灯室の影
鵜飼の亡骸は機構室に残してきた。
動かせなかった。あの重い錘の下から引き出す力も勇気も、誰にもなかった。暁人と保科が二人がかりで押してみたが、錘はびくともしない。鵜飼はその下で静かになっていた。私たちは結局、彼をそのままにして、閂の壊れた扉を立てかけるように閉めた。灯台の心臓部に鵜飼を一人残して。歯車の回る音だけが、その石の部屋に低く響いていた。
渡り廊下を戻る足が重かった。蝋燭の炎が隙間風に煽られ、廊下の壁に私たちの影を大きく揺らした。誰も口をきかない。話すことがもうなかった。一人ずつ減っていく。その事実だけが、私たちの背にのしかかっていた。
広間に戻って、私はあらためて人数を数えた。
五人だった。私と暁人と保科。史奈。そして真琴。もう四人がいない。網代、室戸、柚原、鵜飼。岬で会った順に一人ずつ。唄の三番から六番までが埋まっていた。残るのはただ一つ。七番、灯の主。
暖炉の薪がぱちりと爆ぜた。その音にさえ、史奈がびくりと肩を震わせた。
史奈はもうまともではなかった。暖炉の前で膝を抱え、ぶつぶつと何かを呟いている。眼鏡はいつのまにか外れて、膝のわきに転がっていた。その目が虚ろに宙をさまよう。私が近づいても気づかなかった。
「……あと一人で、唄は終わる」彼女は誰にともなく言った。「七番、灯の主。兄さんよ。兄さんが最後。そうしたら終わる。終わるはず。私は唄に入っていない。だから私は」
言葉が途切れた。史奈は自分の指を折るように数えていた。三、四、五、六、七。七で止まる。けれどその指はまた、ほどけて震えだした。一から数え直す。何度も。
「いいえ」やがて彼女は首を振った。その声が裏返った。「兄さんがやっているのなら、唄なんて関係ない。最後に残るのは私よ。二十年前を知っている者を、兄さんは一人残らず消すつもり。私もその一人」
兄さんがやっているのなら。史奈の口からそれがこぼれ落ちた。私は息を詰めた。玄三が共犯者を一人ずつ、口封じに消している。網代も室戸も柚原も鵜飼も。そして最後に、実の妹さえ。史奈は自分の兄を疑い、誰よりもその兄を恐れていた。長年いちばん近くで見てきた女が。
その怯えは、玄三という男の底知れなさを何よりも雄弁に語っていた。私の中でも、玄三という名がまた黒く大きくなる。やはりあの男なのか。すべての糸を握っているのは。
けれど、と私は思い直した。唄の七番は灯の主、玄三その人だ。もし玄三が犯人なら、なぜ自分を唄の最後に据えるのか。自分で自分を殺すとでもいうのか。わからなかった。玄三が糸を引く黒幕なのか、それとも玄三もまた最後に消される獲物の一人なのか。二つの像が私の中でぐるぐると回った。あの灯台の灯のように。どちらを向いても、答えはすぐに裏返った。
窓の外では、灯台の灯が回り続けていた。十五秒に一度、嵐の闇を白くなでて。そしてその明るい灯室の中に、玄三の影があった。
私たちはいつのまにか、その影を見つめていた。五人とも。広間の大きな窓に引き寄せられるように。誰も口にはしない。けれどみなの目が、同じものを追っていた。あの影が玄三だ。生きて塔の上にいる。私たちが一人ずつ死んでいくのを知ってか知らずか、あれほど呼んでも降りてこない。客が三人、焼けて潰れて死んだというのに。
その無関心が不気味だった。塔の上から私たちを見下ろし、何もかも承知の上で、ただ灯のそばに立っている。そんなふうにも思えた。そう思うと、あの影が急に、底冷えのする恐ろしいものに見えた。
影は動いていた。十五秒に一度、光が閃くたびにすっと。何かをしているのだ。けれど見ているうちに、私はまたあのざわつきを感じた。最上階の窓から初めてそれを見たときの、あのざわつきを。
その動きが、いつも同じなのだ。
どれだけ見ていても、同じ向きに同じ形に同じ速さで、一度として違わない。休みもせず、座りもせず、振り向きもせず、ただ十五秒ごとに同じ動きを判で押したように繰り返している。一時間。二時間。人間がこんなふうに動けるものだろうか。これほど長く、寸分も違わずに。私はぞくりとした。けれどその正体が何なのかは、わからなかった。
暁人もその影をじっと見ていた。懐中時計を片手に、灯がこちらを向くたびに低く数を読む。十五秒、きっかり。そして影が動く、きっかり。それを何十回も繰り返すうち、彼の眉が少しずつ寄っていった。
「妙だ」と彼は低く言った。
「また妙、ですか」
「あの影が動くのが、灯の閃くのと寸分の狂いもなく合っている」暁人は窓を見つめたまま言った。「人が体を動かすのと、灯台のレンズが回るのとは、本来なんの関わりもないはずだ。別々のものだ。なのにあの影は、灯が閃くまさにその一瞬にだけ動く。毎回、一度の例外もなく。もう二時間も、それが続いている」
