとは違う。警戒されているからな。真に近づける者が必要だ。お前のような、信頼されている者が」
「そんなこと、できるか!」
「そうだろうな……。それに、お前はいずれ気付いてしまう。邪魔者は殺すしかない。だから、そうなる前に、何とかこちら側へと説得できないかと、瑗に頼み続けた。今回がその最後の機会だった。だが、考えてみれば、無理な話だった。お前には、できない」
「当たり前だ。シアン、どうしてオウを信じない? 彼の血筋が何であれ、彼自身の意志で生きるかもしれないじゃないか」
集中できないサイトの一瞬の隙を付き、シアンは剣を滑らせ、鍔迫り合い状態を解いた。そして短い返しでサイトの手首を狙った一撃を繰り出す。受けきれないと判断したサイトは、回避行動とは別に、片手を離して、その拳をシアンに向けて突き出した。
鋭い刃がサイトの皮膚を切り裂く。痛みから反射的に力が抜け、剣を取り落としてしまう。だが、同時に打ち込んだ打撃はシアンの顔面に命中し、向こうの体勢も崩れた。その瞬間を逃がさず、サイトは相手の肺を狙った蹴りを繰り出し、そのままシアンを欄干まで弾き飛ばした。
*
一度大きく咳き込み、ゆっくりとシアンは立ち上がる。思ったよりも平気そうに見える。足の裏にかすかに硬い感触があった。何かを防具として懐に仕込んでいるのだろうか。
両者の損失具合を見比べるようにサイトを睨む。その余裕の態度から、日頃の二人の力関係が思い起こされた。力比べの勝敗は基本的に均衡しており、剣の技量は同じ程度。けれども、集中できないサイトに対して、シアンは迷いが無い。
さらに、切られた傷は深手では無いものの、片手を潰されたに等しい痛手を負った。この勝負の行方が、どちらかに傾き始めたのは明らかだった。
「答えろ! 何故自らの真を否定する!」 サイトは叫ぶ。
同時に、剣を拾うため、足元へと手を伸ばそうとした。当然、その隙を見逃さず、シアンが大きく踏み込んできて、勢いを乗せたまま剣を振り下ろしてくる。
そこから、サイトは本能で行動した。唯一の武器である剣を、足で思いっきり蹴飛ばしたのだ。
剣先は相手を向いていた。鍔の部分につま先を引っ掛け、そのまま蹴り上げた。幸運なことに、剣は一直線にシアン目がけて飛んでいった。さすがに驚いたようだったが、シアンは反射的に飛んでくる剣を払った。
彼にしては珍しい隙が生まれた時にはもう、サイトは両者の間を詰め終わっていた。シアンは剣を返して、斬りつけようとするが、サイトの方が早かった。シアンの左肩の付け根に、サイトの拳が深々と突き刺さる。狙い通りに骨が砕かれ、シアンの剣を持った腕が下がる。
サイトはさらに、脱力しかけたシアンの左腕を取り、関節を逆に捩じり上げようとする。シアンは剣を取り落とすが、サイトも片手を負傷している為に力が足りず、折るまでは至らなかった。その間にシアンの反撃が繰り出され、サイトは膝蹴りをわき腹に受けてしまう。どちらともなく、一旦距離を取った。
「……ダロル・シン。その誕生には、多くの犠牲が必要になる。いつか言ったよな」
シアンは言う。傷を気遣う様子を見せず、平然として見せているが、利き手は力を失い、垂れ下がったままだった。サイトの方も、斬られた腕から血が滴り落ちて止まらない。
「お前も、見ただろう。奴らの本性を。奴らを生かしておけば、どういうことになるか」
「奴ら?」
「クスル・青、そして、オウ・青だ」
サイトは一旦躊躇い、それから反論する。
「しかし、彼らは綜真だ。統道に則り、覇業に挑むことは悪ではない」
「悪ではない、だと?」
シアンは、そこで壮絶な笑みを浮かべた。
「炎を肯定し、街を火にかけ、多くの命を奪った輩のどこが、悪ではないと?」
