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三話 渾身のウソ泣き



 もうとっくに朝日は昇っているはずだが、城壁に囲まれたスタンプールの街は薄暗いままだ。見上げれば青空が見えるのに、街の底にはまだ朝が届いていない。


 俺たちは今、そんなスタンプールの目抜き通りを歩いていた。

 目当ての遺跡へ向かうには北の城門をくぐるのが最短だ。


「ね、ねぇハンマ、考え直さない? 私たちって結構いい関係だと思うのよ。第一、さっきの手紙だって信憑性は疑わしいものよ。紙も安っぽかったし……そう、きっと子どもの悪戯だわ。ええ、そうに違いない。そういうことにしましょう」


 ブリギットは半歩前をキープしつつ、必死な作り笑いでまくし立ててくる。

 俺はそれを足早に振り切ろうとしている。

 どことなくナンパみたいな構図だ。



 あの後、ブリギットに手紙の内容をかいつまんで説明した。

 どうやら同郷の連中が立ち往生しているらしい……ことについては別にどうでも良いので割愛したが、日本に帰れる可能性があるなら決して無視はできない、と。


――だから、今回の調査を終えたら解散しよう。


 そう告げた途端、普段の彼女では考えられないほど支離滅裂なことを言い始めた。


 そういうことにしましょう、なんて言われたところで、そういうことにはならんよ……。


「どんな悪戯だよ……。だいたい、この世界の人間が日本語なんか書けるわけないだろ。お前ですら挫折したじゃないか」

「あら、ヒラガナ文字なら書けるようになったわよ。カタカナ文字もね。私が諦めたのはカンジ文字だけ。あんな馬鹿げた記述方式を採用している貴方たちが異常なのよ」


 古代語学者であるブリギットには、いわゆる言語オタクみたいなところがあって、いつだったか俺の母国語を教えろと言ってきたことがある。


 驚くべきことに三か月足らずで日本語を話せるようになってしまったのだが、読み書きに関しては早々に諦めたようだ。

 いかに言語の専門家といえど、漢字の壁はいささか高すぎたらしい。全部で千字以上あるよと伝えたら「馬鹿なんじゃないの?」となぜか俺が怒られてしまった。


「その馬鹿げた漢字が満載の手紙なんだ。少なくとも、差出人を疑う余地はないだろ」

「それは……そうだとしても……あっ、きっと脅迫されたんだわ。良からぬ輩に拘束されて、嘘の手紙を書かないと殺すとでも言われたのよ、きっと」

「良からぬ輩になんのメリットがあるんだよ……」

「良からぬ輩の考えることなんて私に分かるわけないじゃない」


 言ってることがメチャクチャだ。

 もはや俺を引きとめるためだけの仮定に堕している。

 そもそも良からぬ輩って誰なんだ。どうやって大聖堂に入り込んだんだソイツは。



 そのあとも、ブリギットは力説し続けた。

 いかに手紙が疑わしいかを。

 いかに自分と仕事を続けるべきかを。


 手を変え品を変え。

 時にはスベり気味の色仕掛けを交えつつ。


 しまいには、




「私とは遊びの関係だったのね! わぁぁぁん!」




 などと叫び、往来で泣き始めた。


 もちろん涙など一ミリたりとも出ていない。

 指の隙間からチラチラこっちを見ている。


 白々しいことこの上ないが、それでも傍目にはガチ泣きに見えるらしく、


「おっ、『巨人殺し』が女を泣かせてるぞ」

「『女たらし』でもあるのかよ……」

「そりゃ、《七大戦士》ともなればヤリたい放題だろ」

「サイッテー」


 からかい半分、非難半分の野次馬たちが勝手なことを言い始めた。


 自分が《七大戦士》などという謎の番付けに加えられていることは知っている。


 しかしそんなものに何の恩恵も感じたことはないし、今のような衆人環視の中にあっては迷惑でしかない。


 実に居心地の悪い状況だ。



(参ったな……)



 思わず頭を掻いてしまう。


 ブリギットがここまでゴネるとは予想外だ。

 コイツはもっとドライな奴だと思っていた。


 俺たちの間柄が利害関係に過ぎないことは、むしろ彼女のほうが頻繁に口にする。

 だから別れを告げたところで、「あら、それは残念ね」くらいで済むと思っていた。


 それがまさか、こうまで必死に引きとめられるとは……さすがに居たたまれない気分になってしまう。


 とはいえ、俺にだって都合というものがある。


 たったひとりの家族を……母さんを待たせている。


 今でも俺の帰りを予感して、開くはずもないドアを見つめているのではないか。気のせいだったと気づいて、声も出さずに泣いているのではないか。

 よくそんな夢を見ては跳ね起きている。


 ブリギットには悪いが、何があろうとも俺の優先順位は覆らない。

 一刻も早く母さんの顔が見たい。

 顔を見せたい。

 この六年間、俺はずっと焦っている。


 だから、この機を逃すことだけはどうしてもできなかった。


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