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灯台守の娘  作者: よしお


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燈屋家の影

# 第7章 燈屋家の影


 網代権左の死は事故として処理された。


 葬儀には村じゅうの人間が集まった、と女将は言った。引退した顔役の立派な弔いだった、と。けれど、その死を二十年前の灯台守の娘の死や、私のところに届いた手紙と結びつけて口にする者は誰もいなかった。網代の死から数日のあいだに、土地の口は前にも増して固く閉じた。漁協の老人も、二度目に訪ねたときには灯の話すらしてくれなかった。すれ違う村人の視線が、よそ者の私たちを追い払うように冷たくなった。民宿の女将でさえ、夕食の席で二十年前のことを訊くと、目を伏せてもう何も覚えていないと繰り返すばかりだった。


「人が怯えている」と暁人は言った。「灯のことを話しただけの私にまで、これだ。網代という人が死んで、土地は何かを察した。触れてはいけないものに自分たちが近づきすぎた、と」


 土地の人から聞けないなら、聞ける場所へ行くしかなかった。私たちは本土に戻り、隣町の県立図書館に通った。岬を離れると携帯の電波も戻り、人の口もいくらか軽くなった。燈屋家のしがらみの外。


 暁人は図書館でも相変わらずだった。郷土資料の棚の前に立つと、水を得た魚のように、次々と古い冊子を引き出しては床に積み上げていく。司書が何度も注意しに来た。彼は生返事をして、また本に戻った。人の言葉は半分しか聞かない男だったが、紙に書かれた言葉は一字も聞きのがさなかった。


 図書館の郷土資料室で、私たちは燈屋家の歴史を掘った。


 その家は、思っていたよりもずっと古かった。


 江戸の中ごろ、燈屋は廻船問屋としてこの地に興った。七つ岩の難所を抱えた回光岬は、本来、船の寄りつかない土地だ。だが燈屋は、その難所に私財で灯を掲げた。船を導く灯を持つことで、燈屋の船は安全に岬を回り、ほかの船が避ける航路を独占した。灯を持つ者が海を制する。燈屋はそうやって財を成した。明治に入り、国が灯台を国のものにしていく流れの中でも、燈屋だけはその灯を手放さなかった。私財で石造の灯台に建て替え、土地ごと灯を守り続けた。郷土史は、その執着を海への愛、一族の悲願、と美しく書いていた。


「ここまでは美しい話だ」暁人は古い郷土史のページを繰りながら言った。「難所に灯を掲げ、海の安全を守り、その見返りに栄えた。立派な話です。百年史もそう書いている。——だが」


 彼は別の一冊を開いた。公民館で私が見た、あの『回光灯台百年史』だった。その巻末近くの、難破の年表。


「この表をもう一度見てください」暁人は指でそれをたどった。「七つ岩で沈んだ船の記録です。灯台ができる前は、ひと冬に三隻、四隻と沈んだ。灯台が点いてから減った。——本はそう結んでいる。減って、めでたし、と。ですが、よく見ると、灯台が点いたあとも船は沈み続けている。年に一隻か二隻。ぽつり、ぽつりと」


「灯台があっても沈むことはある、と」私は港の老人の言葉を思い出していた。「沈むときは灯があっても沈む、と」


「ええ。事故は起きる。それはおかしくない」暁人はページの一点を押さえた。「おかしいのはこちらです。——沈んだ船の、その後だ。郷土史を丹念に拾っていくとわかる。岬の沖で船が沈むたびに、その積荷がどこかへ消えている。記録にはこう書かれている。『積荷は、ことごとく流失せり』。流れて失われた、と。何度も、何度も」


 彼は別の記録を指した。


「妙なのは、沈んだ船の素性です。ここで沈んだのは、たいてい、よその船だ。遠くから来た、土地に縁のない船。しかも値の張る荷を積んでいた船が多い。地元の漁船が沈んだという記録は、ほとんどない。——七つ岩は、地元の人間なら目をつぶってでも避けられる岩礁です。沈むのは、いつも、土地を知らないよその船だった」


