月の女神ちゃんと残る暗雲と繋げた大海
「ふわぁ!」
ヒナリアとアンの下にたどり着いたわたくしはその戦いを見守っていたのだけれど、世界そのものに干渉するような破壊的信仰の使用により、わたくしは声を上げ、その翼を硬化させてアンに叩きつけていたヒナリアも、それを受けていたアンも戦いを中断して、その信仰の方に目をやった。
「……アヤメ姉様、信者に一体どんな教育しているですか」
「ケダモノ、ケダモノ――なんで、こんな奴が存在している。アヤメ、獣なりに縄張りを慮っていたはずだったけれど、こんな化け物を傍に置いて何をするつもり」
「……」
ミーシャさん関係に関してはアヤメはいつもとばっちりを受けていて、まったくの冤罪なのですけれど、この空気を壊すのもあれなので、わたくしも意味深な顔をして仰々しく瞳に涙を溜めながら、口元を両手で覆い、ヒナリアとアンに見られていることを意識しながら、リョカさん仕込みの可愛い角度で顔を逸らす。
「アヤメったら、あれほどわたくしは言ったのに――」
声を震わせ、口を覆う軽く握った拳の人差し指の背に唇を添え、朱の差した顔を流し目気味にヒナリアとアンに向ける。
「……」
「……」
2人とも、可愛いわたくしを見ています。
さすがリョカさんのとっておきです。わたくしのような可愛い系は少し色っぽいことをすることで価値がものすごく上がるそうです。
「こいつこんなんだった?」
「最近は比較的に」
「アンもやってみます? 顔色悪いですよ」
笑顔を向けるわたくしに、アンは顔を伏せて体を震わせていた。
そして体に纏わせている触手――というより手足というか、吸盤のついたタコのにゅるにゅるをあちこちに伸ばして癇癪を起すように地面を叩き始めた。
「今さら――」
「わたくしあなたのためだけに生きていません」
わたくしに向けられる手足を、頭のうさ耳を立てながらぴょんぴょんと躱していき、都度ポーズをとっていく。
「うるさいうるさいうるさい! あんたが、あんたがそんなのだから私はずっと――」
「ルナ姉ちょっと黙っていてくれません!」
「寂しい寂しい言うからこうやって構ってあげているのに、アン、あなたいつからそんなに我儘になりましたか?」
感情をむき出しにしたわたくしだけを狙った触手の攻撃、これは避けられないと肩を竦ませると、正面にヒナリアが躍り出て、その翼を閉じてわたくしの盾になってくれた。
ヒナリアが軽く睨みつけてきますけれど、わたくしの目は、大海神――わたくしの同期の女神、1人勝手に深海に閉じこもったおバカさん、アンディルースにだけ向けられており、そんなわたくしを見てなのかヒナリアが息をのんだのが横目に映った。
「憎むのなら憎みなさい、わたくし、あなたのことは戦友だと思っていますよ。忙しかったあの頃、わたくしが背中を預けられたのはあなたたちだけでしたから」
「そんなの――」
「足りないです。今なら貸し借りなしで聴いてあげますよ、尤もそれを受け入れるかは別ですが」
「今さら遅い! 私はずっと待っていた、ずっとまたみんなで――でももう遅い、私にはもう、私を離さない人が出来た、私とずっと一緒にいてくれる人が出来た! だからずっとずっと、私の海で――」
「そんな汚い海にいつまで可愛い信者を沈めておくつもりですか? 大海神が聞いて呆れる、そんなのだから英雄にとってかわられるのですよ」
額に青筋を浮かべ、怒りを隠そうともしないアンに、わたくしはそっとヒナリアの背中を押した。
「ピヨ――?」
「それでは、任せました」
顔の横で両手でピースを作り、舌をべっと出してヒナリアにお願いする。
「この姉っ――アヤメ姉もですけれど、信者はちゃんと選んだほうが良いですよぅ!」
「世界で一番素敵な信者を選べました」
ぴよぴよ言っているヒナリアを通り過ぎ、わたくしの向けられる瞳は誰かがやる様に腕を伸ばしながら指を鳴らして弾き、そのまま指を伸ばしてアンを指差し鼻を鳴らして笑いかける。
「アン、今のあなたには可愛さが足りません。全裸触手とか女神の印象に関わるので本当にやめてください」
「好きでこんな格好しているわけないでしょ!」
「ああそうでした。それとあなた、ミリアにわたくしのことを善性癒し慈愛巨乳と言ったそうですね」
「言ってないけど!」
「……ぶっ殺してやる」
「ルナ姉お口が!」
