写真の中の二人
その写真を見つけたのは、まったくの偶然だった。
暁人が、調べもののあいだに集めていた、古い資料の写し。郷土史の断片や、灯台の記録に混じって、薄い綴りが一冊あった。回光灯台の、点灯祭の写真を集めたものだ。点灯祭、というのは、回光灯台が初めて灯をともした日を記念して、毎年、岬で催されてきた祭りらしかった。私有の灯台とはいえ、その灯は、長く、岬の漁師たちの命綱だった。灯がともった日は、岬にとって、特別な日だったのだろう。
写真の中では、晴れ着の村人たちが、灯台の前に並んでいた。幟が立ち、子供たちがはしゃいでいる。大人たちは、少しよそゆきの顔で、こちらを向いていた。三十年、四十年の昔の写真でも、塔だけは、今と少しも変わっていなかった。変わったのは、その前に並ぶ、人々のほうだ。この写真の中で笑っている者の、何人が、今も生きているだろう。
その何枚目かで、私の指が止まった。
灯台守の一家が、写っていた。
色の褪せた、三十年ほど前の写真だった。ほかの村人から少し離れて、灯台のすぐ足もとに、痩せた男が、二人の幼い子供と並んで立っている。生真面目そうな、硬い表情だった。沖野源助。きっと、そうだ。私たちが、墓と、記録と、人の口の中でしか会えなかった灯台守。その人が、まだ娘たちと暮らしていたころの、生きた姿が、そこにあった。祭りの晴れがましさの中で、その一家だけが、どこか遠慮がちに、隅のほうに収まっていた。灯台守は、燈屋家に雇われた身。村の祭りの中でも、その立ち位置は、半分、日陰だったのかもしれない。
そして、その両脇に、二人の女の子。
瓜二つだった。同じ背丈。同じおかっぱ頭。同じ晴れ着。同じ、幼い顔。二人は、父をはさんで、こちらを見ていた。どちらが燈里で、どちらが灯子か、写真だけでは、わからなかった。ちっちゃいころは、どっちがどっちか、わからんかった——シゲさんの言葉が、そのまま、目の前にあった。一人は、ほんの少し首をかしげ、もう一人は、まっすぐ前を見ている。その、わずかな仕草の違いだけが、二人を、別の人間にしていた。
私は、その写真を、長いあいだ見ていた。
双子のことは、何度も聞いてきた。瓜二つだった、と。仲がよかった、と。灯の下で手をつないで、唄を歌った、と。けれど、その顔を見るのは、初めてだった。
私には、兄弟がいない。一人で生まれ、一人で育った。だから、双子というものが、本当のところ、どういうものなのか、わからない。自分と同じ顔をした人間が、すぐそばに、もう一人いる。同じ日に生まれ、同じものを食べ、同じ唄を歌って育つ。自分であって、自分でない、もう一人。——そういうものを持って生まれた人間が、それを引き裂かれる。半身を、もぎ取られる。私には、想像することしか、できなかった。けれど、想像するだけで、胸の奥が、鈍く痛んだ。
写真の中の二人は、笑っていなかった。少し緊張した面持ちで、ただまっすぐ、こちらを見ていた。手だけは、しっかりとつないで。
この手をつないだ二人が、やがて引き裂かれる。一人はよその家へやられ、一人は灯台に残る。残った一人は、灯台のいちばん上から落ちて死に、やられた一人は、どこかへ消えた。写真が撮られたとき、二人はまだ、何も知らなかった。ただ手をつないで、父のそばに立っていた。私は、その小さな、つながれた手を、しばらく見ていた。指と指が、ほどけまいとするように、強く絡められていた。
暁人と保科に、その写真を見せた。
暁人は、しばらく双子の顔を見ていた。「これが、燈里と、灯子か」その声に、めずらしく、人の気配があった。いつも建物や記録ばかり見ている男が、紙の上の、生きていた子供の顔を、見ていた。
それから彼は、双子から、写真の全体へ目を移した。中央に、上等な身なりの一族が写っている。その真ん中に、椅子にかけた、恰幅のいい老人。「燈屋家の、当時の当主でしょう」と、暁人は言った。「点灯祭は、灯台の祭りであると同時に、灯台を持つ家の祭りでもあった。——見てください。中央に、灯を所有する家。隅に、灯を守るだけの一家。写真は、正直だ。誰が中央に立ち、誰が隅へ置かれるか。それだけで、その土地の力の形が、見える。沖野の一家は、この祭りの日でさえ、燈屋家の影の中に、立たされていた」
灯を持つ家と、灯を守るだけの家。私は、写真の中の、その距離を見た。中央の一族と、隅の親子のあいだの、わずか数歩の距離。けれど、その数歩は、やがて、一人の少女を灯台の上から突き落とすほどの、深い淵になる。灯を持つ者と、灯に仕える者。その上下は、この祭りの日も、のちのあの夜も、何一つ変わらなかったのだろう。
保科は、灯台のほうに目を奪われていた。「いやァ、この写真、貴重ですなァ。灯室のレンズが、はっきり写っとる。当時のままだ。たまらん」——保科にとっては、双子よりも、灯台のレンズのほうが大事らしかった。けれど、そういう、何も知らない目で見れば、この写真は、ただの、古い祭りの、幸せな一枚なのだ。一家が、灯台の前で、寄り添って立っている。それだけの。
その日の午後、私たちは岬の先へ行った。
館に入る糸口を、まだ探していた。鎖の前まで行き、館の様子を遠くからうかがう。玄三は誰にも会わない。鎖は固く閉ざされている。私たちは、その鎖の手前で、立ち尽くすばかりだった。
