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灯台守の娘  作者: よしお


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仕組まれた招待

 朝の光が、広間の床に少しずつ満ちはじめていた。けれど誰も立ち上がろうとはしなかった。灯子の話がまだ終わっていないことを、その場の全員が感じていた。


「灯子さん」私は口を開いた。声が自分でも意外なほど落ち着いていた。「訊きたいことがあります。私のところへ届いた、あの手紙のことです。差出人のない、たった二行の告発状。——あれを書いたのは、あなたですね」


 灯子は私のほうへ静かに目を向けた。そして隠すそぶりもなくうなずいた。


「ええ。私が書いて、私が出しました。この家の便箋で」


 この家の便箋。墨を流したような灯台の透かしの入った、燈屋家の特注の紙。それがめぐりめぐって、私の机の上に立っていた。


「どうして、私だったんですか」私は訊いた。「岬から遠く離れた、なんの縁もない私のところへ」


「縁がないからです」灯子は言った。「岬の人間は、誰も書かない。二十年前にそうだったように。——姉が灯台から落ちて死んだとき、それは新聞の片隅の、たった一行になりました。灯台守の娘、十六歳、転落、事故と見られる。それきり。崖の下の岩に姉の体が砕けたことも、その背を押した手があったことも、一行のどこにもない。岬の誰もが知っていて、誰も書かなかった」


 たった一行。私が岬を調べはじめた夜、画面の隅に見つけた、あの言葉だった。


「私は、書く人がほしかった」灯子は言った。「岬のしがらみの外にいて、片隅の小さな死を見過ごさずに掘る人が。——あなたの書いたものを、いくつか読みました。誰も覚えていない事件を、あなたは一人で掘り起こしていた。この人なら、と思ったんです。一行で消されたものを、もう一度、表に引き出してくれる人だと」


 私は言葉を失った。あの手紙は、偶然この手に渡ったのではなかった。選ばれて届いたのだ。掘れ、書け、と。


「けれど、手紙だけでは足りませんでした」灯子は続けた。「あなたが一人で岬を掘っても、二十年前のことは、もう土の底です。証す人はみな口を噤む。それに——掘られていることを、あの人たちに知らせる必要があった」


「知らせる」と、葛西が低く言った。


「告発状は、何通も出しました」灯子は言った。「あなたにだけではありません。岬の関係者の何人かにも、それとなく。二十年前を嗅ぎ回る者が現れた、と。古い罪が掘り返されかけている、と。——あの人たちは怯えました。網代さんも、室戸さんも、玄三さんも。自分たちが土に埋めたはずのものが、足もとで動きだした気配に」


 灯子の声は淡々としていた。淹れた茶の加減を告げるように。


「怯えた人間は、寄り集まります」灯子は言った。「私は玄三さんに申し上げました。灯台のこれからを、皆さんで相談なさってはどうですか、と。燈屋の血は、玄三さんと史奈さんの代で絶える。この灯台を誰に託すか、一度きちんと話し合う場を持っては、と。——表向きは、それだけの会です。灯火を継ぐ会。けれど玄三さんが重い腰を上げたのは、灯台のためではありません。告発状で浮き足だった仲間を一つところに集めて、口裏を合わせるためでした」


「あなたが、その会を勧めた」暁人が静かに言った。


「ええ」灯子は言った。「二十年前、姉を消すことに加わった人間を、一人残らず、この館へ。——私が引きずってきたのではありません。あの人たちが、自分の罪に怯えて、自分から集まってきた。私はただ、扉を開けて待っていればよかったんです」


 一つの檻。私は嵐に閉ざされたこの館を思った。岬へ渡る道は波にのまれ、電話の線も切れた。——あれは天の配剤ではなかった。半分は、この女が長い歳月をかけて編んだ網だった。残りの半分を、嵐が縫い合わせただけだ。


「けれど」と、暁人が口を開いた。「その檻に、入らなかった者が二人いる。網代さんと、室戸さんだ。——あなたはこの二人だけは、ここへ呼ばずに、この夜を待たず、先に手にかけた。崖と、潮で。なぜ、二人だけ別だったのか」


 灯子は答えなかった。けれど、その沈黙が、肯いていた。


「考えました」暁人は言った。「そして、二つ思い当たった。——一つは、網代さんです。岬の顔役。二十年前、姉さんの死を事故に揉み消した、その人だ。この土地の漁協も、役場も、あの人の睨みのうちにあった。——もし網代さんが生きていたら、よそ者の私たちがいくら嗅ぎ回ったところで、二十年前と同じだ。あの人がすべてを握り潰し、岬の口を、もう一度固く閉じてしまう。あなたはまず、その隠蔽の番人を倒さねばならなかった。そうしなければ、誰もこの岬の罪には近づけない」


「もう一つは」暁人は続けた。「室戸さんだ。医者です。二十年前、姉さんの検案書を書き換えた人。——もし室戸さんがこの館にいたら、嵐で警察も来られないこの夜、人が死ぬたびに、その亡骸を検めたはずだ。柚原さんが、焼ける前に死んでいたことも。玄三さんが、とうに事切れていたことも。——医者の目があれば、あなたの仕掛けは、その場で見破られていた。だから室戸さんは、この檻が閉じる前に消しておかねばならなかった。死を検める目を、先に潰しておく必要があった」


 私は背筋が冷えた。各地に散らばった死、と私たちは思っていた。けれど、それはばらばらの不運などではなかった。檻を閉じる前に外しておくべき、二つの掛け金——岬の口をふさぐ番人と、死を検める医者。それを、この女は先に、一つずつ外していたのだ。


