選択
8
レクトを相手に闘い、オウ・青が勝利した。今は気が抜けて倒れ付している。
どれだけ体を動かしても、どれだけ考えても、覆せないはずの事態。その中にあっても退かず、突き進み、そして生き残る。これはもう、人知を越えた運が付いているとしか言いようが無い。
これこそが、ソンヴが期待して、その眼で見たかったことだ。
圧倒的劣勢。絶対的危機。その最中にあっても、それでも生き残ってしまうような、何かに守られているのではないかと思えるような強運。歴史に名を残すほどの人物は、地力だけでなく、そうした運も兼ね備えている。古のコウ・ウ然り、伝説に謳われる者は、馬鹿げた強運を持ち合わせている。語り継がれるものは当然尾ひれが付いているが、それだけではないだろう。
ソンヴは、この点を知りたかった。そして、確かめる事ができた。
思わず快哉を叫びたい所だったが、表面上に変化がでないようにと努力した。完璧に振舞ったつもりだが、グントラターグを見ると、にやり、とされた。
見抜かれた……。ソンヴは内心恐れを抱いた。
グントラターグは、オウ・青だけを見に来たのではなかった。二人の決闘から見極めると言いつつ、その狙いは他にあった。
二人の戦いの中で、オウ・青の器を図ろうとしていたソンヴ。その思惑を、確認しに来ていたのだ。
それで正しいと言う事は、いきなりグントラターグの威圧感が跳ね上がったことから確実だった。抑えていた殺気を、全く隠そうともせず、ソンヴ一人に向けて放ってくる。
「どうやら、互いに見込み通りであったらしいな」
「そうみたいね」 と、精一杯の虚勢を張りつつ、ソンヴは答えた。
ソンヴは武器をもっている。グントラターグは、剣を離れた場所に放置していたままだ。しかもこちらに有利な距離が取ってある。どれだけ走力に差があろうとも、同時に動く事ができたならば、さすがに負けない。得物さえ与えなければ、有利に立てる。
それなのに――――。
理論的に行動すれば、生き残る可能性は高い。だが、体中から汗が吹き出てくる。本能が告げている。これはやばい。死ぬぞと、直感が我を忘れて大声で警告してくる。
思考を信条として、有利な状況にあることを頼み、グントラターグに向かっていくか。直感の声を聞き入れ、有利を見逃し、この場を避けるか。答えを出すのは早かった。
「私は、まだ死ぬわけにはいかないの」
そう言って、ソンヴは武器を手離し、床に置いた。
「ほう……」 感心したように、グントラターグの眼が細められる。「ますますもって、怖い女だ」
読まれたかと、ソンヴは死を覚悟した。
「冷静で冷徹な判断。なおかつ、想像外のことも、想定に入れて動く事ができる……。怖い、怖い」
やはり、誘っていたようだ。剣を与えなければと有利な状況に飛びついていたら、殺されていただろう。手段は不明だが、百戦錬磨の統士だ。剣を持ったからと言って、女一人に何ができたというのだろう。
「どっちが怖いのだか」
溜息と共に、ソンヴは言った。完全にお手上げという、降伏宣言に等しかった。
「さて、どうしたものか」と、グントラターグが近づいてくる。一歩ごとに、逃げ出したくなるほどの重々しい威圧感が増してくる。一秒ごとに、心を落ち着かなくさせる死の予感が強まってくる。
グントラターグは、突き立てていた剣の柄を握り、難なく引き抜いた。
「歴史に名を残しそびれた訳だが。最後の言葉を聞いておこうか?」
「伝えてくれるとは思えないんだけど?」 と悪戯を咎める母親のように、ソンヴは笑う。
「ふん……」
全く力む様子もなく、切っ先がソンヴへと向けられる。
その様子を、ぼんやりとソンヴは見ていた。
視線はグントラターグにあるが、不思議と、その先を透視しているような感覚が生まれる。遣り残したことが、その先にあるという意識が強かったからだろうか。
煌く刀身、シンキュウの白壁、ダウスの蒼い空、国土の大半を占めるダウス草原……。
グントラターグが治める街ルブラ。過酷で人を許容しない単色のナワン砂漠。
そして、〈終わりの山〉と称される山……。
死を前にして、怖いほどに落ち着いた心境だった。その境地が、思いも寄らない思考を導いた。
「目覚めの時は、ほんの間近……?」
何事にも動じなかったグントラターグだが、その顔が驚愕に固まった。
「……いつだ?」
「さぁ、いつかしら?」 と、ソンヴは微笑む。あからさまに、知ってはいるが教えないという表情だった。
しばらく思案した後、グントラターグは、ふん、と唸った。
「そうだ、それが正しい。彼は、そのためにいる。お前も先ほど確かめることができただろう」
ソンヴは目を丸くする。
単なる思い付きだった。その時が、思いの他早いのではないかという、根拠のない発想。
