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灯台守の娘  作者: よしお


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9/17

回光さま数え唄

 唄のことが、頭から離れなかった。


 シゲさんの言った、双子が手をつないで歌っていたという、岬の古い数え唄。なぜそれが、こんなにも気にかかるのか、私にはまだわからなかった。


 ルポライターという仕事を十二年やってきて、私はこの種の引っかかりを信じることを覚えていた。理屈では説明できないのに、心の隅に引っかかって取れないもの。たいてい、それは何かの糸口だった。確かめてもいないことを確からしく組み立ててしまう、あの悪い癖。けれど、その癖がこれまで、いくつもの埋もれた事件を掘り当ててきたのも事実だった。


 暁人に唄のことを話すと、彼はめずらしく、すぐに反応した。


「土地に伝わる唄は、ばかにできません」と、彼は言った。「唄は、土地の記憶です。文字に残らないことが、節に乗って、何百年も、子供の口から口へ伝わっていく。建物と同じだ。土地の唄も、嘘をつかない。——その唄を聞いてみたい。あなたがなぜそれに引っかかったのか、唄のほうが教えてくれるかもしれない」


 翌日、私たちはもう一度、シゲさんを訪ねた。


 シゲさんは、海の見える小さな家に一人で暮らしていた。仏壇に、古い写真が何枚も並んでいた。先に逝った者たちを、この老女は一人で弔い続けているのだ、と思った。


 私たちが、あの数え唄を教えてほしいと頼むと、シゲさんは不思議そうな顔をしたが、それでも、しわがれた声で歌いはじめた。


「ひとつとせ……日の暮れに……岬の鼻で……灯を、灯す……」


 ゆっくりとした、のんびりした節だった。子供が手毬をつきながら歌うような、優しい唄。けれど、シゲさんの記憶は途切れがちだった。


「ふたつとせ……双子の、鴎が……沖を見て、鳴く……みっつとせ……あれ、なんだったかね」


 シゲさんは、首を傾げた。


「いやだね。年を取ると、こういうものから先に抜けていくね」彼女は笑った。「岬の子は、みんなこれを歌って育ったんだよ。手毬や、石蹴りをしながらね。岬を出ていった者は、すぐ忘れる。けど、ここで育った者は、年寄りになっても、体のどこかに残っとるもんだ。子供のころ、何百回と歌った唄は、そう簡単には消えんのだよ」


 岬で育った者は、年寄りになっても、体のどこかに残っている。私は、その言葉を書きとめた。


 シゲさんは、遠い目をした。「燈里ちゃんと、灯子ちゃんもね、よう歌っとったよ。あの双子は、ほんとうに仲がよくてね。下の灯子ちゃんが、よそへやられる、その前の日まで、二人で手をつないで、この唄を歌っとった。別れたくない、別れたくない、と、泣きながらね。——可哀想に。あんなに仲のよい姉妹を、引き離して」


 別れたくないと、泣きながら。私は、二人の幼い姉妹の姿を思い浮かべた。やがて一人は灯台から落ちて死に、もう一人はどこかへ消えた。


 シゲさんから聞けたのは、最初の二番までと、あとは断片だけだった。けれど、暁人は、それで十分だ、という顔をしていた。


「残りは、図書館で埋められるかもしれない」と彼は言った。「こういう土地の数え唄は、昔の民俗学者が、よく採集して回っているんです。房総の、古いわらべ唄を集めた資料があるはずだ」


 その日の午後、私たちはまた、隣町の図書館に戻った。暁人は、郷土資料の棚から、古い民俗誌を何冊も引き出した。房総のわらべ唄、子守唄、盆唄。彼はひとつひとつ、丹念に目次をたどっていった。私も、隣で手伝った。土地の唄を集めた古い本のページは、どれも湿った匂いがした。何十年も、誰にも開かれずに、棚の奥で眠っていた言葉たち。その中に、あの唄も、眠っているはずだった。


 そして、夕方近く、その一冊の、黄ばんだページの中に、暁人がそれを見つけた。


『回光岬わらべ唄 回光さま数え唄』。


 半世紀以上前に、土地の老人から採集された、という注釈つきで、その全文が活字で残されていた。暁人が、低い声でそれを読み上げた。


  一つとせ 日の暮れに 岬の鼻で 灯を灯す

  二つとせ 双子の鴎が 沖を見て鳴く

  三つとせ 岬の娘は 崖で手を振る 船に振る

  四つとせ 夜の潮は 深く深く みな眠る

  五つとせ 灯は赤々と 燃え立ちて 夜を照らす

  六つとせ むかしの重し するすると 降りてくる

  七つとせ 灯の主は ぐるりぐるりと 夜を守る

       数えて七つ 灯消えて 朝が来る


 読み終えて、暁人は、しばらく黙っていた。


「のどかな唄ですね」と、私は言った。灯台守の一日と、岬の暮らしを数えていく。日の暮れに灯を点し、鴎が鳴き、娘が船に手を振り……穏やかな、子供の唄。「これの、どこが——」


 そこで、私の声が止まった。


 三つとせ。岬の娘は、崖で手を振る、船に振る。


 崖。船。


 その二つの言葉が、私の中で、別のものと結びつこうとしていた。最初はゆっくりと。それから、急に。回光岬の、あの崖。腰の高さもない、低い手すり。その向こうの、まっすぐな断崖。下で、白く岩を噛む波。そして——あの崖の上で、夜のうちに足を滑らせて死んだ、という一人の老人。その上着のポケットに入っていた、子供が折るような、小さな、紙の、舟。


