焼け落ちた新聞社
柚原という記者のことを、私たちは縮刷版からたどりはじめた。
県立図書館の郷土資料室に、その地方紙の縮刷は製本されて並んでいた。房陽日日新聞。回光岬の一帯を長く受け持ってきた、小さな地元紙だ。十年ほど前に廃刊になったと、棚の貼り紙にあった。二十年前の燈里の死を三段の記事で片づけたのも、この紙だった。署名はなかったが、暁人は当時その地域を担当していた記者の名を、別の記録から割り出していた。柚原。後援会の名簿で見た、あの名だ。
「柚原は、燈里の死を三段で書いた」暁人は、古い紙面をめくりながら言った。「だが、この記者が書いたのは、それだけのはずがない。回光岬を受け持つ記者なら、岬の沖で起きたことは、たいていこの男の手を通っている。二十年前、あの岬の周りで何が起きていたのか。それは柚原の書いたもの——あるいは書かなかったものの中に、残っているはずだ」
私たちは、燈里が死んだ年の前後の紙面を、一日ずつ繰っていった。地方紙の社会面は、小さな出来事の集積だった。祭り。火事。水揚げ。交通事故。誰かの叙勲。そういうものの隙間を、私は目で拾っていった。回光、岬、沖、船、座礁。手がかりになりそうな言葉を頭に並べて。
そして、燈里が死ぬ二年ほど前の紙面に、暁人の指が止まった。
社会面の隅の、小さな記事だった。
『回光岬沖で貨物船座礁 積荷流失、乗組員一名死亡』
本文は短かった。何日未明、回光岬沖の七つ岩付近で県外の貨物船が座礁し、沈没した。乗組員一名が死亡、ほかは救助された。船は夜間、視界の悪い中を航行していたとみられ、警察と海上保安部は操船上の過失による事故とみている。積荷はことごとく流失した。——それだけだった。署名は、柚原。
積荷はことごとく流失した。
私はその一行に見覚えがあった。以前、暁人と二人で図書館で開いた、あの『回光灯台百年史』。巻末の難破の年表。そこに何度も同じ言葉が並んでいた。積荷は、ことごとく流失せり。古い記録の中のその言葉が、二十年前の新聞の中に、そっくりそのまま生きていた。
「同じ言葉だ」と、私は言った。
「ええ」暁人は紙面を見つめたまま言った。「百年、この岬の沖では、よその船が沈み、積荷が消えてきた。地元の船ではなく、土地に縁のない、値の張る荷を積んだ船が。その同じことが二十年前にも起きていた。柚原はそれを事故と書いた。三行で」
夜間。視界の悪い中。操船の過失。そう書いてあった。けれど私はもう、その言葉を素直には読めなくなっていた。七つ岩は地元の人間なら目をつぶってでも避けられる岩礁だと暁人は言った。沈むのはいつも、土地を知らないよその船だった、と。夜の海で船が己の居場所を知る頼りは、岬の灯だ。その灯がもし、いつもと違う回り方をしたら。あるいは消えたら。船は自分がどこにいるかを見失う。
誰かが灯を操って、船を七つ岩へ誘い込んでいたのだとしたら。この座礁もその一つだったのかもしれない。そこまで考えて、私は口の中が乾くのを感じた。
「乗組員一名死亡、とあります」と、私は言った。
「ええ」暁人は静かにうなずいた。「一人、死んでいる。この、たった三行の中で」
私はノートを繰った。シゲさんから聞いた話を書きつけたページ。灯子の養父。源助の古い船乗り仲間。子のない夫婦に、灯子は引き取られた。そしてその養父は、海で死んだ。回光の沖の、七つ岩のあたりで。船が沈んで。——燈里が死ぬ、その前のことだった。
時期が、合う。
私はその符合を口に出すのが怖かった。けれど、出さずにいることもできなかった。
「東雲さん。この座礁は……灯子の養父の船では」
暁人はすぐには答えなかった。長いあいだ、その小さな記事を見ていた。
「断じることはできません」やがて彼は言った。「この記事には、船の名も、死んだ乗組員の名も書かれていない。よその船だ、としか。けれど時期は合う。場所も合う。七つ岩で沈んだ、よその貨物船。乗組員が一人死んでいる。シゲさんの話と重ねたくなる。私も、重ねたい」彼はそこで少し間を置いた。「もしこれが灯子の養父の船だとしたら——灯子は、実の父が灯を守っていた、その同じ岬の沖で、育ての父を失ったことになる」
実の父が守る灯の、すぐそばの海で、育ての父の船が砕けた。もしそうだとしたら。一人の娘が背負わされたものの大きさを、私はうまく想像できなかった。
「この記事の続きを知りたい」暁人は紙面に戻った。「これだけの座礁だ。普通なら続報がある。沈んだ船の素性。死んだ乗組員の身元。事故の原因のその後。けれど——」
彼はその前後の号を繰っていった。けれど続報はどこにもなかった。座礁の記事はその一日、三行きりでぷつりと終わっていた。まるで何ごともなかったように。
「載らなかった取材があったのかもしれない」暁人は言った。「記者は、記事になった何倍も取材する。船の名を調べ、荷主を当たり、遺族に会う。その取材の跡は、新聞社の資料庫に残っていることがある。取材ノート。没になった原稿。現像されなかった写真。——房陽日日の社を訪ねてみましょう」
房陽日日新聞の社は、隣町からさらに海沿いに行った、小さな市にあった。
けれど、私たちがその住所にたどり着いたとき、そこに新聞社はなかった。
あったのは、焼け跡だった。
