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灯台守の娘  作者: よしお


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唄が指す者

「もう一度、唄を最初から」


 暁人は低く口ずさんだ。あの数え唄を。ひと晩じゅうこの館で、死のかたちをなぞりつづけた唄を。


 一つとせ、日の暮れに岬の鼻で灯を灯す。二つとせ、双子の鴎が沖を見て鳴く。三つとせ、岬の娘は崖で手を振る、船に振る——


 歌が進むにつれ、広間の空気がまた張りつめていった。三番。網代が崖から落ちた。四番、夜の潮に室戸が沈んだ。五番、灯は赤々と燃え立ちて柚原が焼かれた。六番、むかしの重しが降りてきて鵜飼を潰した。七番、灯の主はぐるりぐるりと——玄三が灯室に据えられた。


「五つの死は、唄の三番から七番に寸分の狂いもなくはまっています」暁人は言った。「網代さん、室戸さん、柚原さん、鵜飼さん、玄三さん。崖、潮、火、重し、回る灯。犯人は、ただ人を殺したのではない。一つひとつをこの唄に合わせて殺した。——では訊きます。三番から七番が五つの死で埋まったなら、残りはどうなりますか」


「一番と、二番だ」と、葛西が言った。


「一番は導入です」暁人はうなずいた。「日暮れに岬で灯を点す。唄の幕開けで、誰の死でもない。——問題は二番です。双子の鴎が沖を見て鳴く。この一節だけが、どの死にも使われずにぽつんと空いている。五つの死を几帳面に唄へ合わせていった犯人が、二番だけを手つかずで残した。なぜか」


 私はその一節を、胸の中で繰り返した。双子の鴎が沖を見て鳴く。崖でも、潮でも、火でもない。死の影のない、のどかな海辺の情景。


「歌詞が足りなかったわけではない」暁人は続けた。「二番は、ちゃんとある。使おうと思えば使えた。鴎を、双子を、何かの死に見立てることも、やりようはあったはずです。なのに犯人はそうしなかった。——つまり二番は、使い忘れたのではない。使わずに空けておいた。意図して」


「意図して」葛西が眉を寄せた。「なんのために」


「署名のために」暁人は静かに言った。


 署名。私の中で、その言葉が冷たく響いた。


「考えてみてください」暁人は言った。「五つの死は、唄を借りて他人を裁いた。三番から七番は、罪人たちのための節です。けれど二番だけは毛色が違う。双子の鴎。——これは、誰かを殺すための節ではない。誰かを名指すための節だ。犯人は、五つの死で唄を埋めながら、その真ん中に、自分の名をそっと一つ空けて差し込んだ。私はここにいる、と。——双子の片割れだ、と」


「双子の」史奈が、かすれた声を漏らした。


「よそから来た者が、ただ唄を調べてなぞらえただけなら」暁人は言った。「二番を空ける理由がない。自分と縁もゆかりもない『双子の鴎』の一節を、わざわざ手つかずで残しておく道理がない。むしろ、五つきっちり死を並べたなら、ついでに二番も埋めて唄を端まで使いきるのが自然だ。——二番だけを死から外して、大切に空けておく。その意味を持てる者は、ただ一人。自分こそがその『双子』である者だけです」


 広間は、しんとしていた。


「待ってくれ」と、葛西が言った。何かに抗うように。「二番が双子だというのはわかった。だが、それは——殺された娘のことじゃないのか。二十年前、灯台で死んだ、その娘だ。犯人が、死んだ娘を悼んで、その一節だけは死に使わず手向けに空けておいた。そうも読めるだろう。なら、犯人が双子だとは限らん」


 もっともな問いだった。私もそう思いかけた。だが暁人は、ゆっくりと首を振った。


「鴎は、二羽です」暁人は言った。「双子の鴎。一羽ではない。双子とは、二人で一つだ。片方が欠ければ双子ではなくなる。——もし、この二番が死んだ娘ひとりへの手向けなら、唄は『鴎が沖を見て鳴く』で足りる。なのに、双子の、と歌っている。二羽の、と。そこにはもう一羽、生きて鳴いている鴎がいる。死んだ姉と、いまこの唄を組み上げている生きた妹と。二羽でひとつの、双子の鴎」


 二羽でひとつ。私は、息を呑んだ。


「これは、死者への手向けではありません」暁人の声が低くなった。「生者の名乗りです。私は双子だ、生き残ったほうの鴎だ、と。——殺された姉のためではなく、生きている自分のために犯人は二番を空けた。だから二番は、弔いではなく署名なのです」


 史奈が、よろめくように椅子の背をつかんだ。「双子……。でも、この岬で双子だなんて」


「岬で双子といえば」暁人は言った。「私の知るかぎり、ただ一組です。灯台守、沖野源助の二人の娘。——姉と妹。同じ顔をして、同じこの岬で、この唄を歌って育った双子の姉妹」