 崖と、船。唄の三番と、寸分違わなかった。


「崖で……船……」私は、自分の声が震えるのを感じた。「東雲さん。網代さんは、崖から落ちて死にました。そして、ポケットに、紙の舟が入っていた」


 暁人は、答えなかった。けれど、その目が、唄の三番の上に、じっと注がれていた。


「岬の崖。そして、船」彼は、ゆっくりと言った。「網代権左は、岬の崖から落ちて死に、その懐に、紙の舟を抱いていた。——唄の、三番のとおりに」


 図書館の、薄暗い郷土資料室が、急に冷たくなったように感じた。


「偶然、ということは」私は、すがるように言った。「のどかな唄のたまたまの一節と、たまたまの事故の状況が、似てしまっただけ、ということは」


「紙の舟は、偶然では説明がつかない」暁人は、首を振った。「足を滑らせて崖から落ちた老人が、なぜ、子供の折るような紙の舟を懐に入れていたのか。あれは、その場に置かれたものだ。誰かが、網代の死を、この唄の三番になぞらえた。崖で、船を持たせて。——見立て、というやつです」


 見立て。私は、その言葉の不気味な響きに、ぞっとした。


「なぜ、そんなことを」と、私は訊いた。「人を殺すだけでも恐ろしいのに。なぜ、わざわざ唄になぞらえるんですか。捕まる危険が、増えるだけなのに」


「わかりません」暁人は言った。「ただ——見立てをする犯人には、たいてい理由がある。世間に何かを知らせたいのか。それとも、自分自身に、その死を意味あるものにしたいのか。この唄を選んだということは、犯人にとって、この唄が特別なものだ、ということです。子供のころから、体に染みついた唄」


 子供のころから、体に染みついた唄。それはまた、岬で育った人間を指していた。


 私はもう一度、その唄を見た。のどかな子供の数え唄。けれど、いま、その一行一行が、まるで違って見えた。


 三つとせ。岬の娘は、崖で手を振る、船に振る。——網代。崖からの転落。紙の舟。三番は、もう埋まっている。


 では、その先は。私の指が、四番から下を、おそるおそる、なぞった。


 四つとせ。夜の潮は、深く深く、みな眠る。——潮に、沈む。

 五つとせ。灯は赤々と、燃え立ちて、夜を照らす。——火に、焼かれる。

 六つとせ。むかしの重し、するすると、降りてくる。——重い何かが、落ちてくる。

 七つとせ。灯の主は、ぐるりぐるりと、夜を守る。


 一つ一つが、もし三番と同じように、誰かの死の設計図だとしたら——そこまで考えて、私は頭を振った。早すぎる。死んだのは、網代一人だ。三番が、たまたまあの死に合っただけ、ということもあるのかもしれない。けれど、のどかな子供の唄が、急に得体の知れないものに見えてしまったことは、確かだった。


「東雲さん。この唄の続きは——」と、私は、かすれた声で言いかけた。


「わかりません」暁人は、それを引き取った。「網代の死、一つきりだ。続くのか、終わるのか、それは誰にもわからない。——けれど、一つだけ言えることがある」


 彼は、唄を、指で押さえた。


「この唄を、最後まで諳んじられる人間。三番が崖と船だと、淀みなく言える人間。それは、よそ者には、できない。半世紀前の採集記録を引っぱり出して、ようやく全文を知った、私たちのような者には。——この唄を骨の髄まで覚えているのは、子供のころ、この岬の集落で、何百回も歌って育った者だけだ。網代の死を、この唄になぞらえた者は、この回光岬で、育っている」


 その断定には、迷いがなかった。唄という、たった一つの手がかりから、暁人は、犯人の輪郭を、これだけ削り出していた。


 回光岬で、育った人間。私は、シゲさんの言葉を思い出した。岬の子は、みんなこの唄を歌って育った、と。——その中に、燈里がいた。そして、灯子がいた。けれど、燈里は、二十年前に死んでいる。


 私は、その先を考えるのが、怖かった。


 その晩、宿の窓から見る灯台の灯は、もう、ただの灯には見えなかった。十五秒に一度、ぐるりと回って、海をなでる白い光。灯の主は、ぐるりぐるりと、夜を守る。唄の、七番。——灯の主とは、誰のことだろう。けれど、それ以上は考えまいとした。網代の死が唄に一つ重なっただけで、唄のすべてを死に結びつけようとしている。いつもの悪い癖だ。けれど、その晩は、それを笑い飛ばすことができなかった。


 崖の網代は、三番。なら、一番と二番は。日の暮れに灯を点す、灯守。沖を見て鳴く、双子の鴎。——それは、死の見立てというより、この唄がもともと、誰の物語だったかを告げているようだった。灯台守と、その双子の娘たち。一つの家族の、ありし日の情景が、唄の頭に、そっと置かれている。そして、その先で、人が一人ずつ、死んでいく。——まるで、幸せだった一家の唄が、いつのまにか、その一家を奪った者たちを数える唄に、変わってしまったかのように。


 私のところに届いた、たった一行の手紙。二十年前、灯台で死んだ少女は、事故ではない、殺されたのだ。——その一行を書いた誰かは、この唄を知っている。私はもう、それを疑わなかった。


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