七つの岩礁
私たちは、回光岬へ戻ることにした。
室戸の死は、警察にとって自殺だった。網代の死は事故だった。別々の場所で起きた、別々の不幸。それをつなげて見る者は、私たちのほかにいなかった。けれど、つなげて見れば、答えは一つしかなかった。誰かが、二十年前の関係者を、一人ずつ殺している。子供の数え唄の、順番のとおりに。
戻る、という言葉が、私には重かった。一度はあの岬を離れ、東京へ帰り、こうして関係者を訪ね歩いてきた。その先々で、人が死んだ。網代。室戸。私たちが追えば追うほど、死が増えていく。それでも、戻るしかなかった。唄を完全に知るのは、岬で育った者だけだ。すべての糸は、あの岬へ、燈屋家へ、戻っていく。次の死を止めたいなら、私たちも、根のあるところへ戻るしかなかった。
岬に近づくと、また携帯の電波が途切れがちになった。本土の喧騒が遠ざかる。風が強くなり、潮の匂いが濃くなる。世界が少しずつ、あの孤立した岬の論理に染まっていくようだった。電波が消え、人の声が遠ざかり、聞こえるのは風と波ばかりになる。この岬では、二十年前から、声を上げても誰にも届かなかったのかもしれない。少女が一人、灯室から落ちて死んだ、あの夜も。その悲鳴は、この風に、かき消されたのだろうか。
私たちは、灯台へ続く一本道の、手前の高台に立った。そこからは、岬の全体が見渡せた。弓なりの岬。丘の上の、回光館。その足もと、海ぎわの、白い灯台。そして、その沖に——七つ岩があった。
黒い岩礁が、点々と沖に連なっていた。波が、その一つ一つに当たって、白く砕けている。数えると、確かに、大きなものが七つ。海面から、牙のように突き出していた。穏やかな日でも、そのまわりだけ、海がざわついている。
あそこで、百年、船が沈んできた。私は、その黒い岩を見ながら思った。よその船が。土地を知らない、値の張る荷を積んだ船が。何人もの船乗りが、あの牙に砕かれ、冷たい海に沈んだ。難破は浜にとっては恵みだった、と、港の老人は言った。流れ着いた荷を、村じゅうが拾いに出た、と。けれど、その恵みの陰で、よその誰かが、毎度、海に呑まれていた。名前も残らない、よその船乗りたちが。——そして、二十年と少し前。灯子の養父も、あの岩のどこかで、船とともに沈んだ。実の父が守る灯の、すぐそばで。
海は、何も語らなかった。ただ、白い波を、岩に砕いているだけだった。
暁人は、その七つ岩を見ながら、これまでの死を、唄に沿って並べていった。
「あの数え唄は、七つまである」彼は言った。「一つとせ、日の暮れに、岬の鼻で、灯を灯す。二つとせ、双子の鴎が、沖を見て鳴く。——ここまでは、岬の暮らしの、ただの情景だ。だが、三番から、様子が変わる」
「三つとせ。岬の娘は、崖で手を振る、船に振る」私が、続けた。「網代権左。回光岬の崖から転落。懐に、紙の舟。——三番」
「四つとせ。夜の潮は、深く深く、みな眠る」暁人。「室戸壮一。夜の入江で溺死。眠り薬で眠らされて。——四番」
「二つの死が、唄のとおりに起きた。もう偶然ではない」暁人は言った。「これは、唄の順に人を殺していく、見立て殺人です。三番、四番と、すでに二つ。——そして、まだ続く」
「残りの唄は」と、私は訊いた。
「五つとせ。灯は赤々と、燃え立ちて、夜を照らす」暁人は、指を折った。「火だ。赤々と燃える明るさ。次は、火で誰かが死ぬ。六つとせ。むかしの重し、するすると、降りてくる。重い何かが、降りて、落ちてくる。そして、七つとせ。灯の主は、ぐるりぐるりと、夜を守る。——灯の主」
「灯の主、とは」
「灯台を守る者。灯台を持つ者」暁人は、丘の上の館を見た。「この岬で、灯の主と呼べるのは、ただ一人。燈屋玄三だ」
灯の主。私は、その言葉が、唄のいちばん最後に置かれていたことを思った。七番。最後の死。唄を順になぞる犯人がいるなら、その最後に、燈屋玄三が、置かれている。
けれど、私の頭の中で、別の考えが、もつれた。
「東雲さん」と、私は言った。「私は、逆かと思っていました。玄三が、犯している側だと」
言いながら、私は、その考えを順に並べた。二十年前、灯台で少女が死んだ。それは事故にされた。網代が揉み消し、室戸が検案を偽り、柚原が事故と報じた。鵜飼が、灯の機構を扱った。みな、玄三の罪の共犯者だ。そこへ、告発状が出回りはじめた。二十年前の罪が、暴かれかけている。怯えた玄三が、秘密を知る共犯者を、一人ずつ消していく。——使いの女は、その手先。館にいて、人を動かせるのは、玄三だ。