 よその船。値の張る荷。私はその符合の不気味さに口をつぐんだ。


 暁人は顔を上げた。


「流れた荷は、どこへ行ったのか。海の底に沈んだのか。それとも、誰かが拾ったのか」


 私は、岬の港で会ったあの老人のことを話した。難破の知らせがあると、村じゅうが浜へ出た。流れ着いた荷を拾いに。老人はそう言って、測れない笑い方をした。


「拾う、というのは、この土地ではありふれたことだった」と私は言った。「難破は、浜にとっては恵みでもあった、と」


「ありふれた村の習わし。その通りでしょう」暁人は静かにうなずいた。「だが、村人が拾うのは浜に流れ着いたおこぼれだ。本当に値打ちのある積荷を、まるごと、誰かが組織だって運び去っていたとしたら——それはもう習わしではない。商売です。難破で儲ける商売だ」


 難破で儲ける。私はその言葉の冷たさに背筋が寒くなった。


「七つ岩は人を殺す海です」暁人は続けた。「その海で、ふつう、船を持つ家は富を減らす。船が沈めば損をするからだ。ところが燈屋家は逆だった。難破の多いこの土地で、海運によって富を増やし続けた。代々栄え続けた。——海が人を殺すたびに富を増やす家。難破で損をする側ではなく、得をする側に、この家はずっといたんじゃないか」


「でも、難破は事故です」と私は言った。「燈屋家がわざと起こせるものでは——」


 言いかけて、私は口をつぐんだ。暁人がこちらを見ていた。その目が静かに、私の言いかけた言葉の、その先を指していた。


 灯台を持つ家。灯を点す家。灯を消すこともできる家。


「私は何も言っていません」暁人は静かに言った。「ただ、古い記録を並べただけだ。けれど、あなたは今、自分でその先を考えた。考えてしまった。——それが、この百年、この土地の誰もが考えまいとしてきたことです」


 私は何も言えなかった。図書館の静かな郷土資料室で、暁人の声だけが低く響いていた。


「もちろん、これは私の読みにすぎません」暁人は本を閉じた。「古い記録を並べて、勝手に物語を編んでいるだけだ。証拠は何もない。けれど——灯を持つ家が難破で富を得ていたとしたら。その灯は、いったい何のために点っていたのか」


 灯は、何のために点っていたのか。船を導くためか。それとも——


 私は、その先を考えたくなかった。


 午後、私たちは燈屋家の現在の姿を、別の角度から調べた。


 登記。新聞の地方版。商工会の名簿。集めていくと、燈屋家が今もなおこの一帯に持つ力の輪郭が見えてきた。回光岬の土地の半分以上。近隣の漁港の漁業権の一部。隣町の商店街のいくつかの建物。そして地元の選挙のたびに、燈屋家の名は後援会の筆頭に並んでいた。網代権左の名も、その隣に長くあった。


 ほかにも名前があった。医師会の古い名簿に、室戸という、隣町で長く診療所を開いて二十年ほど前に引退した医師の名が。地方紙の退職した記者の一覧に、柚原という名が。みな二十年前、この土地でそれなりの立場にいた人間たちで、その名のいくつかには、燈屋家との目立たない繋がりが見え隠れしていた。後援会に、寄付の記録に、同じ会合の出席者として。


「漁協の建物も半分は燈屋さんの寄付だ、とあの男は言いました」私は公民館で会った漁協の老人の言葉を思い出した。「学校も、道も。誰も悪くは言えん、と」


「寄付、というのは優しい言葉だ」暁人は言った。「だが、受け取った側は頭が上がらなくなる。学校を建ててもらい、道を直してもらい、漁協を支えてもらった土地が、その家の不審に目をつぶる。——燈屋家はこの百年、二つのもので土地を縛ってきた。一つは恐れ。もう一つは恩です。恐れと恩はよく似ている。どちらも人の口を固く閉じさせる」


