孤立する岬
会がお開きになっても、誰も寝つけなかった。
客間に引き取ったはずの者たちが、一人また一人と広間に戻ってきた。嵐の夜に、見知らぬ館の一室でたった一人きりでいるのが、耐えられないらしかった。暖炉のまわりに、ふたたびこわばった顔が集まっていった。
一本道は崩れたまま。電話も通じない。携帯は圏外。この館は、嵐の海に浮かぶ孤島になっていた。助けは来ない。逃げる道もない。私たちはただ、嵐が過ぎるのを待つしかなかった。けれど嵐が過ぎるまでに、この館の中で何が起きるのか。それは誰にもわからなかった。
広間に残った客たちの顔は、どれも青白くこわばっていた。鵜飼は、隈の浮いた目で窓の外を見ている。時計店で見たときより、さらに痩せて見えた。柚原は、会のあいだもお開きになってからも、絶え間なく杯に手を伸ばしていた。その手が震えていた。史奈は、ひときわ神経質になっていた。物音がするたび、びくりと振り返る。指が絶えず、組まれてはほどかれた。——無理もなかった。この孤立した館の中に、網代と室戸を殺した犯人がいるかもしれないのだから。そして、唄がまだ続くのだとしたら。次は、この中の誰か。
誰も口にはしなかった。けれど広間の空気は、疑心で張りつめていた。二十年前、ともに罪を犯した者同士。その絆は、いまや疑いに変わっていた。互いに横目で探り合っている。お前が殺したのか。それとも、お前が次に殺されるのか。——かつて一つの秘密で結ばれていた者たちが、いま、その同じ秘密ゆえに互いを恐れ合っていた。
その張りつめた空気の中で、一人、保科だけが機嫌が良かった。
彼は、嵐に閉じ込められたことより、回光館の中に入れたことのほうがよほど大事らしかった。さっきから館のあちこちを、物珍しそうに見て回っていた。やがて広間の大きな窓にへばりつくようにして、岬の先の灯台を、飽きずに眺めはじめた。
嵐の中でも、灯台の灯は消えていなかった。低い雲が垂れこめた闇の中で、その光はかえってはっきりと見えた。十五秒に一度、白い光が、荒れた海をぐるりとなでていく。
「いやァ、たまらんですなぁ」保科は誰にともなく言った。「この嵐の中でも、きっかり十五秒に一閃や。狂わへん。たいしたもんですわ」
「十五秒に一閃」と、私はつい繰り返した。最初の夜から何度も見てきた、あの周期。
「ええ。回光灯台の灯質ですわ」保科は振り返った。灯台の話となると、この男は人が変わる。陰気な広間の中で、そこだけ明るかった。「真壁さん、あの光がどないして出来とるか、ご存じですか。——あれはね、光源そのものが回っとるんと、ちゃうんですよ」
「光源が、回っているのではない」
「光源は、灯室の真ん中でずっと点きっぱなしですわ」保科は嬉しそうに続けた。「回っとるのは、その周りのレンズや。大きなフレネルレンズが何枚も、光源をぐるりと囲んで、ゆっくり回転しとる。そのレンズが、光を一方向に束ねて飛ばす。せやから、束ねられた光がこっちを向いた一瞬だけ、ぱっと明るうなる。それが十五秒に一度。——外から見たら、閃光が回っとるように見える。けど、ほんまは、光源はずっと、灯室の中で煌々と点いとるんですわ」
光源は、ずっと点いている。回っているのはレンズ。——私はその仕組みを頭の中で像にしてみた。灯室の真ん中で、強い光が絶えず燃えている。その周りを大きなレンズがゆっくりと回る。レンズが正面を向いた一瞬、光が束ねられてこちらへ飛ぶ。それが閃光。
「つまり」と、暁人が横から口を添えた。彼もいつのまにか窓辺に来ていた。「灯室の中は、外から見るのとまるで違う。外からは、十五秒に一度の閃光に見える。だが灯室の中は、光源が点きっぱなしで、ずっと明るい。回るレンズ越しに、光と影がぐるぐると壁をなでていく。——同じ灯でも、外から見るか中にいるかで、まったく違う景色になる」
「そう、それですわ」保科は、我が意を得たりと頷いた。「灯台の灯ちゅうのは、見る場所で化けるんですよ。外と中とで。——それに、この館は面白い。灯台を見るために建てたようなもんや」
「灯台を、見るために」
