不可能な時刻
柱時計が十二時を打った。
嵐はまだ吠えていた。広間の暖炉は、もう熾火になりかけている。誰も薪をくべに立とうとしなかった。立てば、暗がりに背を向けることになる。私たちは身を寄せ合い、扉に卓を寄せた一室で、ただ灯室の影を見ていた。
暁人が隣で、低く口を開いた。私にだけ聞こえる声で。
「考えていました。鵜飼さんが死んだとき、誰がどこにいたか」彼は言った。「あの重い音を聞いたとき、私たちは五人ともこの広間にいた。あなたも、私も、保科さんも、史奈さんも、真琴さんも。互いに顔の見えるところに。誰一人、抜け出してはいなかった」
「ええ」
「機構室は内側から閂が下りていた。中には鵜飼さん一人きり。誰も入れない。そして玄三さんは、あの灯室だ。あそこへ上るには、機構室の急な梯子を登るほかない。玄三さんの足では登れない。本人がそう言っていた。つまり玄三さんも、機構室へは行けない」
「網代さんも室戸さんも、もういません」
「そうだ。残る誰にも、鵜飼さんは殺せなかった。この家の、ただの一人にも。——なのに鵜飼さんは死んでいる」
「外の者では」と私は言った。「誰か、嵐にまぎれて、館に隠れているのでは」
「それも考えた」暁人は言った。「だが一本道は崩れ、海は荒れている。この孤立は、犯人を閉じ込めると同時に、外の者を締め出してもいる。もし余所者が潜んでいるなら、これだけ家じゅうを動きまわって、誰の目にも触れぬはずがない。——いや。殺したのは、この館の中の、私たちの誰かだ。それは間違いない。間違いないのに、その誰にも殺せなかった」
暁人の声が、その不可能をひとつずつ積み上げていく。私は背筋が冷えていくのを感じた。閉ざされた館の中で、人が死ぬ。なのに、殺せた者が一人もいない。それは、扉を閉めて卓で塞いだこの部屋よりも、もっと深い檻のように思えた。理屈の檻だ。出口がどこにもない。
「ただ、一つだけ抜け道がある」暁人は続けた。「あの仕掛けが、時計仕掛けだったことだ。香が糸を焼き切るまで、二時間でも三時間でもかかる。つまり犯人は、鵜飼さんが死んだその瞬間に、機構室にいる必要がなかった。ずっと前に仕掛けて、立ち去ればいい。そして私たちと一緒に、ここで茶を飲んでいればいい」
私たちと一緒に。それでは、あの「全員この広間にいた」という事実は。
「アリバイにならない」暁人は低く言った。「それどころか、時計仕掛けを使える犯人にとっては、皆と一緒にいたことこそ、いちばんの隠れ蓑だ。完璧なアリバイほど怪しい。——そういうことになる」
完璧なアリバイほど怪しい。私はその言葉を、頭の中で繰り返した。これまで信じてきたものが、裏返る感覚がした。一緒にいたこと。互いを見ていたこと。それが、無実の証ではなく、犯人の盾になる。
「では、犯人は」私は声をひそめた。
「わからない」暁人は首を振った。「そこから先が進まない。時計仕掛けの話は、鵜飼さん一人のことだ。柚原さんはどうなる。あの火事に、時計仕掛けはなかった。私たちが散らばっていた、あのわずかな隙に、誰かが柚原さんを殺して火をつけた。それは誰にでもできたかもしれない。だが、誰が、とは言えない」
彼は窓の外の影を見た。
「そして何より、あの灯室だ。あそこで本当は、何が起きているのか。あの影が私たちに見せているものが、本当のことなのかどうか。それがわからないかぎり、何ひとつ決まらない。すべては、あの灯室で起きている。そして私たちは、そこへ行けない」
暁人は、しばらく黙ってから、別のことを言った。「わからないのは、手口だけではありません。なぜ、唄なのか」
「唄、ですか」
「口を封じたいだけなら、事故に見せて、ひっそり消せばいい。網代さんや室戸さんのときのように。だがこの館では違う。わざわざ唄のとおりに、順番に、見せつけるように殺している。——これは口封じじゃない。罰だ。誰かが、この人たちに、二十年前の報いを受けさせている。一人ずつ、数えながら」
