九話 大跳躍
幸い、現場はそれほど離れてはいなかった。
全速力で引き返せば、すぐに探知呪文が彼らのシルエットを捉える。
逃げ惑う五人の魔力光と、それを追う二体の巨大な光。
倒木時に特有の『バキバキバキッ』という乾いた破砕音。
手前の樹木がなぎ倒されると、魔法越しではなく肉眼がその姿を捉えた。
三メートルを優に超える巨躯。
ずんぐりとした体型ながら、全身を覆う筋肉が隆々と膨らんでいる。
灰色の肌も相まって、暴れ狂う岩石のようにも見える。
世界最大級の妖魔にして、地上における頂点捕食者の一角。
巨鬼だ。
その力が見掛け倒しでないことは、木の幹を易々とへし折ってしまえることからも明らかだろう。
運の悪いことに、そんな怪物が二体も揃っている。
「ブリギット、奴らは番だ! 片方足止めできるか!?」
「そう長くは止められないわよ!」
「充分だ!」
疾走しながら最小限の打ち合わせを済ませる。
役割分担は単純明快。
俺は強敵を、ブリギットは雑魚を受け持つ。
強敵しかいない場合はアシストに徹してもらう。
このシンプルな作戦だけで二年間やってきた。
通用しなかったことは一度もない。
ただ、今回ばかりは少し難易度が高い。
足手まといが五人もいるからだ。
「ヒィィィエェェェェェ!?」
「来るなぁぁぁ! 来るなってぇぇぇ!」
「おい何やってんだよハンマさん!! 仕事しろよォォ!!」
倒けつ転びつ逃げまどう冒険者たち。
木陰に一時の安全を求めて、しかし次の瞬間にはその木をへし折られる。
無様ながら、彼らの行動はある程度正しい。
巨鬼は一見鈍重だが、直線を走る速度は人間よりずっと速い。
背中を向けて逃げればあっという間に追いつかれる。
だから、ああやって障害物を利用して延命を図るしかないのだ。
しかしそれだけのことさえ出来ない奴がいた。
「~~~っ……~~~~~……」
俺の名を騙る偽物の『巨人殺し』、ハンマ君だ。
彼は肩に担いだ両手剣を握りしめ、呆然と立ち尽くしていた。
この距離では聞き取れないが、何かうわ言のように呟いている。
ハッタリだったとはいえ、彼の役目は強敵に対抗すること。
まさにその場面がやってきたことで、本人が一番混乱してしまっているようだ。
いざとなれば戦う覚悟もあったのだろう。
勝利を夢想することもあったのだろう。
逃げることも戦うことも躊躇うその姿には、勇気を挫かれた少年のような葛藤が見て取れた。
本当に、見ていられない。
俺は、彼のところまであと一〇〇メートルという距離を、飛ばすことにした。
踏み込んだ脚に力を込める。
全身を均一に流れる魔力を、この一瞬だけ偏らせる。
――疑問に思ったのは五年以上も前。
なぜ、白骨人は筋肉もないのに動けるのか?
探知呪文《魔力探知》を習得して、意外なヒントを得た。
彼らの運動に合わせて、魔力光の濃淡がわずかに偏っていたのだ。
魔力が移動したとき、筋肉がなくても体を動かせる?
では筋肉を持つ人間が、魔力をも偏らせることができたら?
答えはこれだ。
「――《大跳躍》」
俺の体は砲弾のように射出される。
角度は四五度。
頬を叩く風圧に耐えつつ、いくつもの樹冠を一息に飛び越える。
《魔力偏重》による怪力は一瞬しか呼び起こせない。
よって、着地の瞬間に合わせて再度、脚部に魔力を集めなくては大怪我を負う。
このタイミングは非常にシビアだ。
上昇が落下に転じ、やがて地面が迫ってくる。
接地に備えて魔力を導いた。
土ぼこりを巻きあげながら着地。
ズガァァァ――と地を削り、数メートルの平行線が刻まれた。
成功だ。着地地点も申し分ない。
ちょうど巨鬼とハンマ君のあいだに割り込んだ恰好だった。
「……はェ?」
間抜けな声を背中に聞きつつ、俺はその巨大な妖魔と対峙する。
さしもの巨鬼も、人間の身体能力の相場くらいは分かっているのだろう。
だから、有り得ない距離を跳んできた俺に戸惑っている。
一本背負いの要領で大剣を跳ね上げ、振り下ろす。
これは牽制だ。わざわざ負担の大きい《魔力偏重》を用いるまでもない。
巨鬼は後ろに飛び退き、緊急回避。
巨人のバックステップだけあって、その一歩で一〇メートル近い距離が空く。
わずかに肉を切った大剣はそのまま地を穿ち、草やら土やらを舞いあがらせた。
「ヴルルルル…………」
前腕に滴る血液。
敵は明らかに警戒している。
並の攻撃では傷つかないはずの分厚い皮膚を容易く裂かれ、今のが直撃すれば軽傷では済まないことを理解したのだ。
それでいい。
奴が攻めあぐねている間に、冒険者たちを逃がす。
ブリギットのほうは、どうなっているだろうか?
「――《つらぬく稲妻》!」
マナの細動音と、閃光を伴う爆発音。
見れば、もう一体の巨鬼はブリギットの放った雷撃によって感電中だった。ダメージは大したことないが、立ち直るには時間を要するだろう。
彼女はうまくやってくれている。
体力お化けの巨鬼を仕留めるには、彼女の魔法や細剣では火力不足だ。
しかし雷撃呪文や硬直呪文など、行動阻害の手段は充実している。
何より戦闘中でありながら、瞬時に呪文を想起してしまえるその胆力と知力は敵にとって悪夢だろう。
ブリギットの周囲には、四人の冒険者たちが縋るようにして集まっていた。
全員情けない顔をしているが、大した怪我はないようだ。
逃げるだけなら問題ないだろう。
「おい、あのエルフのところへ行け。合流したら仲間を連れて逃げろ」
敵と睨み合ったまま指示する。
しかし、後ろにいるはずの彼が動きだす気配はなかった。
振り返ると……くそっ、最悪だ。
彼は腰を抜かしていた。
「オレ……オレぇ……何もできなくてぇ……」
引きつった顔のまま、ボロボロと涙をこぼしている。
たぶん、助けが来たことで気が緩んだのだ。
体を支えていたなけなしの勇気が、思わぬ安堵によって抜け落ちた。
緊張と緩和というやつだが、今は笑いごとではない。
こいつが背後にいる限り、回避行動はとれない。