「——よくお調べになりました」灯子は静かに言った。「そのとおりです。あの二人を残していたら、この夜は、来なかった」


「では」と、私はいちばん知りたかったことを口にした。「なぜ、唄なんですか。——ただ手を下すだけなら、こんな手の込んだことは要らなかったはずです。崖。潮。火。重し。回る灯。どうしてわざわざ、あの数え唄のとおりに」


 灯子は、しばらく黙っていた。白みきった窓の外を見ていた。


「ただ殺すだけなら」灯子は言った。「その死は、また事故になります。崖から落ちた。海で溺れた。火事に巻かれた。——岬の人は、そう片づける。二十年前と同じに。一行で。私は、それがいちばん耐えられなかった」


 灯子の手が、膝の上でかたく重ねられた。


「だから、しるしを付けたんです」灯子は言った。「一つひとつの死に、唄を。——崖で手を振る娘。夜の潮に眠る者。赤々と燃える灯。降りてくるむかしの重し。ぐるりぐるりと回る灯の主。あの唄を知る者が一人でも、五つの死を並べて見れば、気づくように。これは事故ではない、と。順に、唄のとおりに、誰かが裁いているのだ、と。——死に、口をきかせたかった。二十年前、姉が奪われた口を」


 死に、口をきかせる。私は背筋が冷えるのを感じた。この女は人を殺しながら、その一つひとつの死に意味を縫いつけていた。埋められないように。一行にされないように。


「順に、と言われましたね」暁人が、静かに口を挟んだ。「崖、潮、火、重し、回る灯。——あれは、ただ唄の順に当てはめただけ、ではありませんね」


 灯子は、暁人を見た。それから、ごくかすかにうなずいた。


「ええ。——一人ずつ、その人のしたことに、死に方を合わせました」灯子は言った。「網代さんは、姉が落ちて死んだのを、足を滑らせた事故だと裁いた人です。だから、崖から落ちてもらった。——室戸さんは、嘘の検案書で、姉の死の本当のことを眠らせた。だから、眠らせて、夜の潮に沈めた。——柚原さんは、姉を、新聞のたった一行に焼き捨てた。だから、火に。——鵜飼さんは、高いところから姉を突き落とした。だから、降りてくる重しに。——そして玄三さんは、窓から灯りを掲げて、人を殺す合図を送った。だから、その回る灯のなかで死んでもらったんです」


 私は、声も出なかった。唄の見立ては、ただの様式ではなかった。一つひとつが、その人の罪を映す鏡だった。崖を事故にした者は崖へ。真実を眠らせた者は眠って。焼き捨てた者は焼かれて。落とした手は、落ちてくるものに。光で人を殺させた者は、その光に。——灯子は、二十年前に岬がしたことを、一人ずつ、その身に返していたのだ。


「あの唄は」灯子の声が、少しだけやわらいだ。「姉と私が、いっしょに歌ったものでした。岬の子なら誰でも知っている、なんでもない数え唄。——別れの前の晩も、私たちはそれを歌いました。だから、この唄でなければならなかった。姉を奪った者たちを、姉と私の唄で送る。それが私にできる、たった一つの——」


 灯子はそこで言葉を切った。手向け、と言いかけて、のみ込んだように見えた。


「二番を」暁人が言った。「あなたは空けておかれた。双子の鴎を。——どの死にも使わずに」


「ええ」灯子は暁人を見た。「五つの死で、唄は三番から七番まで埋まりました。一番は、ただの幕開け。——けれど二番だけは、どうしても死に使えなかった。双子の鴎。あれは姉と、私です。二羽で一つの。……姉を送る唄の真ん中に、私は、自分を一羽だけ残しておきたかった。生きているほうの鴎を。ここにいる、と」


 誰にも気づかれないはずの署名だった。よそ者には、ただの空白にしか見えない一節。けれど東雲さんは、その空白から、彼女を読み当てた。


「光は」暁人が低く言った。ひとりごとのように。「嘘をつきません。嘘をつくのは、光を語る人間だ。——二十年前、あの人たちは灯を嘘にしました。岩のないところに灯を掲げ、船を沈めた。灯を人殺しの道具にした。そして、その灯のもとで起きた本当のことを、嘘で塗り固めた」


 暁人は灯子を見た。


「あなたは」暁人は言った。「同じ灯を使った。同じ唄を使った。——けれど、嘘を語らせるためではなく、本当のことを語らせるために」


 灯子は答えなかった。ただ、その目がわずかに潤んだように見えた。


 朝が、すっかり広間に満ちていた。長い夜は明けきっていた。けれど私の中には、ひとつ、解けない問いが残っていた。


 憎しみだけで、人はそこまで歩けるものだろうか。崖を、潮を、火を。一人ずつ、唄のとおりに。——しかも、憎む相手のすぐそばで。その茶を淹れ、その身のまわりの世話をしながら、幾年も。憎しみは、たいてい、もっと早く燃え尽きるか、人を壊すかする。なのにこの女は、すり減りもせず、まっすぐに立っていた。姉を喪ってから、長い歳月が過ぎていた。それだけの時を、たった一つの想いで生き通すには、憎しみは、あまりに脆い火のはずだった。


 その背を内側から支えていたものが、憎しみのほかに、もう一つあるのではないか。——私がそう思いかけたとき、灯子がふと顔を上げた。


「東雲さん」灯子は言った。「あなたは、さっき訊きましたね。なぜ長い歳月を、この一夜のために費やしたのか、と」


「ええ」暁人は言った。


「その答えは」灯子は静かに言った。「憎しみ、だけではないんです。——私には、父が、二人いました」


 父が、二人。——その二人のことは、もう聞いていた。灯を操らされた実の父と、その灯に沈められた育ての父と。けれど灯子の口ぶりは、まだその先に、語られていない何かを残しているようだった。私は、その横顔を見た。窓の外では、嵐の去った海が、白く光りはじめていた。


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