第11章 受け継がれる信頼
「……」
眠っていたクラレンスの目がゆっくりと開かれる。
初めはおぼろげだったが、次第に視界がクリアになっていき……
「クラレンスさん?」
目に飛び込んできたのは心配そうな顔をした井沢の姿だった。
「私は……いったい…」
「良かった…!気がついたんだね」
まだ意識がもうろうとした様子のクラレンスだったが、井沢はホッとした表情に変わる。振り返ってノワールを呼び、
「クラレンスさんが目を覚ましたよ」
「そうか、これで一安心だな」
ソファに座っていたノワールが立ち上がり、クラレンスが横になっているベッドに歩み寄った。
「大丈夫か?大変な目に遭ったな」
優しい声をかけられ、クラレンスはようやくハッキリと意識が戻るのを感じた。
「ノワール様…それにリョウ様まで…」
「ここはゲストルームだ。さっきまで医師も来ていたので執務室では手狭だった」
「医師…?」
理解が追いつかないような声だ。ノワールは頷き、続ける。
「襲撃犯の狙いは私ではなく、初めからお前だったんだ、クラレンス。奴らはお前の父親のヒューイー・アシュフォード氏を拉致し、機密である帳簿の居所を吐かせようとした。お前はアシュフォード氏の口を割らせるための鍵として狙われたのだ」
「……!」
驚いて声も出ないクラレンス。目を見開き、うろたえる。
そんなクラレンスの手を、井沢がそっと握った。
「大丈夫だよ。お父さんも無事に助けられて、病院で手当を受けてる」
「父が……そんなことに…」
弱々しく呟くクラレンスに、井沢は笑んで言った。
「だいぶ疲れているけど、大きな怪我はないんだって。だからすぐに会えるはずだよ」
「……」
クラレンスは唇を震わせ、目を閉じる。
「…私は…何も知らなかった。何も気づけなかった……父がそんな危険な目に遭っていたなんて……」
ノワールと井沢は顔を見合わせる。
「とにかく今はゆっくり休むことだ。仕事のことなど忘れたまえ。アシュフォード氏がここへ来たら、彼の口から真実を聞けるだろう」
ノワールの言葉に、クラレンスは小さく頷いてみせた。だがつらそうな表情は変わらず、目を開いて主の顔をじっと見つめる。
「申し訳ありません…私だけでなく、父までもがご迷惑をかけてしまって……ノワール様、リョウ様…なんとお礼を言っていいか…」
2人に切々と告げるクラレンス。
井沢は握ったままの手に少しだけ力をこめた。
「いいよ、いっぱい迷惑かけたって。クラレンスさんが無事で、ホントに良かった。ゆっくり休んで元気になってね」
「リョウ様……」
なんともいえない表情を向ける彼に、井沢はニコッと笑いかけた。
そしてノワールに聞こえないよう、少し声を落として囁いた。
「元気になったら、今度は一緒にお茶しようね?」
その言葉にハッとなるクラレンス。だがすぐに微笑みに変わる。
その眼には涙が光っていた。
「……ノワール様にはご内密に?」
「うん、もちろん!」
2人が笑い合う姿を、ノワールはただ黙って見守るように立っていた。
翌日、退院して警察の車で送られてきたヒューイー・アシュフォード氏が屋敷を訪れた。
そしてマクファイヤー本家からリヒャルトも足を運んでくれた。
クラレンスの体調は戻っていたが、執務はすべてが片付いた後でというノワールの指示で、給仕はメイドたちに任された。
リビングに集まった面々に向かって、警部が説明を始める。
「事の発端は、オベール家から帳簿が消えたことにありました。当主は高齢で認知症を患っており、帳簿の在りかを忘れてしまっていたのです」
当主の家族である妻と息子は、帳簿が外部に出たのでは?と心配になり、同時期に辞めた執事のアシュフォード氏を怪しんだのだという。
「彼らは帳簿を取り戻すべく、人を雇ってヒューイーさんの拉致を目論んだ。自らの危険を察知したヒューイーさんは、かつてオベール家で共に働いていたリヒャルトさんに暗号文を送り、自分に何かあった時のために帳簿の在りかを示したのです」
ノワールはリヒャルトから手渡されたアシュフォード氏の手紙を掲げて言う。
「『赤き月が満ちる夜…銀の鍵は沈黙する…第七の扉を開けてはならぬ……これはアシュフォード氏が危険に晒されるであろうご自分の身を案じ、詩文形式という形で書いた物です。自身が何者かの襲撃を受けた時のために帳簿の在りかをリヒャルトに知らせたのです。『クラレンスには伝えるな』とあるのは、次に狙われるのが息子のクラレンスの可能性が高いと察知したからなのでしょう」
黙って聞いていたクラレンスがハッとなる。隣に座る父ヒューイーと顔を見合わせて、信じられないという様子で言う。
「どうして何も言ってくれなかったのですか?」
「お前を巻き込みたくなかったのだ。だが、ノワール様が…私の代わりにすべて背負ってくれようとした」
ヒューイーは少しやつれてはいたが、目と口調はしっかりとしていた。
「リヒャルトに頼めば、きっと暗号の解読をしてくれると信じていた。そして、リヒャルトが1人で抱え込まず、ノワール様にお伝えしてくれるだろうと…思ったのです」
ノワールを真っ直ぐに見つめ、ヒューイーはそう言って頭を深々と下げた。
それに対し、ノワールは真摯な態度で向き合う。
「あなたの誇りを守るために私は動いた。それだけです」
「ありがとうございます。クラレンスを守っていただいたご恩は一生忘れません」
ヒューイーの言葉に、聞いていたクラレンスもノワールに頭を下げる。
ヒューイーはさらに続けた。