ペースを握る戦い、リョカさんの真似をしてみましたが、中々に困難だ。
これで少しは素直になってくれるといいのですが――。
「なんなのよ、なんなのよさっきから! お前はそんなんじゃないでしょ! 月神、最高神! お前は人々だけに目をやっていればいい、そうじゃないと、そうじゃないと――」
「こんなに可愛いわたくしをもっと撫でたかったですか? 以前のわたくしには遠慮して我慢していたのが無駄になる――テルネ、ルーファ、わたくしと肩を並べて、アヤメたち長女のように並び立てははず。ですか? クオンよりも大きなその肉塊をちぎってもらうことも出来た。ですか」
「そんなこと言ってないですよぅ」
話が通じないとやっと理解してくれたのか、有無を言わさずにアンが飛び掛かってきた。
その触手を器用に使い、わたくしとヒナリアに攻撃を仕掛けてきた。
ヒナリアがそれを受け止めようとするのですが、わたくしはその背中に声をかける。
「ヒナリア、特権で受けずにスキルで受けなさい」
「ぴっ――ああもう! 『革命無双武装』」
ヒナリアの翼に金属の装飾が付け足され、さらにその翼の形、質までも変わっている。
ギフト・『覚醒武装心機一転』リョカさん曰く、ヒナリアのスキルは超攻撃型のスキル構成らしく、補助も何もなく、ただ自身を強化する物ばかりの武装系スキルらしい。
アンの触手がヒナリアの翼に触れた瞬間、そのタコ足は無残にも細切れにされた。
「――ッ!」
第1スキル、ヒナリアの翼すべてを刃のように鋭くさせるものであり、その羽一本一本が名刀に匹敵するほどの切れ味を持っている。
「というかルナ姉だけじゃなくて私も怒ってますからね!」
ヒナリアがぴょんと後退しながら翼を広げ、それを思い切りアンに向かって仰ぐように振った。
その瞬間、翼から飛び出してきた羽がアンに向かって飛び出し、彼女はその羽をたこ足で防ぐのだけれど、羽が次々と刺さっていき、アンが表情を歪めた。
「スキル――っ! そうか、月の魔王の」
わたくしは安堵の息を吐く。
特権同士の衝突、正直後処理が面倒くさい。
特に海を司るアンと実質的に空を司るヒナリアの衝突はあちこちに影響が出る。
下手なことが起きたら混ざり合い、海の生物が魚にも空気を。なんて革命を起こしかねない。
食卓からお魚が消えるのは、正直味気のないものだ。
さて――それではわたくしはわたくしの仕事を。
いい具合にアンのヘイトがわたくしに向けられている。
ヒナリアを相手にしつつ、視線が、意識が時折こちらに向いてくる。女神なぞ、戦闘など不得意だというのに、それなのにかのケダモノに戦争を吹っ掛け、挙句の果てに戦闘技術で言うのならあの神獣に教えを受けた神鳥を相手にしている。
女神特権同士の争いの中で、女神2人同時に意識をやり続けるのは些か無謀が過ぎる。
わたくしがリョカさんの真似をして指を鳴らすたびにアンは肩をビクつかせている。可愛いですね。
「――っつ」
「ルナ姉こんなに性格悪かったですか」
「失礼な。こうやって悪ぶっていると、皆さんが可愛いって言ってくれるのですよ」
「はいはい――アンディルース、なにちんたらしてるですか! まだまだ上げていくですよ! 『革命無双爆撃』」
剣の羽を防いでいたアンがそのまま一歩後退すると、その隙を見逃さずにヒナリアが第2スキルを使用。
丸みのある翼に、どういうわけか吹けば千切れるような不安定な羽――ヒナリアがその翼を振るうと、それはアンにまで届き、大きな爆発を起こした。
「ぐっ!」
「アンディルース! お前はどうして革命を拒む!」
「必要ないからに決まっているでしょうが! 私の海は命の理想郷、空に飛び立つ必要はない! 十分なんだ、十分なのよ……ミリアがいて、私の聖女がいて、私の――」
「あなたが本当に欲しかったのはそれじゃないでしょう」
「――お前に、ルナに、なにがわかる」
「わかりませんよ、だってあなたはなにも言ってくれないではないですか」
「お前が言うな! お前だって、お前だってみんなに、私に、何も言わなかっただろ」
「……ええ、何も言いませんでした。必要だとも思ってもいませんでした」
「なんだよ……そんなに、そんなに私は、お前から見たら――」
ああ、ずっと気を揉ませていたのか。