 恐れと恩。私は女将のことを思った。立派なことですよ、と言いながら、立派だと思っていない、あの平らかな声。漁協の男の、燈屋さんの耳に入ったら、という警告。土地の人は皆、知っているのだ。あるいは薄々、感じている。けれど、誰も口にできない。恐れと恩で雁字搦めになっている。


 その晩、宿に戻る車の中で、私は当主のことを訊いた。


「燈屋玄三という人は、いったいどういう人なんでしょう」


「会ったことのない人間のことは、わからない」暁人は窓の外の、暮れていく海を見ていた。「ただ、わかることもある。七十を過ぎて妻を亡くし、子もなく、あの広い館にたった一人で——いや、管理人と二人で、こもっている。岬の半分を持ち、土地を縛り、人に恐れられ、それでいて誰にも会わない。鎖を張って世間を拒んでいる」


「孤独な人、ということですか」


「孤独、というのとは少し違う気がします」暁人はしばらく考えた。「孤独な人間は、たいてい、誰かを恋しがる。会いたがる。だが、あの家は逆だ。会いたがらない。来る者を拒んでいる。それは寂しさとは別のものです」彼は続けた。「鎖を張る人間には二種類いる。世間から身を守るために張る者と——世間に知られたくないものを抱えている者だ。燈屋玄三がどちらなのかは、まだわからない。けれど、あの館のたった一つだけ灯っていた、あの明かりを思うと」


 彼はそこで言葉を切った。


「あの家は、何かを守っている。富や土地ではなく、もっと暗いものを。百年、灯を点し続けながら、その灯では決して照らさない、影のようなものを」


「でも」と私は言った。「もし、その影が、灯火と難破と消えた積荷のことだとして——それはもう、ずっと昔の話です。二十年も三十年も前の。今さら誰かがそれを暴いて、何になるんでしょう」


「何にもならないかもしれない」暁人は言った。「法はとうに時効でしょう。証拠も海の底だ。——けれど、人の恨みには時効がない。富や罪が時効を迎えても、奪われた人間の失ったものは戻ってこない。その手紙を書いた誰かは、たぶん、法に裁いてほしくて書いたんじゃない」


「では、何のために」


「さあ」暁人は暮れる海を見たまま言った。「それを知るには、奪われた側の人間を探すしかない。この家に何かを奪われた人間を」


 車は、暗くなった海沿いの道を岬のほうへ走っていた。やがて遠くに、回光灯台の灯が見えてきた。十五秒に一度ぐるりと回って海をなでる、白い光。船を導く命の灯。けれど、今の私には、その同じ光が、難破した船の上を何度も何度も撫でてきた光にも見えた。


 灯は、何のために点っていたのか。


 その問いは、二十年前の灯台守の娘の死より、ずっと古く、ずっと深いところから伸びていた。私のところに届いたたった一行の手紙は、その深い闇のほんの入口にすぎないのかもしれなかった。


 十六歳だった、と女将は言った。かわいい子でね、と。その娘が灯台のいちばん上から落ちて死んだ。事故、ということになっている。——けれど、私の手もとの手紙は、それを殺人だと言う。そしていま、私たちは、その同じ灯台を持つ家の古い罪の影を掘り当てた。二十年前の少女の死と、この家が隠してきたものとのあいだに糸があるのかどうか。それは、まだ何ひとつわからなかった。ただ、別々に転がっていた二つのものが、同じ灯台の足もとで、私の手の中に揃いつつある。それだけは確かに思えた。


 私はノートに、暁人の言葉を書きつけた。


 難破で富を得る家。恐れと恩で土地を縛る家。灯では照らさない影を抱えた家。


 そして、その家に長く仕えて、私を無言で追い返した、あの管理人の温度のない顔を、もう一度思い出した。鎖の内側で、たった一人、あの当主のそばにいる女。その横顔からは、いつものように、何も読み取れなかった。


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