第11話:アクアパッツァ
プロフの店先でアクアパッツァの容器を受け取り、私はふと思いついてデバイスのフレームに指をかけた。数日前までは、これを外しても少し景色が色褪せ、下水の臭いが鼻につく程度で済んでいたはずだった。
だが、こめかみから数ミリ浮かせた瞬間、視界が「爆発」した。
「……っ!」
網膜を直接焼くような、色彩を欠いた暴力的な白光。そして、かつての「嫌な臭い」など比較にならない、内臓を掻き回されるような機械油と腐敗の悪臭。脳が未知の異物を検知して、内側から破裂しそうなほど激しく拍動する。私はたまらずデバイスを顔に押し戻した。
「……プロフ、何なんだ。前はこんな……外せないほどじゃなかった」
185センチの視界。高い位置から見下ろす世界が、一瞬で偽りの平穏(ラベンダーの香り)に書き戻される。
「お前が毎日ノートを埋めるたびに、システム側もお前を『逃がさないように』最適化を進めてるのさ。デバイスはもう、単なるメガネじゃない。お前の脳が壊れないように生の情報(毒)を薄める、点滴と同じなんだよ」
プロフが隣で、古びた真鍮の歯車を弄びながら笑う。カチ、カチと噛み合う金属音が、デバイスのフィルタリングを抜けて冷酷に響く。
「見ろよ。煮込めば煮込むほど、本質が浮いてくるだろ?」
容器の底に沈む魚の身を見つめると、デバイス越しですら「色」が剥がれ落ち始めた。私の認識能力がデバイスの補正速度を追い越し、一瞬だけ、魚の身がグレーのワイヤーフレームのように透過し、その背後にある剥き出しの文字列が透けて見えた。
路地を抜けた先の大通りでは、住人たちが全く同じ角度で首を傾け、寸分違わぬタイミングで影のように移動していく。彼らはもはや人間ではなく、一つの巨大な意志に操られる端末の群れに見えた。
私は震える手で、スープを口に運んだ。舌を焼く熱さと、暴力的なまでの魚介の旨味。それが、視界の端で「異常なし(Stable)」と点灯し続ける緑色の文字に対する、唯一の抵抗だった。
ノートを開く。
指が勝手に、空白のページに一文字目を深く刻みつけていた。
アクアパッツァは、あの魚介の旨みが凝縮されたスープがくせになりますよね。
皆さんは、スープの底に何が沈んでいるか、確かめたことはありますか?