黒く焦げたコンクリートの土台だけが、雑草の中に残っていた。鉄骨が飴のようにねじれて突き出している。建物のかたちは、もうほとんどわからなかった。火はずいぶん前にすべてを舐めつくしたらしい。焦げた匂いさえ、もうしなかった。ただ、夏草がその黒い土台を覆い隠そうとしていた。
私はその焼け跡に、しばらく立ち尽くした。
近所で訊くと、房陽日日が廃刊になったあと、社屋は長く空き家のまま放られ、七、八年前に火事で焼けたのだという。深夜の火事で、原因はわからずじまい。古い建物だから漏電だろうと言う者もいれば、浮浪者の火の不始末だと言う者もいた。誰も本当のところは知らなかった。そして誰も、たいして気にしていなかった。廃刊になった新聞社の空き家が焼けただけのことだ。
「資料庫も、あの中ですか」と、私は近所の老人に訊いた。
「ああ。ぜんぶ燃えたよ」老人は言った。「古い新聞や書類が山ほどあったらしいがね。みんな灰さ。よく燃えたって話だ」
よく燃えた。私はその言葉をノートに書きつけなかった。書くまでもなく、頭に焼きついた。
二十年前の座礁の取材資料。沈んだ船の素性。死んだ乗組員の名。それらがもし、この資料庫にあったのだとしたら——それはもう、灰だった。誰かが燃やしたのか。それとも、ただの不運な火事だったのか。それを確かめる術は、もうない。確かめる相手も、焼けてしまった。
その日の夕方、私たちは房陽日日の元記者の一人に会うことができた。
暁人が伝手をたどって探し出した老人だった。柚原と同じ社で長く働き、定年で辞めたという。海の見える古い団地に、一人で暮らしていた。私たちが二十年前の回光岬沖の座礁のことを訊くと、老人はしばらく黙っていた。それから湯呑みを両手で包んで、ぽつりと言った。
「……柚原のことを、調べとるのかね」
「ご存じなんですね」と、私は言った。
「あいつは、出世したよ」老人は皮肉な笑い方をした。「わしらが書け書けと言われて書いたものを、あいつは書くなと言われて書かんかった。それで上にいった。回光岬のことは、特にな。燈屋さんの名が出そうになると、あいつの記事は、いつもきれいに角が取れとった」
「角が、取れていた」
「波風の立たんようにな」老人は言った。「岬の沖で船が沈んでも、灯台守の娘が落ちて死んでも、あいつの書くものは、いつも事故、事故、事故だ。深く掘らん。掘らんことで重宝された。燈屋さんにも、上にも」彼は海のほうを見た。「わしは一度、あの座礁をもっと書こうとしたことがある。よその船ばかりが、なんであの岩で沈むのか。流れた荷はどこへ行ったのか。けど、デスクに止められた。柚原が上に話を通したんだと、あとで聞いた。それきり、わしは岬のことを書かせてもらえんようになった」
書かせてもらえなくなった。以前、暁人が言った言葉を私は思い出した。書くべきことを書いた記者が左遷され、書かないことを選んだ記者が出世する。目の前の老人は、書こうとして岬から遠ざけられた側の人間だった。
「資料庫が焼けたことは、ご存じですか」と、暁人が訊いた。
老人の顔が、曇った。
「……ああ。惜しいことだ。古い取材のものが、ぜんぶあの中にあった。わしらが書けなかったことの種が、な」彼は低く言った。「火事のことは、わしは何も知らん。知らんが……二十年も三十年も誰も触らんかったものが、よりにもよって燃えてなくなる。世の中には都合のいい火事もあるもんだ、とは思ったよ」
都合のいい火事。老人はそれ以上は言わなかった。言えば、確かめてもいないことを確からしく語ることになる。それは、書くことを生業にしてきた人間の、最後の矜持のようだった。私には、その沈黙がよくわかった。
団地を出ると、日はもう暮れかけていた。
海沿いの道を、私たちは黙って歩いた。柚原という記者が二十年前、何を書き、何を書かなかったか。その輪郭は見えてきた。岬の沖で沈んだ、よその船。消えた積荷。死んだ乗組員。落ちて死んだ灯台守の娘。そのどれもを、柚原は事故の二文字で塗り固めた。そして、その仕事の種が眠っていた資料庫は、灰になった。
「火は、よく燃える」暁人がぽつりと言った。「紙も、木も、人の記憶も。燃えてしまえば、なかったことにできる。二十年前、この岬の沖で起きていたことを、誰かはずっと灰にしようとしてきた。船を沈め、積荷を消し、人を消し、記事を消し、資料を消し」
「灰の下から、それでも掘り出すのが、私の仕事です」と、私は言った。自分に言い聞かせるように。
暁人はこちらを見て、かすかにうなずいた。
海の向こうに、回光岬は見えなかった。けれど、その方角の空が、わずかに暮れ残って明るかった。あの岬の沖で二十年前、よその船が七つ岩に砕けた。そこには一人の男が乗っていた。子のない夫婦の、夫のほうが。引き取った娘をわが子のように可愛がっていたという男が。その娘は今、どこにいるのだろう。父を二人とも海に奪われたかもしれない、その娘は。
私はその問いを、また胸の奥にしまった。確かなことは、まだ何もない。座礁した船が養父の船だと決まったわけではない。灯が操られていたと証された訳でもない。けれど、灰の下から輪郭だけは、確かに立ち上がりつつあった。二十年前、この岬で事故と呼ばれたものの、本当のかたちが。