罰。報い。私はその言葉に、ぞくりとした。二十年前。灯台守の娘の、あの死。あれを、誰かがまだ忘れていない。忘れるどころか、二十年かけて、この夜を用意した。けれど、そんなことのできる者が、いったいどこにいるのか。当時のことを知り、これだけの仕掛けを組み、そしていま、この館の中にいる者が。
二十年前を恨む者。あの娘の死を、いまも許せない者。——私はふと、沖野灯子のことを思った。死んだ娘の、双子の妹。岬を出て、消息の知れぬまま二十年。もしあの妹が、どこかで生きていて、姉の死の真相を知ったなら。けれど、とすぐに打ち消した。灯子が、いま、この館にいるはずもない。ここにいるのは、見知った顔ばかりだ。物書きの私。灯台の暁人と保科。玄三の妹の史奈。そして、管理人の——。
そこで、私の思考は、いつものように止まった。確かめてもいないことを、確からしく組み立てる。それが私の、いちばんの悪い癖だった。
「見当は、ついているのですか」私は訊いた。「誰か、心当たりが」
暁人は長いあいだ答えなかった。やがて低く言った。「半分の答えで人を指させば、無実の者が縊られる。私はそれを、いちばん恐れる。確かなことが言えるまで、私は誰の名も口にしない。たとえ心の中で、ある名前が何度浮かんでも」
ある名前。私はその横顔を見た。暁人が心の中で、誰の名を浮かべているのか。それを訊くことは、できなかった。
史奈は、いつのまにか眠っていた。泣き疲れて、膝を抱えたまま浅い息をしている。保科は窓辺で灯を見張り、もう何も言わない。真琴は部屋の隅で背を伸ばして座っていた。目を閉じているのか開いているのか、暗くてわからなかった。給仕の手が空いたいまも、その姿には少しの隙もなかった。まるで、この惨劇のすべてを、ただ見届けるためにそこにいるかのように。私はその考えを、また打ち消した。
ふいに、史奈が目を覚ました。はじかれたように身を起こし、暗がりを見回す。その目が、私と暁人の上で止まった。
「あんたたち」史奈の声が震えた。「あんたたちが来てから。あんたたちが嗅ぎ回りはじめてから、みんな死んだ。網代さんも、室戸さんも、柚原さんも。あんたたちが連れてきたんだ。この死を」
私は言葉に詰まった。違う、と言いたかった。けれど言えなかった。私たちが訪ねた者から、順に死んでいった。その事実は、本当だった。道案内。岬で暁人が口にした言葉が、よみがえる。私たちが、次の標的を教えて回っているのだと。
「落ち着いてください」暁人が静かに言った。「私たちが来ようと来まいと、この夜は用意されていた。何年も前から。あなたを苦しめているものは、私たちではない」
けれど史奈は聞いていなかった。また膝に顔を埋め、ぶつぶつと数を数えはじめた。三、四、五、六。その先を、彼女は数えなかった。七を数えるのが、恐ろしいかのように。
残るは七番、灯の主。もし唄が最後まで歌われるのなら、次に死ぬのは玄三だ。塔の上の、あの男。けれど玄三は、犯人かもしれない。犯人が自分で自分を、唄の最後に据えるだろうか。私の頭の中で、また答えが裏返った。私たちはただ待っていた。何を待っているのかもわからずに。唄が終わるのを。あるいは、終わらないのを。
不可能な時刻だった。人が死んだ。なのに誰にも殺せなかった。玄三は灯室にいる。私たちを見下ろすように、ただ十五秒ごとに同じ影を刻みながら。私たちはその下で凍りついていた。動くことも確かめることもできずに。時間だけが過ぎていった。
午前零時を二十分ほど過ぎた、その時だった。
灯が、揺れた。
十五秒に一度、寸分の狂いもなく海をなでていた、あの光が。一瞬、たじろぐように明滅を乱した。保科が窓辺で息を呑むのがわかった。
「……おかしい」保科がかすれた声で言った。「灯質が、乱れた。あの灯は百年、狂たことがないんや。それが、いま」
私は灯室の影を見た。あの影が、これまでとは違う動きを、していた。




