コウの遺産①
コウの遺産①
ソンヴ・識は、『考』分に属している。その中で特に、深代の英雄とされるコウ・ウの研究に力を入れている。
深代とは、素真が蹂躙し、獣が言葉をもち、人と日々生存をかけて闘っていたとされる、気の遠くなるほど昔の時代のことである。
島国である為、人が使える大地は限られている。北部は大半が山々に囲まれた土地であるが、誰も住み着こうとしなかった。人々は窮しながらも、それでも山へ踏み入る事を避けてきた。山は様々な幻獣が住むとされ、そこに人間が割り込んでも、生き残るのは困難と思われてきたからだ。
新天地を求めて山に分け入った者達は数多くいる。ただ、根付かない。厳しい自然環境に順応しようとするのが精一杯である上に、獣との闘争で有能な人材が削られていく。集落の運営に十分な人数を維持できなければ、長くは持たず、壊滅へと追いやられた。人は山そのものから受け入れられていない、とまで思われていた。
そんな中、生存すら厳しいこの環境で人の居場所の礎を作った者がいた。彼こそが昂国の歴史の中でも際立つ三人の英雄の一人、コウ・ウだ。
深代553年の夏、コウ・ウは彼を慕う者達を率いて山へと入った。そこには、噂に違わぬ厄介な獣たちがいた。
人語を口にするも、人の肉を好む歪猿の群れ。上空から音も無く急接近して、錐のような嘴をうなじに突き刺す鳥。砕く事は不可能と言われた甲殻を持ち、愚鈍な動きで集落を踏み潰す巨大な亀。生存防衛のため、人すらも簡単に死に追いやる毒をもつ植物や虫たち。その姿を見ることは、即、死を意味するといわれる最強の獣。これらの獣、太獣たちと、コウ・ウとその仲間たちは戦い続けた。
時には判断を誤り、手痛い被害を受けることもあったが、コウ・ウは退かず、生存の手法を編み出し、山の奥へ奥へと前進し続けた。そして、到達は不可能と思われていたクス山系の最高点にまで至り、そこである真理を悟った、と言われている。
人間の領域を広げると言う快挙を成し遂げたコウ・ウの名は全土に広まり、今でも島中に伝えられている。男子の名の最後にはウ、女子の名にはヴが付けられる事が多いのは、コウ家のウという男に尊敬の念を示し、その力にあやかりたいという願掛けの名残だ。
ただ、時が経つにつれ、その評価は変わってきている。
人里では見られない幻獣の話は現実味がなく、今では、かなりの誇張が入っていると見られている。何より、登頂に成功して得たとされる真理の詳細ははっきりしない。全土に関わる重要な事実とコウ・ウは言ったらしいが、彼は極々身近な者しか詳細を告げなかった。その為、限られた血筋にだけ受け継がれているというこの伝承の存在、その真価に対し、疑問を持つ者は多い。
コウ・ウはまた、英雄という評価だけではなく、別の見方をされる事もある。綜、瑗の両国では、煌という侮れない国を作り出した元凶として、疎まれてもいる。
彼が山を拓き、新たな勢力を形成したことで、当時から衝突が多かった綜と瑗への牽制となり、大々的な抗争は減った。小競り合いは依然としてあるし、小国が現われては消えているけれども、二国の均衡が大きく崩れることは無くなったことは確かだ。そこに煌への警戒心が大きく左右していることは否定できない。
その上、どういう起因や周期があるのか定かではないが、煌の民は時折、大挙して下山して来て、平地の国々との境界を侵そうとする。西側の綜、東側の瑗、どちら側に下りて来るにせよ、構わず南下した先で混乱をもたらす。この難事の事をハライ・コウといい、境に生きる人々にとっては天災に近しい。そのため、この混乱の原因を作り出したコウ・ウは、英雄であると同時に、疎まれる対象と成っている。
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コウ・ウには、幾つか謎とされる事があった。
何故、彼は険難の地である北部の山に分け行ったのか。人には優しくない環境であると知らないはずはないのに、あえて奥へ奥へと踏み入った。麓でどうにか空いた土地を探し、助け合った方が良かったのではないか。実際、煌と綜・瑗との国境には十分な土地がある。定住せず、境を放浪する人々をキョウと呼ぶが、彼らのような生き方も選べたはずなのだ。山で未知の獣と戦うよりも生存率は高いだろう。
コウ・ウは、自分を慕って付いてきた集団を大事に守り通そうとしたという。そんな情に厚い人物が、何故、危地と分かっている所に大勢を連れて行ったのか。コウ・ウは強く、賢かったというが、見通しが利くなら尚更、生存できるかどうか怪しい博打に出たのはなぜだろうか。何か、そこに踏み入らざるを得ない切実な理由があったでのはないか。
また、彼らの子孫は、麓の人間達との交流を断ち、山の領域を不可侵のものと考えている。その差別意識はどのように形成されて来たのか。平地の大国と争い、返り討ちにできるだけの国力は、どうやって培われたのか。
接触を嫌う割には、周期的に南下してきて混乱をもたらす、このハライ・コウという人災にも、何か起因があるのではないか。
大抵の場合、新たな国土を欲してきたという訳ではなく、しばらくすると彼らは帰っていく。武器を持ち組織立って攻めてくる事もあるが、そうした時ほとんどは、こちらが先に煌併合を狙って進攻している。
煌は謎が多い土地である。その正体を探るには、やはりコウ・ウの実像を考え直す必要があるとソンヴは考えていた。




