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灯台守の娘  作者: よしお


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10/17

検案書の余白

 燈里という少女がどのように死に、どのように葬られたか。私たちは、それを知ろうとした。


 手紙にはこうあった。二十年前、灯台で死んだ少女は事故ではない、殺されたのだ、と。もしそれが本当なら、その「事故」は誰かが作ったものだ。事故でないものを事故に仕立てた誰かがいる。その手の跡を見つけたかった。十六歳の娘の死を、紙の上で事故に変えた、その手の跡を。


 手の跡は消えにくい。人は、自分の書いたものをそう簡単には消せない。二十年前に誰かが書いた一枚の紙が、その人間の罪を今も静かに証言しているはずだった。そういう紙を探すために、私はこの仕事を選んだようなものだった。


 二十年前の検案の記録そのものは、手に入らなかった。事故として処理された死の記録は警察の書庫の奥に眠っていて、よそ者の物書きと肩書のない男が、見せてくれと頼んで出てくるものではない。


「正面の扉が閉まっているなら、裏の窓をいくつも当たればいい」と暁人は言った。「一つの死は、一枚の書類だけに痕跡を残すわけではありません。新聞に、寺の過去帳に、火葬場の記録に。死は、いくつもの場所に薄く影を落としていく。その影をつなぎ合わせれば、書類を見なくても輪郭は浮かんでくる」


 彼は、その言葉どおり、いくつもの裏窓を当たっていった。図書館の郷土資料、古い電話帳、医師会や記者クラブの名簿、土地の登記。一つ一つは何の意味もない古い紙の山だった。けれど暁人は、そのばらばらの紙片を根気よく並べ替えていった。建物の図面を読むのと同じやり方で、死んだ一人の少女のまわりに二十年前に誰がいて何をしたか、その配置図を組み上げていった。


 まず、図書館で二十年前の地方紙の縮刷版を繰った。私も隣で手伝った。何百という二十年前の朝が、ページをめくるたびに過ぎていった。誰かの結婚、誰かの当選、どこかの火事。生きていた人々の、二十年前の日々。その中から、たった一人の十六歳の死を探した。


 そして、秋のある日付の社会面の隅に、暁人がそれを見つけた。


 小さな記事だった。三段組みのいちばん下。見出しはこうだった。


 『回光岬灯台で転落事故 灯台守の娘死亡』


 本文は短かった。何日の夜、回光岬の灯台で灯台守の娘(十六)が灯室から転落して死亡した。警察は、灯室の手すりから誤って転落したものとみており、事件性はないとしている——それだけだった。娘の名前も書かれていない。なぜ夜の灯室にいたのかも、父親はどこにいたのかも、何も。ただ、事件性はない、と一言。


 私は、自分の仕事のことを思った。私なら、この死をこんなふうには書かない。十六歳の娘がなぜ夜の灯室にいたのか。手すりはどうなっていたのか。書きたいことがいくらでもある。書かないではいられない。この記事を書いた記者は、書かないことによほどの覚悟が要ったはずだった。あるいは覚悟など要らず、ただ命じられるまま書かなかっただけなのか。


「短い」と私は言った。


「短すぎる」暁人はその記事を長いこと見ていた。「本来なら、もっと書くことがあるはずだ。けれど、この記事は何も書いていない。書かないと決めた人間が書いた記事です」


 その記事に署名はなかったが、暁人は当時の地方紙の、回光岬周辺の担当記者を別の記録から割り出していた。柚原という名の記者だった。先日、燈屋家の後援会の名簿の隣に見かけた名前である。


「柚原という記者は、このあと、それなりに出世しています。地方紙のそれなりの地位まで。——二十年前、灯台守の娘の死をたった三段で片づけた記者が」


「書かなかった褒美に出世した、ということですか」と私は訊いた。


「わかりません。けれど、書くべきことを書いた記者が左遷され、書かないことを選んだ記者が出世する。そういうことは、この国では珍しくない」暁人は淡々と言った。「燈屋家のような家にとって、口の堅い記者は何より値打ちのあるものだったでしょう」


 暁人は、燈里が葬られた寺の過去帳も当たっていた。


「妙に早いんです」と彼は言った。「亡くなって、ほとんど間を置かずに火葬されている。普通、不慮の死ならもう少し時間がかかるものだ。検視に、手続きに。けれど燈里の場合は、まるで急ぐように片づけられている。遺体を早く灰にしてしまえば、もう誰も診直すことはできない」


 早く灰に。証拠を消すように。


 燈里の体は、もうどこにもない。突き落とされたのなら、その痕も争った跡も、すべて二十年前に灰になった。残っているのは紙だけだ。事故と書かれた、紙だけ。だからこそ、その紙に書かれなかったことが、今となっては唯一の手がかりだった。


 記事には「警察は事件性はないとしている」とあった。けれど、その判断のもとになったのは、遺体を診た医師の検案だ。当時、回光岬の一帯を診ていた診療所は一つしかなかった。暁人は古い医師会の名簿と診療所の登記を照らし合わせて、その医師の名を特定した。


 室戸壮一。


 これも、後援会の名簿で見た名前だった。隣町で長く診療所を開き、二十年ほど前に引退した医師。二十年ほど前——つまり、燈里が死んだそのころに、診療所をたたんでいる。


「引退の時期が気になりますね」暁人は静かに言った。「灯台守の娘を診て、ほどなく診療所を閉じた。偶然かもしれない。けれど、重いことをした人間は、しばしばその場所に長くはいられなくなるものです」


