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形にしたかった想い


翌朝。


焚き火の残り火が、赤く、静かに揺れていた。


そのそばで――

レイラはひとり、腰を下ろし、ゆっくりと髪を梳いていた。


滝の裏の洞窟を抜けてきた朝日が、

柔らかな角度で差し込み、

銀色の髪を、すうっと照らす。


櫛が髪を滑る、かすかな音。


そして──


珍しく、レイラは小さく歌を口ずさんでいた。


それは子守唄のような、

静かで、澄んだ旋律。


誇るようでもなく、聞かせるためでもない。

ただ、自然と零れた声。


レイラ自身、滅多に歌わない。

むしろ、少し恥ずかしくて、避けているほどのものだった。



その歌声で、

シャガルとテュエルは目を覚ました。


最初は、夢かと思った。


だが、

焚き火の音と、滝の遠鳴りと、

その中に溶け込む歌声が、確かにそこにあった。


二人は起き上がり、

少し距離を置いたまま、レイラを見つめる。


……そして、動けなくなった。


シャガルは、ぽかんと口を開けたまま。

テュエルは、胸元を押さえ、息を呑んでいる。


レイラは気づかないまま、

小さく、穏やかに。


レイラ(小声)

「……♪……」


櫛の音。

歌声。

朝の光。


それらが重なり合い、

まるで――天から舞い降りた女神のようだった。



シャガル

「……な……なんだこれは……。

朝から……心臓が持たぬ……。

……天女か……?

いや……天そのものではないか……」


テュエルは……気づけば一歩、前に出ていた。


自分でも、なぜ足が動いたのか分からない。

ただ――


この光景を、

この人を、

“今”という時間ごと失ってしまう気がして。


胸の奥が、静かに、しかし確かに疼いた。


テュエル

「……レイラ様」


名を呼ぶ声は、思ったよりも低かった。


レイラが少し驚き振り返る。


レイラ

「……?」


その瞬間、

朝の光が彼女の背に差し、

銀の髪が、ゆっくりと揺れた。


――だめだ。


頭で考えるより先に、

手が動いていた。


テュエルは、懐に手を入れ、

小さな指輪を取り出す。


自分でも、驚くほど自然な動きだった。


シャガル

(……?)


少し離れた場所で、

シャガルが目を細める。


テュエル

「……驚かせてしまいましたか」


一拍置いて、視線を逸らす。


「レイラ様が、

装飾品を好まれないことは……

承知しています」


それでも、指輪を差し出す。


(――本当は)


(もっと、ちゃんとしたかった)


気持ちの整理も、覚悟も、

夫としての準備も、

何ひとつ整わないまま――


気づけば、

“夫”という立場だけが、先に与えられていた。


何を贈ればいいのか。

何をすれば、ふさわしいのか。


装飾品は好まれない。

形式も、虚飾も、望まれない。


それでも。


何も渡さないままでいることだけは、

どうしても、できなかった。


「……それでも、

これだけは……

どうしても、形にしたかった」


低く、静かに。


「ボクにとって、

あなたが“妻”であるという事実を……

誰にも、何にも、

奪えない形で」


少しだけ、苦笑して。


「……完全に、自分本位です。

お嫌でしたら、

身につけなくても構いません」


「……持っていてくださるだけで、

それで充分です」


レイラは、指輪を見つめ、

少しだけ目を伏せた。


レイラ

「……驚いたのは……確かだ。」


静かに、そう言って。


「だが……

 嫌だとは、一言も言っていない。」


そっと、指に通す。


朝の光が、

その小さな輪に反射して、きらりと瞬いた。


レイラ

「とても……気に入った。」


小さく、微笑んで。


「ありがとう、テュエル。」


テュエル

「……っ……」


耳まで赤くなりながら、言葉を失う。


(本当は……)

(こんな時に渡すつもりじゃなかった)


もっと落ち着いた場所で。

もっと、ちゃんとした言葉を選んで。


それなのに。


あまりにも綺麗で。

あまりにも、失いたくなくて。


気づけば、足が前に出ていた。


(……それを)