「ええ。さっき、上の階を覗いてきましたがね」保科は目を輝かせた。「最上階の広間。あの窓からは、岬の先の灯室がちょうど正面に見えるんですわ。それも、ほとんど同じ高さに。——灯台は、海ぎわの低いとこに立っとる。この館は丘の上や。塔が高いぶん、灯室の高さと、丘の上の館の最上階の窓が、ちょうど釣り合う。せやから、あの広間の窓からは、灯室の中まで正面から覗ける。灯を、家から見守れるように、わざわざそう建てたんやろなぁ。たまらん造りや」
最上階の広間の窓から、灯室の中が正面に見える。同じ高さに。——私はその言葉をなぜか心に留めた。灯を、家から見守るための造り。けれど見守れるということは、灯室で起きることを館から見られる、ということでもあった。
私は、広間の隅で一人、杯を傾けている柚原に近づいた。
「来られたんですね」と、私は言った。
「来ないわけにもいかんだろう。燈屋さんの招きだ」柚原は、濁った目で私を見上げた。「——それに、来なけりゃ来ないで疑われる。あいつが犯人じゃないか、と。仲間にな。どっちにしても地獄だ。来ても、来なくても」
来ても来なくても、地獄。私はその言葉に、二十年前の罪を抱えた者たちの行き場のなさを見た。彼らは互いに縛り合い、もうどこへも逃げられないのだった。
鵜飼は、誰とも話さず、窓の外の灯台をじっと見ていた。あの男が二十年、海から遠い時計店で、灯台と同じ仕掛けに囲まれて逃げ続けてきた、その灯台が、いま目の前にある。逃げてきたものの、そのふもとへ、自分から戻ってきてしまった。その横顔は、どこか観念したように静かだった。
玄三は、上座に身を沈めたまま、ほとんど口をきかなかった。落ちくぼんだ目を半ば閉じ、卓上の一点を見ているのか、何も見ていないのか。代わりに真琴が、影のように客たちの世話をしていた。茶を運び、膳を下げ、暖炉に火をくべる。音もなく、表情もなく。——この孤立した館で、皆の世話をたった一人でこなしている。その姿は、どこまでも忠実な管理人のものだった。けれど、その忠実さの底に何があるのか。私には相変わらず、読めなかった。
時がたつにつれ、客たちの神経はいっそうすり減っていった。
史奈が、ふいに声を荒らげた。
「いつまで、こうしているの」彼女は誰にともなく言った。眼鏡の奥の目が吊り上がっていた。「道は崩れて、電話も通じない。こんなところに閉じ込められて。——もし、この中に網代さんや室戸さんを手にかけた者がいるなら。次は、私たちの誰かじゃないの。わかっているの、兄さん」
「めったなことを言うものではない」と、玄三が低く言った。半ば閉じていた目が開いていた。その声には、有無を言わせぬ冷たい威があった。「ここにいるのは、みな古い仲間だ。——疑い合って、どうする。昔のことは、昔のことだ。蒸し返すな」
昔のことは、昔のことだ。蒸し返すな。——玄三は、二十年前のことをあくまで埋めておきたいのだった。史奈は何か言いかけ、兄の威圧に口をつぐんだ。けれど、その目には、怯えと、それから兄への、隠しきれない反発のようなものが滲んでいた。古い仲間。その言葉に温もりはなかった。むしろ、互いを縛り合う鎖のような冷たさがあった。
その均衡を破ったのは、柚原だった。
史奈と玄三のやりとりが、酔った頭の最後の箍を外したらしかった。彼は、空になった杯を、卓に叩きつけるように置いた。濁った目が、上座の玄三をまっすぐに見据えた。
「……次は誰か、だと」柚原は、呂律の回らぬ舌で言った。「とぼけるな。次も何もあるか。——殺してるのは、あんただろうが。燈屋さん」
広間が凍りついた。史奈が息を呑む。鵜飼が、のろのろと顔を上げた。
「柚原さん」と、暁人が低くたしなめた。けれど柚原は止まらなかった。一度ひらいた口は、もう塞がらなかった。
「網代も、室戸も。あんたが消したんだ。違うか」柚原は、よろめきながら立ち上がった。「二十年前と同じようにな。口を塞ぎに。あのときも、あんたが全部握りつぶした。事故だ、事故だと。灯台守の娘が一人、灯室から落ちて死んだのを。——警察も、医者も、新聞も。あんたが金で黙らせた」
「酔っているな、柚原」玄三は、眉ひとつ動かさなかった。低い、冷えた声だった。「世迷い言だ。座れ」
「世迷い言……ああ、そうだとも」柚原は、ひび割れた声で笑った。その笑いが、途中からひきつった。「世迷い言にしたのは、この俺だ。——俺はな、書いたんだ。あのとき。本当のことを。原稿にした。この手で。あんたらが揉み消した、その裏を、洗いざらい」
書いた。原稿に。——私は息を詰めた。二十年前、この落ちぶれた男は、一度は真実を活字にしようとしていた。
