二話 帰るため
「ほんとに久しぶりだな――――日本語」
冒険者御用達の酒場の中、俺は一通の手紙を読んでいた。
酒場の亭主から「ハンマ、これお前宛てじゃないのか?」と渡された手紙には、確かに「石橋汎磨へ」という宛名が二つの言語で併記されていた。子どもが書いたような拙い共通語と、やたら達筆な日本語でだ。
中身は全て日本語だった。
さすがはクラスで三位四位を争う秀才が書いただけあって、妙に上から目線の、まるで部下に送りつける長文メールみたいな文面だ。
それでもアイツの――安藤延吉の生真面目さがにじみ出るような角ばった筆致の日本語に、自分でも意外なほどの懐かしさを覚えていた。
「天賦の『賦』ってこういう字だったのか……貝に……武術の、武……」
感心して、思わず宙に指を走らせてしまう。
六年間もこの世界にいてよくこれだけ漢字が書けるものだ。
読みはともかく、書くほうとなると、今の俺には中学生レベルの漢字力しか残されていない気がする。何せここは正真正銘の異世界であり、日本語のインプットなど一切できない環境なのだ。
そういう意味では、この手紙の希少性は魔法の品にも匹敵する。日本語の資料として大事に持っておくとしよう。
内容については……色々とツッコミたいことも多い。
「謝りたいことがある」と言いつつ一言も謝ってないし、全体的に「君にチャンスをやる」みたいなキモい前提が垣間見える。
なんというか、一字一句漏れなく見当外れって感じだ。
あと神宮寺春斗に対する私怨が駄々漏れなのが一番怖い。今、神宮寺は無事なんだろうか……?
総括すると、ぶっちゃけ、関わり合いたくない。
かつて追放された恨みを差し引いても、ちょっと異常な手紙に見える。今の彼らがまともな精神状態にあるとはとても思えない。
ただ、ひとつだけ見過ごせない情報が紛れ込んでいた。
――これでは使命を果たせる日も、『元の世界に帰れる』日も遅れてしまうだろう。
この一文がなければ、確実に無視していた。
あの日、聖都ハイゼンドールの大聖堂を追い出されてから、俺はひたすら家に帰る方法を探し続けてきた。
ゼロから大陸共通語を覚え、死に物狂いで鍛え抜き、冒険者として大陸中を旅してまわった。踏破した遺跡の数などもはや数える気も起きない。
それでも結局、確たる手がかりは見つからずじまいだった。
……しかしまさか、こうして手がかりの方からやって来ようとは。
「はは……そうか、やっぱりハイゼンドールだったのか」
とつぜん目の前が明るくなったような気がした。勝手に口角が上がるのを感じて、手甲をつけてないほうの右手で口元を隠す。
もちろんその可能性を考えなかったわけではない。
使命を果たせば元の世界に帰してもらえる――なんていかにも定番じゃないか。その手の取り決めがあったとしても何ら不思議ではない。
だから一度くらい確かめに行きたかったのだが、何せこっちは追放された身。今さら大聖堂を訪ねたところで追い返されるのがオチだろうと、訪問を諦めていたのだ。
しかし状況が変わった。
元クラスメイトに――つまり勇者にお呼ばれされた。
これはデカい。
少なくともこの手紙を突きつければ、中に入れてくれる可能性は充分あると思う。本当に元の世界に帰る方法があるのかどうかについては、また別の問題だとしても。
とにかくハイゼンドールに行きさえすば、停滞していた事態がようやく動き始めるような気がする。
そんな予感が、俺の心臓を少しだけ速めた。
「あら、何を読んでいるのかしら?」
ふと、右肩に女のアゴが乗った。
エルフに特有の長い耳が、俺の半分ほど欠けた右耳を撫でる。
顔を見るまでもなかった。
こんな距離感の知り合いはひとりしかいない。
「いや……ただの手紙だよ」
問いに答えながら、俺はなんとなく手紙を畳んだ。
「貴方に手紙をよこすお友達がいたなんて意外ね」
「別に友達ってわけじゃないけどな」
「でしょうね、冒険者の間柄なんて利害関係でしかないもの。おおかた新しい遺跡が見つかったから手を貸せだとかなんだとか、一方的な要求が書かれていたのでしょうね」
「まるでお前みたいな奴らだな……」
「あら、言われてみればそうね」
皮肉の応酬に満足したのか、女はしなだれかかるのをやめて、隣の椅子に座った。
艶やかな金髪をすくい上げる仕草に、酒場じゅうの冒険者が熱っぽい視線を向ける。
性格さえ知らなければ物憂げな美女にでも見えるのかもしれない。
しかし性格を知った上で言わせてもらえば、目の据わったサディストにしか見えない。
彼女の名はブリギット。
訳あって行動を共にしているエルフ族の古代語学者だ。
護身用の細剣を腰に提げ、軽装ながら防具も身に着けているが、これでもれっきとした学院教授である。
彼女が現地調査を好む性分であることは、この冒険者めいた出で立ちを見れば一目瞭然だろう。
かれこれ二年ほどの付き合いになり、俺が遺跡に潜るときは必ず同行している。
今日も共に遺跡調査を進めるべく、こうして酒場で待ち合わせていたというわけだ。
……しかし、おそらく今回の調査が、彼女との最後の仕事になる。
俺が求めてやまなかった、元の世界に帰る手がかりは、遺跡以外の場所にあったからだ。
「なぁブリギット、詳しいことは道中話すが……ちょっと先に言っておくべきことがある」
俺は席を立ち、傍らに立てかけておいた大剣をフック付きのベルトに引っ掛けて背負う。得物の加重によって、板張りの床が苦しげに軋んだ。
そうして出発の準備を整えながら、どう説明したものかと言葉を選ぶ。
「お、おいアイツ……」
「遺跡荒らし……『巨人殺し』か」
「《七大戦士》がなんでこんな街に居るんだよ……」
どこかの円卓から、ささやく声が聞こえた。
重装備も目立つが、今では俺自身もそこそこ大男だ。こうして立ち上がれば嫌でも注目を浴びる。
俺の前置きをどう捉えたのか、ブリギットは長い耳を少し赤らめていた。
「プロポーズなら夜のほうが成功率が高いわよ。まぁ、別に今すぐでも成功するけれど」
「成功しちゃうのか」
「するわよ。私にとって、貴方ほど都合のいい男はそうそういないわ。何しろ『元の世界に帰る』なんて荒唐無稽な目的のために、私を前人未到の遺跡へ連れて行ってくれるのだもの。その調子で報われない努力を続けてほしいものだわ、私の利益のために」
清々しいまでの自己中。
ブリギットにとって俺は安あがりな護衛に過ぎない。古代語を解読できない俺と、戦闘能力に自信がない彼女は、互いの短所を補い合うだけの関係だ。
……いや、自己中というなら俺も大概か。
手がかりを見つけるや否や、彼女との協力関係をあっさり解消しようっていうんだから。
「実はさ、その荒唐無稽な目的が果たせそうなんだ」
「えっ」
「だから、今回の遺跡調査がお前との最後の仕事になる」
「えっ、ちょっ」
いつも超然としたブリギットの表情が、情けなく引きつった。
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