鎖の向こう、灯台の足もとで、人影が動いていた。あの管理人だった。
地味な作業着姿で、灯台の低い窓を、布で拭いている。背を丸め、同じ動きを淡々と繰り返していた。私たちのことなど、目に入らないように。夕方の光が斜めに白い壁を照らし、その女の影を、足もとに長く落としていた。
風がこちらへ吹いていた。その風に乗って、何か聞こえてきた。低い、女の声だった。
管理人が、何か口ずさんでいた。作業をしながら、無意識に漏れ出たような、小さな声。私は耳を澄ました。風に切れぎれに乗ってくる、その節は——
ひとつとせ……ひのくれに……みさきのはなで……
あの数え唄だった。
私は息を呑んだ。管理人が、あの唄を口ずさんでいる。回光さま数え唄。岬で育った者だけが知る、あの唄を。低く、無意識に。体に染みついたものが、ひとりでに漏れ出るように。考えて歌っているのではない。骨に刻まれたものが、ふと表に出てきた。そういう声だった。——そして、その声には、どこか寂しい響きがあった。楽しげでも、不気味でもなく、ただ、寂しかった。遠い昔を、そっとなぞるような。
「何です、その唄」と、保科が怪訝そうに言った。彼にも、風に乗って聞こえたらしい。「妙な節ですなぁ。聞いたことがない」
「岬の、古い数え唄です」と、私は小声で答えた。「回光さま数え唄、という」
「ほゥ。やっぱり、知りまへんなぁ」保科は、あっさり言った。「こういう唄は、土地の子供の、口から口へ伝わるもんやろ。わしらよそ者の耳には、なかなか入ってこん。灯台のことなら、たいてい調べとるんやけどな」
よそ者の耳には、入ってこない。日本中の灯台を見て歩き、回光灯台の旧称まで知っている、この専門家でさえ。そして、あの管理人は、その唄を、無意識に口ずさんでいる。あの女は、岬で育った人間だ。
——けれど、と、私はすぐに自分を抑えた。岬で育った人間は、何十人もいる。あの女が唄を知っている、というだけだ。唄を知るのは、ふるいの粗い目。よそ者を落とすだけ。あの管理人が唄を口ずさんだからといって、あの女が犯人だ、とは言えない。
それでも、私の目は、ひとりでに、鞄の中の写真のほうへ向きかけた。写真の双子。一人は死に、一人は消えた。消えた一人も、岬で育ち、あの唄を骨に染ませていたはずだ。そして、目の前の管理人も。——そこまで考えて、私は頭を振った。だめだ。また組み立てている。岬で育った女は、ほかにも何十人もいる。写真の双子と、館の管理人を、結びつけるものは、何もない。
それでも、一つだけ、引っかかった。
岬で生まれ育ち、あの唄を骨に染ませた女が、いま、よりにもよって、燈屋家の館に住み込んでいる。鎖を張り、人を拒む、あの館に。岬の人間なら、燈屋家がこの土地に何をしてきたか、知らないわけがない。恐れと恩で、人々を縛ってきた家。その灯台で、灯台守の娘が落ちて死んだことも。——その家に、岬育ちの女が、自ら入り込み、たった二人きりで、当主に仕えている。なぜ、この女なのか。なぜ、あの唄を、こんなにも深く骨に染ませた女が。
その問いには、答えがなかった。けれど、問いだけは、その日から、私の中に、棘のように残った。
暁人も、その管理人を、じっと見ていた。彼も唄を聞いたはずだった。けれど、何も言わなかった。ただ、その目が、いつもより少し鋭くなっていた。
「あの管理人は、岬で育った人間だ」やがて、彼は低く言った。「それは確かだ。よそ者には、あの唄は口ずさめない。——だが、それ以上は、まだ何も言えない。岬で育った人間は、ほかにもいる」
暁人も、同じところで踏みとどまっていた。あと一歩のところに、何か大事なものがある。そんな気がするのに、その一歩が、どうしても踏み出せなかった。
やがて、管理人は、窓拭きを終えたらしかった。布を手に、ゆっくりと体を起こし、館のほうへ歩いていく。背筋を伸ばし、よそ見もせず、まっすぐに。あの女は、毎日こうして、鎖の内側で、玄三の世話をし、灯台を守り、誰にも会わずに暮らしている。その後ろ姿を、私は、鎖の手前から見送った。戸口に消えるまで、女は、こちらを一度も振り返らなかった。まるで、私たちなど、はじめから、そこにいないかのように。
その晩、私は宿で、もう一度あの写真を見た。
手をつないだ、瓜二つの双子。そして、昼間に聞いた、あの寂しげな口ずさみ。——その二つが、私の中で、なぜか近くにあった。理由はわからなかった。ただ、ふと思った。写真の中の、消えた一人も、どこかで、あの唄を口ずさんでいるのだろうか、と。生きているなら。遠いどこかで。一人、ふと、無意識に。引き裂かれた姉を思いながら。——もし、そうだとしたら。その口ずさみも、きっと、あの管理人の声と同じように、寂しい響きをしているのだろう。
私は写真を閉じた。考えすぎだ、と自分に言い聞かせた。岬で育った女は、大勢いる。写真の双子と、館の管理人を、結びつけるものは、何もない。それは、私のいちばんの悪い癖だった。——けれど、その晩も、灯台の灯は、十五秒に一度、障子を薄く撫でていった。そして、その光の下で、あの管理人が口ずさんだ、のどかな、けれど寂しい数え唄の節が、私の耳の奥で、いつまでも消えてくれなかった。




