第10話:ラタトゥイユ
「おい、顔色が悪いぞ。少しはこいつを食べて元気を出せ」
プロフが差し出してきたのは、トマトやズッキーニが形を失うまで煮込まれたラタトゥイユだ。だが、私の胃はそれを拒絶していた。
歩道の石畳は、数分前に男が溶けて消えた場所だとは思えないほど、滑らかに「復元」されている。
先ほどまで漂っていた鉄の臭いさえ、今では街路樹の放つ甘ったるい芳香に塗りつぶされていた。
私は平静を装い、プロフの横を歩き続ける。
だが、すれ違う「普通の人々」が、一瞬だけ私に視線を向けるようになった。
一瞥して、すぐに逸らす。その機械的な動作が繰り返されるたび、私のPEDの端で警告灯が点滅する。
『Targeting...』
『Identity Mismatch...』
システムは、ナノマシンを持たない私の「生身の体温」を、この完璧な黄金色の絵画に混じった「シミ」として検出し始めている。
「……プロフ、あの人たちがこっちを見てる」
「気のせいだ。お前が昨日からバゲットだの男だの、ノイズばかり気にするからそう見えるだけだ」
プロフは前を見据えたまま、私の腕を強く掴んだ。その指先から伝わる温度は、先ほどのアスファルトと同じくらい、無機質に冷え切っている。
ふと、足元に何か硬いものが触れた。
ナノマシンによって完全に平坦化されたはずの石畳の上に、一粒の「欠けたボタン」が落ちている。
それは、あの男が消える寸前まで着ていた、汚れの目立つシャツについていたものと同じだった。
私は反射的にそれを拾い上げようとした。
だが、私の指がボタンに触れる直前、プロフの靴底がそれを無造作に踏みにじった。
「拾うな。それは『存在しないもの』だ」
プロフの声には、もはやいつもの冗談めかした響きはなかった。
黄金色の光に照らされた彼の横顔は、背後の完璧な景色と、あまりにも残酷に調和していた。
本日の事故、0件。
この街で、私が感じている恐怖だけが、唯一の「間違い」として孤立していく。
【こだわりレシピ:夏野菜のラタトゥイユ】
野菜をじっくり煮込むことで、それぞれの個性が溶け合い、一つの深い味わいになります。
ラタトゥイユは、あのトロトロに煮込まれた野菜の甘みが最高ですよね。
でも、溶け合って形を失うのは、野菜だけではないのかもしれません。
プロフが踏みつけたあのボタン。あれを「見えていない」と言い張る彼の目は、本当に私の味方なのでしょうか。
完璧な黄金色の世界で、私だけが取り残されていくような、そんなざわめきが止まりません。