 沖野の娘たち。私の頭の中で、公民館で見たあの百年史の余白が白く浮かんだ。沖野源助。その名の下に、家族の名は一行もなかった。妻の名も、二人の娘の名も。灯台を守った男の名は残し、その娘たちのことは一字も書かない。立派な金箔の陰の、白いところ。私はあのとき、その三人のことをしばらく考えていたのだ。父と、姉と、そして——よそへやられて、村の記憶からも消えた妹のことを。


「姉は」暁人は言った。「二十年前、灯室から落ちて死んだ。これは動かない。——では、妹は」


 妹は。私の鼓動が、速くなった。


「妹のことは、ほとんど何も残っていません」暁人は言った。「幼いころに、よそへやられた。父が死に、姉が死んだあとも、この岬には戻らなかった。葬式にも出ていない。役場で調べても、消息は知れない。——けれど真壁さん。一つだけ、はっきりしていることがありましたね」


 私はうなずいた。声がわずかに震えた。「死亡届が出ていません。沖野家の妹は、二十年、どこにいるとも知れぬまま——けれど、死んだという届けは、どこにもなかった」


「届けがないということは」暁人は言った。「生きている、ということです。少なくとも、死んだとは誰も言えない。——双子の妹は、二十年前のあの岬から消えて、どこかで生きている。そして、いま」


 暁人は、そこで言葉を切った。


「いま、この唄が二番を空けて、その妹を呼んでいる。私はここにいる、と。生き残った鴎は、ここにいる、と」


 ここにいる。私は思わず、広間を見回した。生き残った双子の妹は、ここにいる。この館のどこかに。


「東雲さん」と、葛西が、声を低めて言った。「では、その妹が招待客に化けて、紛れ込んでいたとでも。あるいは——さっき、あんた自身が言っていた、館に潜んでいたもう一人。あれが、その妹か」


「その二つは、もう消えています」暁人は言った。「招待客の中に、双子の妹はいません。史奈さんは燈屋家の人で、双子ではない。保科さんは、岬の出ですらなく、この唄も知らなかった。——では、館に潜む第六の人物か。私も一度はその筋を立てました。けれど、夜が明けて館の隅々まで検めても、誰かがひそんでいた跡は何一つ出てこなかった。寝た跡も、食べた跡も、出入りの跡も。それに、鵜飼さんを殺したあの機構室の仕掛け。あの部屋の鍵を持つのは、ただ一人だけです。潜んでいた誰かが、その鍵なしにあの密室を組めるはずがない」


 暁人は、一歩前へ出た。


「潜む者を立てる必要は、もうありません」暁人は言った。「機構室の鍵を持ち、灯台の光と仕掛けを知り尽くし、各地を回って罪人たちを呼び集め、燈屋家の紙で告発状を書き、——そして、岬で育った者しか知らぬあの唄を、ふとした折に無意識に口ずさんでいた者が、この館にたしかに一人いる」


 無意識に。私は、はっとした。いつだったか。この長い旅のどこかで。誰かが低く、あの数え唄を口ずさんでいた。聞くともなく、私はそれを聞いた。よそ者が知るはずのない、この岬の唄を。


「私は、聞きました」暁人は言った。「あの人が、誰にも聞かせるつもりなく、唇の端であの唄をなぞっているのを。岬で育った者でなければ出てこない節を。——骨に染みついた唄は、隠そうとしてもふとした拍子に漏れる。その一節が、もう答えを言っていた」


 広間の誰もが、同じ方を見ていた。柱時計の脇。茶の盆を手にした、一人の女。


 真琴。


 その横顔から、いつもの温度のない静けさが、ゆっくりと剥がれかけていた。盆を持つ手が、はじめて、わずかにこわばっていた。彼女は、目を上げなかった。けれど、伏せた睫毛のあたりに、これまで一度も見せなかった何か——張りつめた、けれど、どこか安らいだような色が差していた。長いあいだ被ってきた仮面の下から、別の顔が静かに浮かび上がろうとしていた。


「けれど、私は、まだあなたの名を呼びません」暁人は、その女のほうへ静かに言った。叫ぶのでも、責めるのでもなく、長くたどってきた糸の、いちばん奥にいる相手へ語りかけるように。「唄は、あなたが双子の妹だと教えてくれた。便箋は、あなたがこの家に連なる者だと教えてくれた。鍵も、機構も、各地の足取りも、みな、あなたを指しています。——けれど、それだけでは、私はまだ、あなたを裁けない」


 真琴は、答えなかった。ただ、盆をそっと傍らの卓に置いた。音もなく。両手が、自由になった。まるで、長い夜の給仕がようやく終わったとでもいうように。


「私が知りたいのは」暁人は言った。「あなたが何をしたか、ではない。なぜあなたが、長い歳月を、この一夜のために費やさねばならなかったのか。そのことです。——二十年前、あの灯室で、ほんとうは何があったのか。あなたの姉に、何が起きたのか。それを、あなたの口から聞かせてはもらえませんか」


 広間が、息を止めていた。嵐は、いつのまにか遠ざかっていた。窓の外は、白みかけている。長い夜が、明けようとしていた。


 真琴は——その女は、ゆっくりと顔を上げた。


 そして、二十年ぶりに、自分の名を、自分のものとして口にするように、静かに唇を開いた。


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