アリシアのこと、ラムダのこと、ヴィヴィラのこと、フィムのこと、テッドのこと、世界のこと――ああそういえば、アンは普段なら群れに混ざろうともしないのに、そういうことがあるたびにわたくしに顔を見せに来ていたのだったか。
ああ、やはり至らない。情けない。いつまで自分1人でことを成せると驕っているのか。
「私たち世代は、アヤメたちと同じで姉妹という感覚は薄い。お前にはアリシアがいたし、そういう失敗があったから下の子たちには友よりも強い絆を――家族のような印象を与えた」
「……」
「じゃあ、私たちは、下の子たちのように妹を、姉を、助けちゃダメなの」
ああ、アンの根底にはいつでもそれがあったな。
だから選ばれた。けれど素質がその性格と合致しなかった。
あの子は不器用だ、素直じゃない。
母なる海――命の始まりの大海。
本当は、誰も彼もをその身で抱きしめたかったはずだ。
「駄目、行っちゃダメ、海から出たらみんな傷つく。なら、なら――」
「アン、アンディルース――それでもわたくしたちは、翼を持って羽ばたかなければならないのです」
「――」
アンの瞳から涙がこぼれる。
ここまで追い詰めてしまった。わたくしが息を吐くと同時にアンが口を開く。
「もう、遅いよ。止められない――私は、私の海にみんなを引きずり込んで、ルナの魔王を倒しに行く」
「……」
アンの触手に大海の信仰が集まり、彼女は飛び上がる。
触手全てに大海神の存在が同期される。それぞれがそれぞれに意思を持ち、その信仰を取り込む。
まるで海そのものと戦っているかのような感覚。
広く、深く、ルーファとは異なる物量の信仰――量ではなく、信仰そのものがそもそも広大。
すべての触手を持ち上げて高く掲げたアンがその触手をわたくしたちに向けて振り下ろした――。
けれど、触手が届くその瞬間、瞬いた、煌めいた――それは覚醒の灯。
大海の中で翼を広げ、空へ空へとその灯を届かせる。
「『革命無双神翼』」
柔らかく、どこか神聖な印象を受ける翼に包まれ、わたくしを抱き上げたヒナリアが飛び上がる。
アンの触手を一点突破に特化させた翼で出来た信仰の槍で貫いていく。
「――」
アンの正面に躍り出たヒナリアはそこで翼を大きく広げ、わたくしとヒナリア、アンで視線が交わる。
わたくしたちの顔を見たアンが、泣きそうな笑顔を浮かべた。
「ヒナリア、私を――止めて」
「――」
神鳥が歯を鳴らした。歯を噛み砕かんほどの力を込めたヒナリアが拳を握る。
でもさせない。
やはり今のアンは健全ではない。先ほどから今までは我慢してこられたそれがあふれ出している。
やはり原因は――。
「ルナ姉――?」
わたくしはヒナリアに抱きあげられたまま、アンの正面で舌を出し、指を向ける。
リョカさんに頼まれたわたくしの役割――月に夜が混じる。
「わたくしの魔王様からです。『逃られぬ理不尽の一手』」
指を鳴らすと同時に、銀の信徒から預かった闇を晴らす夜の理不尽を流し込んだ。
「あ、アア、アぅァ!」
その瞬間、アンが苦しみだし、たこ足の特権が消えて地へと落ちる。
そんな彼女を寸でのところでヒナリアが受け止め、そのまま床に横たわらせる。
けれど彼女の苦しみは続くようで、えずき続けていた。
わたくしとヒナリアでアンの背中をさすっていると、突如アンの喉、口が膨らみ、彼女はゲぇと口から何かを吐き出した。
「これは――」
「……こいつが原因ですね」
リッカさんの時とはサイズが違う。成長している。女神の魂を喰らっている。
こぶし大ほどの虫のような、足が何本も生えたその生き物のような絶気、それが蠢いている。
わたくしはそっとそれに月の加護を纏わせ――ようとしたところで、わたくしに流れ込んでくる別の信仰。
『ルナ、私の加護を使いなさい。私ならたとえ絶気でも凍らせられます』
「メル」
「え、メル姉いるですか?」
そんな声と加護を届けるだけ届けて引っ込んでいった終末神にため息をつきつつ、わたくしは言われたとおりにその虫を凍らせた。
「……」
「……」
そうして動きを止めた虫に、わたくしとヒナリアはやっと一息つく。
こんな風に前線に立つことなぞないからとても緊張をした、正直こんなところに喜んで立つアヤメとミーシャさんの気が知れない。
わたくしはヒナリアと顔を見合わすと、呼吸が安定してきて寝息を立て始めたアンに目をやり、互いに笑みを浮かべて拳を打ち合うのだった。




