五話 旅立ち
旅の支度とは言っても、もともと大陸各地を転々とする身だ。
いつでも動けるようにしているし、基本的には食料を調達するだけで事足りる。
他に買い足したものと言えば、布地と糸、それと油くらいのものだった。
前者は衣服の修繕用。
後者の油は、武具のメンテに使う。
特に鎧の整備に油は欠かせない。
錆の予防はもちろん、層構造の関節部分に油を差さないと摩擦ですり減ってしまうし、可動性や静寂性も落ちる。ちゃんと手入れされた鎧というのはどこを触っても薄っすら脂ぎっているものだ。
そんな細々としたものを補充して、買い出しは完了。
それから不要なものを古物商に売って銀貨に換えた。
品物は主に遺跡で得た戦利品だ。
小鬼や巨鬼といった妖魔の類には、人間から奪ったものを住処に溜めこむ習性がある。
武具はともかく、銀貨や宝飾品の価値を分かっているとは思えないから、たぶん彼らなりのトロフィーなのだろう。遺跡に行くとこうしたものがゴロゴロ手に入る。
処分する際は、なるべく高く売れるように何軒かの店をハシゴするのが定石だ。
でも「今日中に出発するわよ」というブリギットの意思を尊重して、今回はタイパ重視で雑に売り払った。
そのおかげもあって、昼前には旅の準備が整った。
最後に酒場に寄り、亭主に別れの挨拶を済ませる。
ついでに行き先を伝えるのがポイントだ。
「ハイゼンドール? ハイズ地方に行くのか。おっ、そうだ、途中の山あいにフィノックって町があるのは知ってるか?」
「ああ、よく知ってる。四日後の昼には立ち寄る予定だ」
「そんならフィノックの酒場に書簡を届けてくれ。《迷える酔いどれ亭》という店だ」
「《迷える酔いどれ亭》だな。分かった、必ず届けるよ」
いわゆる配達依頼である。
報酬は大した額じゃないが、請け負うメリットは大きい。送り主と届け先、双方の酒場から『荷物をちゃんと届けた奴』という信頼を得られるからだ。
冒険者は酒場同士のネットワークを繋ぐ伝書鳩のような役割を担っている。
おそらく書簡の内容は『この前の荷物はちゃんと届いたよ。この書簡は○○っていう冒険者に託したよ』みたいな感じだろう。あくまで想像だが。
「お前は確実に荷を届けてくれるって評判だからな、安心して託せるぜ」
「大げさだな」
書簡と銀貨を受け取り、袈裟懸けの簡易鞄に放り込んだ。
メインのバックパックはマントの裏に隠れているため、出し入れが面倒くさい。なのでこの簡易鞄に一時保管して、野営のときにでも移し替える。
これですべての用事が完了した。
一刻も早くハイゼンドールへ向かおう。
◆
東の城門をくぐり、スタンプールの街を後にする。
日差しを遮る城壁がなくなると、街のなかがいかに薄暗かったのかが改めてよく分かる。外は目がくらむような晴天だ。
市外には農園や魚醤工場、羊皮紙職人の工房なんかが点在していて、それらを押しのけるように長い街道が延びていた。
季節的には春先だ。
ただ、温暖な日本と違ってここロウステッド地方はまだヒンヤリしている。
防具に覆われていない右腕がやや肌寒く、でも歩いているうちに丁度良くなりそうな気温だ。
旅立つにはいい日和である。
俺たちは東に向けて出発した。
「お、ポニテだ」
ブリギットがいつの間に髪型を変えていたので、なんとなく指摘した。
彼女は普段、よく梳かれた長い金髪を誇らしげになびかせている。
一方、遺跡探索や旅に出るときは実用性重視なのか、結んだり編んだりする。
今日はポニーテールの気分らしい。
「貴方の故郷ではこういう髪型は不自然かしら?」
ブリギットは点検するように後ろ髪を揺らした。金色の房がなめらかに波打つ。
リンスもないこの世界でどうやってあの髪質を維持してるんだろうか。俺の頭なんか年中ボサボサなのに。
「日本で? 自然だよ。むしろ根強い人気がある」
「そう、良かった。これから貴方の同胞に会うのだもの、失礼がないほうがいいわよね」
「別に普段通りでいいと思うけど」
なぜだか彼女は日本人に会えることを楽しみにしているらしい。
旅の支度をしているときも、どんな服を着ていくべきか、装飾品は少ない方がいいのか、挨拶の仕方に注意点はあるか、などと根掘り葉掘り聞かれた。
これは、彼女にしてはかなり珍しいことだ。
どこへ行こうとも、その土地にどんな文化があろうとも、「エルフ様のお通りよ」とばかりに踏んづけて歩くような女だ。これから向かう国のリサーチなど、おそらく一度もしたことはあるまい。
どうして今回に限ってこんなに気合いが入っているのだろうか。
訊ねてみると、
「ニホン人は誰もが屈強な武人で、しかも賢者でもあるのでしょう?」
ブリギットの語る日本人像に、耳を疑った。