「何を言っている?」
「気づいているはずだ。アヌンに行って、確かめてきたはずだ。誰が、ガーレを燃やしたのか」
クスル・青。シンにまで登りつめたこの男の出身地は、ガーレ。そして、十年前、権力への階段を駆け上がろうと四苦八苦していたクスルが、後ろ盾を得るために庇護下においたもの。それはバトウ。サイトが心底憎む存在だ。
あぁ、とサイトは息を漏らした。
クスル・青は、バトウを野放しにしたばかりか、エンイらを貶め、叩く事で一気に人望を得ようとした。そのためにガーレに火を放った。
「だからクスル・青を殺したのか」
エンイが言っていた、バトウを憎む、歳若い護士。それは、シアンのことだ。
「そのために、エンイを見つけ、傷を負わせて、逃がしたな?」
「ああ」
「奴の雇った暗殺者は?」
「斬った。だが奴は、とんだ役立たずだった。真殺害の罪の重さを恐れ、金目の物だけを奪い、逃げようとしていた」
「だから綜真暗殺の罪を擦り付けた」
「そうだ。手持ちの武器を奪い、それでクスルと合い討ちになったように見せかけてな」
「……けれども、それは失敗だった」
「失敗だったな。あの装飾が、あんなに柔だとはな」
暗殺用にとエンイが持たせたものは、実用的ではなかった。エンイは、炎を象徴する剣を残す事で天罰だと思わせようとしたが、素人には耐用限界が分からなかった。玄人が選んだ武器だからと、シアンは疑いなくそれを用いてしまった。
炎の剣は、下手な者が振るうと、衝撃に耐えられず、装飾部分が壊れるクスルが反撃に用いたのならば、壊れていてしかるべきである。それなのに、まるで達人が振るったかのように、上手く刃先のわずかな部分だけ使って、暗殺者は斬られていた。武術はからきしであったクスルにはできない芸当だった。その所為で、この暗殺者は本命ではなく、別の何者かがいるのではという疑いが生まれた。
「それから、綜真を……」
「違う」 とシアンは言う。「あんな奴、綜真じゃない。出世のために、生まれ育った街を焼き捨てる人間が、そんな者であるはずがない!」
シアンは、肩で息をしていた。その荒い息が整うまで待って、サイトは言った。
「クスルは、烙道にあった。だが、オウは、まだ……」
ふ、とシアンは壮絶な笑みを漏らした。
「あいつも、その血筋だってことだ」
「血筋……?」
「白状すると、テイスグ様を暗殺したのは、俺だ。葛藤しておられたが、結局、踏み外してはならない道を選んだ」
「イマラに、火をかけた……」
「ああ。あの方を手にかけるつもりはなかったが、やってはならない事をした。その罰は受けねばならない」
「縛陣からは、瑗の助けで抜け出たのか」
「そうだ。いや、そんなことはどうでも良い。それよりも、誰だと思う? こんな非道を、テイスグ様に命じたのは?」
「オスト・青ではなく、オウだと、いうのか」
「彼がどんな人間か、お前も分かってきているはずだ。オウは真になった後、欲を抱いて周囲の土地を欲しがった。河津に攻め入っただけで、もうこれだけの犠牲がでた。これが瑗へと広がれば、どうなる? すんなりと決着はつかないだろう。何年も何年も、殺し合いが続くだろう。今の所は均衡が取れていたのに、終わりの無い憎しみ合いになった」
「それは……」
オウ・青の事を思う。思い浮かんだ顔は、凛々しい青年の顔ではなく、空ろな仮面だった。
「完璧な層の完成には、多くの虐げられる者が発生する。しかも完全な円になるとは限らない。螺旋となって、周囲を破壊し続けるかもしれない。クスルも、オストも、テイスグも、俺の周りにいた者だけでも、殺し合いに躊躇が無さ過ぎた」