そして、だからこそ、この時機だからこそ、彼がいるのだという、直感。歴史に刻まれる出来事というのは、渦中にあっては、こうも不思議に囲まれているものだろうかという、驚き。
彼の重要性を説き、それを知る自分を売り込むこともできた。けれども、彼を盾に、この仮説の開示を引き換えに、命乞いをしようとはしなかった。
彼は知っていたようだ。小賢しく取引を申し出たら、言葉通りに容赦なく、斬られただろう。そうしなかったのは、これもソンヴらしくないのだが、感覚的な判断だった。何故か、彼をこんな煩わしいことに引き込んではいけないという、曖昧な根拠。
グントラターグは、一度引き抜いた剣を、そのまま鞘に収めた。
「だからこそ、その正しさに俺は抗おうと思う。宿命に、喧嘩を売ってやるのさ」
「宿命に、喧嘩を……。無茶な話ね」
「まあな。……おぉ、ようやく辿り着けたみたいだな。どれだけ斬ってきたのやら」
「え? ああ。彼女がいるの、知っていたの?」
グントラターグは、勿論と頷いた。
シンキュウの、わりと近くで喧騒があがったのが聞こえた。誰かが闘っているような物音は、次第に近付いて来た。そして、その人物はソンヴたちの前に姿を現した。
「大体片しておいた」 と、その女、ヴ・兵は平然として言った。
ご苦労様、とソンヴは応えた。グントラターグは、呆れた顔をして言う。
「上手いこと暴れていてくれるから、侵入が楽で良かったんだが。途中で道を外れてからやけに遅いなと思っていたが。まさか、シンキュウの敵を全て殺してきたのか?」
「そのようね……」 とソンヴも呆れ顔で言う。全身返り血で染まっているが、傷らしきものは負っておらず、体力も残っていそうだ。レクトの部下達と戦ってこの余裕ぶりとはと、ソンヴは舌を巻いた。
ヴ・兵は、瑗随一の武芸者だ。少なく見積もっても昂国で最強の女という噂の女傑である。さすがにカントに手が届くかというほどの年齢であるため、力は衰えていると思っていたが、とんでもない話だった。
そのヴ・兵は、ソンヴがカク・源に持ちかけた交渉に応じてやってきた。煌への進攻の間、居留守を狙う輩を牽制するために、昂国一番の武芸者と名高い彼女を借り受けるなら、十分に効果が見込めた。瑗きっての策士と言われるカクの嫌らしい所は、ヴ・兵の保身を図るのに十分で、それでいて協定違反とならないだけの絶妙な人員をダウスに派遣したことである。ショウ・源肝いりの女武芸者を人質に取られないように、こちらが対応できるぎりぎりの戦力で脅しをかけることを忘れていないのだ。
ヴ・兵は、顔を上げて、グントラターグを見た。そして、とても楽しそうに、「美味しそうだが。こいつもか?」 と聞いてきた。
ソンヴはグントラターグを見た。彼は、問題ないという顔をして、ソンヴの答えを待っている。ヴ・兵の実力なら、今なら、グントラターグを討つことは可能だ。向こうも、ヴ・兵の存在を知っていた。ここまで来られるであろうことを見透かしていたことから、彼女の実力も把握している。最強の女と、英雄の闘い。見てみたい。どちらが勝つのだろうと、興味はある。
だが、とソンヴは思う。先ほど、グントラターグは自ら剣を収めた。強敵の接近を察したから手を引いたとも取れるが、考分の女を殺そうと思えば、容易くできるほどの時間が幾らでもあった。彼には、勝ち残れるという自信があったということだろう。そして、彼の本意はおそらく……。
「彼は、反乱とは無関係よ」 ソンヴは言った。
ヴ・兵は、残念そうな顔をして、けれども素直に従った。余計な仕事はしない主義である、というより、指示以外は面倒でたまらないという態度である。
「いいのか? 俺を生かしておいて?」
「ふん」 と、ソンヴは鼻で笑った。「それは誰の言葉?」
「俺だな」 とグントラターグは、自信満々で言った。そして、オウ・青を指差して、尊大な態度で言った。「生かしておいてやる。そいつをその時へと導け。その為に、お前とあの男を生かしておく」
「ルブラは、きっと……」とソンヴは哀しげに言う。
「小事だよ、大勢に比べれば、そんなもの」
小事。最悪の想像が的中すれば、街の住人はかなりの割合で命を落とす。それでも、そうした事態を、街を治める彼は小事だと言った。
それよりもっと、もっと大きな視点で、物事を見ている。より多くの人命が掛かっているから、そのために必要な事をするのだという覚悟がある。
「その時が来たら、また会おう」
そう言って、グントラターグは、背を向けた。そして、姿が見えなくなるまで、その気は緩められることはなかった。
「ヅフ、ラターグ、グント……」
見送ったソンヴは、彼の名を呟いた。