「では、あれは」
「わからない」暁人は首を振った。その横顔は青ざめていた。「それが何を意味するのか、私にもまだ言えない。ただ、あれは人が気ままに体を動かしている姿ではない。何か別の理屈で、灯の回転に合わせて動いている。それがどういうことなのか」彼はそこで口をつぐんだ。何か恐ろしい考えの入口で、足がすくんでいるようだった。「確かめるには、あの灯室まで行くしかない。玄三さんでさえ、あの足で上っていったのだ。私に上れないわけではない。だが、この嵐の夜に、あの暗い塔を一人で上って、その先で、すべてを仕組んだ者が待っているとしたら。私はその懐へ、みすみす上っていくことになる。かといって、私がここを離れれば、残るあなたたちが危ない。——どちらに転んでも、動けないのです」
暁人の言うとおりだった。塔の上には玄三がいる。共犯者を一人ずつ消したかもしれない、その男が。あるいは次に消される、その人が。どちらにせよ、あの暗い塔を機構室の梯子のわきを通って上っていくことを、私たちの誰も、口にすらしなかった。梯子の先には、錘の下敷きになった鵜飼がいる。そしてその先、塔のてっぺんに玄三がいる。あの底の見えない目をした老人が、灯のそばに。
夜が明けさえすれば。私たちはその一念で夜にすがっていた。朝が来れば嵐もいつかは収まる。道がつながる。助けが来る。けれど、それまでにどれだけの夜が残っているのか。電話は死んだまま、携帯は何度かざしても圏外の二文字を返すばかりだった。外の世界はこの岬をまるごと忘れてしまったかのようだった。暁人の言葉で、私たちは広間の扉を内から閉ざし、重い卓をその前に寄せた。せめてこの一室だけは、と。けれど、もし犯人がすでにこの部屋の中にいるのなら——その考えを、私は急いで振り払った。
私はものを書く人間だ。見たことを書きとめる。それが仕事のはずだった。けれどいま私にできるのは、ただ見ていることだけだった。一人また一人と人が死んでいくのを、止めることも書きとめることもできずに。柚原が火にくべた原稿のことを思った。書こうとして書けなかった男。私はいま、その柚原と同じ場所に立っている気がした。ことばを失って。
保科も、いつもの陽気さをすっかり失っていた。あれほど焦がれていた灯台を、青い顔で見つめている。彼は一度ぽつりと言った。「灯ってのは、ほんまに嘘をつきよる。——わしは、こんなものを見たかったわけや、ないんやけどなぁ」それきり黙りこんだ。
真琴が茶を配っていた。こんなときでも、音もなく表情もなく。湯気の立つ茶碗を一人ずつの前に置いていく。その手は少しも震えていなかった。やがて彼女も、ふと窓の外の影を見た。
「……まだ、灯のそばにおられますね」真琴は静かに言った。誰にともなく。「玄三様は。お元気で、何よりでございます」
お元気で。私はその言葉になぜかぞくりとした。けれど真琴の横顔は、いつもの温度のないものだった。主の無事を淡々と喜んでいるだけ。そう見えた。そう見えるだけだった。私は自分の悪い癖をまた打ち消した。あの女のすることを、いちいち不吉に読むのはよそう。あれはただの忠実な管理人だ。
考えれば考えるほど、わからなくなった。柚原が焼け死んだとき、私と保科は最上階にいた。鵜飼が潰されたとき、私たちは全員この広間にいた。機構室は内側から閂が下りていた。いったい誰に、これができたのか。この館にいる者はみな、どこかで誰かと一緒だった。真琴でさえ、ずっと私たちの目の前で茶を配っていた。誰にもできなかったはずなのだ。なのに人は死んでいく。一人ずつ、唄のとおりに。まるでこの館そのものが人を殺しているように。あるいは姿のない何ものかが。塔の上のあの影だけが、すべてを見下ろして知っているように。
時間がおそろしくゆっくりと流れた。柱時計の針がひとつ進むのにも、永遠がかかるようだった。それでも疲れと暖炉の火に、私は何度かまどろみかけた。そのたびにはっと目を開けると、窓の外ではあの影が何も変わらず、十五秒ごとに同じ動きを繰り返していた。まるで時間が、あの影の上だけ止まっているように。あるいはあの影だけが、この世のどんな時間とも関わりなく、ただ同じ一瞬を永遠に刻み続けているように。見ていると、正気を少しずつ削られるような光景だった。
夜は更けていった。嵐は収まらない。灯は回り続ける。玄三の影は十五秒ごとに、同じ動きを繰り返す。何度見ても寸分たがわぬその反復の、意味もつかめぬまま。私たちはただ、その影を見つめていた。五人。いや、塔の上の玄三を入れれば六人。この孤立した館に残された六つの命。そのうちのいくつが朝を迎えられるのか、私にはわからなかった。回り続ける光の下で、私たちは息を殺して夜明けを待っていた。




