魔王ちゃんとあの日届かなかった慟哭
「そもそも僕はみんなと世界を渡りたいわけじゃないしねぇ」
「こんな他所の世界まで来てやることがあれっていうのはどうかと思うわよ」
「連れてきたのはアヤメちゃんでしょ~」
「ルナに連れて来いって頼まれたのよ」
「そう言えばその辺りのことまったく聞いたことなかったな。ルナちゃんは何で私なんて連れてきたんだろ」
「……あの頃のルナには、お前の言うなんかが煌めいて見えていたんだよ」
「パワハラモラハラ常習社会の害悪の何が煌めいていたんです?」
「それを通った後の話よ。というか自分のことをそんな風に言うなよなぁ」
「事実ですしぃ~」
胡坐をかく僕の膝に乗って呆れるように話すアヤメちゃんを抱きしめて撫でながら、僕は唇を尖らせた。
実際、あの頃の私には誇れるものなんて何一つなかった。
仕事ができるだけ、勉強ができるだけ。これだけならそれも誇りにはなるだろう。
けれど私はそこにさらに性格が悪いという機能までついていたもんだから、誇れるわけもない。
そんな昔のことを思い出すと、僕は改めてアヤメちゃん――神獣様に目をやる。
「あ~その……」
「なによ」
「僕を運ぶために引退させちゃってごめんね?」
神獣様が私の世界でバーチャルなチューバ―をやっていたことが発覚したのだけれど、彼女が向こうでの生活を終えたのは私の影響もあるだろう。
「あ? あ~……まあね。心残りがない。ってわけでもないけれど、一応お別れはしたし、楽しい時間を過ごせたから気にすんな」
「僕も好きだったんだよ」
「知ってるわよ。あの頃は結構の人数に見られていたし、小腹を満たすくらいの信仰さえあればいいと思っていたけれど、そりゃあもう満腹になるくらいの信仰があってね」
「人気だったもんねぇ」
僕自身神様じゃないからわからないけれど、あれだけの視聴者数で向けられた信仰というものは絶大なものだろう。
けれど私がそれを止めさせてしまった。
「……お前勘違いしているかもしれないから言っておくけれど、俺は別にお前がこっちに来るなら辞めてもいいと思ったのよ」
「ん? どういうことです?」
「普通はな、あれだけの人数に見られても信仰となるとそんなに入ってこないのよ」
「え、そうなんですか?」
「そうよ。そもそもの話、日本って国は神が形骸化したなれの果てだ」
「いやいや、結構神様頼りなところありましたよ」
「違う。お前たちは神への祈り方を知らなかっただろう」
僕は首を傾げる。
神様への祈りはそのまま祈ることのはずだ。神様的にはマナーとか手順があったのだろうか。
「まず第一に、八百万の神々なんて考えがあるせいで個の神に対する信仰が弱い。第二に、超自然的な事象を神に宛がうからその上にある存在にまで祈りを向けない」
「ほ、仏様とか――」
「坊主ならともかく、お前たち一般人は仏にすら祈らんだろ。せいぜい仏が必要になった時に文化に祈るだけで、その者に祈るなんてしやがらねぇ」
「えっと、つまり?」
「俺が腹いっぱいになるくらいの信仰、あれほとんどお前だぞ」
「え?」
神獣様からの覚えのない事象に、僕は可愛くない返事をしてしまう。
いったいこのケミ耳は何を言っているのだろうか。
「お前、部下と会社から報復されたとき、家族から放り棄てられた時、心も何もかもすっからかんだったろ。真の絶望にこそ神は顕れる。お前はその時神に出会った。いや、悪魔だったのかもしれないわね。どちらも本質的には同じだし別にどっちでもいいんだけれどね」
「……」
「だからこそ、お前は俺にとんでもない信仰をもたらしたのよ。最初からプリマが懐いていたのもそのおかげよ」
「……いやいや神様って、僕は――私は、そんなもの――」
「お前はアンリを神に見立てた。お前にとって、あのデスクトップの向こうの世界こそが神殿だった」
神獣様がそっと私の頬に手を伸ばした。
そして柔らかく頬を撫でてくれ、ふわと優し気な笑みを浮かべた。
「良かったわね、お前にとっての神が今目の前にいるわよ」
「――」
どうしてだか瞳から涙がとめどなく流れる。
救いなんて一個もなかった、正直終わってしまおうかとも思っていた。
でも終われなかった、なんでもない空っぽなその日に、私が見た光景は、パソコンから無機物な生きた音を流すそれをただ見ていた。
あの時も同じように、私は涙を流していた。
僕は頬を膨らませて、赤くはれた目をその獣――僕の大切な妹の1人に向ける。
「……突然のそれはズルくないですか?」
「お前、ミーシャとルナがいなくなってから明らかに俺を抱きしめる回数が増えてんのよ。お前は弱音なんて吐かないし、そんな考えすら持っていないかもしれないけれどな、それは不健全よ」
「無理、してるように見えてました?」
「うん、痛々しいくらいにはね」
ああ、見透かされている。
辛いなんてこっちに来てから思ったこともない。
けれどたまっていたのだろう。しぶとい汚れみたいに心にこびりついて、それを残したまま僕は生きていた。
そりゃああんなことが起こるわけだ。
「ん――」
アヤメちゃんが膝の上で振り返って僕に向かって手を伸ばしてくれた。
僕は彼女をキュッと抱きしめると彼女の頭に顔を埋めながら涙を流し続ける。
「これが正しい祈りよ。あなたの祈りは、ちゃんと神に届いたわ」
「うん……」
僕は獣の体温を肌で感じながら、声を押し殺して泣き続けるのだった。