「そう考えるほうが、ずっと筋が通る気がして」と、私は言った。
言いながら、私は、その筋の良さに、自分で頷きそうになっていた。玄三が黒幕。共犯者を消している。これなら、すべてが、すっきりと収まる。残る標的の鵜飼も、柚原も、口を封じられる側だ。——けれど、そこで、私の理屈はつまずいた。それなら、唄の七番が、なぜ、玄三自身なのか。
「筋は、通る」暁人は、認めた。「玄三が口封じをしている。それはありうる。だが、それなら、二つ、おかしい」
「二つ」
「一つは、いま、あなたがつまずいたところだ」暁人は言った。「唄の七番が、玄三自身であること。自分を最後の死に数える犯人は、いない。——もっとも、これは唄の解釈の問題かもしれない。灯の主が、玄三でなく別の何かを指すなら、話は別だ。だが、もう一つは、もっと根が深い」
「なぜ、唄なのか」と、私は言った。暁人が言おうとしていることが、わかった気がした。
「そう。なぜ、唄なのか」暁人はうなずいた。「口を封じたいだけなら、事故と自殺で十分だ。現に、警察は事故と自殺で片づけた。それで目的は果たせている。なのに犯人は、わざわざ危ない橋を渡った。崖に紙の舟を置き、夜の満潮を選んで沈めた。子供の数え唄の順番に、なぞらえて。そんなことをすれば、いつか誰かが気づく。私たちのように。——口を封じたいだけの人間が、なぜ、足のつく手間を、わざわざかける」
なぜ、唄なのか。私は、答えられなかった。
確かに、おかしかった。口を封じるだけなら、唄はいらない。むしろ邪魔だ。見立てなどしなければ、二つの死は、永遠に事故と自殺のままだった。犯人は、わざわざ自分の犯行を、唄という形で、世界に刻んでいる。まるで——誰かに気づいてほしい、とでもいうように。
「この犯人は」暁人は、ゆっくりと言った。「ただ消したいのではない。意味を込めている。子供のころの唄に。——口を封じる、というのは、過去をなかったことにする行為だ。けれど、唄になぞらえる、というのは、逆だ。過去を、忘れさせない。むしろ刻みつける。その二つは、向きが、反対です」
過去をなかったことにしたい者と、過去を刻みつけたい者。私の中で、二つの像がせめぎ合った。玄三は、前者のはずだった。罪を隠したい。なかったことにしたい。なのに、この犯行は、後者の匂いがした。忘れさせまい、とする執念の匂いが。
「ええ。だから、まだわからない」暁人は言った。「玄三が口を封じているのか。奪われた誰かが、過去を刻んでいるのか。あるいは——その両方が、同時に動いているのか」
「両方」
「考えてみてください」暁人は言った。「もし、玄三が、迫る者の影を察知していたら。二十年前の罪を知る誰かが、復讐に動きはじめた、と。——玄三なら、使いの女を放って、昔の仲間に報せて回らせるかもしれない。気をつけろ、と。その場合、使いの女は、殺す側ではない。守ろうとする側だ。なのに、その女が訪ねた家で、人が死んでいる。警告が、間に合わなかった、というように」
私は、混乱した。
「では、使いの女は、どちら側なんでしょう」と、私は訊いた。「殺しに来たのか、報せに来たのか」
「それが、わからない」暁人は言った。「同じ一人の女が、まるで違う二つの顔に見える。殺す女にも、守る女にも。——使いの女が来た。その家の主が死んだ。確かなのは、それだけだ。その女が、死を運んできたのか、死を防ごうとして間に合わなかったのか。それは、まだ決められない」
使いの女が、誰なのか。私は、その顔さえ、はっきりとは知らなかった。網代の家政婦も、室戸も、鵜飼も、口をそろえて言った。地味で、物静かで、印象に残らない、影のような女だ、と。顔を、思い出せない、と。——殺しに来たのであれ、報せに来たのであれ、その女は、自分の顔を、誰の記憶にも残していかなかった。まるで、はじめから、顔のない女のように。
「奪われた側を、探せ」暁人は、岬を調べはじめたころに自分が言った言葉を、繰り返した。「この家に、何かを奪われた人間を。——その筆頭は、沖野の一家だ」