 彼はノートに簡単な図を描いた。塔の最上部。ガラスに囲まれた灯室。その周りを巡る手すり。


「灯室の手すりは、人の背より高い」暁人はその線を指でなぞった。「光を守る人間が誤って落ちないよう、そう造られている。腰の高さの崖の手すりとは違う。あれを誤って乗り越えて落ちるのは、容易なことではない。背の高い大人でも難しい。ましてや十六歳の娘です」


 私は、鎖の前から見上げた、あの灯室を思い出した。塔のてっぺんのガラスの部屋。あそこから十六歳の娘が落ちた。自分で落ちるには高すぎる手すりを越えて。誰かに越えさせられたのでなければ。


「事故にしては不自然だ、と」


「少なくとも、遺体を診た医師は、その不自然さに気づくはずなんです」暁人は言った。「これだけ高い手すりを、どうやって越えて落ちたのか。突き落とされたのではないか。手すりに争った跡はないか。爪の間に何か残っていないか。遺体を診た医師なら、当然、引っかかるはずの点がいくつもある。けれど室戸という医師は、不自然さに触れない検案を出した。警察が事故と処理するための、医学的なお墨付きを与えたんです」


「気づかなかっただけ、ということは」と私は言った。


「その可能性もあります。医師にも見落としはある。けれど、もし見落としでないとしたら。気づいていて、なお触れなかったのだとしたら。それは見落としよりずっと重い。気づいていて目をつぶった人間は、二十年、それを忘れられない。忘れられないものを抱えて生きている」


「重いものですね」と私は言った。


「ええ。人を一人、紙の上で殺すというのは、刃物で殺すのとはまた違う重さがある。手は汚れない。血も流れない。ただペンを動かさないでいるだけだ。けれど、その不作為が、一人の少女の死を永遠になかったことにする。室戸という人は、二十年、そのペンの重さを抱えてきたはずです」


 彼は、検案という言葉を、もう一度なぞるように言った。


「検案書を、私は見ていません。けれど、見なくてもわかることがある。その検案には、書かれなかったことがあるはずだ。手すりの高さも、争った跡も。書けば事故では済まなくなることを、室戸という医師は書かなかった。本当のことは、書かれた文字ではなく、書かれなかった余白のほうにある」


 書かれなかったことの中に、本当のことがある。私は、その考え方の静かな鋭さに息を呑んだ。


 燈里という少女の死は、こうして片づけられた。踏み込まない記事を書いた記者。不自然さを余白に追いやった医師。そして、その死を捜査しなかった警察。それぞれが、それぞれの場所で少しずつ目をつぶった。


「一つの死を事故にするのは、一人ではできない」暁人は静かに言った。「記者が書かない。医師が触れない。警察が追わない。そうして一つの死は、なかったことになる」


「それだけの人間に目をつぶらせるには、よほどの力が要ります」と私は言った。


「ええ。一人の医師や一人の記者を黙らせるのとはわけが違う。土地ぐるみで一つの死を消す。それができる力を持った家は、この岬に一つしかありません」


 そらされた目の、その先で、少女は灯台から落ちて死んだ。


「室戸という医師に、会えますか」と私は訊いた。


「引退して、隣町の外れにまだ住んでいるようです。二十年前、燈里の死を診た、その人です。会って話すかどうかは、わからない。二十年隠してきたことを、口にする人間は、めったにいない」暁人はノートを閉じた。「けれど、長く胸に石を抱えてきた人間は、ときに、それを下ろしたがっていることがある。それに、こちらには一つ、手がある。あなたのところに届いた、あの手紙です。あれを見せれば、室戸は知ることになる。二十年前のことを掘り返そうとしている誰かが、どこかにいる、と」


 私は、その医師に会いたいと思った。二十年前のあの夜、灯室で本当は何が起きたのか。それを知る人間が、まだ生きて、すぐ近くにいる。


「ただ、気をつけたほうがいい」と暁人は言った。「二十年前の死に触れた人間が、一人、もう死んでいます。網代権左だ。あなたが彼を訪ねて、手紙のことを口にした、その夜に」


 私は口をつぐんだ。私が網代に会い、手紙のことを口にした。その夜、網代は死んだ。もしそれが偶然でないのなら——私たちが室戸に会いに行くことは、室戸にとって、何を意味するのだろう。その問いを、私はうまく、最後まで考えることができなかった。


 その晩、私は宿の窓辺でノートを開いた。これまでに辿ってきた人の名を書き並べてみた。


 燈屋玄三。網代権左——死亡。室戸壮一。柚原。灯を操った父、源助——死亡。灯台から落ちた娘、燈里——死亡。


 網代権左は、つい先日、崖から落ちて死んだ。事故として。けれどその死は、子供のわらべ唄の三番に、不気味なほど重なっていた。


 私は、その名簿を長いこと見つめていた。死んだ者と、まだ生きている者。その境目が、なぜか、ひどく曖昧なものに見えた。窓の外では回光灯台の灯が十五秒に一度、海をなでていた。光が届くたびに、ノートの上の生きている者たちの名が白く浮かび上がっては、また闇に沈んだ。


 この灯は、二十年前もこうして回っていた。燈里が落ちたあの夜も、源助が灯を守ったあの夜も。同じ十五秒の間隔で、同じ海をなで続けてきた。灯は何も変わらない。変わったのは、その下で生きていた人間たちのほうだ。何人かは死に、何人かは消え、何人かは二十年前の罪を抱えたまま、まだ生きている。


 燈里の死は、不自然なまでに手早く事故にされた。その死を作った人間たちが、まだ生きている。その背後に、何があるのか。そこまではまだ、わからなかった。


 わかっているのは、一つだけ。私たちが近づこうとしている過去は、すでに一人の人間を、崖から突き落とすほどの重さを、持っているということだった。


 私たちは、室戸壮一に会いに行くことにした。書かれなかった検案書の余白に、何があったのかを訊くために。


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