サイトは無言で視線を落した。その先には、シアンが落とした剣がある。サイトの武器は蹴飛ばしてしまっており、近くに無い。口を動かしながらも、互いに残された剣を奪う機会を狙っている。
「ムガの話を覚えているか?」 と唐突にシアンは言った。
何だったかと戸惑い、すぐに化け物退治の遊びだとサイトは思いついた。「憶えている。墓参りに行った時に話した」
「あの時、俺は言ったような。ムガ役の奴に、あまりにも多くの選択権が与えられているって。皆裏切られて、最後にあいつに全てを持っていかれる危険は見逃せないって」
「それが何だ? 遊びだろう? 負けても恨みっこなしだ」
「遊びならな。だが、ムガを真と重ねて見る事が出来るよな。つまりそれは、真の存在の脅威と言い換えることができる」
「それは……」
「同じだ。お前に言い切れるのか? そんな事は無いって。あの真が破壊者にならないと保証できるのか」
そして、とシアンは冷たく言い放つ。「お前も、破壊に加担するかもしれない」
「俺が?」
「そうだ。何せお前は、ダロル・シンに深く関わるものだと、保証する者までいるからな」
「ただのお告げじゃないか。ただの妄想じゃないか。もしかしたら、あいつは完全な円を形成してくれるかもしれないじゃないか。完全な平和をもたらしてくれるかもしれないじゃないか。それを、途中で……」
「そうだ! 途中だ!」 と、シアンは突然大声を上げた。「何か事を変えるには、終わってからじゃ遅いんだ! 宿命を変えたいと思うのならば、今、ここから―――」
シアンが動いた。素早く屈んで、無事な方の手を剣へと伸ばそうとする。武器を取らせてたまるかと、サイトも突っ込む。
「正す!」 と、シアンが咆哮した。
右手で剣を取ろうと、シアンは前屈みになっていた。サイトはその無防備な頭部を蹴り上げようとした。
剣へと伸ばされるかと思われたシアンの右手は、拳を握っており、前と突き出された。剣を拾うと見せかけ、素手での攻撃に転じたのだ。その狙いは、サイトの繰り出した右足の甲だった。足と手では当然力が異なり、シアンの拳は弾き飛ばされる。バキン、と乾いた音がして骨が砕けた。だが、完全に振り切る前の段階で、足の甲を外側へと向かって打ち抜かれ、サイトも大きく体勢を崩した。それでも、ただ倒れることだけはせず、サイトは負傷して何も持っていない手を左右に振った。
シアンは、まだ諦めていなかった。顔から突っ込んで、辛うじて無事だった指だけで落ちていた剣を掴んだ。そのまま前転して、回転で得た勢いを利用して、サイトに刃を突き立てようとする。
サイトの執念も負けていなかった。痛む手を無理に振ったのは、周囲に血液を飛び散らせる狙いがあった。丁度剣を構えたシアンの両目にも、その飛沫は降りかかった。視界を塞がれ、回転してのシアンの攻撃は、空振りに終わった。一拍置いて、サイトはシアンの手を蹴り上げた。
「これでいいのか……」 と、上を見上げながら、サイトは呟いた。
シアンの手から上空に跳ね上げられた剣は、くるくると回転しながら落ちてくる。その動きを、目を塞がれたシアンは知る事ができない。
「……お前が、正しい」 と、シアンも小さく呟く。もはや足掻く事を止め、棒立ちになっている。「お前が勝ち残れば、お前がやってきたことは、最終的に正当化される。気に病む必要はない」
シアントル・牧は、親友を気遣うように、優しく微笑んだ。
「だけどサイト、俺は―――」 シアンが、泣きそうな声で囁いた。
宙を舞う白刃を恐れず手を伸ばし、サイトは見事に剣の柄を掴んだ。と、同時に、シアンが襲い掛かって来た。捨て身の最後の突進だ。一転して狂気に満ちた眸を見て、反射的にサイトは動いた。
剣を一閃して、親友を斬り裂いた。