「なのに、焼いた」柚原の声が震えた。「火鉢にくべたんだ。一枚ずつ。——あんたらが怖くてな。それに、金も惜しかった。握らされた、口止めの金がな。……ははっ。記者が聞いて呆れる」彼は、自分の手のひらを見つめた。何かがまだそこに残ってでもいるように。「こんなことになるなら……活字にしておけばよかった。世間に出しておけば。そうすれば、網代も、室戸も……今ごろ……」
言葉が続かなかった。柚原は、くずおれるように椅子に沈んだ。両手で顔を覆う。その肩が小さく震えていた。——焼いたのは自分だ。真実を火にくべたのは。その悔いが二十年、この男を酒に沈めてきたのだった。
茶を運んでいた真琴の手が、ほんの一瞬、止まったように見えた。けれど、すぐにまた、何ごともなかったように動きだした。気のせいだったかもしれない。
玄三は、しばらくその柚原を見下ろしていた。その黒い目に怒りはなかった。ただ、底の見えない静かな闇があるだけだった。
「……済んだことだ」やがて、玄三はそれだけ言った。柱時計が、八時を打っていた。そして卓に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。「灯のそばへ行く。日が落ちた。——いまは機械が勝手に灯す灯だ。番人なぞ、もう要らん。それでも、点るのをこの目で見届けんと寝つけん性分でな。わしの代の、最後の灯かもしれん」
真琴が、音もなくその傍らに寄り添った。老人の腕を支え、二人は広間を出ていった。渡り廊下のほうへ。灯台へと続く、暗い廊下の奥へ。——その背は、嵐の中でも少しも揺るがなかった。柚原を、史奈を、あの一言で黙らせ、何ごともなかったように灯を入れに立つ。広間に残された者たちのほうが、よほど追い詰められて見えた。この館で起きていることの糸を握っているのは、やはりあの老人なのではないか。——遠ざかる背中を見送りながら、私はそう思わずにいられなかった。
二人が出ていったあと、私は暁人と、人のいない窓辺で小声で言葉を交わした。
「妙だ」と、暁人が言った。
「妙、とは」
「犯人はこれまで、外で一人ずつ殺してきた。事故や自殺に見せかけて。誰にも気づかれないように」暁人は言った。「だが、この館ではそうはいかない。全員が一つ屋根の下にいる。誰かが死ねば、すぐにわかる。事故にも自殺にも見せかけにくい。——それでも犯人は、この孤立を選んだ。いや、自分で作り出した。使いの女が会を進言し、関係者を集め、嵐の夜に開かせた」
「犯人は、わざわざ、逃げ場のない場所に」
「全員を、自分も含めて閉じ込めた」暁人はうなずいた。「逃げ場のない孤立は、犯人にとっても逃げ場がないということだ。捕まる危険も、いちばん高い。——それでも、この舞台を選んだ。まるで、もう逃げるつもりなどないかのように。——私には、それがいちばん恐ろしい。逃げる気のない人間は、何をしてもおかしくない」
逃げる気のない人間。私はその言葉にぞっとした。捕まることを恐れない犯人。自分の身さえ、どうなってもいいと思っている犯人。——そういう人間にとって、この孤立した館は、逃げ場のない牢ではなく、すべてを終わらせるための舞台なのかもしれなかった。
だとしたら、私たちにできることはあるのだろうか。逃げる気のない犯人を止める。それは、命を惜しまない者から、その命がけの目的を奪う、ということだ。容易なことではなかった。けれど止めなければ、唄は最後まで歌われてしまう。火が、重しが、そして灯の主が。——残りの三つが、この孤立した館の中で、一つずつ埋められていくのだろうか。
窓の外では、灯台の灯が、相変わらず十五秒に一度、嵐の闇をなでていた。光源は、ずっと点いている。回っているのはレンズ。——保科の言葉が、頭の中で繰り返された。見る場所で化ける灯。外と中とで、まったく違う景色になる灯。そして最上階の広間の窓からは、その灯室の中まで正面から覗ける。
あの灯室で、いまも玄三が、自分の灯のそばにいるはずだった。さっき真琴に支えられて、渡り廊下の奥へ消えていった老人が。——館は、ひどく静かだった。嵐の音のほかには、何も聞こえない。その静けさが、かえって私の胸を騒がせた。私は窓辺を離れられないまま、回り続ける光を、いつまでも見つめていた。