嫌いなはずの装飾品を、

こんなふうに受け取って。

こんなふうに、微笑ってくれる。


胸の奥が、ぎゅっと詰まって、

息が、うまくできない。


(……ああ)


これでいい。

これで、よかった。


今この瞬間を、

一生、忘れない。

 

 ――しばらく。


誰も、何も言わなかった。


焚き火の音と、

滝の遠い水音だけが、ゆっくりと流れていく。


レイラの指で、

小さな指輪がきらりと光る。


それを見つめている時間さえ、

どこか夢の中のようで。


朝は、もう完全に始まっているのに、

三人だけが、

少し遅れた世界に取り残されているようだった。

 


少し離れたところで、

シャガルが腕を組み、その光景を見ていた。


(……人間界の夫、手強いな)

(……だが)

(悪くない)


そう思っている自分に気づき、

シャガルは小さく息を吐いた。

 

そう思いながらも、

どこか誇らしげに、ふっと鼻を鳴らす。


 



しばらくして。


焚き火が、ぱち、と小さく弾ける。


空気が落ち着いたころ、

シャガルが、どうしても気になっていたことを口にした。


シャガル

「……それで、レイラ。

なぜ……あの滝の裏で寝ていたのだ。

あんな……危うい場所で……」


レイラは、焚き火の炎を見つめたまま、

少しだけ、間を置いて答えた。


レイラ

「……怒っていることに、疲れてしまったんだ。」


二人の肩が、ぴくりと動く。


レイラ

「二人のことを考えていたら……

胸の奥が、ぎゅっとして……

少しだけ……一人になりたかった。」


静かな声。


責めるでも、突き放すでもない。


レイラ

「前にテュエルと見つけた……

あの氷の洞窟に入ったら……

なぜか……とても安心して……」


焚き火の炎が、ゆらりと揺れる。


レイラ

「……母に抱かれているような……

そんな感覚がしたんだ。」


小さく、笑う。


「……まぁ、母に抱かれたことは、ないけどな。

『きっと……こういうものなのだろう』って思った。」


一拍。


「……気づいたら、眠っていた。」



沈黙。


テュエルは、静かに目を伏せる。

シャガルは、奥歯を噛みしめた。


シャガル(低く)

「……レイラ。

余が……そなたを……

そんな気持ちにさせてしまったのか……」


テュエル

「……レイラ様。

本当に……申し訳ございません……」


レイラは、ふっと微笑んだ。


「……もういい。」


そう言って、立ち上がり、

二人の前へ歩み寄る。


「二人は……来てくれただろう?」


両手を伸ばし、

それぞれの頭に、そっと触れる。


「それだけで……十分だ。」


シャガル

「……今度こそ……

二度と、一人にさせぬ。」


テュエル

「レイラ様が不安になるようなこと……

絶対に、いたしません。」


レイラ

「なら……頼んだぞ。」


少し照れたように、そう言ってから――

ふと、いたずらっぽく目を細める。


「……まさかとは思うが。

私の体だけが目的、というわけではあるまいな?」


間を置いて、ぽつりと

 

「……それだけなら、

私は随分と寂しい立場だな。」

 

 

一瞬。


空気が凍る。


シャガル

「なっ――!!

そ、そんなわけがあるか!!」


テュエル

「と、とんでもありません!!

 ボ、ボクは……っ!!」


 二人は同時に声を荒げ、

 完全に動揺していた。


レイラ

「ふふ……」


小さく笑って、肩をすくめる。


「冗談だ。

そんな顔をされては、疑う気にもならん。」


シャガル

「……っ……からかいおって……!」


テュエル

「心臓に……悪すぎます……」


そう言いながらも、

二人の表情は、どこかほっとしていた。



三人は寄り添い、

昇りきった朝日を受けながら、静かに微笑んだ。


やがて荷物をまとめ、

焚き火を消し、

来た道を戻る。


帰る場所は、同じ。


その背中に、

もう、迷いはなかった。

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