沖野の一家。私は、あの傾いた墓を思った。海を見下ろす斜面の、無縁になりかけた墓。源助と、燈里。二つの戒名。そして、そこになかった、もう一つの名。
「灯を守らされ、娘を殺され、養い子の父まで、灯に沈められた」暁人は言った。「父・源助は、灯を守る誇りを罪に変えられ、最後は海で自ら死んだ。姉・燈里は、見てはならないものを見て、灯室から落とされた。——一つの家族が、この灯台に、まるごと呑まれた」
「でも、源助も、燈里も、もう」
「死んでいる。ええ」暁人は言った。「けれど、灯子は、違う。戸籍を追ったとき、死亡届は出ていなかった。戸籍の上では、まだ生きている。——もし、生きているなら。唄を骨の髄まで知る、岬育ちの娘。家族をすべて、この岬に奪われた娘。過去を忘れさせまいとする動機を、誰よりも持っている人間だ」
「でも」と、私は言った。「灯子は、二十年、消息不明です。今どこにいるかも、わからない。そんな影のような人間が、各地に散った関係者を、一人ずつ訪ねて、殺して回る。そんなことが、できるでしょうか。——玄三なら、確かに、そこにいる。館から、人を動かすこともできる。灯子には、その足場が、ない」
言いながら、私は、玄三説のほうへ、また傾いていた。灯子は、動機はある。けれど、実体がない。影のようなものだ。それにくらべて、玄三は、確かにそこにいる。館の、たった一つの明かりの中に。——けれど、心の隅で、暁人の言葉が消えなかった。過去を刻みつけたい者。忘れさせまい、とする執念。それは、玄三の怯えよりも、奪われた娘の二十年の沈黙に、ふさわしい気がした。
「ええ。だから、まだわからない」と、暁人は言った。「けれど、一つだけ、確かなことがある」
「確かなこと」
「唄は、七番まである」暁人は、また七つ岩を見た。「三番と四番は、もう埋まった。残るは、五番、六番、七番。火と、落ちる重しと、灯の主。——次に死ぬのは、火で焚かれる者だ」
「鵜飼さんか、柚原さん」
「どちらかが、次に、火で」暁人は言った。「私たちに、それを止められるか。——わからない。警察は動かない。私たちが二人に危ないと伝えても、信じるとは限らない。鵜飼は、私たちに口を閉ざした。柚原には、まだ会ってもいない」
止められない。私は、その無力を噛みしめた。網代のときも、室戸のときも、私たちは、後から死を知っただけだった。次もまた、そうなるのだろうか。唄の五番が埋められるのを、ただ待つことしか、できないのだろうか。
風が、強く吹きつけた。七つ岩の白い波しぶきが、いっそう激しくなった。
私は、丘の上の館を見上げた。たった一つ灯る、あの明かり。あの中に、燈屋玄三がいる。すべての糸は、あの館へ続いている。口を封じる者がいるなら、そこに。過去を刻む者がいるなら、その動機の根も、そこに。——どちらであれ、答えは、あの館にある。
「館へ、行かなければ」と、私は言った。
「ええ」暁人はうなずいた。「だが、あの家は、鎖を張って人を拒んでいる。私たちは、一度、追い返された。玄三は、誰にも会わない。——正面から行って、開く扉ではない」
「では、どうやって」
「わからない」暁人は、館を見上げたまま言った。「けれど、向こうにも、事情が動いている。告発状が出回り、共犯者が死に、二十年前の罪が掘り返されかけている。——あの館も、もう、鎖の中で静かにしてはいられないはずだ。何かが、動く。そのとき、扉は、開くかもしれない」
その言葉の意味を、私は深くは考えなかった。ただ、岬に戻ってきた、その瞬間から、私たちもまた、あの唄の内側に、足を踏み入れたのだ、という気がしていた。
その夜、私たちは、ふもとの宿に泊まった。窓から、岬の先の灯台が見えた。日が落ちると、その灯がともった。十五秒に一度、白い光が、海をなでていく。七つ岩のあたりまで、その光は届いていた。沈んだ船を、沈めた灯が、いまも照らしている。灯の主の灯が。
私は、その規則正しい明滅を、長いあいだ見ていた。あの光の下で、もう二人が死に、これから、まだ誰かが死のうとしている。唄の、五番の順に。のどかな子供の数え唄が、一つずつ、人の死で埋められていく。一つとせ、二つとせ、と。——その続きを止められるのは、警察でも、法でもなく、ただ、私たちだけだった。何の力もない、よそ者の、二人きりだった。