「私は長年管理していた帳簿の内容をすべて把握しておりました。ですが、あの家の奥さまやご子息たちは関係なく“無垢”であった……彼らを守るために私は告発を避け、無垢なる者を守る選択をしようと思ったのです」
「つまり──帳簿は“暴けば正義、隠せば慈悲”の二面性を持った物だった…ということでしょう」
ノワールが警部に向かって話す。
「彼は誰かのために命を賭けられる人だ。だからこそ帳簿を守る理由が“誰かのため”だった。罪を暴いて告発をすることもできたはず。しかし彼はオベール家の妻や息子たちを守るために、帳簿を屋敷内の隠し書庫に移したのです」
警部は頷き、ロッセーリが派遣したエージェントやCIAの協力によって帳簿が発見されたことを告げた。
「帳簿は発見されましたが、先ほども言ったとおりオベール家当主は高齢のため、内容についての把握もできていないと判断されることになるでしょう。となると罪に問うのであればヒューイーさんやクラレンスさんの拉致計画を立てた息子たち、それに実行犯グループです。今後の捜査で色々と明らかになると思います」
警部の説明が終わり、緊張状態にあったクラレンスは大きく息をついた。
そんな彼にリヒャルトが優しく声をかける。
「私は帳簿の存在は知っておりましたが、保管場所や内容までは知りませんでした。ただし、ヒューイーが『何かを守っていた』ことは察しておりました。今回のことで、ようやくそれが帳簿のことだったと確信できました」
「リヒャルトさん…」
「彼はずっと背負っていたんです…誰にも言わずに、息子のあなたにさえ」
リヒャルトは微笑む。クラレンスは口を押さえ、小さく震えていた。
「私は…あの時何も知らされずに執務室で悩んでいた……父のことも、そしてノワール様のことも。何故誰も、何も話して下さらないのだろうと不安でたまらなかった。ですが、ずっと誰かが自分を守ろうとしてくれていた。それだけは確かなこと……そうですよね?」
ノワールに視線を向け、クラレンスは答えを求めた。
「アシュフォード氏はたった1人で孤独な覚悟を背負っていたのだ。寡黙で誠実、だが自分の信念は絶対に曲げない。そういう強い人が守ろうとしたものは何だったのか」
「……」
「そして、執事という職務に一番大切なことは“信頼”だ。それをお前にも受け継いでほしいと願っているだろう」
ヒューイーを見遣り、ノワールは頷いてみせた。ヒューイーはまた深々と頭を下げ、感謝の気持ちを表した。
クラレンスはノワールと、そしてその隣に座っている井沢の2人を見つめた。
「私も誰かを守れるようになりたいです。いつか、父やノワール様のように」
そう言って穏やかな笑みを浮かべるクラレンスに、ノワールと井沢は一瞬顔を見合わせ、大きく頷いた。
リビングでの話し合いが終わった後、リヒャルトとヒューイーが久方ぶりの再会を喜んで語り合っていた。
その姿を見ていたクラレンスが、ぽつりと呟くように、
「私も父の意思を継いで、立派な執事として成長していきたいです。身を挺してでも、ノワール様やリョウ様をお守りしていきます」
気負うようにノワールに目を向ける。だがノワールは苦笑してみせながら、
「私はイザワにいつも怒られていてね…『おれを守ろうとして無茶ばっかりするんだから!』──とね」
「え?ノワール様が怒られるんですか?リョウ様に?」
意外そうな声で言い、クラレンスは少し笑った。ノワールは「そうだ」と続け、
「だからお前も1人で背負い込むな。私たちを頼ってくれ。我々はもう家族なのだからな」
「ノワール様…ありがたきお言葉、感謝致します」
クラレンスはふたたびノワールに頭を下げ、父とリヒャルトの所へ歩み寄っていった。
「…イザワ?」
振り返ると、先ほどまで隣にいた井沢の姿がない。
ノワールは不思議に思い、リビングから廊下へ出た。するとゲストルームの一室から出てくる井沢とハリーが見えた。
「よお。宿代わりにさせてもらってありがとよ、ノワール」
ハリーは昨夜の疲れも見せず、井沢と笑い合っていた。
「あーあ、おれもハリーがバイクでカッコよく走ってくるところ、見たかったなあ!」
少し口をとがらせて言う井沢。まあなと言ってニヤッと笑うハリー。ノワールに向き直り、翡翠色の瞳を細めた。
「思ったよりも早い時間の襲撃だったな。パリからコペンハーゲン経由で来たがギリギリだったぜ。ハンブルクの空港でロッセーリのエージェントにバイク借りて…ついでに例のスパイクもな」
「また救ってもらったことになるな。感謝するぞ、ハリー」
「ハハッ、よせやい。ま、借りはきっちり返してもらうがな?」
「…お前の“貸し”はいつも重いな」
「そりゃあんたが危ない橋を渡りすぎてるだけだ。まさかまたおかしな案件に巻き込まれるたあ…イザワだって生きてる心地しないんじゃねえか?」
なあ?と言いたげにハリーは井沢を見た。井沢は苦笑いを浮かべ、肩をすくめながら冗談交じりに言う。
「ホントに無茶ばっかりするんだから。心臓いくつあっても足りないよ?もう二度と危ない橋を渡らないこと!」
語尾を強めにした言葉に対し、ノワールは苦笑してみせる。
「そんなふうに怒ってくれる人がいるのは嬉しいことだな」
「えっ?何それ、おれに怒られて嬉しいってこと?」
少し驚いたように井沢が訊く。
「そうだ。君が怒ってくれることが私は嬉しい」
ノワールはふふっと笑いを零した。意味がわからない様子の井沢を横目に、ノワールとハリーは目を合わせてしばらく可笑しそうに笑っていた。




